第16話 恋愛物語監査第一三課へようこそ
エレベーターのドアが開いた瞬間、空気の密度が一段違った。
紙とインクと、どこか焦げ臭いようなストレスの匂い。
壁一面のモニターには、色とりどりのハートと割れたハートがリアルタイムで点滅している。
通路の両側に並ぶデスクは、どこもかしこも書類と端末とマグカップで埋まり、椅子の背もたれには毛布がかかっている。
ここが――
「……恋愛物語監査第一三課、か」
部屋の入口に掲げられたプレートには、愛想よくハートマークのロゴがプリントされていた。
だが中身はどう見ても『戦場』だ。
ざぁっと視線を向けると、モニターに映っているログのタイトルが目に飛び込んでくる。
『第4498学園恋愛ライン:破滅の悪徳令嬢と涙の聖女』
『第4499王都婚姻ライン:冷血宰相と身代わり花嫁』
『第4500学院恋愛ライン:断罪の舞踏会とざまぁの夜』
どれもこれも、見出しだけでRSIが稼げそうなテンプレの嵐だ。
その中央で、山のような書類を前に腕を組んでいる女性がいた。
肩までの黒髪をひとつにまとめ、縁の細い眼鏡。
整った顔立ちだが、目の下には薄いクマが浮かんでいる。
「神崎悠斗くんね。勇者一課からの応援さん」
彼女は俺を見るなり、立ち上がりもせずに右手だけ軽く上げた。
「早乙女です。恋愛物語監査第一三課、課長。……まあ、ただの火消し係だと思ってくれていいわ」
「よろしくお願いします。監査官補の神崎です」
「噂は聞いてるわよ。登場人物の人権にうるさい子が来てくれて助かるわ、ってね。うちの子たちが」
助かる、という割に声は若干くたびれている。
その背後のモニターには、赤い文字で『CCR未処理:1087』と表示されていた。
桁を見ただけで頭が痛くなる。
「ただし」
早乙女課長は、机に肘をついて俺をじろりと眺めた。
「こっちも人間だからね。理想だけ振り回されると困るの。君、ざまぁ耐性はどれくらいある?」
「……新人レベルだと思います」
「正直でよろしい」
そこへ、隣のデスクからひょいっと顔を出した男がいた。
茶色がかった髪をラフに結んだ、三十代前半くらい。
着崩したジャケットの下から、古びたスウェットが覗いている。
「柊です。現場監査官。ざまぁログの掃除歴、だいたい八年」
「八年……」
「うちに来たからにはさ」
柊さんは、机の上のファイルをぽんぽん叩いた。
「ざまぁの一つや二つは割り切れるようになってもらわないと。『悪役可哀想』だけ言ってたら、CCRの方が先に君を殺しにくる」
「物騒な比喩ですね」
「事実だからねえ」
苦笑するしかなかった。
◇ ◇ ◇
「さて、応援要請の本音の話をしときましょうか」
空いていた椅子に腰を下ろすと、早乙女課長は端末をタップし、一本のグラフを俺のタブレットに飛ばしてきた。
画面には、ここ数年の恋愛ジャンル全体のログが表示されている。
『悪役令嬢』『悪徳令嬢』『逆転断罪』『ざまぁ』のタグ数は右肩上がり。
対して『ほのぼの恋愛』『すれ違い純愛』のタグは、なだらかに頭打ち。
「ざっと三年。悪役令嬢テンプレの出現頻度は三十パーセント増。ざまぁ系の瞬間RSIは悪くない。むしろ好調」
「でも、中長期RSIは……」
「頭打ち。読者層の『慣れ』が出てきてる。なのに現場では、『もっとスカッと』『もっと断罪を』『まだ甘い』ってCCRが飛んでくる」
早乙女課長は、タブレットをくるりと回転させ、別の数値を見せた。
『ざまぁ系ラインCCR内訳
・「気持ちいい/最高」31%
・「胸が悪い/やりすぎ」29%
・「もっとやれ/生ぬるい」22%
・その他18%』
「『ひどすぎる』って怒られるし、『優しすぎる』って怒られる。こっちも胃が痛いのよ」
「……地獄ですね」
「地獄よ。しかも年末」
課長は肩をすくめる。
