第11話 補正悲劇
炎の匂いは、夜が明けても消えなかった。
村の東側は黒い炭のようになり、屋根を失った家々から白い煙がまだ細く上がっている。井戸の周りには、空になった桶が山のように積まれていた。
雑貨屋アバターの俺は、握力のなくなった手で最後の桶だけ動かしたふりをして、そっと手を離す。
もう、とっくに限界を超えている。
タブレットのログを開くと、冷静すぎる文字列が並んでいた。
『第2781勇者物語ライン
イベント003「村焼き」:終息判定
・火災範囲:村全域の約40%(全焼3軒/半焼数軒)
・敵性存在:掃討済
・人的被害:軽傷 多数/中等傷 数名/重傷 数名
・死亡者:1名
イベント004「幼馴染死亡」:改変済
・死亡→行方不明に変更』
死亡1。
「0」にできなかった数字が、胸に刺さる。
――それでも、本来の仕様よりはマシだ。
元の筋書きでは、ここに『幼馴染死亡』がもう一つ乗っかるはずだった。
ミナ・ホルン。
今のログには、その名前の隣に、こう書かれている。
『ミナ・ホルン:状態
・崖下転落/生死不明
・位置情報:ロスト(森エリア深部)
→イベント004「幼馴染死亡」:行方不明ルートに再定義』
生きているかもしれない。死んでいるかもしれない。
どちらにも振れていない、その宙ぶらりんなステータス。
昨日の夜の光景が、頭の中で勝手に巻き戻される。
◇ ◇ ◇
――ほんの数時間前。
火の手が一番激しくなっていた頃、タブレットの片隅で、別のログがピコンと点灯した。
『森エリアログ:
・神殿周辺:避難者 10名→9名
・子ども1名:村方向へ走り出し
・ミナ・ホルン:追跡開始
→二人とも「村と森の境界付近の崖道」へ移動中』
崖道。
昼間、ミナと一緒に神殿に向かうときに見た『ちょっとした崖道』。
地形レイヤーをオーバーレイしたとき、『崩落リスク:中』と出ていた場所だ。
『システムコメント:
イベント004「幼馴染死亡」
・既定ルート:村東側路地で火球直撃
・代替ルート候補:崖道崩落(転落死/行方不明)』
「勝手に候補を増やすなよ……」
毒づいても、システムは止まらない。
その瞬間、別の警告が重なった。
『警告:高出力火球接近中
推定落下地点:崖道中央(ミナ&子ども位置)
残り時間:4秒
→既定ルート:幼馴染&子ども、火球直撃で死亡』
喉が凍る。
このまま何もしなければ、ミナも子どももまとめて焼き殺される。
俺は、反射的に緊急調整メニューを呼び出していた。
『強度調整ツール(監査官補)
対象:イベント004火球
可能操作:落下地点の微調整/衝撃の方向配分
※NIT超過不可/致命傷→重傷への軽減まで』
「直撃は、外す」
指先で、火球の落下予測円を、画面の中で横にずらす。
崖道のど真ん中から、外側の土手のふちへ。
ミナと子どもを、爆心からわずかに外した位置に。
『調整案:
・人物への直接ダメージ:致命→非致命(吹き飛ばし+軽〜中火傷)
・地形へのダメージ:崖道外側→崩落
→結果:人物は崖下へ転落/生死不明』
赤い文字が、にじむように浮かぶ。
『幼馴染死亡イベント:死亡→行方不明に変更
補正悲劇必要量:中〜高』
「……それでいい。少なくとも、今ここで焼き殺されるよりはマシだ」
監査官としての冷静さじゃない。
ただの、浅ましい願掛けだ。
確定ボタンを押す。
『強度調整:承認
→イベント004ルート:崖崩落を採用』
空に、赤い閃光が走る。
崖道の上には、小さな影が二つ。
「戻っちゃダメ! こっちって言ったでしょ!」
ミナの叫びが、風に乗って聞こえた。
「でも……! お父さん、村にいるんだ!」
泣きながら走ろうとする子どもを、ミナが抱き寄せる。
火球が落ちた。
世界が白く弾ける。
崖道の外側が、まとめて吹き飛んだ。
土と石と炎の混じった塊が、崖下へと崩れ落ちていく。
「ミナ!」
リアムの声がした。
いつの間にか、彼は崖道の手前まで来ていたらしい。
俺とほとんど同時に、崖の縁まで駆け上がる。
崖下は煙で何も見えない。
かすかな影が、揺れている気がした。
リアムが腕を伸ばす。縁から、細い手首が一瞬だけ見えた。
「ミナ! 手を――!」
その瞬間、足場がさらに崩れた。
崖の縁がずるりと崩れ、石と土がまとめて落ちる。
細い手首が、煙の向こうに吸い込まれていく。
「ミナァ!!」
リアムの叫びが、夜の森に突き刺さった。
俺のタブレットには、静かな文字が浮かぶ。
『ミナ・ホルン:崖下へ転落/生死不明
位置情報:ロスト
→イベント004「幼馴染死亡」:行方不明ルートに確定
RSI:悲しみ・喪失感のピーク検知』
死亡フラグは折れた。
代わりに、『行方不明』のフラグが立った。
俺は、崖の縁で呆然と煙を見下ろしながら、指先の震えを止められなかった。
◇ ◇ ◇
――現在。
村のあちこちでは、まだミナ捜索の声が上がっている。
「ミナ!」「ミナちゃーん!」
森の縁。崖下の茂み。川辺。
リアムは、ほとんど休みなく歩き続けていた。
崖から落ちた子どもは、運よく斜面の途中に引っかかっていて、軽い怪我で済んだ。今は神殿側で眠っている。
ミナだけが、見つからない。
『ミナ捜索ログ:
・村人による捜索:延べ十数名参加
・ナラティブ庁側:視認不能(霧領域)
→現時点:行方不明ステータス継続』
