第9話 集会と配置と、今日かもしれない
朝、目を開けた瞬間に、嫌な予感がした。
雑貨屋の天井板はいつも通りだし、外から聞こえてくる子どもの声も、鶏の鳴き声もいつも通り。なのに、胸の奥だけがざわついている。
視界の端に、半透明のUIが勝手に立ち上がった。
『第2781勇者物語ライン
日付:D+4
イベント003「村焼き」発火ウィンドウ:本日開始』
その下に、小さな追記がある。
『※前倒し案:承認済
システムコメント:「緊張感が高まっている今夜が、おいしい」』
「おいしくないわ」
寝起き一発目のツッコミがそれかよ、と自分で思う。
ただ、笑っている場合ではない。
昨日までは、村焼きの発火ウィンドウはD+5からだった。それが、システムの『ご判断』により前倒しされた。つまり――
『今日の夜から明日の朝にかけて、村が燃える可能性がある』
ということだ。
胃のあたりに、冷たい石を押し込まれたような感覚が広がる。
「……急がないと」
呟いて、ベッドから飛び起きた。
◇ ◇ ◇
広場に出ると、いつもの朝よりも人が多いことに気づいた。
井戸の周りだけではない。広場の中央に、村人たちがぽつぽつ集まってきている。村長の家の方向からも、人の列が見えた。
「ユウト兄ちゃん、おはよ!」
ロロが駆け寄ってくる。
「今日ね、村長が『大事な話がある』って言って、みんな集まりなさいって言ってるんだ」
「……やる気出すの早いな、村長さん」
昨日の提案が、想像よりも早く採用されたらしい。
雑貨屋の戸を半分だけ開けて「午前:臨時閉店」の札をかけ、俺も広場の輪の中に加わった。
中央には村長が立ち、その周りに鍛冶屋、農夫、主婦、子どもたちが円を描いている。リアムとミナの姿もあった。
「今日はの……」
村長が、咳払いをひとつした。
「わしから、みんなに話がある。ここ数日、森や街道の様子がおかしいことは、もう皆も知っておるじゃろう」
ざわ、と小さなざわめきが広がる。
「森の奥から、妙な鳴き声がする」「街道で馬車が襲われたらしい」……そんな噂話が、ここ数日、村のあちこちで囁かれていた。
ログ上では、『不穏な噂フラグ』にカウントされているやつだ。
「もちろん、何も起こらずに済めば、それに越したことはない」
村長は、一人一人の顔をゆっくりと見ていく。
「じゃが、何かあったときのために、準備だけはしておかねばならん。そこで今日は、『もしものときにどこに集まるか』を決めたいと思う」
「避難場所、ってやつか」
「そんなに大げさなものじゃないさ」「でも、火事になったらどうするかは決めといたほうがいいよな」
村人たちの間から、賛同とも不安ともつかない声が上がる。
村長は、ちらりと俺のほうを見た。
視線だけで、『お前の言ってたやつ、今からやるぞ』と伝えてきている。
「わしの考えだと、候補は二つある」
そう言って、村長は地面に棒で簡単な見取り図を描いた。
「ひとつは、この広場だ。村の真ん中で、全員が集まりやすい。火事のときも、ここなら周りよりはマシじゃろう」
ふむ、と何人かが頷く。
「もうひとつは……森の小さな神殿の近くじゃ」
ざわ、とさっきよりも大きなざわめき。
「森の中に逃げるのか?」「あんなところに行って大丈夫か」「魔物が出るって話もあるぞ」
予想通りの反応だ。
村長は手を上げて、ひとまず静まるのを待つ。
「森の奥は危険じゃ。わしもそれは分かっておる。じゃが、神殿の周りは昔から『村の守り』として大事にされてきた場所じゃ。火事から逃げるには、広場より安全かもしれん」
ここで、俺は前に出た。
「村長、少しだけいいですか」
「ユウト殿?」
村人たちの視線がこっちに集まる。
内心で深呼吸しながら、雑貨屋モードと監査官モードのバランスを探る。
「俺、都会のほうで火事を二回見たことがあるんです」
これは、半分本当で半分嘘だ。実際に火事そのものは見ていないが、防火訓練とニュースと災害レポートはたくさん見てきた。
「そのときに一番怖かったのは、『どこに逃げれば安全か分からない』って人が、バラバラの方向に走っていったことでした。結果として、多くの逃げ遅れた人がでた」
