第25話 舞踏会、断罪イベント発火
王立学院の大広間は、普段の授業風景とはまるで別世界だった。
磨き上げられた大理石の床にシャンデリアの光が幾重にも反射し、壁際の楽団が柔らかな旋律を奏でている。色とりどりのドレスと燕尾服が渦を巻き、香水とワインと緊張の匂いが空気の層を作っていた。
(数値にしたら今の『期待値』、かなり高そうだな)
壁際の講師席に紛れながら、俺はグラスの水をひと口だけ飲む。
視界の端のタブレットには、簡潔な文字列が静かに流れた。
『学院創立祭・舞踏会:開始
出席者数:規定通り
雑談ログ:好意的多数』
システムそのものは書き換えられない。
俺が手を入れたのは、あくまで物語の外縁──講義や事前の会話、学院長との根回し。それらがじわじわ効いてくるかどうかは、これからの数十分で決まる。
◇ ◇ ◇
「第一曲、王太子殿下とご招待客によるオープニングダンスを」
司会役の教師が声を張ると、大広間のざわめきが一段階おさまった。
中央に進み出たのは、金の髪を持つ青年と、まだ着慣れないドレスに身を包んだ少女。
王太子アラン。
そして、庶民出身の奨学生リナ・エヴァンズ。
「だ、大丈夫でしょうか、殿下……足を踏んでしまったら……」
「大丈夫だよ、リナ。僕がリードするから、肩の力を抜いて」
緊張で固まったリナに、アランが微笑みかける。
楽団がワルツを奏で始めると、視線が一斉に二人へと集まった。
「本当に庶民の子なの?」「まるでお伽噺ね」
ひそひそと囁き合う貴族子女たちの声には、純粋な羨望と、どこか『あとで何か起こる』ことを期待している色が混ざっている。
(これが土台か。ここからざまぁに繋げるための前振り)
曲が終わり、拍手が大広間を満たした。
二人が礼をして下がろうとした、その瞬間だった。
「皆の者、少し時間をもらえるだろうか」
アランの声が、音楽の余韻を断ち切る。
◇ ◇ ◇
王太子の前に、自然と人の輪が開いた。
次の曲を待っていた楽団員たちでさえ、弓を弦から離す。
「本日この場を借りて、一つの不正を正したい」
アランは、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「これは、学院の名誉と、ここにいる全ての者の安全に関わる問題だ」
『安全』という単語に、場の意識がすっと変わる。
少し離れた位置には、公爵令嬢セラフィナ・ルーベンスが立っていた。
白に近い淡い色のドレス、控えめな宝石。姿勢は完璧、表情は冷ややかに整っている。
「ルーベンス公爵令嬢、セラフィナ。前へ」
「畏まりました、殿下」
セラフィナは淀みなく一礼し、決められた位置に進み出る。
怯えも取り繕いもない。ただ貴族としての『正しい振る舞い』だけがそこにあった。
「君はこれまで、庶民出身の奨学生リナ・エヴァンズに対し、度重なる不当な行為を行ってきた」
ざわり、と音が立つように空気が揺れる。
「行事への招待状を預かりながら返さず、彼女を公式の場から締め出した件。授業中、皆の前で彼女の答えを晒し、笑いものにした件。違うか?」
「招待状に関しては、文面に不備があったため一時お預かりしておりました。授業での指摘は、将来の社交の場で致命的な失敗をなさらぬよう、必要と判断したまでですわ」
セラフィナは、いつも通りの淡々とした声で答える。
「リナ」
アランが、そっとリナの名を呼んだ。
「君はどう感じていた? 招待状の件も、授業でのことも」
「あ、あの……最初は、わたしが何か駄目なことをしたのだと思っていました」
リナは緊張で震えながらも、言葉を紡ぐ。
「字が汚いとか、礼儀を分かっていないとか……だからセラフィナ様が預かって直してくださるのだと。でも、招待状は返ってこなくて、わたしは行事に出られませんでした」
その告白に、「まあ」「それは……」という小さな声があちこちで漏れた。
一方で、別の囁きも混ざる。
「でもルーベンス様、あの子の文章直してたって聞いたけど」「途中までは普通に指導してた気がするけどな……」
(よし、一斉に石を投げるほど単純じゃない)
俺は壁際からその揺れを見守る。
◇ ◇ ◇
アランは、そこで一息置いた。
「それだけではない」
彼の声が、少し低くなる。
「君は厨房と警備責任者に対し、此度の晩餐会の毒味役を減らすよう進言した」
広間に、今度は露骨などよめきが走った。
毒。
その言葉を誰も口にはしていないのに、全員が同じ想像をする。
「王族や貴族も集う場で行われる食事だ。そこに用意される毒味役は、ただの飾りではない。なのに君は、『今の人数は過剰で費用の無駄』だと言い、削減を求めた」
「現状の運用に無駄が多いのは事実ですわ」
