7.帰り
巨大プリンを前に、俺は困ってる。二人にアイスいる?生クリームもって聞くかどうか。
「うまいな、このプリン」
「だよね。俺もここのプリン好き。椎凪も固まってないで早く食べなよ」
「うん。あの、アイスとか」
「俺らに遠慮せず全部食べてね」
「むしろ愛が重すぎていらん」
「大ちゃん言い方。でも早く食べないとアイス溶けてきてるよ」
土屋君が指したとこを見ると、確かに。後ろの溶けていたところを掬って食べた。
「……おいしい」
甘すぎず、さっぱりしていて美味しい。上に乗ってる生クリームもふわっとしていて、プリンにもアイスにも相性がいい。
これはもう一度食べたくなる。
俺はスプーンを口にくわえたまま、巨大プリンを見つめていた。
するとカシャッと音がした。目を上げると、土屋君が俺にスマホを向けていた。
「なに?」
「美味しそうに食べるなと思って」
土屋君は自分の食べていたプリンも写真におさめた。
あんまり写真を撮ることがないから忘れてたけど、食べる前に撮っておけばよかったかな。
せっかく緋村君がくれたのに。
そのままたらたらと三人でプリンを味わいつつなんでもないことをしゃべったり、課題の話もした。
食べ終わってしばらくまったりしていると、制服姿の緋村君が現れた。
「あれ、バイト終わったの?」
「今日お客さん少ないから、大丈夫って」
土屋君の隣に座った緋村君は、持っていたアイスコーヒーをテーブルに置いた。
「峲雨は犬派?猫派?」
「犬」
「だよな。まぁ実際どうかは置いといて、誰か猫派してくんない?」
「猫興味ないから無理」
「うん、大ちゃんはいいや」
土屋君は大ちゃんの性格を理解してきたのかもしれない。
「俺猫派するよ。たまにうち猫いるし」
「預かってんだっけ?」
「旅行中だけね」
たまにご近所さんが旅行に行くとき、うちで預かっている。猫と触れる機会も、なんなら家に猫グッツも結構ある。俺はどちらかと言えば犬派だが、猫も好きだ。ちゃんと意見も言えそう(土屋君ほどではないだろうけど)。
「いいなー」
「土屋ん家は猫飼ったりしねぇの?」
「うん。だって俺猫アレルギーだもん」
テンション激下がりの土屋君に、大ちゃんが噴き出した。
「マジか、めっちゃ残念っ」
「ほんとにね。猫吸いしたいけど一生無理」
投げやりな土屋君に、俺はそろりと言った。
「ご近所さんも猫アレルギーだけど、薬飲んで一緒に暮らしてるよ」
そう言うと「ほんとに!?」と土屋君が目を輝かせた。
「知らなかった。絶望的に諦めてた」
「ちゃんと調べろよ」
「帰ってから調べるわ。ありがと、椎凪」
土屋君が俺に向けた笑みは、穏やかな美しさに満ちていた。
この笑顔に土屋君ファンは心奪われるのかなとまじまじと見ていると、靴先に何か当たった。
ジューッと枯れかけのアイスコーヒーを飲んでいる緋村君が、じとっとした目で俺を見ていた。
なんとなく居心地が悪い。
「じゃあ本題戻って、俺と椎凪が猫派、峲雨と大ちゃん犬派ね。それぞれ意見まとめてから全体の流れ決めよう」
テキパキと土屋君が進めるも、緋村君が大ちゃんに目をやった。こいつとかよ、と目が言ってる気がした。
「峲雨、大ちゃんと協力して進めたら」
土屋君はサッとスマホを緋村君に向けた。
「これをあげよう」
それは、さっき撮られた俺の写真だった。
プリンを前にその美味しさに目を見開いている俺はいつもより幼く見える。そんな写真が緋村君に渡るかと思うと、恥ずかしすぎる。
「そんなのいら──」
「よろしく大ちゃん」
いらないよねと言う前に、緋村君が姿勢正しく大ちゃんに頭を下げた。
「おぉ、よろしく」
そして大ちゃんも鷹揚に受け入れた。もともと大ちゃんは後腐れしないタイプだ。
「写真、先に欲しい」
「はいはい」
俺の許可も取っていただけないでしょうか。
俺が「あの」とか「その」とか言ってる間に、写真は緋村君に渡ってしまった。
「……めちゃくちゃかわいい」
そのつぶやきに、俺はうつむくしかなかった。
「大体まとまったね。そろそろ帰ろうか」
土屋君につられて外を見ると、いつの間にか真っ暗だった。
課題の話もそれ以外の話でも、時間を忘れて話していた。大ちゃん以外の人とこういうの、初めてだ。
「みんな帰りどっち方面?」
会計を終えて店先で自分の最寄り駅を言っていくと、みんなバラバラだった。
「じゃあ駅まで一緒に行こうか」
歩き出そうとしたところで、カランコロンとドアが開いた。
「峲雨、ちょっとだけ待っててくれない?姉さんから頼まれものしてて」
出てきたのは、黒縁メガネにエプロンをしたガタイのいい人だった。
「わかった」
土屋君がこっそり「あの人が峲雨のおじさんだよ」と教えてくれた。
確かに、なんとなく似ている。緋村君と同じく手足が長い。両側面剃って髪を団子にしているから、顔がよく見える。目は丸っこいけど、鼻やあごのシャープさが緋村君と似ている。
