第35話 迫る影、テンプレ必須ノード
ナラティブ庁の朝は、いつもより静かだった。
静かなのに、落ち着かない。紙の束が少ないわけじゃない。ログの更新が止まったわけでもない。むしろ逆だ。更新が滑らかすぎる。手触りのない不穏が、フロア全体に薄い膜のように広がっている。
勇者一課の端末群では、『王国防衛ログ』の窓がいくつも開きっぱなしになっていた。
勇者物語ラインは、基本的に主人公の視点で回る。村焼き、出立、仲間、試練、覚醒。だが、その裏側で世界がどう揺れているかを示すのが、この『王国防衛ログ』だ。戦争の手前の、政治と兵站の手前の、現実の匂い。物語の外縁から、必然を作るための材料。
神崎は自席でタブレットを立ち上げると、まず第2781ラインの進行状況を確認する癖をつけていた。赤いノード――E-ACD-07がキューで脈打っている。
その脈打ちが、今日に限ってやけに近い。
『王国防衛ログ:更新(優先度:高)』
ポップアップが勝手に前面へ出てくる。嫌なタイプの通知だ。『今見ろ』と言っている。
神崎は指先で開いた。
◇ ◇ ◇
画面に展開されたのは、淡々とした文面と、無機質な地図だった。
『王国防衛ログ抜粋(王都近郊)』
『・北西方面:辺境補給拠点アルメイダ襲撃(同時刻)』
『・南方面:交易路第七哨所襲撃(同時刻)』
『・東方面:小都市リドル周辺、魔物群の移動観測増加』
『・共通:魔王軍斥候部隊の行動痕跡あり』
『評価:偵察的攻勢の可能性(王都周辺戦力の試験)』
数字と方角の並び。だが、神崎にはすぐ分かった。これが“物語の準備運動”だということが。
いくつかのラインを横断して観測してきた経験がある。魔王軍が本気で落としに来る前は、必ず『試す』。兵站、結界、連絡、指揮系統、増援速度。どこが脆いか。どこが急所か。
そして、その急所に勇者がいる場所を置くと、物語としては最短で盛り上がる。
不意に、画面の右下に小さな注記が浮かび上がった。
『システム人格:ナラティヴァより注記』
『学院は勇者の育成の成り上がりとして合理的な踏み台となります。襲撃は物語上合理。』
神崎は目を閉じたくなった。
「合理」
口に出すと余計に苦い。合理が嫌いなわけじゃない。合理は、人を救うときにも必要だ。救う順番を決める。撤退線を引く。補給路を確保する。全部合理だ。
ただ、この合理は違う。
『踏み台』という合理。人を踏み台にする合理。しかもそれを物語上と括ることで、何でも許される顔をしている。
神崎は指を動かし、ログの添付資料へアクセスした。軍の作戦会議の抜粋、結界維持の報告、王都周辺の警戒段階。どれも理屈として筋が通っている。筋が通っているからこそ、怖い。筋が通っている悲劇は、止めにくい。
画面の端で、第35号様式のウィンドウが勝手に連動する。
『第35号様式:学院編サマリー(連動更新)』
『外部環境:王都周辺脅威レベル上昇』
『E-ACD-07発火条件:成立確率上昇(暫定)』
上昇。淡々とした二文字。
神崎は息を吐き、机の上のペンを握りしめる。紙に書かないと、体のどこかが落ち着かない。だが書く内容は、いつも同じ場所に戻る。
合理でしか戦えない。
悲劇が嫌いなのに、悲劇を削るための言葉は『RSI』『テンプレ濃度』『回収線』『炎上分散』みたいな、どれも人間の血の匂いを消す言語だ。
そして今、合理そのものが敵の側にもシステムの側にもある。
神崎の側には、何がある?
