6.カフェ
「なぁ、まだ着かねぇの?」
「もうすぐだから。さっさと歩いて」
土屋君と大ちゃんと放課後、緋村君のバイト先に向かう。
「椎凪引っ張ってー」
「大ちゃんの方が体力あるでしょ」
「やる気が足りん」
「もー」
学校から数駅先の、駅からも離れた繁華街と住宅街の間の利便性がよくないところで、さっきから緩やかな坂道を上っている。
サチコの話はしたいが、緋村君のバイト先にはこれっぽっちの興味もない大ちゃんの手を引いて土屋君の後ろを歩くも、だるだるの大ちゃんの歩みは遅い。遅いし、重い。
「着いたよ、ここ」
土屋君が指した店は坂の中腹にあり、観葉植物が店先に無造作に、それでいてバランスよく並べられていた。
カランカランとドアベルに迎えられ、店内に入った。
「……いらっしゃいませ」
「あれ、峲雨。今日フロア?」
土屋君の問いに頷いた緋村君は、白シャツに黒のエプロンで髪を後ろでくくった姿で現れた。
普段から思ってはいたけれど、今日は一層大人びて見える。
俺は開きかけた口を抑えた。かっこいいと、口から零れ落ちそうになった。危ない。
「こっち」
店内は木造の落ち着いた空間で、大きな窓から柔らかな光が差し込んでいる。入り口近く、あと店のど真ん中に様々な大きさの観葉植物が置かれ、一番奥の壁は一面本棚になっている。とにかく雰囲気がいい。
「何頼む?」
緋村君に案内されたのは、入り口から少し離れたボックス席だった。背の部分が高いから、なんとなく個室感がある。
「注文決まったら……」
「はいはい、呼ぶから」
「大ちゃん、奥座って」
「喉乾いたわ」
土屋君は奥側の席へ、俺はようやく手を引くのを終えて、大ちゃんを手前の奥の席に座らせた。
なにを注文しようかなと土屋君が広げたメニューを見ていたが、隣から離れない気配に顔を上げた。
緋村君は注文するまでバイトに戻ると思ってたのに、一向に動かない。なんなら顔をしかめて、大ちゃんを見て、いや、にらんでいる。
そんな緋村君を気にすることなく、「クリームソーダあるじゃん」と大ちゃんはメニューにくぎ付けだ。
「……あの、緋村君?どうしたの?」
俺が聞くと、大ちゃんも土屋君も緋村君に視線を向けた。
「うわっ、なに怒ってんの?言わないとわかんないって」
土屋君の声に、しばらくして緋村君は一文字にしていた口を開いた。
「椎凪に触らないで」
「……あ?」
予想外過ぎたのか、大ちゃんは開いた口が塞がらなくなってる。
「椎凪に、触らないで」
緋村君は念を押すようにもう一度言った。
「いや、聞こえてるから……は?」
大ちゃんは、俺をグルンと見た。
「椎凪、お前いつから緋村のものになったん?」
なってないなってないなってないなってないそんな直接的な言い方で聞いてこないでください無理無理無理無理。
俺はそんな思いも込めて、強く強く首を振った。
「お前のもんになってねーのに、俺にとやかく言ってくんじゃねーよ」
大ちゃんは緋村君に言い返した。
そうすると緋村君の眉頭の溝がさっきよりも深くなった。
それを見た大ちゃんは、煽るように俺の肩に腕を回した。
「欲しいならさっさとしろよ」
ふんっと鼻息を荒く吐いた大ちゃんは落ち着きを取り戻したのか、「あと俺クリームソーダ」と続けて注文した。
「俺コーヒー」
「俺は…オレンジジュース」
なんとなくこの流れに乗って俺も注文すると、緋村君はムムムとした顔のまま注文を書き留め、キッチンへと下がった。
「嫉妬だなー」
「知るか。イチャコラするなら余所でやれ。俺を巻き込むな。わかったか?」
俺のせいじゃないのに、俺が大ちゃんに怒られた。理不尽だし、なんか恥ずかしい。
緋村君は、本当に嫉妬したんだろうか。そんなことを心の中でつぶやくだけで、胸が締め付けられる。
そっと緋村君に目を向けると、そうしていたのは俺だけじゃないのがわかって、目をそらした。
「まぁまぁ、課題のこと話そうよ。森宮君は犬派?猫派?」
土屋君が空気を換えようと、本題に入った。
「犬派だろ、好きなものでサチ思い出すくらいだし」
大ちゃんは愛犬の可愛さを誇るように言った。
「なんで思い出したの?」
なんで──と言われると、
「緋村君が、サッちゃんみたいだと思って」
「はぁ?」
大ちゃんは、異論ありの顔つきになった。まだ怒ってるんだろうか。
