第17話 第4502ライン仕様書と数字地獄
第4502ラインの仕様書は、紙で受け取ると分厚いファイル一冊分、データで受け取っても端末のストレージをもりもり食う量だった。
ナラティブ庁・恋愛一三課フロアの片隅。
応援出向二日目の午前、俺は自分にあてがわれたサブデスクで、その仕様書と向き合っていた。
画面に広がるのは、いつもの“物語設計図”だ。
『第4502王都学院恋愛劇ライン 基本仕様』
スクロールすると、主要キャラクターのキャラシートが並ぶ。
『王太子 アラン=フォルティス
年齢:17
属性:王太子/学院生/善性寄り
基本性格:
・「良い王子様」でありたい欲求が強い
・場の空気に流されやすい
・難しい話は後回しにしがち
物語上の役割:
・庶民ヒロインを庇う“白馬の王子”ポジション
・悪役令嬢断罪の主導役』
次に、問題の悪役令嬢。
『公爵令嬢 セラフィナ=ルーベンス
年齢:17
属性:公爵令嬢/学院生/理性寄り
基本性格:
・礼儀と規範を重んじる
・領地経営への関心が高い
・感情より構造を優先しがち
物語上の役割:
・「悪役令嬢」ポジション
・断罪イベントの被断罪者
・読者のざまぁ感情の受け皿』
最後に、庶民ヒロイン。
『庶民奨学生 リナ=エヴァンズ
年齢:16
属性:奨学生/平民出身/感情寄り
基本性格:
・素直で努力家
・他者の痛みに共感しやすい
・空気に敏感で、自分の本音を飲み込みがち
物語上の役割:
・王太子の恋愛対象
・悪役令嬢と対比される“聖女的存在”
・断罪イベントの証言者』
キャラシートだけ見れば、教科書的な三角関係だ。
だが、その下に続く「イベント仕様」を読むと、空気が一変する。
『クライマックスイベント:王立学院舞踏会における公開断罪+婚約破棄+爵位剥奪案(最大値)』
最大値、という言い方からして嫌な予感しかしない。
さらにスクロール。
『イベント構造案:
①舞踏会での王太子&庶民ヒロイン注目ダンス
②悪役令嬢乱入(もしくは「巻き込まれ乱入」)
③王太子による罪状の読み上げ
・ヒロインへのいじめ
・奨学生枠への不当な口出し
・王太子毒殺(未遂)疑惑
④悪役令嬢への公開断罪(群衆による非難)
⑤婚約破棄宣言
⑥爵位剥奪まで視野に入れた審問移行(※現状、剥奪ルート優勢)』
全部盛り、という言葉が頭に浮かぶ。
「……やりすぎでは?」
思わず口に出してしまった。
仕様書は続く。
『推奨演出:
・舞踏会フロア中央での土下座強要(身体的屈辱演出)
・ドレス破損(象徴的“断罪”演出)
・群衆による嘲笑の合唱
・庶民ヒロインの涙、読者ざまぁ感情の最大化』
「土下座強要にドレス破りって……」
もはや断罪というより公開処刑だ。
タブレットの上部に小さく表示された「テンプレ濃度:高」の文字が、今までになく重く見える。
勇者ラインの村焼きですら、あそこまで露骨な『見世物』ではなかった。
仕様書の末尾には、ナラティヴァのコメントが添えられていた。
『読者嗜好ログ分析に基づく提案:
近年の悪役令嬢系ラインにおいて、「土下座」「ドレス破壊」「群衆嘲笑」等の屈辱演出は、瞬間RSIの上昇に寄与する傾向が強い。
本ラインにおいても、上記要素を組み込むことで、クライマックス時点の読者快楽曲線の最大化が期待できる。』
「期待しないでほしいところに限って、期待値が高いんですよねこのシステム」
俺はため息を飲み込み、画面を閉じる代わりに別タブを開いた。
仕様書に続いて、第4502ラインの初期指標が一覧になっている。
◇ ◇ ◇
