第29話 セラフィナ退場とケーススタディ化
王立学院の正門前は、まだ朝靄が残っていた。
石畳を濡らす薄い霧の向こうに、一台の馬車が停まっている。深い紺色の車体に、公爵家の紋章が控えめに刻まれた、見慣れた公用馬車だ。
ただ、今日はいつもと違って見えた。
荷物は最小限。侍女と護衛も最低限。
『国外社交留学』という名目の一時退場にふさわしい、静かな準備。
俺は、統計学の臨時講師アバターとして、門の陰からその光景を眺めていた。
タブレットの端には、淡々としたログが流れている。
『第4502王都学院恋愛劇ライン
イベント:公爵令嬢セラフィナ・ルーベンス 留学のため学院退学
ステータス:進行中』
(……送別会、って雰囲気じゃないな)
学院側の立場としては、「問題を起こした令嬢が、穏当な形で処理された」という建前だ。
だからこそ、華やかな見送りではなく、静かで事務的な出立になる。
とはいえ、好奇心を抑えきれなかったのか、校舎の窓や中庭の影から、何人かの生徒がそっと様子を窺っていた。
その中に、リナとアランの姿もある。
どちらもこちらには気づかず、ただ遠くの馬車を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「おはようございますわ、先生」
俺の存在に気づいたのは、出立の直前だった。
馬車に乗り込む前、セラフィナがふと視線を巡らせ、門の陰に立つ俺と目が合う。
今日の彼女も、白に近い淡い色合いのドレスに、控えめな装飾。
ただその表情は、舞踏会の夜よりも少しだけ柔らかかった。
「偶然お見かけしただけですよ。……留学のご準備、すべて整ったんですか」
「ええ。教本も、語学の資料も、必要と判断したものは一通り」
セラフィナは、わずかに口元を上げる。
「できれば、『余計な噂』はここに置いて行きたかったのですけれど。そればかりは、荷物に詰めて行くわけにも参りませんのにね」
「噂には重量制限がないですからね。どれだけでも積み込めてしまう」
「困りましたわ。そういうところだけは、皆さま実にお強い」
軽口のように交わしながらも、セラフィナの視線は一瞬だけ校舎の窓のほうへ向く。
遠くで、カーテンの影がさっと揺れた。
誰かが見ている。リナかもしれないし、別の生徒かもしれない。
タブレットに、小さなログが追加される。
『観測:
・学院内の噂フラグ:セラフィナ断罪/留学処分
・トピック遷移傾向:
セラフィナ個人攻撃 → 取り巻き・侍女への転嫁 → 徐々に風化』
補正ざまぁが「軽傷」で済んだことを示すグラフが、端に小さく表示されていた。
「ルーベンス嬢。いや、セラフィナ様」
俺は、臨時講師らしく、少しだけ堅い口調で言う。
「今回の件で、あなたは随分と損な役回りを引き受けさせられましたが……それでも、領地も家も、最低限守られた。あなたが『筋書き』に抵抗した結果です」
「まあ」
セラフィナは、ほんの少し目を丸くした。
「先生、時々とても変わったことをおっしゃいますのね。まるで、この世界に『筋書き』があると信じているみたい」
「『筋書き』があると感じたことはありませんか?」
「ええ、もちろんありますわ」
彼女はあっさりと頷く。
「三つか四つ、選択肢が用意されていて、そのどれかを選ばされているような気分になることは。――ただ、私が本当に選びたい選択肢は、いつもありませんけれど」
タブレットの画面端で、「セラフィナ:自己認識パラメータ」のグラフが少しだけ動いた。
『ラベル:
・筋書き存在感知:弱~中
・能動的選択志向:中~強』
(……やっぱり、この人は薄々気づいてるんだよな)
世界の外側に「何か」があるということに。
それでも、その何かに向かって直接文句を言うのではなく、自分の立ち位置を選び直すことで抗おうとしている。