「ほら、サッちゃん撫でてほしいときに顔すりつけてくるでしょ。あと顔舐めてくるときに、顔背けて避けようとしても追いかけてくるのとか。まぁ遊んでる感じなんだろうけどね、満面の笑みで俺の顔追いかけてくるから」
「かわいいよなー、ほんと」
サッちゃんの話で、大ちゃんの機嫌は段々とよくなってきた。
「なるほど、峲雨がそんな感じしたと」
「まぁ……そうなるのかな……」
ぼそぼそと俺がそう言うと、土屋君は驚いたような感心したような顔つきになった。
かと思えば、目を伏せて、何度か指で机を叩き、考えがまとまったように薄くこちらをのぞいた。
「俺しか知らないんだよね、峲雨のバイト先。多分、いつもつるんでるやつらも知らない」
「へー」
興味なさげな大ちゃんは生返事をした。
「理由聞いたりしてよ」
「言いたいんならさっさと言えよ」
その隣で、俺は黙って聞いている。
土屋君はどうして、そんな話をし始めたんだろう。
「静かで落ち着ける店だからさ。峲雨がバイトしてるって知ったら押し寄せる子も多いだろうから、あんま言わないようにしてんだ」
「そんなことあんの?」
大ちゃんは、芸能人でもあるまいし一介の学生で、と疑問に思ったようだ。
「あいつさ、人目を惹くんだよ、良くも悪くも。それでいてあんまり喋らないから寡黙でクールって周りが勝手に幻想抱いてるっていうか。そうでもないんだよね。ただの口下手。外見と印象だけで寄って来られる。それでいざ告白断ると根も葉もない噂流されたりさ。女子だけじゃなく、あいつ男子の敵も多かったから。彼女とられたって呼び出されたこともあるし。片思いされてただけなのにな。女の子とっかえひっかえして夜な夜な遊んでるって、中学の時は言われてた」
それを聞いた瞬間、俺は嫌な感じに心臓が跳ねた。
嘘なのに、それなのに本当のことのように、今もその噂が残ってる。
緋村君は、それをどう思っているんだろうと思うと、悲しくなる。
でも、それよりも──。
「そういうの土屋も言われたりしてんじゃねぇの?」
「俺はそういうの面倒だから、表面上愛想よくしてる。峲雨は不器用っていうか、したい相手にしかそういうのできないから。嫌な思いしてるだろうけど、本人は気にしてないふりしてるよ」
土屋君は、思ってたようなみんなに優しい王子様じゃなくて、意外とサバサバしているのが今日1日でわかった。そして、周りをよく見ていることも、緋村君のことを大切に思っていることも。
全然王子様じゃなかった土屋君はいつものキラキラ笑顔じゃなく、友達を思う優しい笑みを浮かべて、俺を見た。
「だから、森宮君が峲雨ともっと仲良くなればいいと思ってんだよね、俺」
「……へ?」
「まー時間の問題だろ」
「だよねー。あ、俺も名前で呼んでいい?峲雨に怒られるかな?」
「あ、全然どうぞ」
「てか話ずれてんよな。椎凪が犬派か猫派かって話だろ?」
「そうだった。どっち?」
「……犬派かな」
そうして話は戻っていったけど、俺の頭の中は置いてけぼりだった。
土屋君の”だから”は、いったいどこにかかってたんだろう。
「お待たせしました」
「おそーい」
「……」
土屋君のいじりにうるさいなぁと目を向けた緋村君は、それぞれ注文したものと、あとプリンを置いた。
「あれ、俺ら頼んでたっけ?」
「……おじさんから」
「この店こいつのおじさんの店なんだよ。ありがとうございますって言っといて」
サクサクと土屋君が話していると、大ちゃんも「サンキューな」と返した。
けど俺は、プリンの前で固まった。
土屋君と大ちゃんの前には、生クリームとさくらんぼがプリンの上に乗っていて、いかにも喫茶店のプリンという感じだ。
俺の前に置かれているのは、プリンの上に同じくらいの大きさのアイスクリームが、そしてパイ生地を一枚挟んだ上にどんと生クリームが乗せてある。
「……」
「これが一番うまい」
緋村君のおすすめを持ってきてくれたのだろう。目をキラキラさせて、俺を見ている。犬だったら褒められるのを待ち望んで、尻尾をブンブン振ってるのを隠しきれてない感じだ。
「あ、ありがとう…」
若干引きつつ言うと、緋村君はうれしそうに微笑んだ。
そんな顔されると、こっちまでうれしくなる。
隣では大ちゃんが「あからさますぎておもろいんだけど」と笑い出した。