吾輩は弱点だらけである。
目の前の人影から発せられる圧に押しつぶされそうだった。
目に見えそうなほどの圧倒的な力と殺意。真夏の太陽よりも熱く肌を焼き焦がされている。ハンマーを構えられただけ、後ろにひっくり返らなかっただけでも儲けものだと思った。
これが怪物の王。
ヴァンパイア。
「準備はいいか?」
「ああ。この時間なら寝ているはずだ。少なくとも外に逃げられる怖れはない」
うっそうとした木々の間を切り裂くように、太陽がさんさんと降り注いでいる。とある古城の扉の前で五人の男女が集合していた。彼らは各々に斧やハンマー、銃器を握りしめている。
「じゃあ、打ち合わせ通りにジャクソンとルーシーは外で待機だ。持ってきたモーターで堀の水を回しておいてくれ。万が一にも逃さないようにな」
リーダーのヴァンが背後にある堀を親指で示す。
「太陽がこんなに出てるのに」
「万一の保険だよ」
「ルーシーはこの前、〈灰色の魔女〉をぶっ殺したじゃない。その前だって人狼を三匹ばかり狩ったし。今回はあたしの番」
「今回の方が大物じゃないか。ここらじゃ有名だって聞いたよ」
「確かに今までで一番の大物かもしれないが、順番があるからさ」
「全員で突っ込んだら誰かがケガしたときに面倒だからな」
「それはわかってる。別にケガとかを心配してるわけじゃない。ただ久しぶりのヴァンパイアなのにブチ殺せないのがむかつくだけなの」
ルーシーと呼ばれた女性は頷きながらも不満気に口を尖らせた。
「待機組だって重要な役割さ。それじゃ、俺とビル、エリーでこの城に巣くうヴァンパイアを殺してくるよ」
「気をつけなよ、ヴァン」
「任せとけ」
五人は城の入り口で拳を合わせた。
城の中は薄暗く湿っぽい空気に満たされていた。
城の中に入ったヴァン、ビル、エリーの三人は丁寧に整えられた広間を見渡す。
「へえ。意外とキレイなのね。窓も小さいとはいえ、打ち付けされたりしてないし」
「この辺りは使ってないんだろう。主な生活圏は地下だろうからな」
「エリーは初めてだったか?」
「入ったのはね。調査は噛めなかったから」
エリーは肩をすくめた。
「まあいい。地下の階段はこっちだ」
ヴァンが二人を手招きする。広間の一番奥、重厚なカーテンの陰に隠れるように、小さな扉があった。
「流石に最奥までは調べられていないが、この下には広い空間がありそうだってことはわかってる」
三人はランタンを灯して暗い螺旋階段に足を踏み入れた。石造りの階段に三人の足音だけが反響した。
「何も出ないのね。出てほしいわけじゃないけど、いつもなら成れの果てみたいな怪物が二、三匹いそうなもんだけど」
「眷属もお休み中だろうな」
「主を守ろうとせずに寝てるわけ? ここのヴァンパイアは警戒心がないのかしら?」
「楽でいいじゃないか」
「二人とも、もうすぐ底に着くぞ。短い廊下があって、その扉の奥がヴァンパイアの根城だ」
ヴァンがそう告げたと同時に三人は階段を降り切った。
「準備はいいか?」
ヴァンの問いかけに二人は無言で武器を構えた。銀を混ぜた合金のハンマーと斧。固く太い木製の杭、純銀の十字架に銃弾、ガラスの小瓶につまった聖水。そして彼らがヴァンパイア退治でよく使用するむき身のトウモロコシ。
「さあ、怪物退治だ」
にやりと笑って、ヴァンは扉の取っ手に手をかけた。
「あー……歓迎はせんぞ?」
廊下の先、扉を開けて、真っ暗な部屋に入ったところで疲れたような声がした。
「ヴァンパイア⁉」
「当り前だろうが。吾輩が目的で来たのではないのか、ハンターども?」
「まずい! この暗闇では!」
パチン。
指をはじく音がして、部屋が明るくなった。壁には多くの燭台があり、ろうそくの灯が揺らめいた。
