16. ミシェル
ミシェルが帰ってきたのは午後の3時過ぎだった。彼女は最初、出かける前よりも更に散らかった家の状態を見てあんぐりと口を開けていた。遊び疲れたベンとポニーはリビングのソファで寄り添い合いながら眠っている。
私はミシェルと一緒に散らかった部屋の後片付けをしたあと、疲れ切って帰ろうとしたところを呼び止められた。彼女は私にメキシカン料理の店からテイクアウトしてきたらしい、中からチリソースの匂いのする金具の持ち手の付いたフードボックスを渡しお礼を言った。
「リオ、今日はありがとう。助かったわ。せっかくの休みを子守りに使わせちゃって、悪かったわね」
「ううん、何だかんだで楽しかった。ベンとポニーはどっちも面白い子ね」
「まぁね。いつも喧嘩ばっかしてるし、すごいうるさいけど」
「ニーナへのプレゼント、無事に見つかったの?」
「うん。アクセサリーも良いかなって思ったんだけど、彼女が本が好きだって言ってたから、ブックカバーと栞にしたわ」
「ナイスなチョイスだね」
ミシェルはおもむろにこの間のウミ宅でのパーティのことに触れた。
「そういえばさ、あの時ウミとプールで何話してたの?」
「何って?」
「なんかプールサイドで並んで、いい感じで話してたじゃない」
私の脇腹を突きながら、意味深な笑みを浮かべる友人に向かって首を振る。
「あぁ、別にそういうんじゃない。お互いのことをちょっと話しただけ」
「ふーん。実は私さ、昨日ウミに振られたのよ」
「マジ?」
その情報は初耳だった。ミシェルがウミと知り合いだということは知っていたが、彼女がウミに恋をしていたことすら知らなかった。
「1ヶ月くらい前からメールをしてて、好きだって告白したら振られた。理由は、『気になる人がいるから』だって」
プールで話したとき、ウミはそんなこと一言も言っていなかった。第一に私と同じで恋愛に対してそれほど興味がなさそうだったし、誰かと付き合うなんてまっぴら御免というようにすら見えたのに。
「ウミって恋愛に興味なさそうなのに」
「私もそう思ってたわ。メールの返信も日に1回あればいい方だし、電話は基本仕事してるからって出ないし。だけど昨日分かった。彼女は私に興味がなかっただけ。そして、これは勘なんだけどーー」
そのとき玄関でチャイムが鳴り響いた。ニーナが到着したらしい。ミシェルは言いかけた言葉をそのままにして、バタバタと玄関に向かって駆けて行った。
ニーナと一言二言話を交わした後でミシェル宅から帰還した私は、半日ですっかり疲弊した身体を自室のベッドに横たえた。もしミシェルがウミに恋をしていたことを知っていれば、あの時プールサイドでウミとあんなに長々と語らわないで、ミシェルを呼んでウミと二人きりにするくらいの気は遣えたかもしれない。
ウミのことを話していたときのミシェルは明るい表情を作っていたものの、傷ついていることは明白だった。相手が自分に興味がないと分かるというのは、想っている側からしたらすごく悲しいことなんだろう。私はこれまで自分に好意を向けている相手を、どれほど深く傷つけて失望させてきたんだろう。私に「心がないの?」と聞いたマルコだって、ハナから私を傷つけるつもりでその問いを発したわけではなかったはずだ。きっと彼は傷ついていたのだ。彼と同じ気持ちになることはない、淡白なメールと言葉と感情を義務的に返すだけの私に。
もしも誰かに恋する気持ちが分かっていたら、マルコやその他の私に好意を持ってくれた人たちに対してもう少し思いやりを持って接することができたかもしれない。そうすればマルコも私に「心がないの?」なんて台詞を言わずに済んだかも知れない。もしかしたら私には一生分からないのかも知れない。誰かを心から愛して、その人のことを知りたい、支えたい、労りたいと思うような気持ちが。そしてこのまま1人寂しく死んでいくのかもしれない。そんな思考に耽っているうちに、深い眠りに落ちていった。