夕闇急行②
夕方アリーシャから貰ったゲームを自慢しようとウミの家に向かった。ゲームに関する情報収集に余念がない彼女には、いつも最新のゲームが出るたび先を越されていた。彼女はレアなゲームをいち早く手に入れさりげなく部屋に飾っていて、貸してと頼むといいよといつもあっさり貸してくれた。が、さすがの彼女も今日ばかりは驚くに違いない。
車を路肩に停めウミ宅のインターフォンを鳴らした。バタバタと廊下を走る音がして扉が開くなり、強い力で抱きしめられた。驚きのあまり暫く身動きがとれなかった。
「……どうしたん?」
思わず声が漏れる。手に持ったゲームソフトを見せびらかす間もなく棒立ちになる私。一体この状況は何だ。ウミはどうしてしまったんだろう。そういえば最近新しいアルバムの制作で忙しいと言っていたっけ。曲作りに疲れて頭がどうかしてしまったんだろうか。
「ニコルからあなたが怪我をして病院に運ばれたってメールで聞いた。良かった……生きてて」
ウミの声は震えていた。
「そりゃ生きてるよ。ここで死んだら何にもならんでしょーが」
感情的なウミに対し平然と言い放つ私。この温度差を国に例えるならばウミが夏のゴビ砂漠で私が冬のゴビ砂漠といったところか。国じゃないけど。砂漠だけど。
「あなたのことが心配でどうにかなりそうだった。今ちょうど会いに行こうと思ってたところだったんだ。本当はもっと早く行くつもりだったんだけど、オンラインでの仕事の打ち合わせが長引いて……」
「心配かけてすまんかった」
私は珍しく感情的になって涙目のウミの肩を2度ほど叩いたあと本題のゲームを見せた。
「これ友達がくれたんだ。すごくない? プレミアもんだよ」
友人はふっと目を細めて、「それなら持ってるよ」と答えた。
まるで隕石が頭に落下したかのような衝撃を受け、心の中でエクソシストに出てくる少女さながらの白目を剥く。
「マジ?」
「うん。言ってくれたら貸したのに」
とりあえず入って、とウミは中に入るように促した。
地下のゲーム部屋に向かいながら、普段やることでスケジュールが埋め尽くされているために休養1日目にして暇で暇で仕方なかった旨を話すと、ウミはだろうねと短く相槌を打った。
「私も忙しくしてるから、いざ休みになると何して良いかわからない」
地下のゲーム部屋に招き入れられ、相変わらず壁際の棚にぎっしりと並べられたゲームのコレクションを眺めながら「マジでここに住みたい」と漏らしたらウミは笑った。
「貸して欲しいのがあったらまたいつでも言って。家にいるのは退屈だろうし、万一借りパクされたとしても恨まないから」
冗談か本気か分からないがのび太に対するドラえもん並みに寛容すぎる台詞を口にしたウミは、よっこらしょという謎の掛け声とともにソファに腰掛けた。
私はいつもの流れで勝手に黒いテーブルの上に置いてあるGS5の電源を入れ、持ってきたトワイライト・エクスプレスのソフトを入れたあとでウミの横に腰掛けた。テーブルの上、投げ出されるように置かれたワイヤレスのコントローラーを握りしめると、私は何か言いたげな雰囲気を醸し出している友人に向かってひと言忠告を入れた。
「過度なネタバレは禁止な」
今日のウミはやけに落ち着きがない。何があっても落ち着き払っているいつものクールな彼女とは別人のようだ。
「ネタバレはしない。ただあなたがここにいてくれるのが嬉しい」
ウミがこんな台詞を口にするのは非常に珍しい。ただ口にしないだけで私も同じ気持ちだった。生きるか死ぬかの瀬戸際の体験をしてみて身に染みて分かる。以前のように友人と同じ時間を共有し楽しみを分かち合える有り難みを。
「私も嬉しいよ。こうして生きて、友達とずっとやりたかったゲームができてることが」
神様は何を思って私と目の前のスターを出会わせたのだろう。確かなことはこの出会いが、一生のゲーム仲間を見つけるという以上の特別な意味を持っているであろうこと。
「考えたんだ、もしもあなたが死んでたらって。そしたら真っ暗だった。まるでマフィア映画みたいに、手足を縛られて車のトランクの中に放り込まれたみたいに。凄く苦しくて真っ暗で……いっそここまま消えてしまいたくなるような」
普段は感情の浮き沈みが少なくて私よりずっと大人びて見える友人が、今にも泣き出しそうな悲痛な表情を浮かべている。なお物言いたげなその瞳が私の姿を真っ直ぐに捉えたときある考えが脳裏を掠め、それを必死に打ち消した。
液晶画面にゲームの最初の画面が現れる。STARTの文字にカーソルを合わせ決定ボタンを押す。
「珍しくエモーショナルだね」
呑気な私のコメントにウミはやや憮然とした表情を浮かべた。