巨大な部屋だった。絨毯は鮮血のように赤く、壁には様々な武器と得体の知れない動物の剥製が掲げられており、天井からは巨大なシャンデリアが影を落としていた。
「叫ぶな……頭に響く」
疲れたような声は部屋の奥、数段高くなった玉座らしき場所から聞こえてくる。華美ではないものの、十分に豪華な玉座には青白い顔のくたびれた男が腰かけていた。上品な燕尾服を着こなし、なでつけた黒髪が後ろに流れている。ため息をついた口の端から尖った牙が見え隠れした。
想定外に起きていたヴァンパイアと対峙することになり、ハンターの間には緊張が走る。臨戦態勢のヴァンパイアは一筋縄ではいかない。恐ろしい相手であることは間違いないのだ。油断すればあっという間に屠られてしまうだろう。
「ヴァンパイアがこの時間に起きているとはな」
ヴァンは油断なくハンマーを構えながら呟く。
「朝更かしするヴァンパイアが珍しいかね?」
かすかに笑い声が混じる。
「別段、朝になったら眠らなければならない決まりはないのだが。人間とて夜更かしぐらいはするだろう?」
三人のハンターが答えなかった。
「……まったく。返事もなしか。実際のところ、人の家の前でガタガタとうるさくて眠れやしない」
「起きているのは予想外だが、体調はかなり悪そうだ。ああ言っているが、おそらく眠っていないのはつらいはず」
「そこを叩こう」
「おい。主である吾輩を差し置いてこそこそするな。ハンターというのは礼儀知らずか」
「怪物に礼儀をとやかく言われる筋合いはない」
「エリー、挑発に乗るな」
「ああ、まったく忌々しい! お前たちは無断で我が城に侵入した挙句に、吾輩の大嫌いな物をしこたま持っているときてる! 不愉快だ‼」
ヴァンパイアはイライラと膝を揺すった。
三人は武器を構えなおした。しかし、ヴァンパイアは三人には目もくれずにブツブツ呟き続けた。
「ニンニクの不愉快な臭いがここまで漂ってくる! 頭が痛くなる。畜生が! なぜ怪異の王たる、この吾輩が根菜ごときにこんな思いをせねばならんのだ! 根菜だぞ⁉」
「…………」
「植物の根っこかどうかもよくわからん部位になぜヴァンパイアを苦しめる効果がある⁉ 意味が分からん! 臭いだけならシュールストレミングやらブルーチーズの方が臭いわ! あれらはただ臭いだけなのに、なぜニンニクはこうも毒物なのだ⁉」
「…………」
「ネギもらっきょうもエシャロットも喰えるわ! なぜニンニクだけが⁉」
ハンターを無視するがごとく、ヴァンパイアは叫んだ。もちろんハンターは答えられない。
「畜生め。忌々しい根菜だ。……まあそれはいい。ついでに銀も持っているな? イヤミったらしい銀のエネルギーを感じる。ああ、そのハンマーも斧も、ついでに銃弾も銀か」
ふん、と鼻を鳴らす。
「肌を刺すような感覚があるぞ! なぜ銀は魔除けなのだ。確かにほとんどの魔に銀は有効だが、効かんヤツだって多いぞ。効果絶大で有名どころと言えば人狼、悪魔、そして吾輩、ヴァンパイアだ! 銀は純潔と無垢の象徴? 純潔と無垢な者の血は大好きなのに! それが象徴する物体がダメだとは!」
「…………」
「あとは月の象徴か。月と言えば夜だろうが! ヴァンパイアは夜の王だぞ! どう考えても銀と同類だろうが! ついでにあの毛むくじゃらの獣臭い狼人間どもは月の、満月のエネルギーで変身するくせに、そのエネルギーを持つ銀の弾丸で殺されるんだぞ? いい気味だが、不憫なやつらだ」
「……ねえ、ヴァン。あのヴァンパイア大丈夫なの?」
「……あんなタイプは初めてだからわからんな」
ハンターたちはひそひそと意見を交わす。なぜか文句の止まらない獲物にどうしたものか悩んでしまっていた。
そんな様子には気づかないのか、ヴァンパイアの愚痴は止まらなかった。