……たぶん、同じ合理しかない。
◇ ◇ ◇
学院の中では、噂が先に走る。
戦場が遠いほど、噂は速い。見えないから想像する。想像するから怯える。怯えるから群れて、群れるから余計に大きくなる。
中庭の片隅。昼休みの時間帯。リアムたちは、いつものように集まっていた。いつものように見えるように、集まっている。たぶん、無意識に。
「聞いたか?北西の補給拠点、落ちたらしいぞ」
通りすがりの上級生が言う。言い終わる前に、別の生徒が被せてくる。
「落ちてない。襲撃を受けただけだって。けど、同時刻に三つもだろ。嫌な感じだよな」
「嫌な感じって何だよ。戦争なんて、いつだって嫌だろ」
テオが肩をすくめて笑う。笑いで逃げる癖は、彼の鎧だ。
「嫌な感じの種類があるのよ。こういうのは試してる」
クレアが、淡々と言った。声が低い。低い声は、余計に説得力がある。
リアムは手元の革紐を締め直しながら、顔を上げる。
「試すって、何を」
「王都の外縁。結界の穴。増援速度。学院の動きも含めて」
クレアは余計な言葉を足さない。足さないから、リアムの眉が寄る。
「学院まで含めるのか」
「含める。学院は象徴だもの。王都の子どもが育つ場所。貴族の子も庶民の子もいる。そこが燃えれば、世論が揺れる。軍の指揮も揺れる」
リアムは一瞬黙り、それから短く言った。
「来るなら、守る」
その言葉は強い。強いから危うい。
ノーラが、小さく笑おうとして、笑えなかった。
「守るって……守れるかな。私たち、まだ……」
「守れる範囲を守る。全部は無理でも」
リアムが言いかけて、止まった。彼はそれを押し込め、代わりに拳を握りしめる。
テオが、わざと軽く言った。
「まあ、学院が燃えたら燃えたで、勇者物語っぽいよな。ほら、英雄が立つやつ」
その瞬間、空気が冷えた。
クレアがテオを睨むでもなく、ただ静かに言う。
「それを言うなら、英雄は燃やされた側の上に立つ」
「言い方が最悪」
「最悪な構造だから、言い方も最悪になる」
テオは口を尖らせ、視線を逸らした。
「……俺は嫌いだよ。英雄のために誰かが死ぬのが当然みたいなやつ」
「みんな嫌いだよ」
ノーラがぽつりと言った。声が細い。細い声なのに、よく通った。
「嫌いなのに、怖い。夜、寝ようとすると、変な想像が出てきて……鐘の音とか、叫び声とか。私、まだ何も起きてないのに」
リアムが何か言おうとして、言葉を探す。
そのとき、遠くで笛が鳴った。演習開始の合図だ。日常の音が、噂を切り裂く。
そして、レオナ教官が中庭の端に立っているのが見えた。
彼女は平静を装っている。学生に見せる顔はいつも通りだ。だが、目だけが違う。遠い火種を見つけた兵士の目。まだ燃えていないのに、燃える場所を数えてしまう目。
レオナは四人に向かって短く言った。
「次。集合。噂話は歩きながらでいい。動けるうちに動く」
命令は普通だった。普通だから、余計に怖い。戦場の前の普通は、いつもこういう口調で始まる。
◇ ◇ ◇
庁内に戻ると、神崎は自席に沈み込むように座った。
窓の外に世界線の束が見える。光は美しい。美しいから、余計に嫌になる。あの光の一本一本に、誰かの人生がある。誰かの顔がある。レオナのマグカップの湯気みたいに、揺れて消えるかもしれない顔がある。
神崎はタブレットの第35号様式を開いた。
そして、やってはいけないと分かっていながら、やってしまう。
逃げ道を探す。
E-ACD-07を消すことは無理だ。そこは最初から分かっている。だが、規模を縮める。場所を移す。発火条件を遅らせる。敵の標的をずらす。手段はいくらでも……あるはずだ。
神崎は第35号様式のオプションタブを開き、指を滑らせた。
『オプション:規模調整』
『・敵戦力規模:小(推奨)/中/大』
『・侵入口:単一/複数』
『・被害範囲:外壁のみ/中庭まで/寮区画まで』
選択肢が並ぶ。選べるように見える。だが、その横に小さな警告が付いていた。
『注意:方向性固定ノードにおける規模過小化は勇者ラインらしさを毀損し、RSI割れリスクが増加する可能性』
神崎は次のタブへ。
『オプション:場所移設』
『・王立学院→王都外縁砦』
『・王立学院→王都商業区』
『・王立学院→辺境拠点』
移設。選択肢がある。あるように見える。神崎は一瞬だけ希望を抱き、指を伸ばす。
――その瞬間。
画面全体が赤く縁取られた。
『赤字警告』
『E-ACD-07:方向性固定ノード』
『移設・削除・過小化:ライン破綻リスク大』
『破綻時の補正:別ノードにおける大規模悲劇自動生成の可能性(高)』
『備考:勇者ライン第2章の方向性固定は学院内での喪失・決意の回収を含む』
神崎は、指を止めた。
赤字の文字は、いつもより丁寧だった。丁寧な赤字は、脅しだ。
つまりこうだ。
ここで学院を守れば、別の場所が燃える。学院を燃やさないために場所を移せば、移した先でより雑に燃える。燃える場所が変わるだけ。燃える量は、むしろ増える。
神崎は唇を噛んだ。
「……ふざけるな」
思わず声が漏れた。庁内で声を荒げるのは珍しい。隣席の監査官がちらりと見たが、すぐに目を逸らした。勇者ラインの赤字に触れた人間の表情には、あまり近づきたくないのだろう。
神崎は画面の赤字をスクロールし直す。何か抜け道があるはずだ。規程の隙間。例外条項。過去事例。何でもいい。
そのとき、背後から気配がした。
