頼むからこっちに来ないでクレメンス
「ハァ……《即撃》ですわぁ」
振り向きざまに裏拳腹パンチで魔物を粉砕する。
気落ちしている今の俺にとっては、魔物などただのサンドバッグである。いつもそうでしょ、とか言わないの。
「まさかあそこでミミックを引くとはなぁ……ある意味持ってると言えば持ってるかもしれねーけど」
どちらにせよ盛り上がりとしては間違ってない方向性だと思う。
あそこで一番盛り上がらないのは、端から宝箱を開封しない選択を取った場合と、入ってる物が何の面白みのないガラクタだった時だ。
そう考えると、全力フラグ回収でミミックを引けたのはデカいかもしれない。現にリスナーも大盛り上がりのようだったし。
……でも財宝引きたかったですわァ……!
前世でもこの手の宝箱にはあまり恵まれなかったものだ。
唯一恵まれたのは、かつて活躍してくれた俺の愛剣が宝箱から出たことか。まるで俺のため存在するかのような剣だったけど……この世界であの剣をもう一度手にすることはできるのか。
まあ、多分無理だろうな。悲しいけど。
「ハァ……俺が本領発揮できるのはいつになるやら」
別に毎回本気を出していないわけではないけど、今の俺と前世の俺とは《《とある事情により》》戦闘スタイルが異なっている。
まあ、これは階層が進むごとに、ある程度解消する問題ではあるから今はあんまり考えなくて良いけど。
「今の俺がすべきことは、現状を把握しながら中層を攻略していくこと……だな。渋谷ダンジョンの中層なら人には出くわさないだろうし」
どのみち深夜にダンジョンに潜ってるヤツは、完全上位探索者くらいだろうか。うーん、潜ってるというか潜り続けているというか。
この前気になってこの世界のSランク探索者を調べてみて、まあ勿論前世とは全然違ったんだけど、強さに関しては前世のSランク探索者と相違ないように思えた。
ただし、配信してるSランク探索者は数少なかったからデータが取りづらかったけども……うーん、でもなんか見覚えのある名前がいたような気がするんだよなぁ……さすがに気のせいか。
「……とりあえずはよ家に帰ってふて寝しよ」
死んだ魚の目をしながら腹パンをする俺。
現在は四階層だし、あと一時間もすれば地上に着くことができるだろう。
しかし、あともうちょっとという時に大抵面倒事というのは降ってくるもので、俺の耳が人の足音のようなものを捉えた。
「……マズイ。こんな時間に人か……?」
いや……案外魔物の音の可能性はあるけど、これでもしも人だったら目も当てられない。
あとは、人だった場合、もしも俺に驚いて軽い攻撃を仕掛けてきたら──俺は漏れなく腹パンをかましてしまうことになる。
足音は次の曲がり角から聞こえてくる。
こうなったら魔物でないことを祈って、自ら存在を明かすしかないだろう。
俺はスーッと息を吸ってそれなりの音量で声を発する。
「曲がり角にいる方〜! 俺は探索者の夢咲氷織です! 魔物ではないので絶対に攻撃を仕掛けてこないでください! カウンタースキルを持っているので、あなたが攻撃を仕掛けてきた場合やっべぇことになりますんでぇ!」
主に俺の心とあなたの腹が。
端的に言いたいことを話すと、ピタッと足音が止む。
数秒後、足音が再び鳴り──曲がり角からニュッと人の顔が現れた。
──憤怒に歪んだ男の顔が。
「ふしゅるるるるる……ッ! 夢咲ィ……氷織ィ……」
「ぎゃぁぁぁああ!! 魔物ぉおおおおお!!」
──脱兎ッ!!!
俺は一瞬で踵を返して逃げ始めた。
その後を全力で追ってくる男。
……くっ、アイツ意外と速いなッ!
新種の魔物!? あんな形相で追ってくるヤツを人間だと思いたくないんだけど!!!