「いつも峲雨と仲良くしてくれてありがとう。これからも仲良くしてやってね」
おじさんは緋村君の頭を軽く叩きつつ俺達に挨拶し、緋村君と店の中に戻っていった。
「なぁ、俺先に帰っていい?腹減った」
緋村君を待っていると、大ちゃんがマイペースを出してきた。
「もうすぐだから」
「でも待っててもどうせ駅でさいならだろ?そんなら椎凪だけ待ってろよ」
「でも──」
「そうだね。俺と大ちゃん先に帰るから。峲雨のことよろしくね」
また明日と有無を言わさないキラキラ笑顔で、土屋君は大ちゃんと足早に帰ってしまった。
俺は選択肢がなくなり、緋村君と二人で帰るプレッシャーに震えそうな思いで店先をウロウロしていると、カランコロンとドアが開いた。
「ひとり?」
紙袋を持った緋村君は、目を丸くした。
「その、二人とも先に帰っちゃって……」
「そう」
そうして緋村君は「帰ろ」と俺の隣に立った。
ゆっくりと、ゆっくりと、坂を下りて行く。会話なんか全然なくて、緊張して、でも心地いい気もする。この気持ちは、なんていうんだろう。
自分の影を見つめて歩いていると、不意に緋村君と俺の影がつながった。緋村君が俺の手をつないだから。
触れられた感覚に顔を向けると、あの日と同じように月の光が後ろから緋村君を照らしていた。
でもあの時とは違う、緋村君は少し照れたように俺に笑いかけた。
「椎凪」
俺と手をつなぐだけで、嬉しそうな緋村君。
そんな緋村君に呼ばれるだけで、俺の心臓はどんどん高鳴っていく。
「好きだ、椎凪。俺と付き合って?」
時間が、止まったように感じた。
そうなのかなとは思ってた。でも、こうして想いを伝えられても、まだ信じられない。
「……椎凪?」
固まったままの俺に、緋村君が優しく頬に触れた。
その大きな手は冷たくて、でも壊れそうなものに触れるような不器用な優しさがあった。
「どうして、俺なの?」
「好きだから」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
聞きたいことを言葉じゃうまく伝えられない。
「椎凪は俺自身を見てくれた。そういうとこから、好きになった」
いつ?どうしてそう思ったの?だって俺は──
”女の子とっかえひっかえして夜な夜な遊んでるって、中学の時は言われてた”
緋村君の噂を、そういうこともあるのかもしれないって、ほんの少しだけ思ってた。そんなの、目の前にいる緋村君を見てれば違うってわかることなのに。
やめようと思ったのに、心のフィルターはなかなか外せないままだ。
「俺は、緋村君が思ってるような人間じゃない……」
それしか、言えなかった。疑う気持ちがあった俺は、緋村君に顔向けできなくて、緋村君の手からそっと顔を離した。
「……椎凪は、俺のこと嫌い?」
緋村君の問いに、俺は首を横に振った。
好きとか嫌いの問題じゃないから。
「だったら、諦めないから。俺のこと、好きになって」
そうして緋村君は、俺が離れた手を後ろに回して、俺をぎゅっと抱きしめた。
俺を強く抱きしめる、その力強さが今は苦しかった。
「送ってくれてありがと」
「ん」
駅で別れようとしたが、緋村君が「家まで送る」と言って聞かなかった。
「じゃあ、また明日」
一方的な気まずさに、俺はそそくさと家に入ろうとした。
「椎凪」
そんな俺を、緋村君が呼び止めた。
「椎凪の中で迷いも戸惑いもあるんだと思う。けど、大丈夫だから。だから安心して、俺のこと好きになって」
「……どうして、そう思うの?」
優しくも、意志の強い目をした緋村君は、俺に微笑んだ。
「俺が見て来た椎凪は、そうだから」
俺の迷いも、不安も、罪悪感も、すべてを包んで、すべてを溶かすような笑みだった。
「じゃ帰る」
「……うん。ありがと」
帰っていく緋村君の姿を、俺はしばらく見送っていた。
すると急に足を止めた緋村君が、急ぎ足で戻って来た。
「忘れ物」
「────え」
俺の肩に手を置いた緋村君は、頬に軽くキスしてきた。
「おやすみ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべた緋村君は、そうして帰っていった。なんとなく後ろ姿がご機嫌だ。
俺は熱くなった頬に手を当てたまま、その姿をしばらく見つめていた。
その夜、お風呂から上がって自分の部屋のベットに倒れこんだ。
今日1日でいろんなことがあった。土屋君と緋村君の知らない一面を知れた。大ちゃん以外の人と楽しく話せた。
それに────
ぼぅっと思い返していると、ピコンと鳴ったスマホの音に俺は肩を震わせた。
そぅっとスマホに手を伸ばし、メッセージを確認した。
『おやすみ』
たったそれだけ。でもとても緋村君らしいと思った。
思わず正座で息を吸って吐いて、少し気持ちを落ち着かせてから俺も『おやすみ』と返した。
それからしばらく、ベットに潜り込んでも中々眠れなかった。
緋村君を想うと嬉しくて、少しだけ胸が苦しかった。