9. セラピスト
高校3年のとき、私の表情の乏しさに関してクラスメイトたちはあれこれと噂をした。そのほとんど全てが根拠のないもので、幼い頃いじめにあって精神的なトラウマから無表情になったのだとか、それならまだしも、整形手術に失敗して表情筋が動かなくなったのだという名誉毀損も甚だしい噂すら流れていた。
教師たちの耳にもその噂が入ったのか、担任の先生からも表情のことを指摘されることが増えた。まだ20台後半の女教師は私の表情の乏しさを病的なものと解釈したらしい。一度セラピーに行ったらどうかとことあるごとに勧められた。セラピーに効果があるとはとても思えなかったが段々とやり過ごすのも面倒になってきて、結局彼女に言われるがまま、思春期の子どもを中心にセラピーを行なっているという人のところへ行くことにした。
だが問題は、50代のその男性セラピストの口があまりに臭すぎたことだ。私はまるで、牛糞を丸ごと飲み込んだかのような強烈な匂いに耐えきれずに何も肝心なことを話さないまま、10分ほどでお腹が痛いなどと適当なことを言って部屋を出た。
その話を聞いたルーシーは腹を抱えて大笑いした。
「ああおかしい! 笑いすぎてお腹が痛い」
ルーシーの笑いはいつまでも止まる気配がないが、それよりも周りの共演者やスタッフらの視線はブルーベルに集中している。
彼らの目線の先にいるブルーベルは、かねてから大ファンを公言していたカメラマンのレオナとはにかんだ笑顔で握手をし、写真撮影に応じている。そんなブルーベルを複雑な気持ちで見つめながら私は口を開く。
「結局無表情は治らないまんま。何で受かったのかな、私」
何度もオーディションを受け続けるも感情表現に乏しいという理由で落とされ続けた私が、このドラマに出られていること自体が奇跡のようなものだ。
ルーシーはようやく笑いが収まったようで、大きく息を整えると私の方を見た。
「あなたに何か見込みがあったからじゃないの?」
「この間ウミの家のパーティーに行った時に言われたのよ、同じオーディション受けてた子に。私がスタッフの間で『のっぺらぼう』って呼ばれてるって」
それを聞いたルーシーは不愉快そうに眉を顰めた。
「何なの? それ。一度も聞いたことないんだけど。その子が嘘をついたとかじゃなくて?」
呼吸をするように嘘をつく、虚言癖のある人間がいることは知っている。ニコルが私を陥れるために嘘をついたのだとしたらかなりタチが悪い。現に彼女にそのことを聞かされたあと私は人間不信に陥り、これまで親切にしてくれていたスタッフと話すことすら恐怖心を覚えるようになっていた。
しかし、私のことをほとんど知らないニコルの口から『のっぺらぼう』という嘘の言葉が出てくるなんて不自然だ。彼女は私が無表情だということも感情表現が苦手だということも知らないわけだから、やはり私の身近な誰かーーニコルと顔見知りのスタッフの誰かが言ったと考えた方がしっくりくる。自分の弱点は理解しているつもりだし、今更犯人探しをするつもりもないが。
確かなことは、犯人はケイシーではないということだ。ケイシーは基本的に「影で」ではなく文句があれば直接私に言ってくるし、彼がもしニコルと知り合いだったとしたら、既に彼の口からニコルの名前が出ていてもおかしくないはずだから。
「別に気にしてないけどさ」
このつぶやきは完全な強がりだ。気遣わしげに私を見つめているルーシーは、おそらくそのことに気づいているに違いない。
「そんな人の言うことを気にすることないわ。私はあなたのそういうところもユニークで凄くいいと思う。真顔で冗談を言うところなんて最高に面白いし」
ルーシーは私のポーカーフェイスを褒めてくれた唯一の人だ。彼女の言葉に心が少し救われた私は、ようやく「お昼食べ行こう」と言える気持ちになった。