第26話 悪役令嬢、悪役を選び直す
セラフィナ・ルーベンスは、一拍の沈黙のあとで口を開いた。
「では、まずは招待状の件から順にお話しさせていただきますわ」
彼女の声は、広間のざわめきに負けない程度に通るが、決して怒鳴り声ではない。丁寧で、抑制されていて、それゆえに一言一言が耳に残る。
「リナ・エヴァンズ嬢の招待状につきましては、文面の敬称と署名の位置に複数の不備がございました。あのままお出しになれば、失礼を受け取った側も送った側も双方が恥をかくところでしたので、一時お預かりし、書き直しを申しでたのです」
リナがびくりと肩を震わせた。
「それは……セラフィナ様に言われました。本署名の位置が違うと……」
「訂正を終えられた招待状をわたくしが受け取りましたあと、別件の急用が入り、その日のうちにお返しできなかったのは事実です。そこは、謝罪いたしますわ」
セラフィナは、アランではなくリナに向き直る。
「エヴァンズ嬢。あなたをわざと行事から締め出そうとしたわけではありません。ただ、わたくしの忙しさと配慮の欠如が重なって、結果としてあなたに不利益を与えた。それについては、申し訳なく思っております」
「……っ」
リナは言葉を失ったように俯いた。
広間のあちこちで、小さなざわめきが行き交う。
「でも、返さなかったのは事実なんだろ?」「結果は同じじゃないか」「どうせ庶民だから後回しにされたんだよ」
一方で、別の声も混じる。
「でも、あいつの字、本当に読めたもんじゃなかったし……」「ルーベンス様に直してもらってたって話、聞いたことあるぞ」
評価が割れ始めるタイミングだ。
◇ ◇ ◇
「授業中の叱責につきましても、似たようなお話ですわ」
セラフィナは、話題を次に移す。
「エヴァンズ嬢の答えが間違っていたことを、皆の前で指摘した。それは事実です。しかし、あれは『庶民枠だから』という理由ではございません。あの場にいた方なら、他にもわたくしが同じような指摘をした場面を覚えていらっしゃるでしょう?」
前列にいた男子学生が、小声で友人に囁く。
「……たしかに。あの人、身分関係なくミスは突っ込むからな」「この前は侯爵家の馬鹿息子が泣かされてたし」
「社交界に出れば、この程度の場で噂になる失敗など、かわいいものです。ですが、そこでの挙措がきっかけで、一つの家が契約を失い、一つの商会が潰れ、一つの村が立ち行かなくなることもある」
セラフィナの言葉には、冷たさとは別の重みが宿っている。
「だからこそ、わたくしはあの場で指摘しました。『今、ここで恥をかいておきなさい。そうすれば、将来の致命傷を避けられる』と。それが、ルーベンス家に課された役割だと信じております」
正論だ。
正論すぎて、物語の中では『冷酷な悪役』にしか見えなくなる。
けれど、それを言わなければ守れないものがあるのも事実だ。
◇ ◇ ◇
「奨学生枠についての発言は、いかがだろう?」
アランが、少しだけ食い気味に口を挟む。
「君は以前、学院運営会議でこう言ったと聞いている。『庶民に学ぶ資格はない。限られた席は、相応しい者に与えるべきだ』と」
さっきよりもずっとはっきりとしたざわめきが起こる。
ただ、その多くは「やっぱり」と言いたげな空気に近い。
「その趣旨の言葉を口にしたのは事実ですわ」
セラフィナは、否定しない。
ここで安易に引き下がれば、逆に信頼を失うことを理解している。
「ですが、その前後の文脈を抜かれた形です。わたくしが申し上げたのは、『現状の選考基準があまりに曖昧で、このままでは制度そのものが破綻する』ということ。予算に上限がある以上、誰かを選べば誰かを切り捨てる。その苦情と不満が溜まれば、いずれ奨学金制度そのものが潰れるでしょう」
彼女は、淡々と続ける。
「だからこそ、『本当に学ぶ意欲がある者』『それを活かして戻ってこられる者』を見極める基準を整えなければならない。そう申し上げました。その一部だけが切り取られ、『庶民を敵視している』と広まったのです」
「会議に出ていた者として証言しよう」
横合いから、学院長が静かに口を挟んだ。
「確かにルーベンス嬢の発言には、冷淡と受け取られかねない物言いもあった。しかし、奨学金制度を続けるために必要な現実的提言の一つだったことは間違いない。私個人は、彼女の案の一部を採用している」
生徒たちのざわめきが、今度は別の色に変わる。
「学院長まで……」「じゃあ、本当に全部悪いわけじゃなかった?」「でも、言い方がな……」
