第18話 学院潜入、噂の悪徳令嬢
王都セントラルの西側、丘の上に建つ白い建物。
王立総合学院は、遠目にはただの立派な学舎にしか見えないが、ナラティブ庁の視点から眺めると『恋愛テンプレ供給装置』のひとつだ。
その中庭の片隅に、今日から一人、臨時職員がひそかに増える。
――統計学臨時講師兼、教務事務補佐。
俺の新しいアバターだ。
◇ ◇ ◇
「本日から一年A組の一部講義と、成績管理周りを担当することになりました、ユウト=カンザです。専門は統計学と記録管理です。よろしく」
初回ガイダンス用に用意された自己紹介を、できるだけ簡潔に喋る。
教室の前方から見下ろす景色は、勇者ラインの村とはまるで違う。
磨かれた床。高い天井。青と金の校章が刺繍された制服。
一番前の列には、ひと目で分かる華やかな貴族子弟たちが並び、背後の列には、質素だがきれいに繕われた制服を着た奨学生たちが座っている。
教室の空気は、見えない線でゆるく分断されていた。
最前列の中央には、金髪碧眼の少年――王太子アランがいる。
隣には庶民奨学生リナ、その周辺を貴族令嬢や男子学生が取り囲むように座っていた。
この布陣だけで、「身分差恋愛ラインです」とナラティブ庁に自己申告しているようなものだ。
「それじゃあ、今日はオリエンテーションも兼ねて、この学院の成績評価と『平均』の話から始めましょうか。君たちの恋愛と同じで、数字もそう簡単には平等になってくれません」
教室のあちこちから、小さな笑いが起きる。
こういうとき、講師アバターは便利だ。
場を和ませる軽口くらいは、自動補正でそれなりに出てくる。
心の中では、タブレットに表示された第4502ラインのログを同時にスクロールしていた。
『学院日常イベント:第3週 講師着任イベント(恋愛テンプレへの影響:軽微)』
今日はまだ、クライマックスまでは遠い。
だからこそ、『噂の蓄積』をしっかり見ておく必要がある。
◇ ◇ ◇
午前の導入講義が終わり、昼休み。
中庭を見下ろせる渡り廊下の隅で、俺は教務事務補佐として、学生たちの流れを眺めていた。
石畳の中庭の中央には、小さな噴水。
その周りに、いくつかの小さなグループが輪を作って弁当を広げている。
王太子アランとリナは、噴水のすぐそば――誰もが目にする場所に座っていた。
「リナ、ここのスープは口に合うか? 辺境の味とはだいぶ違うだろう?」
「はい。最初は少し驚きましたけど……このハーブ、意外と素朴な味で落ち着きます」
「そうか。料理長に伝えておこう。無理に華やかな献立にするより、君が安心して食べられるほうがいい」
アランはそう言って、何でもないようにスプーンを差し出した。
「よかったら、こっちも一口どうだ? 少し辛いが、体が温まる」
「えっ、でも、それは殿下のお皿ですし……」
「いいんだ。ほら、スプーンは新しいものを」
侍従がすかさず別のスプーンを差し出す。
リナはおそるおそる受け取り、スープをすくって口に運んだ。
「……おいしいです。少し辛いけど、なんだか元気が出る味ですね」
「そうか。それはよかった」
アランは満足そうに笑い、その様子を見ていた取り巻きの一人が、わざとらしく「まあ」と声を上げた。
「殿下、またリナさんのことを気にかけておられますわ。辺境から来た奨学生に、ここまでお優しくなさるなんて」
「殿下ってば、ほんと『庶民にも分け隔てなく』って感じで素敵ですよねー」
別の女子学生が、扇子で口元を隠しながら友人に囁く。
「ねえ、あれ見て。まさに『身分差を超えた恋』ってやつじゃない?」
「分かる。庶民出の子が王子様に見初められるなんて、物語じゃなきゃありえないでしょ」
笑い混じりの声には、どこか期待めいたニュアンスが含まれていた。
単に微笑ましいと見ているだけではない。
「ここからどう崩れるか」を楽しみにしている目だ。
タブレットに視線を落とす。
『学院日常イベント:昼食シーン
・アラン、リナに食事を勧める
・周囲の好意的/羨望的視線(身分差恋愛タグ強化)
→ざまぁ期待値:微増』
わざわざ『ざまぁ期待値』という項目を見える化しているあたり、ナラティヴァの性格がよく出ている。
身分差恋愛がきれいに描かれれば描かれるほど、その裏の『悪役令嬢ざまぁ』の影が濃くなる。
それを分かっていて、この学院は日常を演出している。
◇ ◇ ◇
「ねえ、聞いた? ルーベンス公爵令嬢の話」
中庭の反対側。
俺のすぐ下のベンチで、女子学生三人組が身を寄せ合って話していた。
タブレットが、小さく通知を出す。
『イベント:生徒雑談(噂拡散トリガー)
ログID:4502-GOSSIP-01』
どうやら、ここからが本題だ。
「また何かあったの? この前の招待状の件なら聞いたけど」
「それそれ。ほら、リナさんのところに届くはずだった舞踏会の招待状、いったんルーベンス家に回されてたってやつ」
「え、あれって本当なの?」
「上級生が言ってたわ。ルーベンス嬢の取り巻きが、『庶民ごときが正式な招待状なんて似合わない』って言って、預かったまま返さなかったんですって」
「ひど……」
タブレットの画面には、対応するログが表示される。
『噂ログ4502-GOSSIP-01
内容:招待状紛失事件(庶民いじめ)
元イベント:EVENT-INV-003「招待状一時保管」
――原仕様:「礼儀作法確認のため、公爵家経由で招待状文面チェック」
――噂形態:「悪役令嬢による招待状強奪」』
