第14話 村娘の名前は、まだ空欄
「――で、これが第2781号ね」
雨宮先輩は、俺の端末から送られた監査報告書を、ホロスクリーンに投影していた。
監査課フロアの一角。窓際の、いつもコーヒーの匂いがする島。
雨宮先輩のデスクの上には、紙の書類と電子端末と、なぜか観葉植物が雑に同居している。『物語の最前線』と言うより、『繁忙期の会計事務所』のほうが近い。
その真ん中で、先輩は脚を組んで画面を見上げていた。
「RSI微増、悲劇度三〜四割カット、NITも問題なし。はい、数字だけ見れば上出来」
ぱちん、と指を鳴らす。
俺は向かいの椅子で、妙に居心地の悪い背筋の伸び方をしていた。
「……そうですね。数字だけ見れば」
「『だけ』を繰り返すあたり、だいぶこじらせて戻ってきたって感じだね、神崎くん」
さらっと痛いところを突いてくる。
さすが監査課の先輩。人の心のBSとPLまで見透かすのが早い。
◇ ◇ ◇
「まずはちゃんと褒めておくけどね」
雨宮先輩は、ホロスクリーンを指先でスクロールしながら言った。
「初動でここまで被害を抑えたのは普通にすごいよ。初案件で幼馴染死亡イベントを死亡→行方不明に差し替えて、村全体の火災範囲も削った。これ、やりようによっては『勇者ラインの優良事例』として講習会で配られるレベル」
「講習会で配られても、正直あんまり嬉しくないですけど」
「うん、そう言うと思った」
先輩はくすっと笑って、別の欄を表示する。
「ほら、ここ。『悲劇度0.65〜0.70』。元の仕様から三割オフくらい」
「スーパーの閉店セールみたいに言わないでください」
「三割引きって結構頑張ったほうなんだよ? 元の仕様書書いた連中は、どうせ『幼馴染は死んでナンボ』くらいに思ってたんだから」
それは……否定できない。
仕様書の『イベント004:幼馴染死亡』欄には、やたらと情緒的な脚注まで添えられていた。
『※ここでの喪失体験が、後の勇者の成長を大きく規定するため、死亡は必須とする』
必須とする、じゃねえよ。
「だからさ」雨宮先輩は、肩をすくめた。「あの仕様からここまで削って、RSIも落としてないってこと自体は、ちゃんと評価されるべきなの」
「……それは分かってます。頭では」
「うん、頭ではね」
先輩は、報告書の『【5】倫理的評価』の欄を指さした。
「で、心のほうはだいぶ大暴れしてる感じが、このへんからにじみ出てる」
「……すみません。少し主観入りすぎましたか」
「いいんだよ、あそこはそういう欄なんだから。むしろ書かないほうが気持ち悪い」
そう言いながら、先輩は声に出して読み上げる。
「『誰がどういう経緯で死んだかを把握しきれていないまま抱える罪悪感』……ふむ。かなり真正面から書いたねえ」
「回りくどく誤魔化すと、自分で読んだとき余計に吐きそうになるので」
「正直でよろしい」
ぱん、と手を叩く音がした。
それから、少しだけ表情を和らげる。
「ねえ神崎くん。まず大前提として――全員は救えない。『全員を救えない前提で、どこまであがくかが人間の仕事』ってこと」
どこまであがくか。
村焼きの夜、崖の上で火球の落下位置をいじった自分の指先が、ふと蘇る。
「……あがいた結果が、村娘一人死亡、ですけどね」
「うん」
先輩はあっさりと頷いた。
否定もしないし、美談にも仕立てない。
「でも、あれがなかったら、幼馴染は死んでた」
喉が詰まる。
論理としては、その通りだ。
俺が火球の軌道をいじらなければ、崖道にいたミナと子どもは直撃で焼かれていた。
「それに、たぶん村の被害ももう少し増えてた。悲劇度一・〇ラインって、そういう設計だし」
「……分かってます」
「分かってない顔してる」
「分かったうえで納得してない顔ですね」
「ややこしいなあ、君」
けれど先輩の声には、呆れと一緒に、どこか安心したような響きも混じっていた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ逆に聞くけどさ」
雨宮先輩は、ホロスクリーンを一度閉じ、椅子の背にもたれた。
「神崎くんは、あの夜どうなってたら納得できたの?」
「どう、って……」
「例えばよ。仮に奇跡が起きて、村も無傷、ミナも無傷、村娘も全員生存、リアムも元気……みたいな『誰も死にませんでしたエンド』だったら、君はスッキリした?」
少し考えて、首を傾げる。
……たぶん、しない。
そういう展開は、どこかで『茶番』になる。
誰も傷つかない物語なんて、机の上の企画書としては心地いいけど、実際に走らせたとき、きっとRSIは落ちる。
「……しないと思います」
「でしょ?」
雨宮先輩は、得意げに指を立てる。
「実際、過去にそういうラインもあったんだよ。『誰も死なない勇者物語』。で、読者の反応はどうだったかっていうと、『ぬるい』『緊張感がない』『茶番』のオンパレード。最終的には『この世界線は打ち切りでいいや』って判断された」
