第零話
深い深い洞窟の暗闇の中、闇の信奉者である秘密結社セイセス=セイセスの儀式が行われていた。結社の人間たちはみな黒いローブをまとい、フードを深くかぶっていた。
おお……おお……おお……おお……。
結社の人間たちは呪文のように声を唱えている。その不気味な声は洞窟に反芻して反射して反響していた。
最奥の台座に、結社の大幹部であるレックス・ドリスコルがいた。台座には壇が配置されており、壇上には禁断の秘術を用いて作られた人造人間の姿が横たわっていた。若い男性の姿をした人造人間は、それは輝かしい造形美をしていた。
「同志たちよ。その時が来た。我らが主を再び呼び覚ます時が。さあ、同志諸君の力が必要だ」
ドリスコルは手をかざした。
おお! おお! おお!
同志たちは狂ったように咆哮しながら手を挙げた。すると、同志たちの手から闇のエネルギーがほとばしり、ドリスコルに集まっていく。ドリスコルはそれを両手で受け止める。彼の手に圧倒的で濃密な闇のパワーが収束し、黒いオーラとなって立ち上る。
おお! おお! おお!
結社の人間たちの狂ったような雄たけびの中、ドリスコルは闇のパワーを解放し、器となる人造人間の下に魔法陣を展開した。そして。
魔法陣から黒いオーラがほとばしり、爆発した。邪悪な世界の異形が次々と霊体となって現れ、この世のものとは言えない人外の言語で呪詛の言葉を発した。
そうして、人造人間の目が開いた。人造人間は、ゆっくりと上体を起こす。
おお! おお! おお!
ドリスコルは跪いた。
「お目覚めになりましたか、我が君」
すると、人造人間であった者は、口を開いた。
「ドリスコルか。随分と手間取ったな」
「申し訳ございません。結社の再建には時間がかかりました。同志を集めるためにも」
「ふむ……だがこの器は悪くない。私の魔力に十分耐えられるようだ」
「は……その点についてはテストを重ねました」
「あれから何年が経過した」
「百年余りでしょうか」
「成程な。何れにせよ、よくやった。では行くとしようか。新世界に」
そうして人造人間は黒衣をまとった。黒衣の魔導士、ザカリー・グラッドストンは、再び蘇ったのである。
グラッドストンが台座から降りると、結社の者たちはさざ波が退くように道を開ける。グラッドストンはその開かれた道を歩き出す。闇の帝王が再び世に解き放たれようとしていた。
イスティリナ大陸はこの百年で混乱に見舞われていた。平和は終わり、王権は衰退し、時代は群雄割拠へと移っている。文明は停滞し、あまたの伝説だけが残った。
魔剣使いの冒険者アルフレッドは、自身と同じ名を持つ曾祖父が成し遂げたという偉業の幾つかを子守歌代わりに聞いたことはあるが、はっきりしたことは知らない。ただ、巨大な悪を討伐した人だということは理解していた。何れにしても、もはや歴史の霧の中に消えてしまった人物だ。
若きアルフレッドは酒場で一杯やりながらくつろいでいた。ここは某男爵領の町。かつて都があった場所も今昔。今では男爵領の一部と化している。
人間は生きることにのみ意味がある。どこかの偉い僧侶の語り草を聞いたことがある。何のために生きるのか、何のために自分は存在しているのか、何のために生まれてきたのか、特にこんな混沌とした時代には問わずにいられないこともあるだろう。尤もアルフレッドにはそこまで自身に問い続けることはなかったが。生きていくために魔物を狩り、ダンジョンに潜り、人々から依頼を受け、金を稼ぐ。そして酒と空腹を満たす。常に危険と隣り合わせのお世辞にも普通の人生とは言えないが、それが冒険者というものだ。両親は冒険者になることを反対してきたが、最終的には家宝の魔剣と魔法の鎧を持って来て、餞別として渡してくれた。
貴族と騎士たちは条件が許せば戦争ばかりしている。そうして領地を奪い合い、自身の勢力拡大を狙っているのだ。もうこんな時代が何年も続いているらしいが、全く決着を見ないのはまさに暗黒時代と言ったところだろう。
アルフレッドがくつろいでいる間にも酒場には人が出入りしている。ラウデンに来てまだ一週間余りだが、顔馴染みは出来たし、酒場の主人とスタッフの女性にも顔は覚えてもらった。毎日通っていればそうなるだろうが。
と、アルフレッドはビールジョッキを置いて懐から小さな水晶玉を取り出す。水晶玉は、この時代に発達したマジックアイテムで、大量生産されてはいないものの、今やそれなりに流通している冒険者には必須の地位を占めつつあるものだ。元々中身は空っぽなので、用途に合わせて魔法を購入する必要がある。強力な魔法を無限に封じ込めることが出来る。水晶玉に念を込めることで発動する。千里眼のように遠くを見渡すことが出来るし、地水火風の四大元素の攻撃魔法や瞬間移動なども可能、また他の水晶玉を持っている者と遠隔で通話が出来る。そして水晶玉は無限の収納スペースを有しており、お金はもちろん、装備やアイテム、果てはテントやコテージ、魔法生物などの巨大なものまで収納出来る。水晶玉はもはや封入する魔法次第で何でもありのアイテムなのだ。
水晶玉は点滅して着信音を鳴らしていた。アルフレッドが受信するとホログラムの映像が起動して女性の顔を映し出した。懐かしい顔だ。
「アンジェリア」
彼女とは以前仕事をしたことがある。強力な魔導士だ。
「随分久しぶりだな。どうした」
「今どうしてる? 仕事は?」
「いきなり仕事の話か」
