第13話 物語倫理監査報告書(第27号様式)
ナラティブ庁に戻って最初にしたのは、椅子に沈み込むことでも、シャワーを浴びることでもなかった。
端末を立ち上げて、『様式一覧』を開くことだった。
画面に、味気ない書類名が縦に並ぶ。
『第12号様式:物語ライン新規起案届』
『第19号様式:イベント強度変更申請書』
『第27号様式:物語倫理監査報告書』
『第31号様式:読者苦情対応記録』
……
目的のものをタップする。
『第27号様式:物語倫理監査報告書』
画面が切り替わり、罫線だらけのフォームが展開された。
第2781勇者物語ライン――アルシオ村のあの一夜について、『公式の言葉』でまとめなきゃならない。
村を半壊させて、ミナを崖から落として行方不明にして、村娘をひとり死なせた案件を。
◇ ◇ ◇
カーソルを一番上の欄に合わせる。
『【1】案件基本情報』
タイピングの手を動かす。
■物語倫理監査報告書(第27号様式)
【案件番号】 NIT-2781-Y
【ライン名称】 第2781勇者物語ライン
【監査区分】 定例/初期悲劇パート監査(第1章相当)
【担当部署】 勇者物語監査第一課
【担当監査官】 監査官補 神崎 悠斗
自分の名前を打ったところで、指が一瞬止まる。
――『監査官補』。
「補」が付いているあいだはまだ見習いのはずなのに、現場でやったことの重さは、見習い扱いしてくれない。
深呼吸して、次の欄へ進む。
『【2】監査対象期間および主なイベント』
あの地獄の一晩を、「イベント」というラベルで整頓していく。
【対象期間】
暦日換算:X月X日 夜〜翌早朝
システム換算:イベントID003〜005実行期間
【主なイベント】
・イベント003「村焼き」
・イベント004「幼馴染死亡」(改変後:「幼馴染行方不明」)
・イベント005「勇者の罪悪感と誓い」(自動タグ付け)
墓の前でリアムと話したあの夜も、もう「イベント005」として棚に載せられている。
ほんの少しだけ笑いそうになって、やめた。
◇ ◇ ◇
次は、『【3】改変内容の概要』。
ここには、俺がどこをどういじったのか、淡々と列挙しないといけない。
タブレットから原仕様を呼び出し、スクロールする。
【改変前の仕様(抜粋)】
・イベント003「村焼き」において、村全域の約70〜80%を焼失
・イベント004として「幼馴染死亡」を発火
→勇者の闇堕ち一歩手前フラグ/以降の成長イベントの起点
・死亡者想定:幼馴染を含む複数名
【改変後の実績(抜粋)】
・村焼きの被害範囲を約40%まで抑制(全焼3軒/半焼数軒)
・イベント004を「幼馴染行方不明」に差し替え
→崖崩落に巻き込まれる形で転落/生死不明として処理
・死亡者を「村娘1名」に限定(※氏名未登録/後日補記予定)
・勇者の闇堕ちは回避しつつ、罪悪感・誓いイベントを発生
『崖崩落に巻き込まれる形で転落』。
ミナの死亡フラグを折る代わりに、崖を落とした。
崖が落ちたせいで、別の誰かが死んだ。
「村娘1名」という表現を打ったとき、心臓が一瞬だけ変な音を立てた。
◇ ◇ ◇
画面の下半分には、『【4】定量指標に関する評価』という欄がある。
ここから先は、「数字」のターンだ。
RSI(読者満足度指標)、悲劇度、NIT(物語整合性閾値)。
タブレットと同期すると、グラフと数値が自動で埋まっていく。
【RSI(読者満足度指標)】
・改変前シミュレーション値:0.74
・改変後実績値 :0.76
→差分:+0.02(有意な上昇はないが、低下もしていない)
【悲劇度(原型ライン比)】
・原型ライン悲劇度 :1.00(基準点)
・本ライン実績悲劇度:0.65〜0.70(推計)
→約30〜35%の悲劇削減
【NIT(物語整合性閾値)】
・改変に伴う整合性揺らぎ:許容範囲内
・主要フラグ(勇者成長/喪失体験/罪悪感)は維持
綺麗な数字だ。
悲劇を三割ほど削って、物語のうねりはそのまま。
読者満足度も、わずかにプラス。
ナラティヴァがニヤつきそうなグラフである。
【定量評価に関する所見】
本件改変は、①悲劇の総量を削減しつつ、②勇者側の感情起伏(喪失・罪悪感・誓い)を維持し、③RSIを低下させないという観点からは、『数字上は成功』と判断される。
特に、幼馴染キャラクターを死亡させず行方不明に留めたことにより、今後の中長期的な再会イベント等の余地を残した点は、読者の期待維持にも寄与すると考えられる。
『数字上は』。
この四文字を、わざわざ入れた。
入れないと、たぶんどこかで自分が壊れる。
◇ ◇ ◇
最後の欄が、『【5】倫理的評価および特記事項』。
ここは、いわば「モヤモヤを書く欄」だ。
フォームの説明には、『※主観・感情を含めて構わない』と書いてある。ありがたい。
でも、だからこそ書きづらい。
しばらく画面を見つめてから、ゆっくりと指を動かし始める。
【倫理的評価】
本件改変により、幼馴染キャラクター(ミナ・ホルン)の死亡は回避され、代わりに『行方不明』として処理された。
また、村全体としての死者数も、当初想定より削減されている。
その意味で、「誰も救えなかった」という結果は回避されている。