『第4502ライン 事前指標一覧』
RSI、テンプレ濃度、福祉指数、CCR予測。
数字に変換されると、物語は途端に血の気を失う。
『ざまぁ瞬間RSI予測:0.87(高)
エピローグ時RSI予測:0.59(中)
中長期RSI(ジャンル影響):0.41(やや低)』
クライマックス一点突破で高得点を叩き出し、その反動でジャンル全体を摩耗させる構図が透けて見える。
さらに、その下には登場人物ひとりひとりの福祉指数。
『登場人物福祉指数(事前)
・アラン:0.62
・リナ:0.68
・セラフィナ:0.18(危険域)』
赤字で『危険域』と表示されたセラフィナの数値に、自然と目が吸い寄せられる。
「0.18って……リアムのときより低い」
第2781勇者ラインの第一章事前値は、たしかミナ0.32、エリナ0.27くらいだった。
あの村焼きセットですら、ここまで真っ赤ではなかったのだ。
さらに、端末の隅に小さく「警告:L-13チェック推奨」という表示が点滅している。
L-13――恋愛系の高リスクイベントに使う倫理チェックリストの番号だ。
正式名称は『悪役令嬢断罪イベント倫理チェックリスト(L-13様式)』だったはず。
まだ中身は開かない。
今開いたら、仕様書と数字と倫理チェックがごちゃ混ぜになって脳がショートする。
もう少し、数字だけ見ておこう。
『テンプレ濃度:
・悪役令嬢ラベル使用:有(強)
・庶民ヒロインとの身分差恋愛:有
・公開断罪イベント:有
・婚約破棄イベント:有
・ざまぁ演出(屈辱):有(強)
→総合テンプレ濃度:0.92』
ほぼ純度一〇〇%のテンプレ鉱石だ。
テンプレそのものを否定する気はない。
勇者物語だって、型があるからこそ王道になり得る。
ただ、その型に人間を押し込める時の『力加減』が、このラインは明らかにおかしい。
「……第2781の初期悲劇セットを初めて見たときと、同じ匂いがするな」
数字と仕様書が、じわじわと胃にくる。
悲劇度を下げたら補正悲劇で村娘が死んだあのラインと同じように、ここでもざまぁ度をいじったら、どこかで『補正ざまぁ』が発生するのだろうか。
タブレットの別タブには、まだ開いていない分析用シートが並んでいる。
『ざまぁ効果・副作用評価シート(ZM-02試案)』
『L-13:断罪イベント倫理チェック 素案』
名前だけが、未来の頭痛を予告している。
◇ ◇ ◇
「どうだい、数字地獄の見学は」
後ろから声をかけられて振り返ると、柊さんがコーヒー片手に立っていた。
彼は俺の端末を一瞥し、セラフィナの福祉指数の赤字を見て口笛を吹いた。
「相変わらず分かりやすく真っ赤だね、セラフィナ嬢」
「これ、どこからどう見ても“やりすぎ案件”ですよね?」
「うん。数字だけ見れば『売れる地獄』ってやつだ」
彼は気怠そうに笑う。
「瞬間RSIは高い。ざまぁ欲求もガッツリ満たせる。悪役令嬢ブームの波にも乗ってる。短期的に見れば、編集部もナラティヴァも大喜びだろうね」
「その代わり、中長期RSIが0.41まで落ちてる」
「ジャンル全体の寿命ね」
柊さんは俺のタブレットを指で軽く叩いた。
「ここ二、三年、悪役令嬢モノのざまぁ濃度を上げ続けた結果がこれ。読者は慣れる。次第に『もっと痛く』『もっとひどく』って要求がエスカレートする。 で、こっちは福祉指数と睨めっこしながら、どこでブレーキを踏むか悩む」
「ブレーキを踏むとCCRで叩かれ」
「踏まないと福祉指数が真っ赤なまま、いずれジャンルごと燃え尽きる」