「どうせあれだろう! 貴様ら杭も持ってきているな! 吾輩の心臓に突き刺すために! 心臓に杭を突き刺すのがヴァンパイアの弱点だからな‼」
ヴァンパイアは玉座に座ったまま、ハンター三人に指を突き付けた。
「貴様らは考えなく持ってきているんだろうが、吾輩は納得しておらんからな! 心臓に杭を刺すのがヴァンパイアの弱点だと声高に叫ぶことが気に入らん!」
「知らないわよ……」
「文句でもあるのか⁉ いいか、よく考えろ! この世のほとんどの生物は! 心臓に杭を刺されたら! 死ぬ! ヴァンパイアでなくても死ぬわ!」
「…………」
「死なない奴がいたら教えてほしいぐらいだ。なんだ、ゾンビぐらいだろう。心臓に杭が刺さっても動ける奴は。そりゃ、ゾンビは死なんさ! あいつらは元から腐った死体だからな‼ 大抵の生物は死ぬのに、ヴァンパイアのことだけ取り上げるんじゃない!」
「ヴァンパイアは心臓に杭を刺さなきゃ死なないからだろ」
斧を構えたビルが思わず、といった調子で言葉をはさんだ。
「確かに、ヴァンパイアは頭に杭が刺さっても死なん。しかし、それとこれは話が別だ。心臓に杭を刺すのは生物すべての弱点なのだから、ヴァンパイアを特別扱いする風潮はなくなってしまえ! 言っとくが、お前らだって心臓に杭が刺さったら死ぬからな!」
「当たり前でしょ!」
エリーが我慢できないといった風に叫んだ。
「それだけじゃない。貴様らは聖水と十字架も持ってきているに決まっている」
ハンターたちは無視した。ただ、無意識に各自、聖水と十字架の場所を確かめるように触れた。
「ふん。聖水と十字架! 神聖な力にそまっただけの物質のくせに。くそ! 神の加護を受けただけの水が吾輩には硫酸のように感じる! 硫酸だけでもとりあえずは肌がただれるわ! それに加えて水って! いくらでも準備できるではないか!」
「聖水以外の薬物は効果が薄すぎるだろう。硫酸なんて一瞬だけだ。すぐに回復する」
ヴァンがこれまでのヴァンパイアハンターの知識から情報を引っ張り出した。
「それはそうだ。だが、聖水は長引く。ただの水のくせに! うっとしい神のせいでな! 加えて十字架も不愉快だ。神の象徴だかなんだが知らんが、目の前に出されると目がくらむし、これも触れん! 火傷する! 長さの違う棒を組み合わせただけの物体ごときで! 吾輩は神に何もしておらんわ! ヴァンパイアだけでなく、くだらん人間の極悪人も聖水で焼けこげればよいのだ! ヴァンパイアというだけで差別しおってからに! だから神は気に食わんのだ」
「主を愚弄する気⁉」
信心深いエリーとビルが踏み出しかけた足をヴァンが押しとどめる。このヴァンパイアがいかに頭のおかしい奴だとしても、怒りに任せて正面からぶつかっていい相手ではない。
勝手に激昂して落ち着きをなくしてくれるなら、それに越したことはないと彼は考えていた。
「くそ、なぜヴァンパイアはこんなにも弱点があるのだ。あとはそう……太陽だ」
ヴァンパイアは深くため息をついた。
「こればかりはどうにもならん……致命的だ。吾輩は太陽を浴びれば灰になってしまう。太陽光はヴァンパイアという種の永遠の弱みだ。夜の種族としての特性ならまだ納得できる。しかし!」
ヴァンパイアは拳を握って玉座の肘掛にたたきつけた。
「流れる水を越えらない。招かれないと他人の敷地に入れない。集合物を目の前にすると数を数えてしまう。この三つの習性はまったく、一切納得できん‼」
バキッという音と共に玉座の肘掛が割れる。
「なぜ川を渡れん! 聖水でもないただの水だぞ! 本当にただの水が流れているだけだ! 納得できん……納得できんが、はやり生理的に無理だ。どうしても嫌悪感がぬぐえんのだ。魔女も同じだと聞くが……なぜだ?」
