第27話 余波と補正ざまぁの実測
翌朝の王立学院は、いつもより一段階、音量が絞られていた。
教室に足を踏み入れた瞬間、その違和感ははっきりと分かる。
前列の一角――つい昨夜まで、公爵令嬢セラフィナ・ルーベンスが、真っ直ぐな背筋で座っていた席が、ぽっかり空いていた。
整然と並んでいたはずの教科書も羽ペンも、跡形もなく消えている。
そこだけ、最初から誰も在籍していなかったかのような空白だ。
視界の端で、講師アバター用のタブレットが小さく震えた。
『第4502学院ライン:
・イベントタグ【公開断罪】完了
・キャラクター:セラフィナ・ルーベンス――学院籍:一時停止/処遇:国外社交留学(予定)』
(仕事が早いな……物語的にも、事務的にも)
ルーベンス家の執事か学院側の事務か、その両方か。
いずれにせよ、舞踏会が終わったあと、夜のうちに撤収作業が行われたのだろう。
その空席を中心に、教室の空気は渦を巻いていた。
視線と囁きと、言葉にならないざわざわだけが、同じ場所をぐるぐる回っている。
◇ ◇ ◇
「ねえ、聞いた? セラフィナ様、本当に学院やめるんだって」
「『国外社交留学』って書いてあったけど、実質は追放じゃないの?」
「まあ、あれだけ好き勝手してきたんだし、自業自得でしょ」
前列の女子グループが、声を潜めるでもなく会話する。
タブレットの右上で、新しいログが点滅した。
『噂拡散ログ:
・話題対象:セラフィナ・ルーベンス(不在)
・キーワード:【自業自得】【追放】
・感情傾向:否定的/やや興奮』
「でもさ、昨日のお話、全部が全部悪いことって感じでもなかったような……」
「出た、『実はいい人だった』説。あんた、舞踏会でちょっとウルっとしてたでしょ」
「し、してない!」
小さな笑いが起きるが、その笑いもどこかぎこちない。
すぐに話題の矛先は、別の方向へと滑っていく。
「それよりさ、本当に悪いのは取り巻きじゃない? あの金髪の子。いつも横で噂ばっかり流してたじゃない」
「メイベルでしょ。正直、前から苦手だったのよね」
「あと侍女。昨日、セラフィナ様の侍女が泣きながら荷物をまとめてたって聞いたわよ。主の命令だからって、何でもやってたんじゃないの?」
名前を挙げられた取り巻き令嬢A――メイベルは、教室の隅で背筋を固くしたまま動かない。
いつもなら余裕たっぷりに笑っている口元が、今はきゅっと結ばれている。
廊下に控えた侍女Bは、扉のガラス越しに見える横顔から、血の気が引いていた。
タブレットの画面下に、赤い警告がぴこんと浮かぶ。
『補正ざまぁ検知:
・スケープゴート候補:取り巻き令嬢A/侍女B
・ざまぁ発散レベル:中へ上昇中』
(……はい、補正ざまぁ、ターゲット物色中)
昨夜の断罪イベントで、物語が用意した『悪役』は舞台袖へと退いた。
その瞬間、システムは自然に次の『悪役候補』を探し始める。
セラフィナに貼られていた悪意の一部が、今まさにメイベルと侍女へ流れ込みかけている。
このまま放置すれば、『取り巻きこそ真の黒幕だった』という二段ざまぁルートが自動生成されてもおかしくない。
◇ ◇ ◇
「リナ、大丈夫かい?」
少し離れた席から、アランがそっと声をかけた。
「昨夜は……いろいろあったからね」
「私は……はい。殿下こそ、お疲れでは」
リナは、笑おうとしてうまく笑えていない顔をしていた。
舞踏会で、彼女はアランの隣に立ち、皆の前で証言した。
招待状の件も、授業中の叱責も、自分がどう感じていたかを、そのまま口にした。
その証言が、どれだけ断罪の流れを後押ししたか。
それくらい、リナ自身にも分かっている。
タブレットの端に、小さな矢印が揺れる。
『リナ・エヴァンズ:
・感情ベクトル――【安堵】→【不安/罪悪感】へ緩やかに移行中
・自己評価ログ:「自分が悪いことをしているのでは」頻度:微増』
「僕のことは気にしなくていいよ。王族として、ああいう決断をするのも務めだから」
アランは、いつもの『良い王子様』の笑みを浮かべる。
「それより、君が嫌な思いをしていないかのほうが心配だ。君は、ただ正直に話しただけなんだから」
「……正直に、ですか」
リナの指先が、膝の上でぎゅっと握られた。
「私、セラフィナ様のこと、ずっと怖い人だと思っていました。招待状のときも、授業のときも。でも、昨日のお話を聞いて……全部が全部、私の思っていた『悪い人』ではなかったのかもしれないって」
「それでも、君が感じた怖さは本物だろう?」
アランは、即座に言葉を返す。
「だからこそ、君が証言する意味があったんだ。セラフィナの言い分も聞いた。学院長もいた。皆がそれぞれの立場から話して、その上で決まったことだよ」