「今回、私がどれほど上手く立ち回れたかは分かりません。きっと私のことを、最後まで『悪役令嬢』としか見ない方も大勢いらっしゃるでしょう」
セラフィナは、ゆっくりと息を吐いた。
「それでも――」
言葉を区切り、彼女は少しだけ笑う。
「私が悪役であることに異論はありませんわ。ただ、その役を誰にどう割り当てるかくらい、自分で選べたのなら……それだけで、少し救われた気はいたしますの」
「あなたが選んだ『悪役』は、少なくとも誰かの踏み台ではなかったですよ」
「踏み台にされたくない時は、自分から階段になればよろしいのですわ。登り切った後で、皆さまが振り返ったとき、『あら、こんなところに段があったのね』と思ってくだされば、それで充分」
そんな比喩をする登場人物、なかなかいない。
タブレットが、忙しなくログを取っているのが視界の端で分かる。
『引用候補フラグ:ON
――セリフ:「踏み台にされたくない時は、自分から階段になればよろしいのですわ」
タグ:悪役自覚/能動的役割選択』
これは確実に、ケーススタディの本文に載る。
だからこそ、もう一歩だけ踏み込んで聞いておきたくなった。
「セラフィナ様。……次に、どこかで『舞台』に立つことがあったら、そのときはどんな役を選びたいですか?」
俺の問いに、セラフィナは少しだけ目を細める。
「そうですわね」
空を一瞬見上げ、それから俺のほうに視線を戻す。
「本当は、家のことを考えなくていい場所で、一日中くだらないお喋りだけしていられる役がいいのですけれど。――そんな役、なかなか割り当ててもらえませんもの」
「割り当ててもらえないなら、自分で取りに行くしかないですね」
「だからこその留学ですわ。次に舞台に立つとき、少し違う役を選べたら良いのですけれど……そのための準備期間、とでも思うことにいたします」
それは、社交界の話であり、この世界全体の話でもある。
俺が口を開く前に、御者が時間を告げた。
「お時間です、お嬢様」
「ええ、参りましょう」
セラフィナは、軽くスカートの裾をつまんで一礼した。
「先生。短い間でしたが、お世話になりましたわ。あなたのおかげで、ひとつだけ、『悪役』の選び方を学べた気がいたします」
「こちらこそ。……どうか、お元気で」
「ええ。あなたも、どうかあなたの『仕事』を、あまり嫌いになりすぎませんように」
そう言い残して、セラフィナ・ルーベンスは馬車に乗り込む。
車輪が軋み、ゆっくりと動き出す。
タブレットが、静かに通知を表示した。
『イベント:セラフィナ・ルーベンス国外社交留学出立
ステータス:完了
復帰可能性フラグ:ON(低~中)』
白に近い淡い色のドレスの背中が、小さくなっていく。
(……次にどこかで舞台に立つとき、少しはマシな脚本でありますように)
講師アバターとしての俺は、それ以上何も言えず、ただ馬車の後ろ姿を見送った。
◇ ◇ ◇
ナラティブ庁・恋愛物語監査第一三課。
モニターの一つに、「社内ナレッジポータル」の画面が開いている。
『【新規登録】
悪役令嬢断罪テンプレ是正事例:第4502王都学院恋愛劇ライン』
タイトルの下に、要約とタグが並ぶ。
『タグ:悪役令嬢/公開断罪/婚約解消/救済パターン/補正ざまぁ軽減』
ケース本文のスクロールバーは短く、ページ全体がそこまで長くないことを示している。
画面を下にスクロールすると、見覚えのある文言が並んでいる。
『1.案件概要
本事例は、「学院舞踏会における悪役令嬢公開断罪」という高RSIテンプレイベントにおいて、
・身体的屈辱表現の削除
・制裁内容のソフト化(爵位剥奪→国外社交留学)
・被断罪者への弁明機会付与
等を行い、ざまぁ効果を中~高の範囲で維持しつつ、登場人物福祉指数の危険域突入を回避したものである。』
『2.主要登場人物の行動特性