「そりゃそうだよ、大切な人が怪我して意識不明になってたなんて聞いたら誰だって……」
ウミは私の怪我のことをニコルからつい1時間前にメールで聞かされたらしい。そのとき最新のアルバムについてオンラインで打ち合わせ中だったが、私の元に駆けつけるため無理やり会議を中断し、出かけようとしていたところにちょうど私が来たらしい。
ウミと関わりを持ってからというもの、私はそれまで以上に彼女の曲を頻繁に聴くようになっていた。アルバムにしか収録されていない曲、デビュー前に作ったマイナーな曲も。ウミの音楽が好きなのは単純に彼女が歌う声と曲調と詩が好みだという理由もあるが、音楽と歌詞の中にウミという一筋縄ではいかない、複雑で屈折した人間性が現れている気がして興味深かったのだ。
ウミの口から出た「大切」という言葉は、彼女の曲の歌詞の中にすら滅多に見当たらないものだ。そんな言葉をかけるということは、少なくとも私のことをかけがえのない仲間の一人として認識してくれているということなのだろう。
私は俯いているウミに打ち明けた。
「テーブルの角に頭ぶつけたとき、ああ、私このまま死ぬんだなって思ったの。だけど生きてて。目が覚めて安心したのも束の間、やっぱりこの世は理不尽なんだってことに気付かされてすごく頭に来た」
ウミは静かに私の話に耳を傾けている。ゲームのプロローグ、紺色の背景に血液を思わせるどす黒い赤色のタイトル。画面の下、緑の線で囲まれた白い枠の中に黒い機械的な文字が次々と羅列されていく。文字を追うことをほとんど放棄している私の耳にウミの声が響く。
「私は音楽という手段で腐った世の中に立ち向かう。あなたはもっと別の方法なのかもしれない。どんな形であれ、その手段があるのとないのとでは違う」
先ほどよりいくらか落ち着いた、だが強い意志の込められた口調でウミは言った。祖父は行動を起こすことで世の中の理不尽さと闘った。多くの人を愛し、助け、導くことのできる類稀な存在だった。一方で私にはどんな武器があるのだろう。世の中のシステムを大きく変えることなどできなくても、その中で強く生きていくために必要なものを私は持っているのだろうか。
その後私はウミにガイドをしてもらいながら夢中でゲームをプレイし続けた。気づいたときには22時を過ぎていて、帰ろうと立ち上がりかけた私をウミは止めた。
「泊まってったら? こんな連休なんて滅多にないでしょ? せっかく会えたんだしもう少しいてよ。夜中までゲームしててもいいし、2階の部屋使ってゴロゴロしててもいいしさ」
ウミの提案は魅力的だった。この豪邸に一晩泊まるだけでも沢山な、ゲームを自由にしていいしホテルのような広い部屋を好き放題使って良いと言うのだから。
「仕方ないな、じゃあせっかくだから泊まってやろう。あ、ピザ頼んでもOK?」
尋ねるとウミは嬉しそうに頷いた。
「もちろん」
携帯で注文を取りピザが到着したあと、1階のだだっ広い大広間に並べられた長テーブルの1つに向かい合いLサイズのシーフードとポテトのピザを頬張った。ウミはピザならよく食べるのだと意外な台詞を吐いた。
「ピザって楽だからつい頼んじゃうんだよね。でも結局あんまり食べられなくて沢山余って処分に困って、家に来る友達や仕事仲間にあげちゃうんだけど」
「それなら進んであなたの家の残飯処理係になるわ」
私が大きなピザを齧るのとほとんど同時に、ウミの白い手がおまけでついてきたペットボトルのジンジャーエールのキャップの口を切った。炭酸の弾けるプシュッという音が広間にこだまする。
シャンデリアがぶら下がる天井、ホールの真ん中にある長いテーブルに向かい合う私たち。まるで二人だけの最後の晩餐みたいだ。時計は既に11時をまわっている。
「友達を泊めることなんて滅多にないんだけど、たまにはこういうのもいいね」と私よりもずっと遅いペースでピザを食べ進めるウミが言う。
「泊まりたい人はいっぱいいるだろうね」
ウミと仲が良いという理由だけでゲーム部屋付きの豪邸をほぼ貸し切りできる私はかなりの幸せ者なのかもしれない。満足感に満たされながら私はピザの上に横たわるエビを手で摘んで口に放った。
ウミ宅での楽しすぎる体験と空腹で加速した私の食欲によりピザが半分なくなったあたりで、私は今撮影している映画のことやチャドやルーカスや他のスタッフのこと、共演しているユニークな仲間たちのことについて話した。ウミは静かに微笑みながら話を聞いていた。
「何だか凄く生き生きしてるね」
ウミは言った。
「あ、そう?」
