第33話 第35号様式:学院防衛戦の予報
勇者物語監査第一課――通称『勇者一課』のフロアには、独特の匂いがある。
紙の乾いた匂いと、ログの熱が冷めた匂い。英雄譚を数字に圧縮したときにだけ残る、薄い鉄の味。
神崎は自席でタブレットを睨んでいた。未処理通知の山はすでに片づけた。今は処理済みの続きを追う段階だ。第2781ライン第2章、王立学院編。E-ACD-01/03/05完了。E-ACD-07キュー中。
そして昨夜。
小規模魔物侵入。死亡者ゼロ。対処時間短縮。『投入優先度:微増』。
あのたった数行の加点が、嫌に重い。生き残ったことが褒められたのに、その褒め言葉が次の地獄への前売り券に変換される。第35号様式がそういうふうに出来ているのだと分かっていても、慣れない。
神崎は画面の端に出た短評を、指で隠すようにスクロールした。見ても意味がない。見たら刺さるだけだ。
そのとき、内線が鳴る。
「神崎くん。今、会議室。第35号様式のドラフト、出た」
雨宮の声だった。いつもの乾いたテンポ。
「……了解です」
タブレットを抱えて立ち上がる。歩きながら、自分の中で言葉を組み替える癖が働く。悲劇を減らしたい、では通らない。通る言葉に変換しろ。『雑なテンプレはRSIが割れる』。『回収不能は炎上する』。『ジャンル寿命を削る』。そういう言語で殴れ。
建前で本音を守る。勇者一課で生き残るコツを、神崎はこの数週間で嫌というほど覚えた。
◇ ◇ ◇
会議室のモニターには、すでに番号が出ていた。
『第2781勇者物語ライン 第2章:王立学院編』
『E-ACD-07 学院防衛戦(学院壊滅級災厄イベント)』
赤い枠が、ページの中央に居座っている。まるで『ここが盛り上がりどころです』と親切に教えてくれるみたいに。
雨宮は先に座っていた。スーツ姿。肩までの黒髪をラフに束ね、片手にタブレット、もう片手にマグカップ。ネクタイはゆるく、シャツの第一ボタンは外れている。妙にこなれた風格は、会議室でも崩れない。
「来たね。座って」
「失礼します」
神崎が椅子に腰を下ろすと、雨宮はすぐ本題に入った。
「第35号様式、ドラフト版。E-ACD-07の初期案。まずは『放っておくとこうなる』っていうやつから」
「……はい」
モニターが切り替わる。数字とタグが整列し、物語が品質として表示される。
『第35号様式 (ドラフト)/E-ACD-07予測』
『短期RSI:高 (ピーク)』
『炎上分散リスク:中〜高 (CCR多発予測)』
『回収不足リスク:高 (喪失・負傷の回収線不足)』
『テンプレ濃度:中〜高 (単調化警告)』
『想定被害 (初期):
学生死亡:20〜30
教官死亡:3〜5
施設損壊:甚大』
神崎は、目の奥がひりつくのを感じた。学生二十から三十。数字の形が、学院の中庭の笑い声と噛み合わない。昨夜の小事件で、リアムたちは撤退線を守ってゼロにした。そのゼロが、ここでは二十に化ける。
雨宮は淡々と言う。
「これが初期案。勇者ラインらしい最短の盛り上げ。雑だけど効く。派手だし、短期RSIは跳ねる」
「……雑、って言いましたね」
「言った。だって雑だもん。喪失が散ってる。死ぬ人数が多すぎる。回収線が引けない」
雨宮が先に雑を認めたせいで、神崎は逆に言葉を失いかける。こちらが噛みつく前に、相手が牙の形を示してくる。そういう上司だ。
神崎は深呼吸して、武器を選ぶ。
「僕が問題だと思うのは、死者数そのものより『雑さ』です」
雨宮が頷く。続きを促す。
「喪失が二十、三十と散ると、回収が不可能になります。回収不能の喪失は、短期RSIは上がっても後で割れます。『胸糞』『雑』『消費した』のCCRが増える。勇者の決意が『良い話』として残らない」