ジャクソンとルーシーが堀の水をモーターで動かした理由はここにある。堀が城をぐるりと囲んでいる以上、堀の水が動けば、必然的にヴァンパイアは城から逃げ出せなくなる。
「招かれんと敷地に入れんというのも腹立たしい。我々の狩りを邪魔するためだけの制限にしか思えん。人間に有利過ぎる。なぜ吾輩の獲物である、食物である人間ごときに許可を得ねばならんのだ。お前たちは何の断りもなく我が城に侵入してくるくせに」
恨めしい目で三人を見やる。
「もっとも納得できんし、腹立たしく意味がわからんのが、集合物を目にしたら数え始めてしまうという習性だ! なんでそんなことをせねばならんのだ⁉」
ヴァンパイアは頭を抱える。
ヴァンは隠しもったむき身のトウモロコシに触れた。
これを目の前に差し出せば、あのヴァンパイアは確実にトウモロコシの粒を数えだすだろう。これまでの経験からすれば、数え終わるまで身動きすらせずに数えることだけに集中する。あまりにも無防備に、殺してくれと言わんばかりに。
「これだけは本気で意味不明だ。百歩譲って今までの弱点は納得してやってもいい。銀やら聖なる力は吾輩らと敵対しているとしてもいいだろう。ただ、なぜ数を数えだす? なにか目に見えん巨大な力が嫌がらせのために考えたとしか思えん。この習性……いや、呪いはどこから出てきた? 吾輩はそんなくだらないものを数えたいと思ったこともないぞ? それなのに目すると止まらん、自分の意志では止められん。くそ、空しい」
割れた玉座の肘かけをむしりながら呟く。
「ヴァンパイアという種族は弱点が多すぎる。しかもそれが知れ渡っているときてる。だからハンターどもはガッチリ準備して吾輩らを殺しに来る始末だ!」
ヴァンパイアは疲れたようにがっくりとうなだれた。
「こ、こいつ本当にヴァンパイア? 情けなさすぎる」
エリーがうなだれるヴァンパイアを見て、呆れたように呟く。彼らの獲物は少し離れた玉座でしおれている。
「まあ、自分で弱点を列挙しているぐらいだから、ヴァンパイアなんだろうぜ」
ビルが鼻で笑った。
「威厳ってもんが全く感じられないんだけど。こんなヴァンパイアいるのね」
「ああ。吾輩はれっきとしたヴァンパイアだぞ?」
エリーの言葉に、すぐ隣から答えが返ってきた。
さっきまで笑っていたビルの胸を腕で串刺しにしたヴァンパイアが答えていた。
「ビ――!」
ヴァンが無言でエリーを引き倒しながらハンマーをふるう。ヴァンパイアの片手が一瞬前までエリーの頭があった場所を引き裂く。
ヴァンのハンマーはかすりもしなかった。気が付けばヴァンパイアは玉座の隣に突っ立ていた。
ビルの胸から鮮血が噴き出して、膝から崩れ落ちる。
「ビル!」
エリーが慌てて抱き起すが、ビルはすでにこと切れていた。
「エリー‼ 後だ! 敵に集中しろ!」
ヴァンは叫ぶ。
「ふむ。連撃で仕留めるつもりだったんだが。意外と反応がいい」
「貴様っ」
「そうかっかするな。貴様らが隙だらけだったのが悪い。部屋に入ってきたときはそうでもなかったのにな?」
油断していたつもりはなかった。しかし、僅かでも気の緩みがなかったかと言われれば、頷くことはできない。だらだらと愚痴を重ねるヴァンパイアに呆れていたのは事実だ。
それがこの結果。
「エリー、引くぞ」
武器を構えたまま隣の仲間に声をかける。
「あー……外の仲間と合流するつもりならやめておけ」
ヴァンパイアがのんびりと声をかける。
「わざわざそんな手間をかける必要はない。ここで合流すればよい」
そんな言葉と共に二人の近くに三つの物体が降ってきた。
巨大なスクリューが付いた水を回すための機械が一つ。
変わり果てたジャクソンとルーシーの首が一つずつ。
「二人とも!」