(ここで重要なのは、『完全な誤解』でも『完全な悪意』でもないってことだ)
行き違いと、役割と、物語の都合。
それらが重なって、彼女に『悪役』のラベルだけが貼られた。
◇ ◇ ◇
「毒味役の件につきましても同じですわ」
セラフィナは、視線をアランに戻す。
「わたくしが求めたのは、『配置の見直し』です。過剰な人員を減らし、その分を厨房の衛生管理や、食材の検査に回すこと。『人数を減らせば安全性が上がる』という説明をなさったのは、わたくしではなく、あなた様の側近のほうですわ」
アランの表情が、一瞬強張った。
「それでも、結果として毒味役は減らされた」
「なぜ減らされたのか、そこをきちんと検証なさるべきではなくて?」
セラフィナの声音はあくまで上品だが、その言葉には鋭い棘がある。
「わたくしの提案を正確に理解せず、『節約』という都合の良い言葉だけを取り上げた者がいた。殿下がご覧になった書類には、わたくしの署名だけが残り、途中の議論は削られていた。……それを、『場の空気』で断罪する材料に使われるのは、本意ではございませんわ」
「っ……!」
アランは、少しだけ目をそらした。
ここで全面的に反論するには、彼自身も痛いところを突かれている。
証拠を集め、議論を読み込み、自分の頭で判断する代わりに、噂と書類の一部だけを拾って『悪役』を決めた。その弱さは、確かに彼自身のものだ。
◇ ◇ ◇
「殿下」
セラフィナは、そこではっきりとアランの名を呼んだ。
「わたくしは、あなた様の婚約者としての責任を果たそうとしてきたつもりです。殿下の周囲の者が、殿下の名のもとに安易な決断を重ねぬよう、時に嫌われ役を買って出ながら。結果として、こうして『悪徳令嬢』と呼ばれるようになったのなら、それもまた一つの役割なのでしょう」
彼女はそこで、ほんの少しだけ微笑んだ。
「わたくしが悪役であること自体に、さほど異論はございませんわ」
大広間が、息を呑んだ。
「ただし──」
セラフィナは、静かに言葉を継ぐ。
「その役をどう割り当てるかくらいは、自分で選ばせていただきたいのです」
ざわり、と空気が揺れる。
「エヴァンズ嬢をいじめ抜く『悪意ある令嬢』の役も。学院の安全を顧みない『無責任な貴族』の役も。わたくしは本来、そのどれも望んではおりませんでした。ただ、結果としてそう見える形で振る舞ってきた責任は、わたくしにあります」
セラフィナは、自らを責めるでもなく、開き直るでもなく、その事実だけを置く。
「ですから今回、悪役の役回りは喜んで引き受けましょう。殿下が民の前で『正義の王子』を演じ、エヴァンズ嬢が『救われた庶民の少女』として物語を終えるための陰として。ですが──」
瞳が、ほんのわずかに鋭さを増した。
「『愚かな悪女』としてではなく、『役割を終えて退場する貴族』として、幕を引かせていただきたいのですわ」
ラベルは同じ『悪役』でも、その中身を選び直す。
それは、物語の枠を壊さずに、可能な限り人間としての形を守ろうとする試みだ。
◇ ◇ ◇
「そこで殿下に、一つお願いがございます」
セラフィナは、真っ直ぐにアランを見た。
「この場をもって、殿下との婚約を解消させていただきたく存じます」
広間が、一瞬凍りついた。
ざわめきではない。
本当に、空気が止まる。
「わたくしの存在が殿下の評判を損ね、学院内で無用の不安と分断を生んでいるというのなら、その原因たる婚約関係を見直すのが最善でしょう。ルーベンス家は今後も王家に忠誠を誓いますが、わたくし個人は一歩引き、別の場で役割を果たします」
「……それが、君が望む結末なのか?」
アランの声が、わずかに掠れていた。
彼は、ここまで『王子として正しいこと』を選んでいるつもりで走ってきた。
その結果として、婚約者からこう告げられるのは、さすがに堪えるものがあるらしい。
「婚約者として、殿下のおそばにいる未来は、もう既に少し前から崩れ始めておりましたわ」
セラフィナは、淡く笑う。
「わたくしが疑われていると知りながら、正面から問いただしてくださることはなかった。その時点で、わたくしたちは互いに『違う物語』を見ていたのでしょう」
それは責め立てる言葉ではない。
ただ、自分の中で整理した事実の確認だ。
「一方的に断罪されるのは御免ですが、役割の終わりを自ら告げることまで禁じられてはいないと信じております」
学院長が、咳払いをした。
「ルーベンス家当主にも意向を確認する必要があるが……」
彼は、アランとセラフィナの顔を見比べ、慎重に言葉を選ぶ。