言い終えた瞬間、神崎は胃が痛んだ。自分が『割れる』『残らない』という言葉で、死を評価している。分かっている。分かっているけど、それしか通じない場なのだ。
雨宮はマグカップを一口飲んでから言った。
「うん。だから締める。勇者一課の建前は『テンプレ最適化でRSIを上げる』。雑だと割れる。今回はそこを締める案件。……で、締め方を選ぶ」
雨宮が画面を切り替えた。グラフが二本並ぶ。
『案A:大量喪失型 (テンプレ合致)』
『案B:象徴喪失型 (焦点化)』
「案A。王道。大量死で英雄化。瞬間RSI最大。勇者物語としては分かりやすい。『ここから始まる』って感じが強い」
案Aの予測が表示される。
『案A(予測):
短期RSI:最大
CCR:賛否両論 (泣ける/熱い/胸糞)
回収不足:高 (喪失が散る)
想定被害:
学生死亡:20〜30
教官死亡:0〜1 (生存寄り)
英雄候補浮上:強 (『屍の上の英雄』タグ)』
神崎は『屍の上の英雄』というタグを見た瞬間、喉が乾いた。村焼きの時、ミナの『死亡』を消して、代わりにエリナが死んだ。補正で埋められた悲劇。あの『埋め方』が、今ここでは正規の手順みたいに記録されている。
雨宮がB案を指す。
「案B。焦点化。象徴的喪失を一点置く。学生死亡を抑制して、喪失を回収できる形に寄せる。短期RSIはAより控えめだけど、割れにくい」
B案の予測が出る。
『案B(予測):
短期RSI:高 (ただしAより抑制)
CCR:安定寄り (喪失の回収が見える)
回収不足:中 (焦点化で回収線確保)
想定被害:
学生死亡:5以下 (重傷・後遺症増)
教官死亡:1 (高確率)
英雄候補浮上:中〜強 (『守った英雄』タグ)』
教官死亡:1。
数字が、あまりにも綺麗だ。まるで『必要経費』みたいに、ぴたりと収まっている。
神崎は理解してしまう。B案は『作品として整っている』。喪失が一点に集まり、弔いの言葉が用意できる。回収線が引ける。中長期RSIが安定する。
つまり――『良い物語』に見えやすい。
だから怖い。
怖いのは、案Aが露骨に残酷だからではない。案Bが『丁寧な残酷』として成立してしまうことだ。
雨宮は、神崎の沈黙を待った。待った上で、わざと軽く言う。
「どう?案Bの方が『締まってる』でしょ。雑な大量死より、喪失を焦点化して回収線を引く。これが勇者一課の仕事」
神崎は、机の上で指を組んだ。爪が皮膚に食い込む。痛みで、自分の言葉を誤魔化さないようにする。
「……誰を焦点にするんですか」
雨宮が、少しだけ表情を変えた。軽さが引っ込み、目がまっすぐになる。
「そこに行くね」
画面に注記が追加される。まだドラフトらしく、言葉は曖昧だが方向性ははっきりしている。
『象徴喪失候補:教官枠 (前線経験者)』
『候補者:レオナ教官 死亡確率:高』
『代替候補:上級生枠/護衛兵枠 (死亡確率:中)』
神崎の胸が、小さく縮む。
昨夜の小事件の後、神崎は学院のログを何度も見返した。レオナの指示は討伐ではなく導線の確保だった。あれは、学生を生かして返すための戦い方だった。
その指揮官が、『象徴喪失』の候補として一行で置かれている。
雨宮は淡々と続ける。
「教官は物語上、役に収まりやすい。前線経験者。学生を守る。最後に残る。喪失が回収されやすい。……だからシステムはここに焦点を置きたがる」
神崎の口から、かすれた声が漏れる。
「回収、って言葉……」
「嫌いだよね。でも、これが建前の言語」
雨宮は言い切った。
「監査課の目的は『テンプレが行き過ぎるのを抑制し、RSIを向上すること』。悲劇をゼロにする部署じゃない。物語を壊す部署でもない。物語を整える部署」