元の設計段階では、『礼儀作法の確認』イベントだ。
それが、噂フィルターを通ると『強奪』に変換される。
「しかも、その後すぐに先生のところに呼び出されて、『書類はきちんと扱いなさい』って公開で叱らせたんだって」
「えー、それ、完全にいじめじゃない?」
「でしょ? 表向きは『指導』って言ってたけどさ。庶民と公爵令嬢じゃ、どっちの言い分が通るかなんて決まってるじゃない」
新しいログが重なる。
『噂ログ4502-GOSSIP-02
内容:授業中の公開叱責(庶民いじめ)
元イベント:EVENT-CLASS-012「礼儀指導」
――原仕様:「身分差に関係なく場にふさわしい態度を求める指導」
――噂形態:「庶民奨学生を人前で恥をかかせる悪徳令嬢」』
噂の中で、セラフィナの行動はすべて『悪意』ラベルで再解釈されていた。
「それだけじゃないわよ」
三人組のひとりが声を潜め、周りをうかがう。
「奨学生枠のことで、学務部に口出ししてたって話、知らない?」
「え、それ初耳」
「『予算に余裕がないのに庶民を増やすな』って。学院の人にそう言ったって、母がお茶会で聞いたの。『庶民に学ぶ資格はない』みたいなことも言ってたらしいわ」
「最悪……」
タブレットには、淡々と原仕様が表示される。
『元イベント:EVENT-SCHOLAR-004「奨学生制度見直し提案」
――原仕様:「予算上限を守りつつ、選考基準を明確化するべき」という現実的提案
――噂形態:「庶民に学ぶ資格はない」と言い放つ冷血令嬢』
数字とログを見る限り、セラフィナは制度の持続性を気にしているだけだ。
だが噂ネットワークは、そこに『階級差別』のラベルを貼って広げる。
「で、極めつけがさ」
女子学生が声をさらに落とした。
「王太子殿下の好物のデザート、最近ぜんぜん出てないでしょ?」
「言われてみれば……いつも食堂で話題になってたのに」
「ルーベンス嬢が、料理長に『あの甘すぎる菓子は殿下のお体に毒ですわ』って言って、献立から外させたんですって。それに、毒味役も減らせって」
「え、それって……」
「ねえ。殿下の好物を取り上げて、毒味も減らしたら、何が起きると思う?」
三人の間に、わざとらしい沈黙が落ちる。
そして、同時に口を開いた。
「毒殺の準備、ってこと?」
タブレット上のログIDが、またひとつ点灯する。
『噂ログ4502-GOSSIP-03
内容:王太子毒殺(未遂)疑惑
元イベント:EVENT-HEALTH-002「王太子の体調管理提案」
――原仕様:「過剰な甘味摂取の抑制と、毒味役の過剰負担軽減」
――噂形態:「好物を取り上げ、毒味を減らさせた陰謀」』
ここまで来ると、ほとんど反転芸だ。
構造的に正しい提案や現実的な調整が、噂の中で全部『悪役令嬢』の燃料にされている。
「だから、みんな言ってるわ。『あの方はいずれ断罪されるにふさわしい悪徳令嬢だ』って」
「舞踏会で“ざまぁ”されるの、楽しみにしてる子も多いみたいですよ。上級生の中には、『今からドレスを新調する』なんて言ってる人もいますし」
――ざまぁを見物するためにドレスを新調。
俺は思わず、渡り廊下の手すりを握りしめた。
タブレットの画面の片隅で、ナラティヴァの淡々としたサマリーが流れる。
『噂形成イベント群:
・恋愛ライン第4502における「悪徳令嬢」像の醸成を確認。
・噂の内容は、事前に設計された罪状ラベルと高い一致度を示す。
→断罪イベントに向けた読者期待値/ざまぁ期待値の上昇を観測中。』
「……設計段階から悪役化が仕込まれてる、ってわけか」
思わず小声でつぶやく。
元のイベント設計は、「奨学金制度の持続性」「王太子の健康」「礼儀教育」といった現実的なテーマを扱っている。
その表面に、「悪徳令嬢」「庶民いじめ」「毒殺未遂」というラベルを、噂とログが協力して貼り付けていく。
第2781勇者ラインでは、村が燃えるその瞬間まで、誰もミナやエリナを『生贄』とは呼ばなかった。
ここでは、クライマックスが来る前から、悪役令嬢は日常の雑談の中で『断罪されるべき人』として完成されていく。
ナラティヴァからのコメントが、タイミングよく表示された。
『コメント:
噂イベントは、悪役令嬢断罪クライマックスに向けた「感情曲線の事前調整」として有効に機能しています。
現状、セラフィナの社会的評価は十分に低下傾向にあり、舞踏会での断罪時に高いざまぁRSIが期待されます。』
「期待しないでもらえますかね、その“十分”」
ため息まじりに画面を閉じる。
まだセラフィナ本人を、まともに見てもいない。
でも、彼女の周囲の空気とログだけで、すでに『断罪される悪徳令嬢』は完成しつつある。
村焼きで村娘の名前をあとから拾ったときとは、逆の作業になるだろう。
今度は、『悪徳令嬢』というラベルの下に、どれだけ人間としての事情を掘り出せるか。
渡り廊下の向こう側、別の棟のバルコニーに、風に揺れる長い髪が一瞬だけ見えた。
陽光を受けて白金色に光る、そのシルエット。
タブレットが、静かに通知を出す。
『キャラクター検知:セラフィナ=ルーベンス(ID:F-4502-01)』
噂の中の悪徳令嬢。
設計図上の危険域福祉指数。
その本体と、そろそろ正面から向き合う時が来る。
「……まずは、『噂の悪役』じゃないほうの君を見せてもらおうか」
小さくそう呟いて、俺は教務室へと足を向けた。