「ここで暫定的に取り決めることはできるだろう。セラフィナ・ルーベンス嬢は、王太子殿下の婚約者の地位を辞し、その代わりとして──」
少しだけ、セラフィナのほうを見る。
「王都から離れた社交の場へ、一定期間『留学』という形で赴く。各国の宮廷や貴族社会の慣習を学び、戻ってきたあとには学院の教材としてその経験を共有してもらう。そういう形にしてはどうかな」
セラフィナは、その案を真っ直ぐに受け止める。
「それならば、ルーベンス家の名誉も、領地の安定も最低限は守れますわね」
アランは、しばらく沈黙したあとで小さく頷いた。
「僕の側からも、一つだけはっきりさせておきたい」
彼は、深呼吸を一つ置き、広間全体を見回した。
「セラフィナの行いには、誤解を招くものもあった。僕自身も、噂と一部の書類だけを見て、彼女を悪く決めつけた部分がある。彼女が僕や学院のことを考えて動いていた場面があったことを、完全に否定するつもりはない」
大広間の空気が、今度は別の意味でざわついた。
「だから今回の件は、『悪徳令嬢をやっつけた』という話だけで終わらせたくない。僕がうまく向き合えなかった婚約者と、互いに別の道を選び直す話だと、そういうふうに覚えておいてほしい」
「ざまぁ」一色で終わるには、少し真面目すぎる締め方だ。
それでも口にしたということは、彼なりに自分の弱さを分かっている証でもある。
◇ ◇ ◇
その夜のうちに、庁内の端末には速報レベルの分析が上がっていた。
『第4502王都学院恋愛劇ライン・舞踏会断罪イベント
ざまぁ瞬間RSI:水準維持
イベント後RSI:従来比やや減少
感情内訳:
・「スカッとした」42%
・「モヤモヤする」31%
・「セラフィナに同情」18%
・「王子にイラつく」9%』
(うわ、綺麗に割れたな)
ざまぁ感を全面に出して喜ぶ層。
思ったほどスカッとしないことに不満を抱く層。
そして、悪役令嬢に肩入れし始めている層。
『コメントサンプル:
・「もっとボロボロにしてほしかった」
・「悪役令嬢、思ったよりいい人で草」
・「王子、お前もちゃんと反省しろ」』
「完全勝利って顔じゃないわね」
背後から、早乙女課長の声がした。
「でも、悪くないわ。ざまぁ一辺倒じゃない感情の揺れが出てきた。こういう“割れ方”の回が何本か続けば、悪役令嬢ジャンルそのものの持ちは良くなる」
「読者の『慣れ』を、少しだけ遅らせると」
「そうそう。あとは、ここからのエピローグと後日談次第ね」
柊が隣で、相変わらず乾いた笑いを漏らす。
「いやあ、見事に生ぬるいって文句も来てるぞ。『なんで国外追放じゃないんだよ』『ドレス破りがないとか解釈違い』だってさ」
「身体的屈辱は禁止って決めたの、課長ですよね」
「そのぶん、君がちゃんと中身で殴り合う話にしてくれたじゃない」
早乙女課長は、モニターの数字を横目に、俺のほうを見る。
「どう? 第2781のときと比べて」
「……まだ判断保留です」
本音だ。
「リアムのときも今回も、誰かが割を食っているのは変わらない。ただ、今回のセラフィナは、『自分で幕を引いた』分だけ、まだ少しマシに感じます」
「その『少しマシ』を積み上げるしかないのよ、うちの課は」
早乙女課長はそう言って肩をすくめた。
「完全に誰も傷つかない物語なんて、今の読者はすぐ『茶番』って言うでしょう? だからこそ、せめて誰がどの役割を引き受けるのかだけは、人間側で選び直していく。それが、今のところの落とし所だと私は思ってる」
(誰がどの役割を引き受けるか)
セラフィナが選び直した『悪役』。
リアムが選んだ『死者を燃料にしない勇者』。
物語の外から眺めるシステムの数字は、あいかわらず残酷なまでに平然としている。
それでも、その中にあるわずかな揺らぎを見つけては、少しでもマシな方向にずらしていくしかない。
「……せめて、ここまでした以上は」
モニターに映る、舞踏会後のセラフィナのログを眺めながら、俺は小さく呟いた。
「国外で、ちゃんと『普通の人間』として笑える場所が一つくらいあってくれるといいんですけどね」
それが叶うかどうかは、まだ分からない。
だが少なくとも、今夜この場で『見世物として完全に踏み潰される』ルートだけは、なんとか避けた。
ざまぁの総量は、きっと少しだけ減った。
その分だけ、別のどこかに『補正ざまぁ』が生まれる危険もある。
それでも──第2781のときよりは、まだマシな失敗だと、信じたい
そう自分に言い聞かせるように、俺は端末の画面を閉じた。




