第34話 学院潜入、教官レオナと四人
学院の朝は、妙に健康的だ。
王都の空気は冷たく、石畳は乾いている。寮から流れてくる足音と、訓練場から響く木剣の打ち合う音が、同じリズムで街を起こしていく。ナラティブ庁のフロアに満ちている紙とログの匂いとは正反対の、汗と土と鉄の匂い。
神崎はその匂いの中に、ひっそりと紛れ込んだ。
肩書は『戦術理論・補助講師』。学院側の手続き上は、王国軍の教育部門から回ってきた外部支援という体裁になっている。タブレットの画面では、もう少し露骨に書かれていた。
『第2781ライン/現場人物介入:許可(講師・補助員枠)』
『再介入権限:E-ACD-07のみ(※イベント取消改変不可)』
『注意:当人発言は物語レーン根幹破壊に抵触しない範囲で』
神崎はその注意書きを、指で軽く弾いて消した。消しても、消えないものはある。言えないこと。知らせてはいけないこと。言えば補正が働き、別の場所にもっと雑な地獄が生まれること。
だから、今日の仕事は見ることだ。見ることで、後の一行を変える材料を集める。建前の言語で戦うための、現場の実感を貯める。
訓練場の前で、学院の職員が軽く頭を下げた。
「本日はよろしくお願いいたします、カンザク先生。レオナ教官に引き合わせますので」
「よろしくお願いします」
ここでは『先生』だ。神崎悠斗ではなくカンザク先生、補助講師のアバターとして振る舞う必要がある。人格がぶれるとログに違和感として残り、違和感はシステムに拾われる。
職員に案内されて訓練場の端に立つと、そこにいた。
レオナ教官は、遠目にも『前線の匂い』がする。姿勢が無駄に良いわけではない。むしろ、力を抜いている。抜いたまま、いつでも動ける人間の立ち方だ。薄手の外套を羽織り、腰に木剣を下げている。顔つきは穏やかなのに、視線だけが鋭い。
神崎が近づくと、レオナは先に口を開いた。
「あなたが補助講師?」
「はい、カンザクです。戦術理論の補助として」
レオナは神崎を上から下まで一度だけ見て、口角をわずかに上げる。
「戦術理論。便利な言葉ですよね。学生を戦場に出す理屈を、綺麗に包装できる」
最初の一言がそれだった。
神崎は、喉の奥に刺さるものを飲み込む。現場『学生を戦場に出す』と言われると、言葉が遅れる。
「できれば……帰って来させる理屈を教えたいんです」
言い切れない。『帰って来させる』の先にある本音――『死なせたくない』までは口に出せない。出した瞬間、職務の線が揺れる。
レオナは、その言い切らなさを見逃さなかった。
「できれば、ね」
「はい。できれば、です」
レオナは笑った。馬鹿にする笑いではない。諦めとも違う。似た立場の人間を見つけたときの、ほんの小さな確認の笑いだ。
「じゃあ、今日は帰って来させる理屈がどこまで通用するか、見せてください。ここは学院ですけど、戦場の縮図でもある」
縮図。神崎の胸が少しだけ重くなる。その縮図の先に、赤いノードがあることを知っているから。
◇ ◇ ◇
午前の実技演習は、模擬戦形式だった。
訓練場に白線が引かれ、簡易の障害物が置かれている。学生たちは数名ずつに分かれ、攻守交代で動きを試される。神崎は端に立ち、補助講師として『戦術理論の視点』を挟む役回りを与えられていた。
そして、リアムたち四人が前に出た。
リアム・グランツ。辺境の鍛冶職見習い上がりの奨学生。装備の着け方が無駄に丁寧で、帯紐の締め具合まで気にする。剣を握る指が、武器を作る側の指だと分かる。
クレアは姿勢が静かだ。動き出す前から、場の線を読む。貴族子弟らしい教育の匂いがあるのに、言葉は短い。短いから刺さる。
テオは、見た目だけなら不真面目の代表だ。剣を担ぐ肩の力が抜けすぎている。だが視線は忙しい。障害物の影、相手の足、味方の距離。彼はたぶん、勝ち方ではなく負けない方を先に考える。
ノーラは一番小さく見えた。治癒と支援の適性が高いとログにはある。けれど彼女は自分を小さくすることで、場の隅に逃げ道を作っているようにも見える。逃げ道は悪いことではない。逃げられない戦い方が一番危険だ。
レオナが号令をかけた。
「ルールは簡単。相手の旗を取れ。ただし、撤退線を越えたら失格。勝ちたくて死ぬな。今日はそれだけ」
学生の何人かが笑い、何人かが真顔になる。神崎はその温度差が好きだった。真顔のほうが帰って来させる理屈を理解する。