「そういう顔してるときは、だいたい赤字に殴られてる」
雨宮の声だった。
振り向くと、雨宮がマグカップを片手に立っている。今日もネクタイは緩いが、風格は相変わらずだ。だが、目が笑っていない。
「逃げ道、探してた?」
「……探してました」
「見つかった?」
神崎はタブレットを少しだけ傾け、赤字を見せる。雨宮は一瞥して、すぐに分かった顔をした。
「うん。方向性固定。出たね」
「移設も過小化も、全部ライン破綻だって。破綻したら補正で別の地獄が生まれるって」
「生まれるよ」
雨宮はあっさり言った。あっさり言うことで、痛みを薄めようとしているようにも見えた。あるいは、痛みに慣れすぎただけか。
「……だったら、どうすればいいんですか」
神崎は自分でも驚くほど素直な声で言った。建前を捨てた問いだった。
雨宮は机の端に腰を預ける。
「どうすれば、って」
「学院を守りたい。生徒を守りたい。レオナ教官も……」
言いかけて、止まった。『誰かを飲む』という言葉が喉の奥でひっかかる。飲みたくない。けれど、飲む以外の選択肢が赤字で潰されている。
雨宮は神崎の沈黙を見て、少しだけ声を落とした。
「神崎くん。私たちは物語を壊す部署じゃない」
その言葉は、何度も聞いた。だが今日のそれは、釘じゃない。宣告だ。
「整える部署なんだよ」
「整える、って」
神崎は言葉を探す。整えるという言語の中に、飲むという行為が含まれている。含まれていることを、認めたくない。
雨宮は、神崎の視線の先――赤字警告の文面を指で軽く叩いた。
「この赤字はさ、優しいんだよ。君が『いいこと』をしようとしたときに、どんな補正が返ってくるかを事前に教えてくれてる」
「優しい?」
「優しい。残酷だけど」
雨宮は笑わない。
「学院を救うために学院をずらすと、別の場所が燃える。学院を燃やさないために規模を削ると、別のノードで雑に大量死が起きる。そういうの、第一章でも見たでしょ。ミナを救ったら、エリナが死んだ」
神崎の胸が、ぎゅっと縮む。名前を出されると、ログの中の『村娘C』ではなくなる。ちゃんと痛くなる。
「……だから、今回は」
「だから今回は、雑に燃やさないために整える。燃えること自体は止められないなら、燃え方を変える。回収できる形に寄せる。RSIが割れない形に寄せる」
雨宮はRSIと言った。建前の言語だ。神崎が戦える言語だ。だからこそ、その言語の中身が喉を焼く。
「それって、結局」
「飲むってことだよ」
雨宮は言い切った。
神崎は反射的に首を振りそうになり、止めた。否定できない。赤字が否定を許さない。
「神崎。君が本当にやりたいのは、悲劇をゼロにすることじゃないでしょ」
雨宮の問いに、神崎は答えられない。
やりたいのは、ゼロだ。だがゼロは無理だと、もう知ってしまった。知ってしまったから、せめて雑な悲劇を削りたい。せめて誰か一人が全部背負う形を避けたい。せめて回収不能の喪失を減らしたい。
雨宮は続ける。
「君がやりたいのは、『雑なテンプレが暴走してRSIが割れる』のを止めること。結果として、悲劇の粗さと総量が減る。そういう勝ち方しか、今の君にはできない」
「……分かってます」
神崎は小さく言った。
分かっているのに、胸の奥が納得しない。分かっているという理屈と、納得しないという感情が、いつも同じ場所でぶつかっている。
雨宮はマグカップを置き、神崎のタブレット画面を閉じた。閉じる動作が妙に優しかった。
「逃げ道はない。少なくとも、今見えてる範囲には」
「じゃあ」
「じゃあ、整える。どこが壊れるかを、こちらで選ぶ。システムに勝手に選ばせない」
雨宮はそう言って、神崎を見た。
「その選ぶ作業が、君の仕事。君が嫌いなやつ。だから、今のうちに嫌がっておきな」
嫌がっておけるうちは、まだ人間だと言われた気がした。
◇ ◇ ◇
雨宮が去ったあと、神崎は一人で窓際に立った。
世界線の束が光る。学院の辺りで、枝がいくつも伸びている。その先に、赤いノードがある。E-ACD-07。方向性固定。必須。消せない。
学院で聞いた噂話の声が、頭の中で蘇る。
それら全部の上に、赤いノードが重なっている。
神崎はタブレットを開き、個人メモ欄に指を置いた。今日のメモは、短くした。長く書くと、言葉が自分を正当化し始める気がしたからだ。
『メモ:
物語システムの合理は強固だ。
逃げ道を探すほど赤字が丁寧になる。
整える=飲む、から逃げられない。』
保存して、閉じる。
閉じた画面に、自分の顔が薄く映る。疲れた顔だ。理屈を飲み込んで、感情がまだ飲み込めていない顔。
神崎は息を吐き、窓の外の光に向かって小さく呟いた。
「……なら、せめて雑に燃やさせない」
それは、建前の言葉に見える。
けれど本当は、違う。
雑に燃えると、顔が消える。名前が消える。エリナが村娘Cに戻る。そういうのだけは嫌だった。だから神崎は、整えるという言語の中に、必死で人間の痛みを混ぜ込もうとする。
そしてその混ぜ込みが、次に誰を飲むかの準備になってしまうことも、もう気づいている。
気づいているから、胃が痛い。
世界線の束は静かに流れ続ける。赤いノードは、動かない。動かないまま、近づいてくる。
避けられないものが、避けられない顔で、そこにある。
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