第36話 悲劇の再分配
勇者一課の会議室は、勇者物語らしくない匂いがした。
血でも土でもなく、紙とインクと、確率の匂いだ。誰かが死ぬかどうかを、ここではまず数字で話す。そうしないと、話が前に進まない。話が前に進まないと、システムが勝手に前に進める。そういう職場だった。
神崎は、会議室の端末に第35号様式のドラフトを投影しながら、手元のタブレットで別の画面を開いていた。
『第29号様式:監査方針決裁(テンプレ最適化)』
タイトルがまず嫌だった。『テンプレ最適化』。その四文字が、喉の奥に貼りつく。最適化するのは何だ。喪失か。恐怖か。死体の配分か。全部だ。
でも、公的な書類の中では、そう書くしかない。
机の向こうで、雨宮がマグカップを置く音がした。周囲には、先輩監査官が二人。名前を覚える余裕がないまま、地獄を見てきた。皆、声のトーンが平坦で、目だけが疲れている。
「じゃ、第29号様式に落とす。今日はそこまでやるよ」
雨宮が言った。軽い口調で、重いことを言う。
「第35号様式の予測比較はこの通り。案Aと案B。どっちも『E-ACD-07は必須』で、どっちも『短期RSIは高』。違いは“割れ方”と“回収線”」
投影されたグラフの線が二本、似ているようで決定的に違う山を描く。
案Aは鋭い。跳ね上がって、刺さる。落ちるのも速い。
案Bは丸い。跳ね上がりは控えめで、その代わりに尾を引く。
神崎は、分かってしまう。読者が反射で喜ぶのは案Aだ。分かりやすい喪失、分かりやすい怒り、分かりやすい覚醒。勇者物語として、古典的に強い。
「作品として強いのは案Aだよね」
先輩監査官の一人が、素直に言った。
「勇者ラインって、結局“最初の大喪失”で方向性決まるじゃん。学院壊滅級って看板で、学生がほとんど助かるのは……薄い」
もう一人が続ける。
「薄いっていうか、茶番って言われるリスクまである。短期RSIのピークが低いと、次の章の入口が弱くなる。ただでさえ、幼馴染死亡ルートもあいまいな形のままだし」
神崎は、指先を強く握っていた。言い返したい。薄いとか茶番とか、誰が言うんだ。あの中庭で笑ってた生徒たちの顔を見て、それを言えるのか。
言える。ここなら言える。顔を見ていないから。
だから、神崎は顔の言語では戦えない。戦えるのは、同じ土俵の言語だけだ。
神崎は息を吸い、タブレットの第29号様式の空欄を見つめながら口を開いた。
「案Aは、確かに短期RSIが強いです。ただ……割れる要素が多すぎます」
会議室の空気が、少しだけ動く。反論の形を取った言葉が出たとき、皆が耳を向ける。建前の議論は許される。感情の議論は、後回しにされる。
「割れ?」と先輩監査官が眉を上げる。
「回収不能の喪失です」
神崎は、できるだけ平坦に言った。内側で怒鳴りたいのを、文書のトーンに変換する。
「学生死亡が二十~三十。『イベントとして大きい』のは分かります。でも、その数の喪失をこの章の残り話数で回収し切れない。回収できない喪失は、読者の中で処理が止まる。止まると、胸糞・雑・消費ってラベルがついて炎上分散が起きます。短期RSIは上がっても、中長期RSIが割れる」
雨宮が、何も言わずに頷いた。肯定なのか、続きを促しているだけなのか分からない頷きだ。
神崎は続ける。
「それに、テンプレ濃度が高すぎる。村焼きの後に学院壊滅で大量死って、テンプレとしては一直線すぎます。最短で盛る形のままだと、単調化警告が出る」
言いながら、自分が嫌になる。単調化。警告。テンプレ濃度。人が死ぬ話を、味の濃さみたいに言っている。
それでも、この場で通る言語はこれしかない。
先輩監査官が腕を組む。
「じゃあ案Bってこと?象徴的喪失に寄せるやつ。学生死亡を抑えて、そのぶん教官を……」
その言葉の途中で、神崎の胃がきゅっと縮んだ。『そのぶん』。配分の言語だ。いちばん嫌いな言い方だ。
神崎は、頷けない。頷けないのに、否定もできない。第35号様式は既に示している。規模縮小も移設も赤字で潰れた。残ったのは、どこが壊れるかを選ぶことだけ。
雨宮が、淡々と言った。
「案Bは、回収線が引ける。喪失が一点に集約するから、物語としての整合性が上がる。短期RSIは少し落ちるけど、割れにくい。第29号様式に落とすなら、案Bのほうが説明がしやすい」
説明。説明できる悲劇。説明できたら許されるのか。
神崎は自分の中で湧いた問いを飲み込む。飲み込んで、代わりに第29号様式の『監査方針(要旨)』欄に文章を打ち始めた。
『方針:E-ACD-07におけるテンプレ過多(雑な大量死)を抑制し、回収可能な喪失設計へ焦点化することで、短期RSIの割れを防止し中長期RSIを安定化させる。』
書いた瞬間、吐き気がした。綺麗な文章だ。綺麗すぎて、何も言っていないのと同じだ。
雨宮がその文面を覗き込み、短く言った。
「うん。それで通る」
通る。通ってしまう。
神崎は、通ってしまうことが嫌だった。
◇ ◇ ◇
会議が一段落し、決裁の形式だけが残ったとき、雨宮が神崎に視線で合図した。
会議室を出て、廊下の突き当たり。自販機と古い観葉植物が置かれた小さなスペース。勇者一課の人間が、息をつくための場所だ。
雨宮はコーヒーを買い、神崎にも無言で一本押しつけた。温かい缶の感触が、変に現実だった。
「……さっきの場で言い切れなかった顔してた」
「顔、出てましたか」