セラフィナは、微動だにしない。
「殿下方の安全と健康を確保したうえで、人員配置の見直しを図るべきだと進言いたしました。記録にもそう残っているはずです」
「結果として、毒味役は減らされた」
アランの視線が鋭く光る。
「この学院の晩餐会には、王族だけでなく多くの学生も出席している。君の提案によって、王族のみならず、ここにいる全員が危険に晒された可能性がある。それでも『無駄の見直し』と言い張るのか?」
途端に、周囲の反応が変わった。
「毒味役減らすなんて……」「もし何か混ざってたら、私たちも同じもの食べてるのに」「怖すぎるだろ」
さっきまで余裕の表情で見物していた生徒たちの顔に、薄い恐怖と怒りが浮かぶ。
今ここにいる自分たちの身の安全に直結した話だ。
(安全って、ほんとに便利な燃料だよな……)
アランの告発は、細かい運用の話を全部丸めて「みんなまとめて危険に晒されたかもしれない」に変換している。
その一言で、セラフィナはあっさり『危ない人』にされていく。
……とはいえ、全員が一様に責め立てているわけでもない。
「でも、ルーベンス家って領地の橋の補修を自費でやってたんだろ」「安全に無頓着な家だとは思えないけど」
そんな声が、ごく小さく紛れ込んでいる。
(揺れてる層がいる。その揺れを、なかったことにはさせたくない)
◇ ◇ ◇
アランは、感情と役割を両方背負った声で言い切った。
「セラフィナ・ルーベンス。君は奨学生へのいじめに加え、学院の安全を軽んじる行為を行った疑いがある。公爵家の令嬢として、そして僕の婚約者として、その責任は重い」
そこで、一瞬だけ溜める。
断罪ショーの台本通りであれば、このまま一気に『罪状』を読み上げ、屈辱的な宣告へ雪崩れ込むところだ。
俺は、壁際から一歩前に出た。
「王太子殿下」
声を張る。
大広間の視線が、一瞬そちらへ流れた。
「……カンザ講師?」
アランが眉をひそめる。
リナもセラフィナも、何事かとこちらを見る。
「招かれざる口出しかもしれませんが、一講師として一点だけ確認させていただきたいのです」
俺は、あくまで『この世界の人間』としての言葉だけを選ぶ。
「重大な告発を公衆の面前で行う場合、被告とされた者には必ず『弁明の機会』を与える──これは王都法の基本原則だったはずです。殿下ご自身も、以前の講義でその条文を暗唱されていましたね」
ざわ、と別種のどよめき。
「あ、あの授業の……」「そういえばそんな話あった」「立場が上だからって手続き飛ばしちゃ駄目ってやつ」
先日わざと熱量を込めて話した内容が、こういう形で回収される。
学院長が、一歩前に進んだ。
「カンザ講師の指摘はもっともです、殿下」
穏やかな声だが、その裏にあるものは重い。
「この場での殿下のご判断は、学院だけでなく王都社会全体に影響を及ぼすでしょう。その前に──ルーベンス嬢に自らの行いを説明する機会を与えるべきではありませんか」
これはシステムの『イベント仕様』ではない。
俺と学院長が、何度も打ち合わせたうえで用意したごく現実的な提案だ。
アランは、短く目を閉じた。
頭の中で、
『ここで引き下がったら格好がつかない』
『でも、王子として筋違いはまずい』
その二つがぶつかっているのが、見ていて分かる。
やがて彼は、小さく息を吐いた。
「……分かった」
大広間の空気が、わずかに緩む。
「学院長の言う通りだ。僕はルーベンス嬢の行いに疑いを抱いているが、それでも王太子として、正しい手続きは踏むべきだろう」
それは、『良い王子様』という物語に乗りながら、ほんの少しだけ自分で修正を入れた結果だ。
「セラフィナ・ルーベンス」
アランが、改めて彼女の名を呼ぶ。
「君にも、この場で自らの行いについて語る機会を与える。短く、要点だけだ」
「光栄に存じますわ」
セラフィナは、ほんのわずかに口元を緩めた。
感謝とも安堵ともつかない。
ただ、『やっと自分の番が来た』とでも言いたげな、ごく薄い笑み。
彼女は静かに一歩前へ進み、視線で大広間をひと回りなぞった。
アラン、リナ、学院長、ざわめく生徒たち──そして、講師席の隅に立つ俺。
何も知らないはずのその瞳が、一瞬だけこちらを捉えたような気がした。
(安心しろとは言えないけどさ。少なくとも、黙って吊るされる舞台くらいは壊しておいた)
胸の内で小さく吐き捨てる。
「では──殿下。皆様」
セラフィナの声が、大広間の隅々まで届いた。
「少々、私の話もお聞きいただけますか」
その一言で、空気が変わる。
見世物としての『断罪ショー』から、誰かの言葉を聞かざるを得ない『審問の場』へ。
舞踏会の夜は、ここから後半戦に入る。




