第31話 勇者ライン再開、学院の今
第二章――悪役令嬢断罪ラインの片付けを終えてから、数日。
俺は、またいつものデスクにいた。
ふと、恋愛物語監査第一三課のフロアを思い出す。あそこは常に何かが燃えている。燃えているのに、誰も火を消しに行かない。むしろ火加減を調整しながら、ちゃんと暖を取ることに慣れてしまっている。
勇者物語監査第一課――通称『勇者一課』のフロアは、どこか空気が乾いていた。紙の量は多いのに、熱の種類が違う。恋愛ラインの炎上が「人間の感情」で燃えるのに対して、勇者ラインの火は「人間の命」で燃える。温度は高いのに、匂いがしない。そういう火だ。
フロアに足を踏み入れると、棚のラベルが目に入る。
『第○○○○勇者物語ライン』
『魔王復活系』
『学院編・成長ノード』
『初期悲劇セット(村焼き/幼馴染喪失/出立)』
世界の数だけ勇者がいて、勇者の数だけテンプレがある。ここはその管理台帳の森だ。
自分の席に戻る。机の端に置きっぱなしだったタブレットが、主の帰還を感知したかのように淡く光った。
『おかえりなさいませ 監査官補 神崎悠斗』
ログインメッセージの下で、未処理通知が点滅している。恋愛一三課へ応援に出る前から、ずっとそこに居座っていた光だ。
『未処理:第2781勇者物語ライン 第2章イベントキュー登録』
指先でタップする。画面が切り替わり、あの番号が、文字として整然と並ぶ。
『第2781勇者物語ライン
第2章:王立学院編(進行中)』
――進行中。
その二文字が、分かっていたはずの事実に、妙な重みを与えた。
俺が別の地獄に行っている間にも、物語は勝手に進んでいる。リアムが、学院で息をして、笑って、訓練して、少しずつ『勇者』へ近づいている。
画面に『第35号様式:学院編サマリー』が展開される。恋愛十三課のL-13やZM-02の見慣れた表とは違う。勇者ラインの書類は、もっと無骨で、もっと直接的だ。数字とタグと、冷たい予測でできている。
『主要登場人物(現時点)
― リアム・グランツ(辺境アルシオ村出身/鍛冶職見習い→奨学生)
― クレア(貴族子弟/結界系)
― テオ(貴族子弟/偵察・連絡系)
― ノーラ(奨学生/治療・支援系)
― レオナ教官(戦術教官/前線経験者)』
名簿に似ているのに、名簿より物騒だ。
項目の並びが、すでに「この先の使い方」を示している。
『イベント進行状況:
E-ACD-01 基礎授業・模擬戦【完了】
E-ACD-03 小規模討伐課題(学院外クエスト)【完了】
E-ACD-05 パーティ編成試験【完了】
E-ACD-07 学院防衛戦(学院壊滅級災厄イベント)【キュー中】』
完了。完了。完了。
そして、キュー中。
E-ACD-07だけが、そこに赤い縁取りで貼り付いている。まるで「これだけはまだ間に合う」と言わんばかりに。いや、正確には「これだけしか間に合わない」と言っている。
画面の右側に、RSI予測の折れ線が重なっていた。E-ACD-01は穏やかな小山。E-ACD-03で少しだけ盛り上がり、E-ACD-05で一度跳ねる。パーティ編成は読者が好きだ。誰と誰が組むか、誰が外れるか、それだけで一瞬、世界は熱を持つ。
そして、その先。
E-ACD-07の地点で、線が剣みたいに跳ね上がっている。
『短期RSI:高(E-ACD-07時点ピーク)
エピローグRSI:中(回収品質に依存)
テンプレ濃度:高(単調化警告)
炎上分散リスク:中
備考:喪失イベントの回収線が弱い場合、RSI割れを誘発しやすい』
喪失イベント。
回収線。
RSI割れ。
言葉の並びが、仕事の建前を完璧に作っている。ここは「登場人物を守る部署」ではない。そういう顔をしてはいけない。ここで語るのは、いつだって『物語品質』だ。
背後から、足音がした。気配だけで分かる。雨宮だ。終電と戦ってきた人の風格がそのまま、フロアの空気の一部になっている。