「でも……もし私が、もう少し早く殿下に相談していたら、あんな大きな場になる前に、別の形で止められたんじゃないかって……」
「そこまで背負う必要はない」
アランの声が、少しだけ強くなった。
「責任は、王族である僕が取る。君は、僕を信じてくれればいいんだ」
タブレットは容赦なく、アランの内心も数字にする。
『アラン・フォルティス:
・自己イメージ:「良い王子様」維持欲求:高
・責任認識:構造要因<自己犠牲ポーズ』
(『全部僕が悪い』っていうセリフほど、周囲の行動を固定するものはないんだよな……)
講師アバターとして割って入るには微妙なタイミングなので、今は心の中だけで毒づいておく。
◇ ◇ ◇
始業前のチャイムが鳴る直前、教室のざわめきは再び高まった。
廊下から別クラスの生徒たちが顔を出し、噂を運び込んでくる。
「なあ、聞いた? セラフィナ様の侍女、学院から出入り禁止になるって」
「やっぱり、主の命令を盾に好き放題してたんじゃないの? 噂の元締めだったとか」
「取り巻きも全員グルでしょ。メイベルなんて、前から感じ悪かったし」
タブレットの警告表示が、一段階強く点滅した。
『補正ざまぁレベル:中→中強
・新規イベント案:
「取り巻き令嬢A公開糾弾」「侍女B解雇+炎上」
→自動生成候補/監査官介入可能時間:残りわずか』
(本格的に矛先が移り始めたな……)
そこまで聞いて、俺は教卓から軽く咳払いをした。
「おはようございます。統計学の臨時講義を担当しているカンザです。そろそろ席についてもらえるかな」
散らばっていた視線が、前へと集まる。
こういうとき、正式な『先生』という肩書きは便利だ。
とりあえず話題の流れを止めるだけなら、権威の出番である。
「今日は予定を少し変更して、『噂と数字の関係』について話をしようと思います」
「噂と……数字?」
誰かがぽつりと呟いた。
タブレットの端で、「講師介入イベント」タグが点灯する。
「そう。大きな出来事の後には、必ず噂が生まれます。誰が悪いのか、誰が裏で糸を引いていたのか。『あの人が』『この人が』と、いろんな名前が挙がる」
メイベルの肩がぴくりと動く。
「でも、噂というのは、多くの場合『反論しづらい人』や『嫌われやすい人』に集まりやすい。声の小さい相手、一歩引いた立場にいる相手に、責任を押し付ける形で広がってしまうんです」
俺は黒板に簡単な図を描いていく。
「たとえば、何か問題のあることをした人が全体の一%だとします。だけど、その情報が人から人へ伝わるうちに、『前からあまり好きじゃなかった』『なんとなく怪しい』という印象が混ざると、実際の行為とは関係ない人に疑いが向かうことがある」
タブレットの解析ログが、静かに更新される。
「そして、『この人が悪かったんだ』と皆で決めた瞬間、人は安心して考えるのをやめてしまう。そこから先は、『あの人さえ罰すれば全部解決する』という物語だけが一人歩きする」
それは、この世界に来る前も、数字と報告書の中で見てきた現象そのままだ。
「昨日の件に関して言えば、すでに学院長と殿下から公式な処分の説明がありましたね。誰がどこまで責任を取るかは、一応決まっている。であれば、個々人が勝手に『真犯人』を捏造して罰しようとするのは、教師としてはおすすめできません」
メイベルの表情から、わずかに強張りが抜けた。
「もちろん、誰を好きか嫌いかは皆さんの自由です。ただ、その感情を『正義』とか『皆の総意』と呼び始めると、簡単に誰か一人を踏み潰す道具になってしまう。……今日は、そういう偏りが数字にどう現れるかを、一緒に見ていきましょう」
始業の鐘が鳴る。
タブレットの警告表示は、黄色から淡い緑へと色を変えていた。
『補正ざまぁレベル:中→弱
・新規断罪イベント:発生条件未達/自動生成保留』
(よし、とりあえず炎上スピンオフは回避)
◇ ◇ ◇
講義を終えて恋愛一三課のフロアに戻ると、デスクの端末にはすでに簡易レポートが上がっていた。
モニターには、事務的なフォントで数字とグラフが並ぶ。
『第4502ライン・舞踏会翌日の観測レポート
― 学院内ざまぁ発散ログ
ターゲット候補:取り巻き令嬢A/侍女B
発散強度:中→弱に減衰
炎上規模:教室内の陰口レベルに留まる』
横には、CCRの速報も並んでいる。
『追加CCR(抜粋)
・「取り巻きも罰するべきだった」系:少数
・「侍女が黒幕だったのでは」系:ごく少数
→いずれも長編化・スピンオフ化トリガーは未達』
「おかえり、先生。現場、どうだった?」
柊が、マグカップを片手に声をかけてくる。