タブレットにとっての『行方不明』は、単なるフラグの一つだ。
リアムにとっての『行方不明』は、ほとんど『今この瞬間の死』と変わらない。
……なのに、ログはまだ続きがある。
画面の端で、小さなアイコンがぴこりと光った。
『別ルートログ:新規エントリ』
嫌な予感しかしない。
タップすると、そこには短い一行があった。
『死亡:村娘(氏名未登録)』
喉が、からんと音を立てる。
詳細を開く。
『村娘C:
・崖道付近で避難遅延
・ミナ&子どもの動きを目撃し、後を追う
・崩落に巻き込まれ致命傷
→イベント004改変に伴う「補正悲劇」として記録』
補正悲劇。
元の仕様書の脚注にだけ、ちょこんと載っていた言葉だ。
『※主要キャラクター死亡の回避には、悲劇度の補正が必要となる場合があります(補正悲劇)。』
ミナの死亡フラグを『行方不明』に変えたぶん、その差額をどこかで埋める必要がある。
それが――「村娘(氏名未登録)」だった。
膝から、力が抜けそうになる。
「……マジかよ」
さっきまで、死亡者ログは空欄だった。
村焼きイベント003の中で、重傷者は出ていたが、誰も死んでいないギリギリのラインを維持していた。
そこに、ぽつんと一個だけ増えた「1」。
その「1」の内訳が、これだ。
タブレットの字が、滲んで見えた。
『補正悲劇ログ:
・死亡:村娘C(氏名未登録/アルシオ村在住)
・役割:勇者と幼馴染を守る「モブ」
・RSIへの寄与:
-一部読者:「モブが一人死んだ」程度の認識
-一部読者:「名前もない子が……」と余韻を残す可能性
→総悲劇度:当初計画の約60〜70%に抑制』
「ふざけるなよ……」
思わず口から漏れた。
ミナの死を避けた代わりに、名前も知らない誰かが死んだ。
数字の上では、『いい仕事』なのかもしれない。
だが、その内訳を知ってしまった以上、簡単に頷ける話じゃない。
◇ ◇ ◇
ログの下部に、位置情報が載っていた。
『遺体発見地点:村外れ/崖道近くの焼け跡』
足が勝手にそっちへ向かう。
村外れの道を抜けると、焦げた木と崩れた石垣の間に、人だかりができていた。
荷車の上に、白い布がかけられている。
村長が布の端に手を置き、その周りで数人の女たちが肩を震わせていた。
布の端から、少しだけ三つ編みの先が覗いていた。
見覚えがある。
井戸端で、ミナとよく一緒に笑っていた娘だ。
洗濯物を干しながら、楽しそうに話していた。
俺は、一度たりとも名前を聞かなかった。
タブレットには、こう表示されている。
『村娘C:氏名未登録』
「……」
荷車に近づきかけて、足が止まった。
雑貨屋アバターの俺がここで取り乱すわけにはいかない。
だから、せめて心の中だけで手を合わせる。
ログの編集欄が、そっと開いていた。
『監査メモ追記:
・村娘C:井戸端でミナとよく話していた娘。三つ編み。
・今回の崩落に巻き込まれ致命傷を受ける。
・当初計画では「幼馴染死亡」となっていた悲劇の一部を、その身で引き受けた。』
指が震える。
キーボードに「氏名未確認/要聴取」と打ち込む。
せめて、監査報告書の中だけでも、『村娘C』ではなく、ちゃんとした名前で呼べるように。
「……ユウトさん」
背後から、小さな声がした。
振り返ると、リアムが立っていた。
顔は煤と涙でぐちゃぐちゃだ。
荷車のほうへ視線を向け、唇を噛みしめる。
「俺、守れなかった……」
その一言で、ぎゅっと胸が掴まれた。
リアムは、自分を責めている。
崖の縁で手を伸ばしたのに届かなかったことも。
後ろから誰かに引っ張られて助かったことも。
そして、その「誰か」がここで布をかけられていることも。
――違う。
本当は、俺のせいだ。
ミナの「死亡」を「行方不明」に変えたとき、システムは『悲劇の差額』を取り立てに来る。
その請求書が、この荷車の上に乗っている。
タブレットの片隅で、小さく文字が瞬いた。
『補正悲劇:
・主要キャラクター死亡回避に伴う悲劇度補正
・現在ラインでの発現対象:村娘C(氏名未登録)』
「……補正悲劇」
思わず、言葉が口から漏れる。
リアムがこちらを見る。
「何か言いました?」
「いや。なんでもない」
誤魔化すように、笑ってみせる。
うまく笑えている自信はない。
膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、俺は荷車とリアムと村人たちを見ていた。
ミナは行方不明。
村娘Cは死亡。
村は半壊。負傷者多数。
ログの上では、『悲劇の総量は当初計画より減少』『RSIは基準値付近を維持』なんて書かれている。
数字だけ見れば、『成功した改変』。
――でも、その一個一個に顔が付いてしまえば、とても「成功」とは言えない。
これが、『補正悲劇』。
俺がミナを救おうとして、別の誰かを殺した結果だ。
モブ監査官の仕事は、こんなものを『許容範囲内』だと言いながら処理していく仕事なのかもしれない。
膝の震えをどうにか押さえ込みながら、俺は心の中でだけ、静かに呟いた。
――どこまでいじっても、誰かが死ぬなら。
せめて、その死の内訳くらいは、俺が全部見て、全部書き残してやる。
それが、この世界で俺に許された、最低限の贖いなのだろうと思った。