神崎は、反射的に言い返しそうになって、飲み込んだ。飲み込んだぶんだけ、喉の奥が熱い。
雨宮が、そこで問いを落とした。
「神崎くん。整えるなら誰を飲む?」
会議室が、しんとする。
神崎は口を開いた。すぐ閉じた。言葉が出ない。出した瞬間、それは選択になる。選択は責任になる。責任は誰かの死を必要と言うことになる。
頭の中に、顔が浮かぶ。リアム。クレア。テオ。ノーラ。レオナ。昨夜の、恐慌で震えていた下級生。撤退線の端で泣いていた子。
そして、村の墓地。『村娘C』が『エリナ』になった瞬間。名前が付いた途端、死が重くなった感覚。
神崎は、ようやく言える範囲の言葉を探して絞り出す。
「……僕は、悲劇を減らしたいだけなんです」
雨宮は否定しなかった。笑いもしない。
「うん。分かってる」
「でも、減らすと補正が入る。補正が入って、別の場所で誰かが雑に死ぬ。そういう構造がある」
「ある。だからこそ、言葉を持て」
雨宮は椅子にもたれ、目を逸らさず言った。
「E-ACD-07が発火した瞬間、システムは勝手に整えに来る。こちらが何も言葉を持ってないと、案Aに寄る。雑に盛って、雑に死なせて、雑に誓わせる。割れるか割れないかは運」
「運、って」
「運。監査の外側の運。……だから先に言葉を持つ。言葉を持つってのは、誰かを選ぶってことだよ」
神崎は、息を吸って、吐いた。喉の奥が痛い。雨宮の言葉は冷たいのに、刺さる場所は生々しい。
「選ぶ、って……」
「責任を引き受けるってこと。放置すると、雑に死ぬ。選ぶと、焦点化できる。回収線を引ける。『誰がどこで何を選んだか』を説明できる」
神崎は、説明できるという言葉に反射的な嫌悪を覚えた。説明がついたら、納得したことにされる。納得できないままでも、物語は進む。仕様書は通る。ログは閉じる。
雨宮は、少しだけ声を緩めた。
「神崎くん。今すぐ答えは出さなくていい。でも、発火した瞬間に何もできないまま見てるだけになるのは避けよう。君はたぶん、見てるだけが一番きつい」
それは図星だった。
神崎は、会議室のモニターに並ぶ二本のグラフを見つめた。山の形。高さ。割れ。回収線。すべてが“作品の出来”として語られている。
その下に、誰かの人生がある。
言葉を持て。
それは、誰かを救う魔法の言葉ではない。
誰かを選ぶ言葉だ。
神崎は、その意味をようやく、骨まで理解した。
◇ ◇ ◇
会議室を出て廊下に立つと、勇者一課の空気が戻ってくる。乾いた匂い。鉄の味。
神崎はタブレットを開き、個人メモ欄に打ち込んだ。指が少し震える。
『メモ:
言葉を持て=選択を持て。
選択=誰かの喪失に責任を持つ。
建前の言語 (RSI/割れ/回収線)でしか戦えないのが苦しい。
それでも、何も言わないとシステムが最短の残酷さ(案A)に寄る。』
送信はしない。誰にも見せない。自分の中で腐らせないための記録だ。
背後から、雨宮の声がした。
「神崎くん」
「はい」
「さっきの本音、忘れなくていいよ。悲劇が嫌いってやつ。忘れたらただの仕様書係になる。でも本音を守るなら、建前の言語で殴らないといけない。理不尽だけどね」
神崎は返事ができなかった。できる返事がない。
廊下の窓の向こうで、世界線の束が淡く光っている。学院の中庭の笑い声も、昨夜の小さな事案も、その光の中にある。
その上に、赤いノードが静かに重なっている。
鐘が鳴る前から、予報は出てしまった。
神崎はタブレットを閉じた。閉じても、赤い枠は瞼の裏に残り続けた。
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