「年末進行で、エピローグを一挙放出するラインも多い。結婚・断罪・婚約破棄がごった煮になって、その分だけ監査対象イベントも増える。そこへ悪役令嬢ブーム。……人手なんて足りるわけがない」
確かに、フロアのあちこちで「年内にここまで終わらせろってマジ?」「このCCR、誰が対応タグ付けしたの」などという悲鳴が飛んでいる。
「CCRの中身も、数字以上に扱いづらくてね」
端末に別の画面が表示される。
『CCRサンプル:
・「ヒロインの扱いがひどすぎて読んでて吐きそうになりました」
・「悪役令嬢が救われないなんてありえません。あれは作者が女を憎んでいるとしか」
・「ざまぁが足りない。もっと徹底的にやるべき。中途半端でスッキリしません」』
文字を見ているだけで、背中に冷や汗がにじむ。
「登場人物福祉指数を上げようとすると、『胸糞』『ざまぁ不足』で叩かれる。ざまぁ濃度を上げすぎると、『人権どこ行った』『胸が悪い』で叩かれる。結果、CCR対応班も死にかける」
早乙女課長がこめかみを押さえた。
「だから、登場人物の人権にうるさい君に来てもらった。……と言いたいところだけど、本音を言えば、うちは『テンプレ過多でジャンル寿命が縮みそうだから誰か頭を冷やしてくれ』って状況なのよ」
「ジャンル寿命、ですか」
「ええ」
課長は短く息を吐いた。
「ざまぁ系って、ある程度の痛みと達成感がセットでしょ。でも、それを毎回最大濃度でやってたら、いずれ読者の感覚が麻痺して、そのジャンル自体に飽きが来る。そうなったら、このフロアごと片付けられるわ」
「リアルな話ですね」
「物語はいつだってリアルよ」
その隣で、柊さんが書類を積み直しながら口を挟む。
「で、もう一個の本音は?」
「……はいはい」
早乙女課長はこほんと咳払いをした。
「もう一個の本音は、CCRの中でも『悪役令嬢が救われない』系がここ最近急増してること。率直に言うと、ゴネ案件だけど無視できないやつね」
別の一覧が表示される。
『CCRカテゴリ:悪役令嬢救済要求
・「どうしていつも悪役令嬢ばかり酷い目にあうのですか?」
・「ヒロインは結局全部許されて、悪役だけ罰を受けるのはおかしいと思います」
・「悪役令嬢にも事情があるはずなのに、テンプレだからって潰しすぎでは?」』
「……分かる気はします」
「でしょ?」
早乙女課長は苦笑した。
「正直、私だって若い頃はそう思ってたわよ。全部救ってやりたいってね。で、その結果RSIを大幅に落としてボコボコにされた案件がある」
雨宮先輩と同じ失敗歴が、ここにもあるらしい。
俺は、タブレットの隅に表示された数字に目を走らせた。
『恋愛一三課CCR未処理:1087』
『うち悪役令嬢関連:433』
数字の大きさに、喉がひゅっと鳴る。
村娘一人の死にすら、あれだけ引きずられたのに。
今度は何百という『ざまぁ』と『救済希望』がぶつかり合っている現場だ。
――第2781みたいな補正悲劇が、恋愛側ではどういう形で出るんだろう。
勇者の世界では、悲劇度を下げた分だけ別の誰かが死んだ。
ここでは、断罪の痛みを下げた分だけ、別の誰かがスケープゴートにされるのか。
胸の奥が、じわりと冷たくなる。
◇ ◇ ◇
「それでだ、神崎くん」
書類の山を一通り説明し終えたところで、早乙女課長が本題を切り出した。
「応援と言いつつ、君には一つ、具体的なラインをお願いしたい」
「……具体的なライン?」
「うん。これ」
課長はデスク端のフォルダを開き、一番上のファイルをつまんでこちらに差し出した。
タイトルには、こう書かれている。
『第4502王都学院恋愛劇ライン
〜断罪の舞踏会と薄紅の王妃候補〜』
副題が、既視感のあるキーワードで埋まっていた。
『タグ:悪役令嬢/ざまぁ/公開断罪/婚約破棄/学院』
「学院もの、ですか」
「ええ。王太子と庶民ヒロインと、悪役令嬢の三角関係。断罪舞踏会付き。……要するに、テンプレ盛り合わせセットね」