模擬戦が始まる。
リアムが、やはり前に出た。前に出るのが彼の癖だ。守りたいものがある人間ほど、前に出る。
「リアム、前」
クレアの声が短く飛ぶ。
「分かってる。でも、今押せる」
「押せると、押すは別」
会話のテンポが、既に連携の形をしている。リアムは一瞬むっとした顔をして、それでも足を半歩戻した。戻せるのが彼の強みだ。前に出る癖がある人間は多い。戻れる人間は少ない。
テオは、戦場の端を走った。障害物の影を使い、相手の視線を散らす。旗を狙う動きではない。敵の動きを曲げる動きだ。
「ほらほら、そっち空いてるよ。って言ったら、行く?」
軽口を叩きながら、相手の注意を引く。相手がそれに乗ると、クレアが白線の内側に結界のような間を作る。実際に魔法を使うわけではない。彼女は言葉と位置で、相手が踏み込むと不利になる場所を作る。
「そこ、嫌でしょう」
クレアの小さな呟きに、相手が足を止めた。嫌だと思わせたら勝ちだ。戦場で本当に嫌なのは、痛みではなく嫌な選択だ。
その間に、ノーラが後方の学生に声をかけていた。
「転んだら起きて。痛みは後でいいから、今は呼吸して」
攻撃ではない。支える言葉だ。支える言葉は戦場では地味だ。地味だから評価されにくい。評価されにくいから、雑に消耗品にされやすい。
リアムが盾役で押し返し、テオが迂回で相手の背後を取り、クレアが線を引き、ノーラが後方の崩れを止める。
相手陣の旗が取られた。
勝利の歓声が上がる。けれどレオナは笛を吹いて、すぐに止めた。
「今の、勝ち方は良い。でも良い勝ち方が一番危ない」
学生たちがきょとんとする。神崎も、少しだけ息を止めた。
レオナは続ける。
「勝てると分かった瞬間、人は欲が出る。欲が出ると線を踏み越える。線を踏み越えると、帰れない。撤退線は、戦いの途中で一番先に忘れられる」
ノーラが小さく手を挙げた。
「でも、怪我は……できれば、ゼロにしたいです」
その言葉は真面目だった。神崎は胸の奥で頷きかけて、同時に怖くなる。ゼロへの執着は、時に判断を鈍らせる。
レオナは首を横に振らない。代わりに、ほんの少しだけ眉を下げた。
「君が怪我ゼロを目指すのは正しい。でも、ゼロに固執すると、どこかで一気に崩れる。戦場は、いつもこっちの理想より先に手を出してくる」
「じゃあ……どうすれば」
「怪我が出たとき、誰が誰を運ぶかを決めておく。誰を置いていくかじゃない。誰を運ぶか。運ぶと決めておくと、置いていく確率が減る」
神崎はその言葉に、喉が詰まりそうになった。置いていく。運ぶ。どちらも選択だ。選択を先に用意するのは、悲劇の予防でもあり、悲劇の設計でもある。
レオナは四人を見渡し、総評を落とす。
「君たちは優秀。優秀だから、消耗品にされやすい」
笑いが起きない。誰も笑えない種類の言葉だ。
テオが、わざと明るく言う。
「教官、それ、褒め言葉ですか?」
「褒め言葉。毒入りだけど」
レオナはあっさり言い切って、神崎のほうを見た。
「カンザク先生、どうです。戦術理論の観点から」
神崎は一瞬、庁内の癖で言葉を探してしまう。RSI。最適化。回収線。だがここでそんな単語を出したら、ただの異物だ。
「……撤退線の意識が高い。勝つより、生きて帰る形ができてます」
それは本音だった。本音で言える範囲の、本音。
リアムが照れたように頭をかく。
「俺、前に出すぎるって言われるんで」
「前に出るのは悪くない。ただし、戻れることが条件」
神崎がそう言うと、クレアが小さく頷いた。テオは肩をすくめ、ノーラはほっと息を吐いた。
その光景が、妙に普通で、妙に優しかった。
だから、胸の奥が冷えた。
この普通が、赤いノードに食われる未来を知っている。
◇ ◇ ◇
演習が終わり、戦術理論補助講師として簡単なアドバイスを行った。学生たちが散っていき、訓練場に残るのは片づける音と、土の匂いと、疲れの気配だけだ。
レオナは神崎に顎で示した。
「教官室、寄ります?」
「はい。少し、伺いたいことが」
「伺いたいこと、ね。監査の人っぽい」
神崎は肩をすくめるしかなかった。監査の人だ。ここにいる理由は、教育でも支援でもない。赤いノードに向けた準備だ。
教官室は質素だった。机と椅子と、壁に貼られた訓練計画。棚には古い戦術書と、使い込まれた地図。戦場の地図だと分かる。学院の訓練場の図ではない。
