第12話 燃料にしたくない死
村娘の遺体は、夕方になる前に埋葬されることになった。
村の東側――まだ煙の残る焼け跡から少し外れた、小さな丘の上。元々は家畜の見張り台があった場所らしい。
そこに新しく掘られた土の穴を、リアムが黙々と広げていた。
鍛冶場で鍛えた腕が、スコップを振るたび震えている。
疲労で、ではない。
罪悪感で、だ。
◇ ◇ ◇
「……俺が、もっと早く動けてたら」
土を運ぶリアムの背中から、ぽつりと零れた。
周りには、村長と何人かの男衆。皆、無言で手を動かしている。
雑貨屋アバターの俺は、「人手が足りないだろう」という理由で、穴の端を均す役を買って出ていた。
タブレットは、上着の内ポケットで薄く震え続けている。
『死亡者:1名(村娘C)
負傷者:多数
ミナ・ホルン:行方不明ステータス継続』
数字は、何も慰めてくれない。
「リアム」
村長が、静かに口を開いた。
「お前のせいではない。」
「でも、俺が……」
リアムはスコップを握りしめたまま、視線を落とす。
「あの時、もっとミナと子どもを早く安全な場所まで連れていけてたら、崖の近くにきっとあの子はいなかった。俺が半端に迷って、あの場で足を止めたから……」
崖の縁で、伸ばした手が届かなかった感触は、まだ彼の掌に残っているだろう。
俺だって、脳裏に焼き付いている。
タブレットのログには、「村娘C、崩落に巻き込まれ致命傷」と冷静に記録されているが――
リアムの中では、それは『自分が守れなかった一人』でしかない。
「……きっとあの子は最後まで笑っていたよ」
村長が、穴の底を見つめながらぽつりと言った。
俺は、何も言えない。
『現場での励まし方』なんてマニュアルは、監査課の研修で習っていない。
代わりに、タブレットの片隅に浮かんでいる文字列だけが目に入る。
『補正悲劇:
主要キャラクター死亡回避に伴う悲劇度補正
→本ラインでは村娘C死亡として発現』
――この一行のために、誰か一人の人生が丸ごと丸められている。
穴が十分な深さになったところで、女たちが白い布をかけた遺体を運んできた。
顔は見えない。
だけど、布の端から少しだけ覗いた三つ編みの先が、昨日までと同じものだと分かる。
「……せめて、名前、ちゃんと覚えてやらないとな」
俺は誰にともなく呟いた。
◇ ◇ ◇
簡素な埋葬が終わると、村人たちはそれぞれの家……もしくは残骸……へ散っていった。
リアムだけが、墓の前に座り込んだまま動かない。
夕暮れの光が、焼け跡と新しい墓土を同じ色に染めていく。
「……戻らなくていいのか」
俺は、隣に腰を下ろした。
リアムは視線を落としたまま、かすかに首を振る。
「今、村に戻っても、何をしていいか分からないですから」
「水汲みとか、片付けとか、やることは山ほどあるけど」
「そうじゃなくて」
リアムは、墓の土をじっと見つめる。
「ここから目を離したら、本当に『この子がいなかったこと』になってしまいそうで」
その言葉に、少しだけ胸がざわついた。
ナラティブ庁のタブレット上では、すでに『死亡:1』という数字で処理されている。
そこには、『ここから目を離したくない』という感情の居場所はない。
「……ここまで守っても、誰かが死ぬのかって思ったりしないか」
気づいたら、そんな言葉が口から出ていた。
俺自身がさっきまで頭の中で繰り返していた独白だ。
リアムは、少しだけ笑った。笑ったと言っていいのか分からない、ひきつった表情だった。
「思いましたよ。何回も」
墓土を握りしめる。
「村を守るって言って、ミナを守るって言って……。それで、守れたものと守れなかったものを並べてみると、どうしても『足りなかった』ほうが目に入る」
それでも、と彼は続ける。
「でも、『何もしなかったらもっと酷かった』ってことも、なんとなく分かるんです。火の回り方とか、避難の速さとか……全部が『ギリギリ』で踏みとどまった感じで」