「馬鹿な! なぜ外にいる二人をお前が殺せる! 外は太陽が照り付けているんだぞ!」
「ああ。気づいていないのか。もう十時を過ぎている。夜のな」
「ありえない! 俺たちが城に入ってから、一時間も経っていないはずだ!」
「経っているのだよ。君たちはこの部屋の前の廊下で、十二時間立ちっぱなしだった」
「そんな馬鹿な話が」
「あるのだよ。あの廊下には一つ魔法がかかっていてね。効果は単純。扉の取っ手に手をかけた瞬間、廊下内の時間を十二時間停止するというものだ」
「な……」
「もちろん、ヴァンパイアである吾輩にそんな複雑な魔法は使えんよ。あれをつくったのは〈西の魔女〉だ。あの顔色の悪い、ほとんど緑色みたいな顔色の不愉快なババアだ。人の話を全然聴かんし、こちらの名前も覚えん上に、訳の分からん魔法ばかり考え出すババアだが、これは最高の発明だ。高い買い物だったが、非常に役に立つ」
ヴァンパイアは両手を広げて続けた。
「馬鹿なハンターを仕留めるのに最高の仕掛けだ。十二時間というのが絶妙だ。どれだけ太陽の昇っている時間に我が城を攻めてきたとしても、必ず夜に迎え撃てる。ヴァンパイアハンターが襲ってくるのは絶対に午前中だから」
ヴァンは唇を噛んだ。
当たり前だ。ヴァンパイアの根城に忍び込むのに、朝以外の時間を狙うバカはいない。少なくとも昼には入る。夕方ではありえない。日が傾けばそれはヴァンパイアの時間だ。同様に明け方も危険の方が大きい。完全に日が昇った時間がベストなのだ。そこで時間を十二時間止められると、とっぷりと日が暮れた時間帯になってしまう。
「効果はあの廊下程度の空間に限定されるが、後から入ってきても効果が波及するのが素晴らしい点だな。お前たちのお仲間は貴様らを助けに来たのだよ。何時間待っても音沙汰のない貴様らを心配してな。そして、お前たちが固まっているのを見て、考えなしに飛びついてしまった」
「くそっ!」
「馬鹿な二人だな? 異様なことが起きているのに、確かめもしないとは。それに最高の固まり方だったぞ。時間停止の効果は廊下に入った瞬間に波及するが、そこの二人は片手足を突っ込んだ状態で固定されていた。武器を握りしめてな。もちろん片手足だけ固定されていれば逃げることはかなわん。が、意識だけははっきりとしていたよ。頭は廊下に入っていなかったからな」
ヴァンパイアは可笑しそうに笑った。
「吾輩はいつも通り八時ごろに起きた。もちろん、朝更かしなんていうのは嘘だ。魔法が効果を発揮しているのを確認したので、吾輩専用の通路から外に出て、邪魔くさい機械を堀から引き揚げた。あれはよくある手段なのだよ。たいていのハンターは同じことをする。吾輩は流れる水は渡れんが、淵に立って、鎖につながれた機械を引き上げるぐらいはできる。それにしても不用心だったな? 確実を期すなら本来、あの機械は城門の中ではなく、外に仕掛けなければならないものだ。太陽が出ているから適当でよいと?」
ヴァンパイアはあざ笑う。ハンター側は反論できなかった。
「面倒な機械を処分したあとは、廊下の様子を見に行ったよ。そこで馬鹿な二人がとらわれているのを見つけた。これもよくある。助けに来ようとして、同じように罠にはまるのだ。意識があってぎゃあぎゃあうるさかったので、静かにしてもらうようにしたよ。まあ、正直に言えば、首が出ていたのは運がよかった。魔法の範囲内には吾輩も手を突っ込めんからな。その結果は御覧の通りだ」
床に転がる生首を指し示す。
「ふざけやがって! 死ね!」
エリーの銃が火を噴いた。
「怒り心頭か? 狙いが粗いな」
発射された銃弾をヴァンパイアは難なく避ける。
「エリー、援護してくれ!」
ヴァンがハンマーを振りかぶってヴァンパイアに躍りかかる。ヴァンの隙をなくすようにエリーの弾丸が飛ぶ。しかしヴァンパイアには当たらなかった。優雅にも見えるステップでひらりひらりとかわされる。