・公爵令嬢セラフィナ・ルーベンス
――自らを「悪役」と位置づけつつも、その役割配分について能動的に選択しようとする志向を持つ。
例:
「私が悪役であることに異論はありませんわ。ただし、その役を誰にどう割り当てるかくらい、自分で選ばせてほしいのですわ」
「踏み台にされたくない時は、自分から階段になればよろしいのですわ」』
『3.テンプレ是正のポイント
(1) 断罪形式の維持と制裁内容の調整
(2) 被断罪者の再起ラインを明示的に残す構造
(3) 補正ざまぁ(スケープゴート化)の発生を、モブ生徒レベルの軽傷に抑える現場介入』
『4.教訓
・「悪役令嬢=サンドバッグ」という単一パターンからの脱却は、
ざまぁ効果の瞬間値をわずかに下げる代わりに、ジャンル寿命と議論余地を拡張し得る。
・登場人物福祉指数は、L-13およびZM-02において、事前・事後の両方で参照することが望ましい。』
(……きっちり“事例”になったな)
自分の書いた報告書やメモが、他部署の監査官も参照するナレッジとして整えられていく光景は、少しだけくすぐったい。
画面の右上には、小さなアイコンが並んでいた。
『閲覧数:12
ブックマーク:3
コメント:1』
コメント欄を開くと、短い一文が残されている。
『「悪役を自覚的に選び直す」という観点、今後の設計会議で引用予定(物語設計局)』
ナラティヴァだけでなく、物語設計側にもこの事例が届いているらしい。
(セラフィナ、君のセリフはちゃんと届いているぞ)
心の中でそう報告しつつ、画面を閉じる。
◇ ◇ ◇
自席に戻り、個人メモ用の文書を開く。
タイトルはシンプルに、
『個人備忘録:第4502王都学院恋愛劇ライン/セラフィナ・ルーベンスについて』
とだけ。
キーボードに指を置き、少し考えてから、書き始める。
『・「悪役令嬢」というラベルは、あくまで物語構造上の役割名であって、人格そのものではない。
・セラフィナ・ルーベンスは、
――領地財政の現実、病弱な弟、政略結婚といった複数の制約の中で、
自分が引き受けるべき“嫌われ役”を選び直そうとしていた人物。
・彼女は、筋書きに完全に従うことも、完全に逆らうこともできない立場にありながら、
その中間で「せめて踏み台にはならない悪役」を模索していた。』
そこで一度、指を止める。
続けて、短く付け足す。
『・監査官補・神崎悠斗にとって、
「悪役令嬢=サンドバッグ」という図式を一度壊してくれたのは、間違いなく彼女だった。』
自分の中で、セラフィナの像がゆっくりと固定されていくのが分かる。
ナラティブ庁の公式ログ上では、彼女はこれからも『悪役令嬢』タグのついた人物として扱われ続けるだろう。
でも、俺の個人メモの中では、少し違う名前が付いている。
『分類:
・筋書きと静かに戦おうとした人
・悪役から一時降板した人
・次に舞台に立つとき、違う役を選びたがっている人』
(勇者リアムと同じで、セラフィナも『違う物語』の候補者なんだよな)
タブレットの端に、小さな通知が点いた。
『第2781勇者物語ライン
第2章(王立学院編)準備ステータス:進行率 上昇中』
リアムのラインが、ゆっくりと次の山場に向かって進み始めている。
(……そっちにも、いつかこのケースを持ち込めたらいい)
死者を『燃料』にしない勇者物語と、悪役を『サンドバッグ』にしない恋愛物語。
その両方を、テンプレの中でどこまでやれるか試すのが、当面の俺の仕事だ。
そう思いながら、俺はメモの末尾に一文を追加した。
『追記:
次に“悪役令嬢”というラベルを見たとき、
少なくとも一度は「この人も、どこかで役を選び直そうとしているのではないか」と疑うこと。』
それは、監査官補としての誓いというより、
一人の読者としての、ささやかな自戒だった。