タブレットの数字は、それを裏付けている。
悲劇の総量は、元の仕様よりも確かに減っている。
だけど、その『減った分』の影で、一つの墓が増えていることを、リアムはちゃんと見ている。
「だから……余計に、やりきれない」
彼は、握りしめた土をぽとりと落とした。
「『頑張ったからこの程度で済んだ』って言われると、この子の死を『代わりの支払い』みたいに数えている気がして」
◇ ◇ ◇
日が沈み、夜が落ちる。
村のあちこちに、ぽつぽつと焚き火の明かりが灯った。
壊れていない家に人を集め、怪我の浅い者たちが食事を分け合っている。
復興は、もう始まっている。
その中心から、少し外れた丘の上。
俺とリアムは、墓の前で小さな焚き火を起こしていた。
村長が、気を利かせて持ってきてくれた薪と、干し肉と硬いパン。湯を沸かすための小さな鍋。
リアムは、湯気の立つマグを両手で包み込みながら、言った。
「さっき、村の人たちが言ってました」
「なんて?」
「『あの子の死は無駄じゃなかった』『あの子の分も生きていかなきゃ』……そういうの」
焚き火の炎が、リアムの横顔を赤く照らす。
「ありがたい言葉だって頭では分かってるんですけどね。なんか、うまく飲み込めなくて」
「……うん」
俺もマグを口に運ぶ。味はあまりしない。
タブレットが、ひそかにログを更新している。
『村人感情ログ:
・「死を無駄にしない」「死んだ者の分まで」等の発言多数
→物語道徳:「犠牲に意味を見出す」傾向、標準的』
標準的。
この世界では、そういう受け止め方のほうが『普通』なのだろう。
勇者物語の上では、誰かの死が勇者の成長や決意の燃料になるのは定番だ。
だけど、リアムは――
「……俺、たぶんそういうの、嫌なんだと思います」
ぽつりと、彼が言った。
「『あの子の死には意味があった』……そういうふうに言葉を乗せていくのが」
焚き火のはぜる音だけが、間を埋める。
「死んだ人を、『物語の燃料』にするのって、なんか……違う気がして」
心臓が、一拍遅れて動いたような感覚がした。
タブレットに表示されていた文言――『補正悲劇』『悲劇度』『RSIへの寄与』。
全部、『物語の燃料としての死』をどう計上するかの話だ。
それを知らないはずのリアムが、同じ構図に本能的な嫌悪を示している。
「……でも、村の人たちは、そうでも考えないと耐えられないのかもしれない」
リアムは、自分の言葉を半分否定するように笑う。
「『あの子の死には意味があった』って言わないと、やっていけない。そういうのも分かるんです。だから、『間違ってますよ』って言う資格もない」
「うん」
「それでも、少なくとも俺は……」
マグを握る手に、力がこもる。
「俺は、『誰かの死のおかげで強くなりました』って言い方はしたくない。あの子の死を『物語の都合のいい燃料』にするくらいなら、ただ『死んだことを覚えている』だけのほうがマシな気がして」
その言葉は、彼自身を縛る呪いにもなるかもしれない。
誰かの死を『燃料』にしないということは、その分だけ自分で背負う重さが増えるということだから。
でも――
俺には、どうしてもそれを否定できなかった。
むしろ、羨ましいと思ってしまった。
タブレットの向こう側にいる俺は、どうしても『数字』から逃れられない。
悲劇の量。RSI。補正悲劇。
それらを見ながら、『この死は必要だったか』を評価しなければならない立場だ。
リアムは、その外側にいる。
ただ、『覚えていたい』と思っている。
「……ごめんなさい、変なこと言いました」
リアムが少しだけうつむく。
「あんまり前向きじゃないですよね」
「いや」
俺は首を振った。
「むしろ、すごく前向きな話だと思うけど」
「そうですか?」
「『死を燃料にしたくない』ってことは、そのぶんの燃料を自分で持って歩くってことだろ。効率は悪いけど……たぶん、長持ちはする」
自分で言っておきながら、『誰のことを言ってるんだろうな』と思う。