「マテェェ!!!!」
「待てと言われて待つヤツは──いる!!」
俺はピタリと止まって男と向き合う。
思わず逃げてしまったけど、もしも攻撃を仕掛けてきたら俺は全力で腹パンチをかましてしまう。ならば、対話による解決を取らないと悲劇が起こってしまう確率が高い。
……ジッと男の顔を確認する。
男というより男の子……と言わんばかりの茶髪ショタ顔の男だが、装いは軽装……だが存在感が違うので恐らく魔道具持ち。
俺の全力ダッシュに追い縋れたことを考えれば、俺ほどまでとは言わずともレベルはそれなりに高い。
そして、どこかで見たような憶えがある。
……うーん、誰だ?? この世界なら尚更男の顔は見ないはずだけど……?
あっ、アレか!!
確か……ユキヤだ! ユキヤとか言ってた。
俺がこの世界で初めて見た男性配信者のユキヤだ。
女性人気はすこぶる高く、ひたすら茶番劇を披露して収益と人気を得ていて、俺からしたらうへぇ……としか思わないタイプの典型的男性配信者の代表格。
……ソイツが明らかに俺に敵意剥き出しで来た。
恨まれる理由は無いはずだけども。
「さっき言ったように、俺に攻撃を仕掛けたらやべぇことになるぞ。いや、あの、俺に触ると火傷するぜぇ! 的なアレじゃなくてホンマにヤバいんで。内臓がナイゾウになっていいなら良いけど」
「オマエ、ユメサキ。アッテルカ」
「めっちゃ丸かじりしそうなカタコトやん。ども、夢咲です」
憤怒という言葉がこれほど似合う顔がねぇんじゃねぇか、ってくらいには怒りを剥き出しにしている。
イケメンが台無しだなおい。ファンが見たら発狂すんだろ。
とりあえず怒りを取っ払いたいと思って軽い感じに挨拶をすると、ヤツはもっと憤怒を迸らせて俺を睨んできた。
「逆恨みだって、嫉妬だって分かってるんだ……それでも、ボクを否定して人気になったお前が許せない……ッ」
「普通に話せるんや……」
逆恨み、嫉妬……? ああ……世の男性配信者を否定して人気になった俺を妬んでるってことか。なるほど。
……ん〜? 意外だな。
俺はてっきりプライドも何もかも捨てて金を得るツールとしてあの茶番劇をしているのかと思っていたけど、それなら俺に嫉妬や羨望を抱くことはない。
汗水垂らして滑稽なことやってやんの、と冷笑を浴びせることはすれど。
それなのに、目の前の男……ユキヤは俺に嫉妬を抱いていると話した。まるで、あの茶番劇に誇りを持っているかのような。
……俺は一側面でしか男性配信者を知らない。
「てっきり俺はさ、あの茶番劇を金を稼ぐためだけにやってると思ってたんだよね。俺の根底には、探索者たるものロマンを追うべし、って考えてることもあってさ。もし良かったらあんたの考えも聞かせて欲しい」
できるだけ真摯に伝わるように、彼の目を見て話す。
すると、ユキヤは怒りの眼差しを向けながらも語り始めた。
「ボクだってやりたくてやってるわけじゃない。……魔物もダンジョンも女も全て嫌いだ! ──だけど、ボクは清濁併せ呑んでリスナーたちの期待に応えているんだ。それは別に仕事への誇りでも何でもない──ただ。ただ、かつて憧れたダンジョンにしがみつきたいからだ。今となっては、魔物もダンジョンも嫌いになってしまったけどね……」
「そうだったのか……」
ユキヤの話を聞いた俺は、胸に感じるものがあった。
否定するのは簡単だった。でも、前世とこの世界じゃ価値観も何かも違って、俺は簡単に判断するべきじゃなかった。
憧憬を抱いても、それを形にできる人間はごく僅かだ。
夢を追う人間もいれば、端から夢を追う権利すら与えられない人間もいる。
「悪かったよ。初配信で言ったことは俺の本心で……今だってそう思ってはいる。でも、男性配信者たちの気持ちを蔑ろにするべきじゃなかった。それは謝る。ごめん」
俺は頭を下げた。本心からの謝罪だ。
やってることは俺にとって嫌いなことでも、当本人にしか分からない想いや過去があるものだ。
俺がしたことは、そんな想いや過去を踏み躙る行為。
ふと、頭を上げる。
そこには仏の顔のような笑みを浮かべるユキヤがいた。
「じゃあ、死んでもらっても良いかな」
「何でェ!?」