先輩は楽しそうに笑う。
「君は『誰も死なない世界はリアルじゃない』ってことも分かってるし、『だからといって、読者が喜ぶからって簡単に殺すのも嫌だ』ってところにもいるわけ」
「欲張りですね」
「そう。めちゃくちゃ欲張りな立ち位置。で、それは監査官としては結構しんどいポジション」
そう言ってから、先輩はコーヒーを一口飲んだ。
「多分ね、神崎くんは、こういう仕事にはあんまり向いてない」
さらっと、とんでもないことを言われた。
「……はっきり言いますね」
「褒めてるんだよ?」
「どこがですか」
「だって、この仕事に『ちょうどよく向いてる人』って、大体どこかが鈍いから」
先輩は、自分の胸を指差した。
「例えば私とか」
「いや、先輩は別に鈍くは……」
「いやいや、鈍いよ。数字見て『お、これいい感じじゃん』って普通にテンション上がるもん。村娘一人死亡って書いてあっても、『一人で済んだなら上出来』ってすぐ切り替えられる」
言い方は軽いけれど、目は冗談じゃない。
「もちろん、何人も見送ってきたからこその慣れもある。『全員は救えない』って前提を、自分の中で何回も飲み込んできた結果ね」
それでも、と先輩は続ける。
「だからって、『死んだ分だけ物語が美しくなる』なんて、本気で信じてるわけじゃないよ」
「さっき報告書に、『読者がいい話だったと思ってくれるなら、その死は一定の意味を持つ』って書いてませんでした?」
「あーそこね」
先輩はホロスクリーンをもう一度開き、自分のコメント欄を引っ張り出した。
「これはね、『価値観』というより『職業病』なんだよ」
「職業病」
「この世界の物語ってさ、大体『死』に何かしらの意味を乗せたがるでしょ。犠牲だの、贖いだの、成長の糧だの」
「まあ、そうですね」
「そういう『意味付け』を全部否定しちゃうと、物語そのものが立たなくなるラインも多いわけ」
先輩は指で、幾本もの世界線のイメージを空中に描いた。
「だから私たちは、『その死にどんな意味が乗っかるか』を完全に拒絶することはできない。だってそれを全部否定したら、ほとんどの勇者物語は『ただの不幸な事故集』になっちゃうから」
「……それは、さすがに読みたくないですね」
「でしょ? だから私は、『読者がいい話だったと思ってくれるなら、その死は一定の意味を持つ』ってラインに、仕方なく立ってるの」
そこで、先輩はふっと視線を逸らした。
「でもね」
声色が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「だからといって、『意味があったから死んでよかった』なんて、一度も思ったことはないよ」
その一言に、胸の奥のどこかが少しだけほどけた。
「死んだほうが物語的には美しい、とかね。そういうのは、プロの編集が閉じた会議室でこっそり言うぶんにはまだ許すけど、少なくとも現場で死んでいく連中の前で言うセリフじゃない」
「現場で死んでいく連中って言い方もまあまあですけどね」
「モブも含めてね」
先輩はくすっと笑う。
「だから君の『意味があったから死んでいいんですか』って反発は、正しいよ。大事に持っておきな」
◇ ◇ ◇
「……でも、持ってるとしんどいです」
気づけば、口から本音が漏れていた。
「村娘が一人死んだことも、ミナが行方不明のままなことも、リアムが墓の前で『燃料にしたくない』って言ったことも、全部頭の中でぐるぐるしてて。数字見て『成功』って言われても、全然そう思えない」
「うん。しんどいよね」
即答だった。
慰めでも、空虚な共感でもなく、ただ事実として。
「だからさっき言ったんだよ。『多分君はこういう仕事に向いてない』って」
「……やっぱり褒めてない気がしてきた」
「いや、褒めてる褒めてる」
先輩は笑いながら、指を二本立てる。
「一つ目。君のそういう感覚は、監査課にとって貴重なブレーキになる。数字だけ見て『はいOK』って言う人間ばかりだと、そのうち本当に、『死の数値最適化マシーン』みたいになるからね、この部署」
「すでにだいぶなってる気もしますが」
「だからこそ、だよ」
指が一本折れる。
「二つ目。君自身にとっても、そのモヤモヤは武器になる。『死を燃料にしたくない』って勇者の言葉が胸に刺さる監査官は、そう多くない。大半は、『いいセリフだな〜RSI上がりそう』くらいで流すから」
「……先輩もですか」
「私はもうちょいマシだと思いたいけど、どうだろうねえ」
冗談めかして肩をすくめた後、少し真面目な顔になる。
「だからね、神崎くん。君は多分、この仕事に『ちょうどよく』は向いてない。でも、『ちょうどよくない』人間が一人は現場にいたほうが、物語のバランスは良くなる」
「皮肉ですね」
「ナラティブ庁って、大体そういう矛盾でできてる組織だから」
◇ ◇ ◇