「帰ってきたと思ったら、いきなり第2781見てる」
肩越しに覗き込まれる。雨宮の手にはタブレット、もう片方にはマグカップ。ネクタイはゆるい。いつもの通りだ。
「未処理のままだったので」
「律儀だね。恋愛一三課に染まらなかった?」
「染まりたくないです」
「うん、それでいい。勇者ラインは染まったら終わる」
雨宮は画面の赤縁を指で軽く叩いた。E-ACD-07。壊滅級。キュー中。
「ここから先は勇者ラインらしい地獄が続く。で、勇者ラインの地獄は、雑だとRSIが割れる」
「……雑だと」
「そう。雑な大量死は割れる。読者は盛り上がりは欲しいけど、回収不能な喪失は嫌う。泣きたいなら泣く理由が欲しい。怒りたいなら怒る対象が欲しい。何もないまま死者数だけ積むと、『胸糞』『雑』『作者のオナニー』ってCCRが来る」
淡々と言われると、そこに悪意はない。ただ、現実があるだけだ。
俺は反論したかった。俺の中の本音は、そんな言葉じゃない。「死者数を積むな」だ。「そもそも死を燃料にするな」だ。
でも、その言葉はここでは通貨にならない。ここで通じるのは、RSIと、テンプレ濃度と、炎上分散リスクだ。
「……回収不能な喪失は、割れますね」
口に出した瞬間、自分の声が少しだけ他人みたいに聞こえた。
雨宮は満足そうでもなく、不満そうでもなく、いつも通りの顔で頷いた。
「そう。今回はそこを締める案件だよ、神崎。君の嫌いは、うまく言語化すれば『品質改善』になる」
嫌いが、品質改善。
言い方を変えれば仕事になる。そういう世界だ。俺はマグカップの中身を飲む雨宮を横目に、もう一度赤い縁取りを見た。
E-ACD-07。学院防衛戦。
赤いノードは、まだ動いていない。動いていないのに、もう焼け跡の匂いがする気がした。
◇ ◇ ◇
王都セントラルの空は、学院の上だけ妙に澄んでいる。
王立総合学院の中庭には、若い声が散っていた。石畳の上で木剣が鳴り、走る足音が跳ね、笑い声が風に乗る。ここが戦場になるなんて、今この瞬間だけ見れば冗談みたいだ。
中庭の端、訓練用の器具置き場で、リアムが腰を落としていた。
膝の上には、簡素な剣。学院支給の標準品だ。だが彼の指先は、支給品を支給品のままにはしていない。刃の根元を指で撫で、柄の巻き方を確かめ、わずかなガタを嫌って締め直す。鍛冶屋見習いだった手つきは、物を信じる手つきだった。
「リアム、また分解してるの?」
ノーラが小走りで来て、苦笑する。彼女の腕には包帯と薬草袋。支援役の荷物は多い。
「分解まではしてない。……でも、この紐、緩い」
「緩いのは、あなたの警戒心じゃなくて?」
クレアが、さらっと刺す。彼女は貴族子弟らしく姿勢が良い。言葉も短い。短いのに、必要なところにだけ刺さる。
「緩いままだと、手汗で滑る」
リアムは真面目に答える。冗談が通じないわけではない。ただ、冗談に逃げないタイプだ。
「だからって、毎回そこからやるのは効率悪いって」
テオが肩をすくめた。彼も貴族だが、クレアと違って、口の端にいつも遊びがある。権威を茶化していないと、息が詰まる人間の顔だ。
「次の実技、教官が見てるぞ。『装備に愛情があるのはいいが、戦術に愛情を持て』って言われる」
「言われても困らない」
リアムは顔を上げずに言う。
「戦術にも愛情はある。……ただ、道具が壊れたら終わるから」
その言葉に、ノーラが少しだけ目を伏せた。道具が壊れたら終わる。彼女の中で、その言葉は「人が壊れたら終わる」とどこかで繋がっている。
「ノーラ、顔色悪い」
クレアが言う。指摘は優しさでできていない。事実でできている。
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」
「寝るべき時に寝ないと、治療役は治療できない」
「それ、あなたが言う?」
テオが笑う。クレアは返さない。返さないのが返事だ。