「予想通り、取り巻きと侍女に火の粉が飛びかけてました。もう少しで『取り巻き断罪スピンオフ』に行きそうでしたね」
「だろうねえ。悪役が舞台からいなくなったあとの空席って、物語的には『何か』で埋めたくなるんだよ」
柊は、レポートをひと目見て肩をすくめる。
「でも、この程度で済んでるなら上等でしょ。昔のラインなんか、翌日に取り巻き全員断罪して、そのまた翌週に侍女断罪やってたから」
「二段ざまぁ、三段ざまぁってやつですね……」
「そう、『ざまぁ・オン・ざまぁ』。RSIは短期的には気持ちよく伸びるけど、そのぶんジャンルの寿命がガリガリ削れるやつ」
そこへ、早乙女課長が椅子を回転させてこちらを向いた。
「神崎くん、ZM-02の更新、お願いできる?」
「はい」
端末を操作し、舞踏会本番から翌日までの実測値を『ざまぁ効果・副作用評価シート(ZM-02)』に流し込む。
画面が切り替わり、新しいグラフとテーブルが描かれた。
『ZM-02:第4502王都学院恋愛劇ライン・断罪フェーズ実測
・ざまぁ瞬間RSI:0.82(従来テンプレ平均比 -0.07)
・イベント後RSI(3日以内):0.74(同 +0.05)
・予測エピローグRSI:0.77(同 +0.08)
・サブジャンル「悪役令嬢系」寿命予測:+1.3クール』
その下に、CCRの内訳も自動で集計される。
『CCRコメント内訳(速報)
・「スカッとしない」「もっと罰を」系:38%
・「これくらいが妥当」「救われてよかった」系:36%
・「セラフィナ視点も読みたい」系:14%
・その他(王子批判・制度批判など):12%』
「瞬間的なスカッとは、やっぱり少し落ちますね」
俺が言うと、早乙女課長はあっさりうなずいた。
「落ちるわよ。断罪の場で完全に叩き潰したほうが、一瞬の盛り上がりは派手になるもの」
彼女はグラフを指でなぞりながら続ける。
「でも、その感覚に慣れきった読者は、すぐに『もっと』『まだ足りない』を言い出す。毎回それに応えていたら、いずれ物語が本当に壊れてしまうか、ジャンルそのものが先に死ぬ」
「だから、あえて『少し物足りない』ところで手を打つ必要がある、と」
「そういうこと」
別ウィンドウで、補正ざまぁ専用のモニタリング欄が開く。
『補正ざまぁ観測ログ:
・スケープゴート候補:取り巻き令嬢A/侍女B
・福祉指数変化:
取り巻き令嬢A:中程度減少(断罪級ではない)
侍女B:軽度減少
・炎上兆候:有→講師介入イベント後、沈静化傾向』
「誰も傷つかない、はやっぱり無理ですね」
「うん。でも、『一人の人生を完全に叩き折る』ところから、『複数人がちょっとずつ嫌な思いをする』レベルに分散できた、とも言える」
早乙女課長は、机に肘をついて笑う。
「どっちがマシかは、人によって評価が分かれるけどね」
「少なくとも、首が飛ぶ人がいなかったぶんだけは、俺の感覚ではマシです」
「その感覚、大事よ」
早乙女課長の声は、さっきまでの数字モードより少し柔らかかった。
「登場人物福祉指数なんて『飾り指標』だって言う人もいる。でも、その数字を本気で気にする監査官が一人でもいる限り、物語は完全な地獄にはならない」
◇ ◇ ◇
モニターの片隅で、別のステータスが小さく点灯する。
『第2781勇者物語ライン:
第2章(王立学院編)準備中/主要イベント待機』
辺境の鍛冶屋見習いは、遠い王都のどこかで今日も汗をかいているはずだ。
死んだ村娘エリナと、崖の下で行方不明のミナを抱えたまま。
(こっちで測った『少しマシなざまぁ』が、向こうで『少しマシな悲劇』の参考になってくれればいいんだけどな)
補正悲劇も補正ざまぁも、この世界の性質そのものだ。
完全に消すことはできない。
それでも、その総量を少しずつ削り、誰か一人に集中しないよう分散させることなら、きっとまだやりようがある。
画面を閉じ、深く息を吐いた。
「……さて。『少しマシな失敗』の後始末は、だいたいこんなところか」
神崎悠斗という一人の監査官補にできるのは、その程度だ。
それでも――その程度を、諦めずに積み重ねていくしかない。
新しいログ一覧を呼び出しながら、俺は椅子の背にもたれた。
『ナラティブ庁・恋愛物語監査第一三課:
第4502ライン・断罪フェーズ――暫定ステータス:
「完全勝利には程遠いが、第2781のときよりは少しマシ」』
タブレットが、持ち主の皮肉混じりの評価をそのまま記録してくるのに、思わず苦笑する。
テンプレ異世界のざまぁと断罪は、今日もどこかで発生している。
補正ざまぁの影を追いかける仕事も、当分終わりそうにない。