一方で、補正悲劇として記録された村娘C(氏名未登録)の死亡は、監査官補による火球軌道調整・崖崩落誘発がなければ発生しなかった可能性が高い。
当該村娘は崖付近で避難が遅れ、崩落に巻き込まれる形で死亡した。
自然災害的な見え方をしているが、原因をさかのぼれば、
幼馴染死亡回避のための改変の副作用である。
本ラインの登場人物にとって、彼女の死は「勇者と幼馴染を守るための行動がなければ起きなかった」と解釈されつつあるが、システムログ上は『崖崩落に巻き込まれた村娘』として一行で処理されている。
監査官補自身も、当初は当該村娘の名を知らないまま、
「死亡者1名」として扱っていた。
このことは、「悲劇度の削減」という数字と「誰がどういう経緯で死んだかを把握しきれていないまま抱える罪悪感」とのギャップを生んでおり、監査官補は、当該ギャップを十分に処理しきれていない。
【特記事項】
勇者本人は、当該村娘の死を「自分が守れなかったせいだ」と認識している一方で、彼女の死を「自らの成長の燃料」として扱うことに強い拒否感を示している。
夜間の墓前での会話において、勇者は次のように発言した。
「死んだ人を、物語の燃料にするのは嫌だ」
この発言は、本ラインの今後の倫理的方向性に影響を及ぼす可能性があるため、継続観察が必要である。
最後の一行を打ち終えたところで、システムが自動でタイムスタンプを入れる。
『【記入日時】 XX年X月X日/記入者:神崎』
報告書の右上に、小さなアイコンが灯った。
『保存/提出』
それをタップすると、「本当に提出しますか?」という確認ポップアップが出る。
はい/いいえ。
この「はい」を押した瞬間、第2781ライン・初期悲劇パートは正式に『神崎悠斗の監査案件』として登録される。
躊躇いが喉に引っかかる。
それでも、押す。
画面が一瞬白くなり、すぐに戻る。
『提出完了
→上席監査官によるレビュー待ち』
これで、書類の上では仕事がひとつ終わった。
書類の上では、だけど。
◇ ◇ ◇
端末を閉じようとして、画面右上の赤いバッジに気づいた。
『CCR:苦情・申立て登録システム
新規インシデント:1件』
CCR。
Complaint & Claim Registry――苦情・申立ての登録システム。
読者からの「こんな展開は嫌だ」も、
登場人物からの「こんな扱いは納得いかない」も、
神様からの「このライン、信徒の扱いが悪くない?」も、
全部ここに集約される。
今回のラインにも、一件来たらしい。
嫌な予感しかしない。
アイコンをタップすると、一覧に新しい行が増えていた。
【CCR-2781-01】
発信者:アルシオ村在住/村娘Cの母
区分:遺族からの苦情
ステータス:受付済/回答待ち
行を開く。
表示された本文は、意外なほど短かった。
「うちの子は、どうして死ななければならなかったのでしょうか。あの子は、ただ井戸端でみんなと笑っていただけで、勇者でも、選ばれた人でもありませんでした。それでも、崖の近くで避難が遅れて、崩れた土にのまれたと聞きました。それが本当なら、どうかそれを、物語の中で忘れないでください。あの子の死に『意味があった』かどうかではなく、あの子がそこにいたことだけは、残しておいてほしいのです。」
胸のあたりが、ずきりと痛んだ。
「どうして死ななければならなかったのでしょうか」。
それに対する『システム上の答え』は、既にログに書かれている。
『幼馴染死亡イベント改変に伴う悲劇度補正の発現地点』。
そんなもの、まともな日本語に翻訳できる気がしない。
そして最後の一文。
『死に意味があったかどうかではなく、そこにいたことだけは残してほしい』。
墓前でリアムが言った「燃料にはしたくない」「ただ覚えていたい」という言葉と、きれいに重なった。
死に意味を付けたいんじゃない。
『意味』として消費されたくないだけだ。
存在したという事実を、どこかに残したいだけだ。
CCR画面の右下に、「担当者メモを追加」というボタンがある。
指が、勝手にそこを押していた。
【担当者メモ(内部用)】
本苦情は、「死の意味付け」ではなく「存在の記憶」を求めるもの。
第2781ラインにおいて、村娘Cの氏名・行動ログ(崖付近での避難遅延と崩落巻き込まれ)を、可能な範囲で物語上に反映させることを検討したい。
監査官補個人としても、当該キャラクターを『補正悲劇』という用語のみで処理しないことをここに誓う。
青臭い、と自分でも思う。
監査課のベテランが見たら、「情緒的すぎるな」とコメントされるかもしれない。
それでも、書かずにはいられなかった。
第2781号監査報告書は、数字の上では『成功案件』だ。
悲劇は減り、RSIは微増し、物語は予定通り次の章へと進んでいく。
だが、CCR-2781-01に書かれた数行のテキストは、そのどれよりも重く感じられた。
端末を閉じる。
ナラティブ庁の蛍光灯の白さが、デスクの上に落ちている。
椅子にもたれかかりながら、天井をぼんやりと見上げた。
――俺が救ったつもりで殺した人間が、この世界線のどこかに何人いるんだろう。
そんな問いが、胸の奥で静かに形を取り始めていた。