課長は端末を操作し、第4502ラインのサマリーをモニターに映した。
『第4502ライン:主要キャラクター
・王太子アラン=フォルティス
・公爵令嬢セラフィナ=ルーベンス
・庶民奨学生リナ=エヴァンズ
クライマックスイベント:王立学院舞踏会での公開断罪+婚約破棄』
「このライン、ざまぁ瞬間RSIは高い予測が出てる。でもね――」
別のグラフが横にスライドした。
『予測指標:
・瞬間RSI:0.87(高)
・エピローグRSI:0.59(中)
・中長期RSI(ジャンル影響):0.41(やや低)
・登場人物福祉指数(事前):
アラン:0.62
リナ:0.68
セラフィナ:0.18(危険域)』
「悪役令嬢の福祉指数が真っ赤。ざまぁも盛りすぎ。だけど、ナラティヴァの評価としては『読者ウケ良好予測』」
早乙女課長は、そこでようやく真っ直ぐこちらを見た。
「そこで、登場人物の人権にうるさい君の出番ってわけ」
「……俺一人でどうにかなる話じゃなさそうですけど」
「もちろん一人に押し付けるつもりはないわ。主担当の枠に君の名前を正式に載せる、ってだけ」
彼女はモニター右上の欄を指さした。
『担当監査官:恋愛一三課 柊
担当監査官補:勇者一課 神崎悠斗(応援出向)』
「応援、という名の実質アサインですか」
「世の中、大体そういうものよ」
早乙女課長は、さらりと言う。
「勇者一課の雨宮さんからも了解は取ってある。第2781勇者ラインは今、大きなイベント待ちの継続観測でしょ? 次の章が動き出したら戻っていい。その間、こっちで一仕事してもらう」
タブレットを開くと、確かに第2781のステータス欄には『第2章イベント準備中/監査要員:一時離席可』と表示されていた。
自分で書き込んだメモ――『学院編開幕時に優先復帰希望』――も残っている。
リアムのラインは、今は静かに次の山場を待っている。
その間、俺は別の地獄の火加減を見に行くことになるらしい。
「やりますか? やらないですか?」
早乙女課長の問いは、あくまで事務的だった。
でも、その奥に、ほんのわずかに期待と諦めが混ざっているのが分かる。
ざまぁを減らせばCCRで叩かれ、
ざまぁを増やせば福祉指数が真っ赤になる。
その中で、『ちょっとマシな失敗』を目指す仕事。
「……第2781で、補正悲劇を一人分までは抑えたつもりなんですが」
自分でも意外な言葉が口から出た。
「恋愛側でも、どこまで抑えられるか、試してみたいです」
早乙女課長の口元が、わずかに緩む。
「いい返事ね。じゃあ、恋愛一三課へようこそ、神崎くん」
柊さんが、隣のデスクから紙コップを差し出してきた。
「歓迎のインスタントコーヒー。徹夜用」
「今から徹夜前提ですか」
「年末だからねえ」
紙コップを受け取りながら、俺は第4502のタイトルをもう一度見た。
王都学院、悪役令嬢、公開断罪。
テンプレの渦の中で、何人分のざまぁと何人分の救済がぶつかり合うのか。
タブレットの端には、小さく『第4502ライン:監査準備モード』と点灯している。
勇者リアムのラインが学院に辿り着く頃――
ここでの経験が、少しは役に立つと信じたい。
俺は深く息を吸い込んだ。
「……お世話になります。恋愛一三課」
ざまぁ地獄のフロアで、新しい仕事が始まった。
◆あとがき◆
第二章に入りました。今度の舞台は「恋愛物語監査第一三課」、ジャンルはおなじみ(?)悪役令嬢&ざまぁラインです。
ざまぁテンプレの裏側で、どこまで登場人物の福祉を守れるのか。
神崎の胃とメンタルがどこまで持つのか。
そのあたりを楽しんで(?)いただければ。
「続き読んでもいいかな」と思っていただけたら、リアクションや★、ブックマーク、感想を投げていただけると、作者とナラティブ庁の福祉指数がほんのり上がります。
第二章もよろしくお願いいたします。