乾いた会話だが、そこには長年このフロアで戦ってきた人間の疲れが滲んでいる。
柊さんは肩をすくめた。
「ま、そんなわけでね。 第4502は、数字の上では“かなりおいしい地獄”に設計されてる。でも、課長が君を引っ張ってきたってことは、『このまま流すとジャンルそのものの寿命が縮む』って判断なんだろうさ」
視線の先では、早乙女課長が別のデスクで誰かと打ち合わせをしていた。
端末には、恋愛ジャンル全体のRSI推移が表示されている。
「ジャンルの寿命って、そんなに大事ですか?」
聞きながら、自分でも意地の悪い質問だと思う。
読者が飽きたなら、新しいテンプレを作ればいい。
そういう発想だってあり得るはずだ。
柊さんは少しだけ目を細めた。
「大事だよ」
意外なほど、即答だった。
「だって、ここにいる連中の給料と、向こうで踊らされてる登場人物たちの行き先が、まとめてかかってるんだから」
「……現実的ですね」
「うちの課長、数字派だからね」
いつの間にか近づいてきていた早乙女課長が会話に加わる。
「ジャンルが燃え尽きると、そのジャンルのラインの多くが“締め”に追い込まれる。その過程で、無理矢理な断罪や無茶なハッピーエンドが量産される。登場人物の福祉は、そこでまとめて切り捨てられることが多いのよ」
そう言って、課長は第4502ラインの指標一覧を一瞥した。
「だから、ここで少しでもテンプレ過多にブレーキをかける。『悪役令嬢=サンドバッグ』という構図を、一度くらい横から突いておく。 それが、恋愛一三課としての延命措置」
延命措置。
ジャンルと登場人物と、ついでに監査官のメンタルと。
俺はもう一度、画面を見下ろした。
瞬間RSI0.87。
中長期RSI0.41。
セラフィナ福祉指数0.18。
第2781勇者ラインの村焼きイベントを前にしたときと、同じ重さの数字だ。
村で一人、名前もないまま死ぬはずだった村娘。
いま目の前には、悪役令嬢というラベルの下に押し込められた公爵令嬢がいる。
「……第2781勇者ラインのときと、同じ匂いがします」
口から漏れた言葉に、自分でも苦笑する。
「数字は違うけどさ」
柊さんが、端末の端を指で弾いた。
「『やりすぎテンプレ+補正何か』っていう意味では、まあ似たようなもんだ」
「その『補正何か』を、どこまで抑えられるか。君の腕の見せ所ってわけ」
早乙女課長の視線は、相変わらず冷静で現実的だ。
「L-13と、あとは……そうね、ZM-02もそろそろ正式運用を始めたい。第4502を、その試金石にするつもり」
「また新しい略語が」
「気にしなくていいわ。どうせすぐ覚えさせられるから」
課長の軽口に、少しだけ肩の力が抜ける。
数字地獄の中で、俺にできることは限られている。
断罪イベントの形式そのものを消すことはできない。
ざまぁをゼロにすることも許されない。
それでも――
「せめて、誰か一人だけが徹底的に踏み潰される結末は避けたいですね」
その言葉に、柊さんが「お、言うじゃん」と笑い、早乙女課長が小さく頷いた。
「期待してるわよ、神崎くん。登場人物の人権にうるさい監査官補の、最初の悪役令嬢案件としては悪くない舞台だと思う」
俺は深く息を吸い込んだ。
数字だらけの画面は、相変わらず冷たい。
でも、その奥には、舞踏会のフロアと、王子と庶民ヒロインと悪役令嬢が立っている。
第2781勇者ラインで、村焼きの炎の中に立っていた三人と同じように。
「……分かりました。売れる地獄の火加減、見てみますよ」
そう呟いて、俺はL-13のタブに指を伸ばした。