レオナは外套を椅子に掛け、マグカップに湯を注いだ。
「飲みます?」
「いただきます」
神崎が受け取ると、レオナは自分の分を一口飲んでから言った。
「さっきの、あなたの言い方。『できれば帰って来させる』」
「……言い方が曖昧でしたか」
「曖昧じゃない。むしろ、正直。前線にいた人間は、皆そういう言い方になる」
神崎は黙った。レオナが前線にいたことは、学院内の噂でも確実だ。だが、本人の口から聞くと重さが違う。
レオナは棚の地図に目をやった。
「前線ではね、顔を覚えた子から先に減ったんです」
さらっと言う。さらっと言えるようになるまで、どれだけの夜を越えたのかが分かる。
「新人の頃は、全員の顔を覚えたくて仕方なかった。覚えれば守れる気がした。でも、覚えた順番にいなくなる。……ある日、気づいたんです。思い出せない顔が増えていくほうが、心が生き延びる」
神崎の指が、マグカップの縁を強く掴んだ。熱があるのに冷える。
「だから学院では、逆をやりたい。顔を覚えた子を、減らしたくない。ここは戦場じゃないって言い聞かせたい」
「……でも、教官は戦場の話をしますね」
「します。しないと、あの子たちは英雄ごっこをし始めるから」
レオナは笑った。苦い笑いだ。
「学生は、英雄譚の主人公に憧れる。憧れるのは悪くない。でも憧れは、撤退線を踏み越えさせる。踏み越えた先で、誰かを置いていく羽目になる」
神崎の脳裏に、会議室の二本のグラフが浮かぶ。案A。案B。焦点化。象徴喪失。回収線。教官死亡:1。
嫌だ、と神崎は思う。嫌なのに、頭の一部が勝手に計算する。もし教官が倒れれば、学生死亡が抑えられる可能性がある。もし学生が二十死ねば、教官は生き残るかもしれない。そういう“もし”を、整える言語が用意してしまっている。
レオナは神崎の沈黙を、責めない。
「先生。あなたは、ここに何をしに来たんです?」
問いが、真っ直ぐだった。
神崎は、答えを選んだ。選ぶこと自体が、もう仕事みたいで嫌になる。
「……戦術理論の補助です」
建前。
レオナは目を細める。
「それだけ?」
神崎は唇を噛み、少しだけ本音を滲ませる。
「帰って来させるための理屈を……増やしたい」
言い切れない。本当は、『死なせたくない』と言いたい。だが言えば、ここでの自分の役割が揺れる。揺れはログに残る。ログはシステムに拾われる。拾われたら、別の補正が走る。
レオナは、静かに頷いた。
「じゃあ、あなたも同じです。帰って来させる理屈を探して、結局、誰かを置いていく理屈も学ぶ」
神崎の胸の奥が、きしんだ。
「置いていく、なんて」
「置いていかないために、置いていく理屈を知る。矛盾ですよ。でも戦場は、矛盾を抱えた人間から先に壊していく」
神崎はマグカップを見つめた。湯気が揺れている。それが、世界線の束の光の揺れに見えた。
レオナは最後に、軽く言う。
「四人は、いい子たちです。優秀で、地味で、ちゃんと怖がる。だから、守り方を覚える。……守り方を覚える子は、最前線に置かれる」
褒め言葉と同じ毒が、ここにもあった。
神崎は立ち上がった。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。先生」
教官室を出ると、廊下の窓から中庭が見えた。リアムたちが、笑いながら何かを話している。テオが大げさに身振りし、クレアが呆れた顔をし、ノーラが小さく笑って、リアムが照れくさそうに頷く。
その笑い声が、あまりに普通で、あまりに眩しい。
神崎はタブレットを開き、個人メモ欄に指を置いた。打ち込む言葉は、建前にも本音にもならない。吐き出さないと腐る種類の、嫌な自覚だ。
『メモ:
“象徴喪失”という言葉が、人の顔を上書きしそうになる。
教官の言葉が、後で回収線にされる未来を想像してしまった。
想像した自分が嫌いだ。
でも想像しないと、雑な地獄が来る。』
送信はしない。保存だけする。
神崎はタブレットを閉じた。閉じても、計算は頭の奥で止まらない。止まらないこと自体が、怖かった。
帰って来させる理屈を探しに来たはずなのに。
気づけば、自分の中に誰を飲むかの空白が、形を持ち始めていた。
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