ざわめきが、少しだけトーンを変える。
「だから、『ここに集まろう』『ここには行かないようにしよう』って場所を決めておくのは、大事だと思うんです。火事に限らず、魔物が来たときも」
俺は、村長の描いた見取り図の傍らにしゃがみ込んで、棒を受け取る。
「たとえば、こういう感じでどうでしょう」
地面の上に、円と矢印を描いていく。
「子どもと女の人、戦えない人は、森の神殿の近くに集まる。リアムや村長みたいに戦える人たちは、広場と村の外れの丘のほうに。もし魔物が来たら、広場組が時間を稼いでる間に、神殿組が森の外側に抜けるルートを用意しておく」
「おいおい、俺、そんな大層な戦士じゃないですよ」
リアムが慌てて手を振る。
「でも、鍛冶仕事で鍛えてるし、剣もそこそこ振れるんだろ?」
「まあ……村の中なら、それなりに」
「だったら、逃げるのが難しい人たちの盾になってもらう役は、リアムたちにしかできない」
俺は、リアムに視線を向けた。
「君、前に言ってたよね。『誰かの死を物語の燃料にしたくない』って」
リアムの目が、少しだけ見開かれる。
「そのためには、自分がどこに立つかを決めておく必要がある。逃げる人の前に立つのか、後ろで見てるだけなのか。君なら、前に立つ方を選ぶと思う」
村人たちの視線が、リアムに集まる。
彼は一瞬だけ迷ったような表情を見せたが、やがて真っ直ぐに頷いた。
「……分かりました。もし本当に何かあったら、俺は広場のほうで戦います」
ミナが、心配そうに彼を見る。
「ちょっと、勝手に決めないでよ。危ないじゃない」
「だからこそ、ミナは神殿側にいてくれ」
リアムは、静かに言った。
「回復魔法が使えるのは、お前だけだ。逃げる人たちに、怪我人が出るかもしれない。そのときに、ミナがそばにいたほうがいい」
ミナは、口を開きかけて――閉じた。
俺は、二人の間に割り込むように口を挟む。
「俺も、その案に賛成だな。ミナの魔法は、前線に立つ人間より、逃げる人たちのそばにいたほうが、多くの命を守れる」
「……でも」
ミナは唇を噛む。
「その間に、リアムが怪我したら?」
「そのときは、俺が何とかする」
口から先に出ていた。
村人たちの視線が、一瞬だけ俺に向く。
「雑貨屋の兄ちゃんが何とかできる範囲なんて、たかが知れてるかもしれないけどさ。それでも、何もしないよりはマシだろ?」
自嘲気味に笑いながら言うと、いくつかの笑いが起きた。
「ユウト殿も変わっておるのう」「都会から来たくせに、ずいぶんこの村のことを考えてくれてる」
村長が、静かに頷いた。
「よし。では――」
老人は、杖の先で地面を軽く叩いた。
「子どもと女、年寄りは、もしものとき、森の神殿近くに集まる。戦える者は、広場と村の外れの丘に。これを『決まり』とする」
「分かりました」「了解だ」
村人たちの間から、さまざまな声が上がる。
フローチャートの上で、いくつもの小さな丸が動いた気がした。
『村焼き』イベントのとき、誰がどこにいるか。その初期配置が、今決まったのだ。
◇ ◇ ◇
集会が終わった後、広場の片隅で、リアムとミナに声をかけた。
「さっきは、勝手に話を進めちゃって悪かったね」
「いえ、助かりました」
リアムが、少し照れくさそうに頭をかく。
「俺だけじゃ、あそこまでうまく説明できなかったと思うんで」
「私は……まだちょっと納得いってないです」
ミナが頬を膨らませた。
「だって、リアムのそばにいるのが一番安心なんですもん。森の神殿なんて、ちょっと心細いですよ」
「神さまもいるし、他の子どもたちもいるだろ」
「それはそうですけど」
ミナは、ちらりと俺を見た。
「ユウトさん、本当に大丈夫なんですか?」
「何が?」
「なんか、全部分かったみたいに話してるから。『いつか何かが起こる』っていう前提で」
図星を突かれて、思わず言葉に詰まる。
ミナは続けた。
「私、怖いんですよ。『何も起こらない』って言い切ってくれる人が誰もいないのが。一番安心するのは、『大丈夫だよ』って笑ってくれる人なんです」
それは、正論だ。