「いくら銀だろうが当たらなければ意味はない。そしてたかだか人間二匹の攻撃をかわすのは造作もない」
ヴァンは歯を食いしばって攻撃を続ける。ヴァンパイアは華麗に避けつづける。
機会を待つんだ。さっきまでは確かにこちらが油断していたかもしれない。しかし、今油断しているのはあちらだ。チャンスは必ず来る。
ハンターの感覚的には長い攻防が続いた。ヴァンパイアが攻撃のために、一瞬だけ動きを止める。
ヴァンは隙を逃さずにヴァンパイアの目の前に忍ばせていたトウモロコシを投げつける。
「むっ⁉」
トウモロコシはゆっくり回転しながらヴァンパイアの視界に入った。
これで奴は動けな――
ヴァンが仕留めようと杭とハンマーを振りかぶった瞬間、ヴァンパイアに蹴り飛ばされていた。
すさまじい勢いで壁に叩きつけられる。
「ヴァン‼」
「な、なぜ……動ける……?」
ダメージが大きく動けない。しかし、それよりも疑問の方がまさった。この方法で動けたヴァンパイアはいない。
「数えた。六四四粒だ」
「馬鹿なっ! あの一瞬で⁉」
「確かにヴァンパイア数えだすと止まらん。なら、すぐさま数え終えてしまえばよい。吾輩、鍛えに鍛えたおかげで物を数えるのは得意でな。ちょうどよい具合に回転していたし、ヴァンパイアの動体視力をもってすれば簡単なことだ」
ヴァンの取りこぼした杭を弄びながらヴァンパイアは言った。
「エリー……逃げろ」
「黙って! 早く立ちなさい!」
エリーの銃が立て続けに火を噴いた。
「いい加減学習しろ。お前の腕では吾輩には当てられん」
ぬっとエリーの眼前に立ちふさがる。彼女は飛び退りながら十字架と聖水の入ったガラス瓶を取り出した。
「十字架には触れなければよいし、聖水も撒けないようにすれば怖れるに足らん」
十字架を持った腕を手刀で叩き落とし、ガラス瓶を取り上げて後ろに放り投げる。部屋の奥でガラスの割れる音がした。
「黙れっ!」
エリーはニンニクを取り出しで眼前に突き付ける。
「最後の手段がこれか? はっきり言ってやるが、ニンニクはヴァンパイアに直接ダメージを与える弱点の内、唯一、致命的なものではない。ヴァンパイアはニンニクが苦手なだけだ」
ヴァンパイアは顔をしかめながらもエリーの手ごとニンニクを打ち払った。
「くそがっ!」
至近距離で発砲するが、ヴァンパイアは平然と避け、彼女の後ろに回り込むと背後から彼女の胸に杭を突き刺した。先ほどヴァンが落とした杭を。
「あが……」
「ほら見ろ。杭を心臓に突き刺したらお前も死ぬではないか」
微かに笑いながらヴァンパイアうそぶいた。
崩れ落ちるエリーを捨て置き、ヴァンパイアはヴァンに向き直る。
ヴァンはよろよろと立ち上がってヴァンパイアと対峙する。目の前にいるのは圧倒的なまでに人智を越えた怪物だった。さっきまで延々と愚痴をこぼしていた威厳も何もない、弱々しい存在ではなかった。
目の前の人影から発せられる圧に押しつぶされそうだった。
目に見えそうなほどの圧倒的な力と殺意。真夏の太陽よりも熱く肌を焼き焦がされている。ハンマーを構えられただけ、後ろにひっくり返らなかっただけでも儲けものだと思った。
これが怪物の王。
ヴァンパイア。
「あの愚痴は全部、演技だったか……」
「まさか。偽らざる吾輩の本心だ。さんざん愚痴ったが、ヴァンパイアは弱点まみれだ。不愉快で仕方ないが……まあ、それでも何の問題もない。だから、我々は怪物の王なのだ」
ヴァンの意識は途絶えた。
「はあ……片付けるのが面倒だ。まったく、吾輩は静かに暮らしているだけなのにな?」
グラスに入った赤い液体を啜りながら、高貴なる怪物の王はそうひとりごちた。