確かにあの映画の撮影が始まってから以前よりも毎日が充実していたし、前向きな気持ちで仕事に取り組めていた。撮影が始まってからはというよりかは、その少し前から感情に変化が現れつつあったのだが。ストレスといったらあの胸糞悪いニコルの顔を連日で拝まなければならないことくらいだ。
「以前のあなたはゲームで勝ったとき以外ほとんど笑わなかった。柔らかくなったのかもね、心が」
ウミの安堵の表情を見て、きっと彼女なりに私のことを心配してくれていたのだろうと思い温かい気持ちになった。
そこでふと、ウミは声を上げて笑うことがあるのだろうかという疑問が頭に浮かんだ。
「あなたは普段爆笑することとかある?」
素朴な疑問にウミは首をかしげ、「言われてみればそんなにないかもな」と答えた。
「やっぱり。あなたってコメディドラマ観て腹抱えて笑ったりとか、そういうことなさそうだなって」
「あなたはある?」
「最近はよくある」
子供の頃祖父と一緒にチャップリンの映画や『フルハウス』や『フレンズ』なんかのコメディドラマをよく観ていた。だが祖父が亡くなってからはそれらを観ることも、ドラマのオープニングの音楽を聴くことすら辛くなった。また観て笑えるようになったのはつい最近のことだ。
「そうだ、『ビッグバン・セオリー』って観たことある?」
私は数年前に最終回を迎えたお気に入りコメディドラマをウミに勧めてみようと思い立った。彼女の爆笑するところを見たいという密かな願望もあった。
「タイトルだけ聞いた事はあるけど観たことはない」
「よし、じゃあこのあと観せてやろう」
シャワーを浴びたあとウミとともにゲーム部屋に戻り、いつも持ち歩いているタブレットPCの電源を入れ液晶の動画配信サービスのアイコンを選択した。この『ビッグバン・セオリー』は、大学院で学ぶ理系の天才オタク男子4人が、ブロンド美女や製薬会社で働く聡明な女子、脳神経学を学ぶ個性的な子という3人の女の子と出会い恋愛や研究をしたり遊んだり皆で一つの部屋に集まりジョークを言い合いながらご飯を食べたりという、賑やかな日々を映したシチュエーションコメディだ。
「アハハハ、こりゃあいいや」
私の予想通りこのドラマはウミの笑いのツボを刺激したようで、始まって間もなく腹を抱えて笑い出した。普段テレビに出てインタビューを受けてもパフォーマンス中であっても滅多に笑顔を見せない超ミステリアス・クールガールのウミが大爆笑している姿をYouTubeにアップしたら、再生回数だけで億万長者になれるかもしれない。
「あなたの笑ってる動画私のインスタに上げてもいい?」
「それはやめて。アハハハハ、おかしい!!」
ウミは一度ツボに入るとなかなか抜け出せないタイプらしい。ちょっとしたシーンが可笑しく感じるらしく涙を拭いながら笑っている。
12時過ぎた頃ウミの笑い声に呼応するかのようにスマートフォンの着信が鳴った。電話に出るなり穏やかな祖母の声が耳に流れ込んできた。
『リオ、今どこにいるの? お父さんとお母さんがすごく心配してるわ』
しまった、遊ぶのに夢中で家に連絡をするのをすっかり忘れていた。
「ごめんおばあちゃん、今友達の家にいるの。今日は遅いから泊まってくわ」
慌てて告げると祖母のセシルはいつものゆったりとした声で尋ねた。
『もしかして恋人?』
「違うの、ミュージシャンの友達。ウミっていう……」
『おやまあ、Umiってあの面白い曲を作る子よね』
祖母はよくリビングの藤椅子に腰掛けてテレビを観ている。年齢の割に若い芸能人に詳しいのはそのためだ。
ウミと友人であることを私は家族に話していなかった。普段あまり家で友達や仕事の話をしない。かといって決して寡黙というわけではなく、むしろ他の話題に関してはよく喋る方なのだが。
「そうよ、ウミってめちゃくちゃ才能あるうえに超クールなの。ゲームもすごい沢山持ってるし私なんかよりずっと上手いの。ずるいと思わない?」
祖母はふふふと笑った。
『そういう大スターに限って孤独を抱えてたりするものよ。エルビス・プレスリーもそうだし、カート・コバーンも……」
そのほかにもプリンスやマイケル・ジャクソンなど往年の大スターの名を羅列したあとで、祖母は続けた。
『気をつけて見ていた方がいいわ。プライドが邪魔をして言葉にできないだけで、その子は本当はすごく寂しいのかもしれないから』
電話を切ったあとふとウミの方に目をやる。最初に会った時に目にしたウミの悲しそうな瞳を思い出す。あれはもしかしたら祖母の言うような孤独のためだったのかもしれない。少なくとも今私の横で笑っているウミからネガティブな感情は一切感じられない。この笑顔が一時的なものだとしても、私や誰かといることで彼女の孤独が和らぐのであればそれでいい。