「出るよ。君、隠すの下手」
雨宮は笑わなかった。笑う場面じゃない。
神崎は缶を握りしめたまま、言葉を探して、見つけたものをそのまま出した。
「盛り上がりのために、人が死ぬのが前提なんですか」
自分で言っておいて、幼稚な質問だと思った。前提じゃない、と答えるに決まっている。答えは知っている。それでも言わずにいられなかった。
雨宮は、缶のプルタブに指をかけたまま止まる。
「前提じゃない」
やっぱりそう言った。
「でも、最短で盛る形をシステムは取る。取るのが得意。勇者ラインって、そういう作りなんだよね。だから放っておくと、雑に死なせる。雑な大量死で盛り上げる。雑だと割れるのに、雑にやる」
「それを止めるのが、監査ですか」
「止める、というより締める」
雨宮はプルタブを開け、短く一口飲んだ。
「雑な大量死は割れる。回収できない喪失は割れる。だから整えて回収する。そういう勝ち方しかできないときがある」
「勝ち方」
神崎はその言葉を繰り返した。勝ち方が嫌だった。勝ちたくてこの仕事をしているわけじゃない。誰かを救いたくて、救えないことに腹を立てて、救えないことを正当化する言語に耐えられなくて、それでもここにいる。
雨宮が神崎を見た。
「案Bを出すなら、出し方がある。君は、今その言語をもう持ってる」
神崎は首を振りたかった。持ちたくない言語だ。だが、持ってしまっている。第35号様式を読んでしまったから。赤字を見てしまったから。
「……案Aは回収不能の喪失が多すぎる。炎上分散も単調化も引く。案Bのほうが筋が通る」
神崎は、缶を見つめたまま言った。自分の声が、自分のものじゃないみたいだった。
雨宮は、静かに頷いた。
「そう。公的にはそれでいい」
「公的には」
「私的には、飲めないよね」
雨宮は、そこで初めて少しだけ表情を崩した。慰めでも同情でもない。事実確認の顔だった。
神崎は返事ができない。飲めない。飲めないのに、飲む方針を決裁文に落とす。飲めないのに、誰かの喪失を一点に集約すると書く。飲めないのに、筋が通ると口にする。
雨宮が言った。
「神崎。君が登場人物の福祉って言葉で戦うと、ここでは負ける。負けたらシステムが雑に勝つ。君が勝つなら、監査課の言葉で勝て」
分かっている。分かっているから苦しい。
神崎は小さく息を吐き、最後に言った。
「……案Bで出します」
それは決断というより、沈み込むような承諾だった。
◇ ◇ ◇
自席に戻ると、第29号様式の画面が待っていた。未決裁の赤いアイコンが、律儀に点滅している。
神崎は、項目を一つずつ埋めていく。
『対象ライン:第2781勇者物語ライン/第2章 王立学院編』
『対象イベント:E-ACD-07 学院防衛戦(方向性固定ノード)』
『監査目的:テンプレ強度の最適化によるRSI向上(割れ抑制)』
『監査方針:案B(象徴的喪失への焦点化/雑な大量死の抑制)』
『留意事項:補正悲劇の発生箇所監視/炎上分散の兆候監視/回収線の確保』
最後の欄にカーソルが点滅する。
『監査官補コメント(任意)』
任意。任意だけど、ここに何を書いたかは後で自分に刺さる。神崎は一秒迷って、何も書かなかった。書いた瞬間、言葉が免罪符になりそうで怖かった。
代わりに、個人メモを開く。誰にも提出しない、自分のためだけの欄。
『公的:案Bは筋が通る。割れにくい。回収できる。』
『私的:筋が通るほど苦しい。飲む対象が“誰か”になる。』
保存し、決裁ボタンに指を置いた。
押せば、確定する。
確定したら、戻れない。
神崎は押した。
画面が一瞬暗転し、次に表示されたのは、承認のログだった。
『システム承認:完了』
『E-ACD-07 監査方針:案B/承認』
『担当:勇者物語監査第一課』
『監査官補:神崎悠斗』
そして、その下に追記が現れる。冷たい文字列。現場の顔を一切含まない文字列。
『権限制限:監査官補・神崎悠斗』
『再介入権限:E-ACD-07のみ』
『規程:根幹破壊級介入は禁止』
神崎の背中が、ぞくりと冷えた。
承認された。
決定的に選んでしまった。
タブレットの隅で、ナラティヴァの短評通知が点滅した。
『システム人格:ナラティヴァ』
『案B採用により、テンプレ過多の抑制とRSIの割れ軽減が期待されます。監査方針として合理的です。』
合理的。
神崎は笑いそうになって、笑えなかった。
合理的だ。合理的に誰かを飲む。合理的に喪失を一点に集約する。合理的に回収線を引く。合理的に、誰かの未来を削る。
神崎はタブレットを閉じ、椅子の背にもたれた。
天井の蛍光灯が、妙に白い。白すぎて、何も見えない。
ふと、学院の中庭の笑い声が頭をよぎる。鍛冶屋の手つきで革紐を締めるリアム。短い指示で場を整えるクレア。笑いで怒りを隠すテオ。眠れないと言いながら笑おうとしたノーラ。遠くで見守るレオナ教官。
そして、その上に赤いノードが重なる。
神崎は目を閉じて、短く息を吐いた。
承認された瞬間の空虚は、喉の奥に残る骨みたいに取れない。
取れないまま、次のページはめくられる。発火の赤字は、もう遠くない。
神崎は、目を開けた。
机の上のタブレットは沈黙している。沈黙しているのに、確かに言っていた。
『準備は整いました』と。
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