少しの沈黙。
ホロスクリーンでは、報告書第2781号の最後のページ――CCRの苦情メモの行が映し出されている。
『あの子がそこにいたことだけは、残しておいてほしい』。
村娘の母親の文字が、仮想紙面の上で静かに光っていた。
「……あの苦情、どう処理されますか」
俺が尋ねると、先輩は肩を回しながら答えた。
「形式的には、『遺族からの申立てとして受付、ライン継続観察』って感じかな。ナラティヴァがどこまで拾ってくれるかは分かんないけど」
「じゃあ、あの子は――」
「少なくとも君が監査してるあいだは、『村娘C』じゃなくてちゃんと名前を持って扱えばいい」
先輩はきっぱりと言った。
「墓にだって名前が刻まれる。リアムも、多分忘れない。監査報告書にも、CCRにも、君のメモにも残る。物語ってさ、そういう『忘れない』を積み上げていく仕事でもあるんだよ」
少しだけ、その言葉に救われる。
「……先輩は、最初の案件のときもこんな感じだったんですか」
「私?」
意外そうに目を瞬かせてから、ふっと笑った。
「私はね、最初の案件では一人も死なせられなかった」
「え?」
「全部ギリギリで救っちゃってさ。RSIはガタ落ち、上司には『君、物語理解してる?』って真顔で怒られるし、登場人物もどこかふわふわしてて、『何も起きなかったね』って感じで終わった」
そんな雨宮先輩は、今の姿からは想像がつかない。
「そこからだよ。『全部救うのもダメだし、全部殺すのもダメ』って感覚を、自分の中で調整し始めたのは」
先輩は、俺の端末を指で軽く弾いて言った。
「だから、神崎くんが今感じてるものは、多分すごくまっとう。しんどいけどね。でも、それを一回も通過しないでここにいる人間のほうが、私はちょっと怖い」
その言い方は、不思議と嫌味じゃなかった。
むしろ、「ようこそこちら側へ」とでも言われているような、そんな感覚だった。
◇ ◇ ◇
「……じゃあ、俺はこれからどうすればいいですか」
気づけば、自分からそう尋ねていた。
「この感覚を抱えたまま、数字も見て、仕様書も読んで、次の案件にも入って……って、正直やっていける自信はあまりないんですけど」
「簡単だよ」
雨宮先輩はあっさりと言う。
「全部続けてやりなさい」
「簡単じゃないですね?」
「簡単じゃないよ。でも、君はそれをやらないと多分納得しないタイプでしょ」
図星だった。
「数字を見て、『成功』と判定することも覚える。仕様書を読んで、『ここは本気で殴ってでも変えるべき』ってところと、『ここは飲み込むしかない』ってところを分ける。現場に降りて、勇者やモブの顔をちゃんと見る」
先輩は、それを『当たり前のルーチン』みたいな声で言う。
「そのうえで、『死を燃料にしたくない』って勇者の言葉を忘れない。村娘の墓を忘れない。CCRの一行を忘れない。それでバランス取っていくしかない」
「……器用じゃないですね、ナラティブ庁」
「不器用なほうが物語は長持ちするのよ」
そう言って笑う先輩の顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
◇ ◇ ◇
席を立とうとしたとき、雨宮先輩がふいに言った。
「それともうひとつ」
「はい?」
「さっきも言ったけどさ」
先輩はホロスクリーンの第2781号を指しながら、いたずらっぽく目を細めた。
「私、君には期待してるからね」
「……どのあたりにですか」
「さあ?」
先輩はわざとらしく首を傾げる。
「『数字をちゃんと見たうえで、最後の最後にちゃんと迷う監査官』って、貴重だから。それがこのラインをどこまでねじ曲げてくれるのか、楽しみにしてる」
「ねじ曲げる前提なんですか」
「監査官って、そういう仕事でしょ?」
からかうような笑み。
それでも、その奥に、ほんの少しだけ本気の色が混じっているのが分かった。
俺は苦笑しながら、デスクに軽く頭を下げた。
「……了解しました。とりあえず、もう少しだけ粘ってみます」
「うん、その調子。そのうち、『あ、俺、案外この仕事好きかもしれない』って思う瞬間が来るよ」
「来ますかね」
「来なかったら、そのときはそのとき。また別の物語に転職すればいい」
ナラティブ庁の先輩として言っているのか、それともどこかで人事の姉ちゃんをやっていたのか分からないセリフだ。
でも、少なくとも――
『ここで悩んでいてもいい』と言ってもらえたことだけは、素直にありがたかった。
俺は端末を胸ポケットに戻し、再び第2781勇者物語ラインのログを開く。
ミナのステータスは、まだ『行方不明』のまま。
リアムは、村娘の墓に花を供え続けている。
村娘の名前は、まだ空欄。
――全員は救えない。
それでも、どこまであがくかは、まだ自分で決められる。
そんな当たり前のことを、ようやく噛みしめながら、俺は次の画面へとスクロールした。