そんな会話が、中庭に溶けていく。どこにでもある若さの音だ。ここが勇者物語の舞台であることを忘れさせるくらいに、普通だ。
少し離れた場所で、レオナ教官が腕を組んで立っていた。姿勢は教官のそれだが、立ち方に前線の匂いが残っている。重心の置き方が、訓練場ではなく戦場に馴染んでいる。
「教官、また怖い顔してる」
通りすがりの上級生が軽口を叩く。
「怖い顔じゃない。考えてる顔だ」
レオナは笑って返す。その笑い方も、どこか慣れている。笑いながら、周囲の危険を数えている笑いだ。
「前線の匂いが抜けてないって、みんな言ってますよ」
「抜けたら困る。君たちが困る」
レオナは軽く肩をすくめた。冗談に見せて、冗談じゃないことを言う人の仕草だった。
リアムたちはそのやり取りに笑う。ノーラも小さく息を吐く。クレアは眉を少し動かしただけで、テオはわざとらしく敬礼した。
何も起きていない。
起きていないからこそ、恐ろしい。
◇ ◇ ◇
神崎は、庁舎の窓際でタブレットを持っていた。厚いガラスの向こうに、世界線の束が光っている。一本一本が物語で、枝分かれが可能性で、結び目がイベントだ。
第2781勇者物語ラインは、アルシオ村の地点がまだ少し濃い。墓標の丘と、崖の森。エリナの墓と、ミナが消えた場所。そこから線は王都へ伸び、学院の敷地で枝を広げている。
神崎は、学院の中庭の枝を拡大した。
笑い声が、聞こえる気がする。実際には聞こえない。だが、見える。四人の位置関係と、レオナ教官の立ち位置。今日の風の向きまで、様式は平然と整えて見せる。
『第35号様式:学院編サマリー/観測ビュー』
画面の片隅に、タグが浮かんだ。小さく、しかし目に刺さる。
『勇者候補パーティ浮上度:高』
『E-ACD-07投入候補:優先』
優先。
その二文字が、誰かの明日を勝手に決める。
神崎は、指を動かしてE-ACD-07のノードを表示した。学院の枝が、そこへ向かって集約されている。笑い声の枝も、訓練の枝も、寝不足の枝も、全部そこに吸い寄せられている。
赤い縁取りが、静かに光った。
『E-ACD-07 学院防衛戦(学院壊滅級災厄イベント)【キュー中】』
まだ、発火していない。
なのに、発火後の光景だけが脳裏に先回りしてくる。村焼きの夜に見た炎。崖の崩落。名前を持たない死体が、後から『エリナ』になった日。
「村を焼いた次は、学院ごと燃やすのがテンプレか……」
呟きは、窓ガラスに吸われて消えた。
勇者物語は、そういうものだ。喪失がある。喪失があるから強くなる。喪失があるから読者は泣く。そういう“分かりやすい構造”が、世界の外側から注ぎ込まれる。
ナラティヴァは、きっとそれを合理的だと言う。勇者ラインらしいと言う。最短で盛り上がると言う。
雨宮は、雑にやると割れると言う。だから整えろと言う。回収線を引けと言う。
俺は――。
俺は、笑い声の上に赤い縁取りが重なるのが嫌だ。普通の日常が、ただの前振りになるのが嫌だ。
でも、その嫌いをそのまま言っても、ここでは何の力にもならない。
だから俺は、また言葉を変えるしかない。『テンプレ強度の最適化』。『RSI割れ軽減』。『単調化抑制』。そういう建前の刃物で、赤いノードの縁を少しだけ削るしかない。
神崎はタブレットを握り直した。窓の向こうで、学院の中庭が小さく光る。笑い声はまだ続いている。その上に、赤いノードが静かに待っている。
――キュー中。
それが一番、嫌な言葉だった。
テンプレ異世界ナラティブ庁・第三章、勇者学院編。
その幕は、静かな学院の日常の上に、目に見えないままゆっくりと上がり始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もし「続きも追う価値がある」と思えたら、ブックマークだけ置いていってください。更新の目安にします。
また、可能なら評価と、ひと言でも良いので「刺さった点/気になった点」をコメントでいただけると助かります。次章の調整材料にします。