監査官としては、『大丈夫だよ』と言い切ることを一番避けなければならない。根拠もなく安心させることほど危険なことはない。
でも、モブとしては――。
「……ごめん」
素直に頭を下げた。
「俺は、この村で何が起こるか『完全には分からない』。だから、『絶対大丈夫だ』とは言えない。言ったら、それは嘘になる」
ミナが、少し驚いた顔をする。
「でも」
俺は続けた。
「少なくとも、『何か起きたときにどう動けばマシか』は、ある程度考えられる。さっきの避難場所の話みたいに」
リアムも、黙って聞いている。
「それから……一応、雑貨屋の兄ちゃんなりに、覚悟はしてる」
「覚悟?」
「もし本当に何か起きたとき、この村の誰かが死んだら、そのことを『仕方なかった』の一言で片付けないって覚悟」
ミナの目が、じっとこちらを見つめる。
「誰がどこで何をしていて、何が足りなかったのか。どうすればもっとマシにできたのか。ちゃんと、後で振り返る。忘れない」
それは、監査報告書を書くということだ。
物語監査官としての仕事そのもの。
「……それ、ちょっと怖いです」
ミナは、苦笑に近い表情を浮かべた。
「だって、『誰かが死ぬかもしれない』って前提の話じゃないですか」
「そうだね」
「でも、同時にちょっと安心しました」
「え?」
「『忘れない』って言ってくれたから」
ミナは小さく肩をすくめる。
「一番怖いのって、きっと『誰にも覚えてもらえないまま消えること』だと思うんです。何か起きたときに、ちゃんと覚えててくれる人がいるなら、それだけで少し安心できる」
その言葉は、胸に刺さった。
ログと記録とフローチャート。
ナラティブ庁の監査報告書。
物語システムの快楽曲線。
そのどれでもなく、『誰かがちゃんと覚えていること』に価値を置いてくれる人間が、ここにいる。
「……分かった」
俺は、できるだけまっすぐにミナを見る。
「ミナが神殿側にいるなら、そのとき何が起きたか、全部覚えておく。誰がどんな顔で逃げて、誰がどこで転んで、誰が誰を助けて、誰が笑って、誰が泣いたか」
自分で言いながら、その重さに足がすくみそうになる。
「覚えておくだけじゃなくて、ちゃんと書き残す。誰かがあとで読めるように」
「……はい」
ミナは、ほんの少しだけ笑った。
「それ聞いたら、森の神殿側でも頑張れる気がしてきました」
「良かった」
横で聞いていたリアムが、小さく息を吐く。
「ミナがいない前線とか、正直、想像したくないですけどね」
「大丈夫」
俺は、彼の肩を軽く叩いた。
「君のほうには、君のことを見てる人間がたくさんいる。親方も、村長も、俺も。誰かがいなくなったら、『仕方なかった』で済ませない」
「…………」
リアムは少しだけ目を伏せてから、顔を上げた。
「ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
夕方。
雑貨屋の店先で、いつものように商品を片付けながら、空を見上げる。
西の空が、いつもより赤い気がした。
――いや、たぶん気のせいだ。気のせいなんだけど。
タブレットが、腰のあたりで小さく震えた。
『システム警告:
イベント003「村焼き」――今夜中の発火確率:72%』
ああ、そうか。
もう『気のせい』だけでは済まない段階に来ているのか。
犬の鳴き声が、ぴたりと止む。
森のほうに目を向けると、木々の間の影が、ほんの少しだけ濃くなったように見えた。
鳥の姿が減っている。
こういう細かい演出も、全部システムの仕事だ。
読者はそこに、『嵐の前の静けさ』を感じる。
村人たちも、無意識のうちに空気の違いを感じ取っているのか、いつもより早めに家に引っ込んでいく。
広場の人影が、徐々に減っていく。
――今日か。
ついに、今日なんだな。
心の中で呟く。
村長の家の灯り。鍛冶場の火。ミナの家の窓から漏れる明かり。
そのどれもが、『今夜のうちに燃えるかもしれない』。
「……よし」
俺は店の戸を閉めると、鍵をかけた。
雑貨屋の兄ちゃんとしての一日は終わりだ。
モブ監査官としての、『村焼き直前監査』が、これから始まる。




