2.登校
「椎凪、はよー」
一大決心してカムアした翌日、校門を抜けたところで後ろから大ちゃんが走って来た。
「おはよー」
どんよりとした俺とは正反対で、大ちゃんは今日も朝から爽やかだ。
「さっき散歩してたらサチがさぁ」
「うん」
学校に行く前に飼い犬の散歩をしている大ちゃんは、道に落ちていた天ぷらをサチが食べそうになって大変だったとかなんとか言っている。
いつもだったら面白おかしく聞いてる僕は、それどころじゃなくて「うん」とか「ふーん」とかしか返事ができない。
「どした?なんか元気ない?風邪か?」
心配そうにのぞき込んできた大ちゃんは、俺の額に手を当てた。
「熱はなさそうだけどなぁ」
短い髪の下で凛々しい眉が下がった。
普段と変わらないその様子に、俺は落ち着きを取り戻した。
「ううん、大丈夫。寝不足なだけ」
平気なふりして、弱弱しく俺は微笑んだ。
「そうか?ならいいんだけど。今日早く寝ろよなー」
「うん」
額から温もりのある手が離れ、俺は真ん中で割れた前髪を整えた。
目が大きくて幼く見える、自分の顔が俺はコンプレックスだ。
「お、麻子ー!言ってた漫画持ってきた!」
前を歩く麻ちゃんに大声を放った大ちゃんは、リュックを前に持ってきて漫画が入っているであろう袋を取り出した。
「ありがと大輝。森宮君もおはよー」
「おはよ」
大ちゃんのついでに挨拶をもらえた俺は、漫画の話に花を咲かせる二人の後ろをとぼとぼと歩いた。
家から学校に来るまでも気持ちがぐちゃぐちゃで、今も校舎が近づくにつれて心細さが深まっていく。
「おっはよー、緋村」
聞こえた瞬間、俺の心臓は大きく鼓動を打った。
恐る恐る振り返ると、少し後ろをダルそうに歩く緋村君に同じく一軍男子の土屋君が駆け寄っていた。
土屋君は長身の正統派イケメンで、その上誰とでも気さくに話すから、タイプは違うけど緋村君に負けず劣らず人気がある。
ヘッドホンを首にかけた土屋君が話しているのを、緋村君は頷きもせずただじっと聞いているようだ。
そんな様子を見ていると、しっかりと緋村君と目が合った。
しまった、がっつり見すぎてた。
反射で思い切り目をそらし、そそくさと校舎に向かおうとしたけれど、一歩遅かった。
引っ張られる感覚に後ろを振り向くと、俺の袖を緋村君がつまんでいた。
なにも言わない緋村君に、俺も不安いっぱいで声が出せない。
今日からパシられるんだろうか。それとも他の無理難題でも要求されるんだろうか。
心の中で激しく震えている俺に、緋村君がゆっくりと口を開いた。
「……おはよ」
「…………ぉ、おはよぅ」
しりつぼみで肩を縮めつつ返事をすると、無表情な緋村君の目が少しだけ、さっきより開いた気がした。
「へー、珍しっ。峲雨が自分から話しかけるなんて」
驚いた顔で近寄って来た土屋君は、「仲良かったん?」と俺と緋村君を交互に指さした。
仲良くなんてないですむしろ話したのは昨日が初めてなんですなんて言えない俺が黙っているのと同じく、緋村君も黙ってじぃっと土屋君を見ていた。
「……えーっ!?あー、そういうこと?」
なにがわかったんだろうか。
全く何の返事もしてないのに、もう一度驚いた土屋君は「あー、はいはい」とか「わかったわかった」と頷いて腕を組んだ。
「こいつ、ちょっと面倒くさいけど仲良くしてやってね。じゃあ俺先行くから」
テキパキと俺と緋村君にそれだけ言うと、土屋君はサクッと校舎に向かった。
取り残された俺がぎこちなく緋村君を見上げると、同じように緋村君が俺を見て、校舎を指した。
多分、行くぞということなんだろう。
ひぇ~と思いつつ、靴箱までたどり着き、俺は決死の勢いで「あのっ」と声を出した。
言うとしたら、教室に入る前の今しかない。
「あのさ、昨日のことなんだけど──」
誰にも言わないで。
そう言いたかったし、そう言おうとした。
でもこの人そういうこと言いふらす人だっけ?そうじゃないならむしろこんなこと言ったら失礼なんじゃと心の中が渦巻いて話し出せず、俺は口をパクパクとさせた。
「どっち?」
顔を上げると、真剣な眼差しの緋村君が俺を見ていた。
「な、なにが?」
「俺は森宮の恋愛対象に入る?」
どうしてそんなこと聞いて来るんだろう。女の子にもモテモテで、その上俺からも好かれたらダルすぎるとかだろうか。
気が重たすぎる俺は一歩緋村君に近づいて、靴を履くのに少し屈んでいる緋村君にしか聞こえない声量で答えた。
「男だからって、誰でも好きになるわけじゃ、ないから……」
うつむいてたし、小さすぎて聞こえなかったかもしれないと思ったが、「そう」と緋村君の声が聞こえた。
「まず、そこからか」
「え?」
顔を上げると、スクッと緋村君は大きく背伸びした。
「行こ」
「あ、うん」
前を歩く緋村君の0.5歩後ろに続いた。
さっきのは、聞き間違いだろうか。