「急ぎなの」
「今は空いてるよ。何かあったのか」
「すぐに王都パレラシアの城へ来て。話はそれからよ。他のメンバーも待ってるから。それじゃ、急いで」
そうしてビデオ通話は切れた。
「やれやれ……何事か。まるで世界の終りのような剣幕だったな」
アルフレッドは支払いを済ませると、水晶玉で王都へテレポートした。
パレラシアはこの混乱の時代にあってそれなりの賑わいを見せている。名ばかりの王が玉座の主とは言え、一応は大陸の首都だ。アルフレッドは馬車を調達すると城へ向かった。到着するとアルフレッドは御者に支払いをしてチップを渡す。
「さて……」
アルフレッドは水晶玉を取り出しアンジェリアへ通話した。彼女はすぐにホログラムに現れた。
「アンジェリア、今城の前だ。どこに行けばいい」
「待って、そっちにテレポートする」
すると、数秒後にアンジェリアがアルフレッドの近くに出現した。
「さ、捕まって」
「感動の対面シーンは無しか」
「それはまた今度。行くわよ」
「はいはい」
そうして、アンジェリアはテレポートした。
二人がテレポートしたのは城内の会議室の一室であった。
大勢の冒険者たちが室内にいて、混み混みである。
「一体どうしたんだ。同業者ばかりじゃないか」
「そうよ。言ったでしょ。他のメンバーも集まってるって」
「そういう意味か」
「さ、こっち。懐かしい顔が待ってる」
そうして、アルフレッドはアンジェリアの後を付いていく。やがて、かつてパーティを組んだ面々のもとへと辿り着く。
アルフレッドと同じく魔剣使いのライオネル、僧侶のマーガレットだ。
「よおアルフレッド」
「お久しぶりですアルフレッドさん」
「久しぶりだな」
アルフレッドは二人とグーパンチとハイタッチを交わした。
「それで? このご時世に王が俺たちを集めたわけは? 王の命令なんだろ?」
アルフレッドは仲間たちに問う。
ライオネルは肩をすくめて、「まだ何かは知らない」と言った。
マーガレットも同じく。
「知らないって……アンジェリア、じゃあお前は何か知ってるのか」
「まあね。魔導士評議会に伝手があるから。でも、これは私の口からは言えないから」
そうこうしていると、会議室の奥の扉から国王フランシスと宮廷魔術師フェリックスが姿を見せた。室内のざわめきは二人の姿を見て収まっていく。
まずはフェリックスが口を開いた。
「みな集まってくれたか。それぞれパーティメンバーは揃っているか」
冒険者たちはざわざわと「問題ない」と答える。
「よし、よく来てくれたな。緊急の招集に応じてくれて感謝する。――陛下」
フェリックスが後ろに下がって、フランシスが前に出てくる。
「皆の者、災厄が蘇った。結論から言おう。ザカリー・グラッドストンが復活したのだ」
その名は無形の爆発物となって歴戦の冒険者たちに衝撃を与えた。
「どうしてそれが分かったんだ」当然の質問が冒険者から出る。
フランシスは頷いた。
「魔導士評議会と宮廷魔術師の両方の魔法探知に反応が出たのだ。探知はしばらく反応していたが、焼失した。グラッドストンは目下のところ行方不明だ」
「反応が消えたって、何で? 何かの間違いじゃないのか」
「いや、間違いなく最初に捉えた反応はグラッドストンであった。魔法使い達が言うにはグラッドストンは探知から身を隠す遮蔽の術を使っているとの事だ」
冒険者たちの間にざわめきが走る。
そこでアルフレッドが口を開いた。
「国王、それで、俺たちを集めたからには何か策があると期待していいのか」
「策は……ない。ただ、お前たちが活動するレベルの仕事において、グラッドストンと接触する可能性が高いと思われる。だからこそ皆を集めたのだ。突如としてグラッドストンと遭遇してパニックにならないためだ。情報共有だ」
「じゃあ、今のところは打つ手なしってことか」
「ああ、今のところはな。魔導士評議会も宮廷魔術師たちも新たな探知の魔法を組み上げているところだ」
「成程」
アルフレッドは口を閉ざした。
それから他の冒険者たちからも散発的にフランシスへの質問が飛び交った。王はそれに答え、いよいよ質問の声も消えた頃合いを見て、フェリックスが言った。
「では皆、いいか。気休めを言うつもりはないが、もしグラッドストンと遭遇したら逃げてくれ。今はそれしか言えない。それから報告を頼む。それから、この件を軽々しく口外しないでもらいたい。情報の取り扱いには注意を払え」
冒険者たちはざわめく。
「みな、よろしく頼むぞ。これは大陸の大厄災だ。今はまだ何も起こっていないだけで、グラッドストンは必ず動く。力を貸してくれ。以上だ」
こうして会合はお開きとなった。
冒険者たちは会議室からテレポートして消えていく。
そんな馬鹿な……「あの」グラッドストンが復活したなんて……。
「さあ、私たちも行きましょう。パーティ再結成よ」
アンジェリアが言った。
「もう確定かよ」
アルフレッドの言葉にマーガレットが微笑んだ。
「でも、この状況で一人で動くのは危険ですよ」
「ま、こうなったら仕方ないな。アルフレッド、俺も再結成には賛成だ」
ライオネルは言って肩をすくめる。
「やれやれ。また荒稼ぎの時代がやって来るのか」
「何ですって? それは言い過ぎじゃないかしら」
アンジェリアはアルフレッドの言葉に笑みを零す。
かくして、アルフレッドは旧知の仲間たちと再びパーティを結成することになる。