リアムのことか。見ず知らずの村娘のことか。行方不明のミナのことか。
あるいは、自分自身のことか。
リアムは、しばらく黙ってから、小さく笑った。
「……ユウトさん、変な例えしますよね」
「自覚はある」
「でも、なんか少しだけ、楽になりました」
その笑いは、さっきより少しだけまともだった。
◇ ◇ ◇
夜が更ける頃、焚き火の火は小さくなっていた。
村からは、時折うめき声や話し声が聞こえてくる。
眠れない夜を過ごしているのは、ここだけじゃない。
「ユウトさん」
リアムが、火を見つめたまま口を開いた。
「俺、多分しばらくはずっと『この子を守れなかった』ってことを考えると思います。ミナのことも、ずっと気にしてると思う」
「だろうね」
「でも、それは……忘れないって決めたからであって、『燃料にするため』じゃないってことだけは、自分で覚えておきたいです」
彼は、墓のほうにちらりと視線を向ける。
「ミナも、この子も、俺にとっては『物語を動かすための駒』じゃなくて、『知ってる人』だから」
タブレットが、静かにログを更新する。
『勇者リアム:
・感情傾向:「犠牲に意味を見出す」より「犠牲を記憶する」方向にバイアス
→今後のストーリー選好に影響の可能性』
読者から見れば、この感情は『美談』として消費されるのかもしれない。
「優しい勇者」「死者を忘れない英雄」として。
だが、リアム自身は、そんなラベルとは関係なく、それを抱えていくのだろう。
「……分かった」
俺は、火の残り火を棒で軽く突きながら言った。
「じゃあ俺は、『燃料にしてないか』を監査する役を引き受けるよ」
「監査?」
「誰かが死んだことを、『誰かの成長のための都合のいい起爆剤』として扱ってないかどうか。少なくともこのラインでは、目を離さない」
それは、ナラティブ庁の監査官としての仕事でもあり、雑貨屋としての個人的な誓いでもあった。
ここまで守っても、誰かが死ぬ。
それでも――
その死を『燃料』に格下げしないことくらいは、できるかもしれない。
リアムは、不思議そうに眉をひそめてから、くすりと笑った。
「ユウトさんって、本当に変わってますね」
「よく言われる」
「でも、そんな人がいてくれるなら、少しだけ安心です」
その言葉は、思った以上に重く胸に響いた。
監査官補として、勇者物語を『数字』で見る立場の人間が、現場の勇者から「安心」と言われる。
それがどれくらい危ういことか、頭では分かっているのに。
心は、素直に喜びかけている。
――ダメだな。俺はやっぱり、この仕事に向いてないのかもしれない。
そんな自己ツッコミを胸の中で入れながら、俺は小さく息を吐いた。
◇ ◇ ◇
夜空には、煙で霞んだ星がいくつか見えた。
村のどこかでは、まだミナの名を呼ぶ声が続いている。
タブレットは、相変わらず『行方不明』のまま。
村娘の墓の前で交わされたこの会話も、ログ上では『勇者の感情イベント』の一つに数えられるのだろう。
『イベント005:勇者の罪悪感と誓い
・内容:死者を物語の燃料にしたくないという宣言
→読者共感度:中予測』
そんなラベルを勝手に付けられている気がして、少しだけ笑ってしまう。
「どうかしました?」
「いや、なんでも」
リアムが首を傾げる。
俺は首を振ってから、焚き火の残り火に、そっと土をかけた。
「そろそろ戻ろう。今日はもう、寝れるかどうか分からないけど、横になるだけでも違うから」
「……はい」
リアムは立ち上がり、墓に向かって小さく頭を下げた。
「また来ます」
その一言を聞いてから、俺も同じように頭を下げる。
墓土の向こう側にいる『誰かだった人』に。
そして、崖の下のどこかで、まだ生きているかもしれないミナに。
――ここまで守っても、誰かが死ぬ世界で。
せめて、『どう語るか』だけは、物語の都合だけで決めさせない。
そう心の中で繰り返しながら、俺はリアムと並んで、暗くなった村へと戻っていった。




