秋の日の、ある歪な愛のタイムトラベル
一
ハッ。夢から覚め天井を見上げた。天窓から秋の夜の、冷たい空気が入ってきて思わず身震いする。寒くて目が覚めたのは間違いないが、夢のせいで眠りが妨げられたのも確かだ。どんな夢かは覚えていない。急な覚醒、この悪い気分から察するに良くない夢だったのは間違いない。月光がカーテンの隙間から差し込むのを眺めながら、アレがそろそろやってくる、そう思った。
私にはタイムトラベルの能力がある。何年か前に身についた。タイムトラベルといっても年に一度、この時期に限る。自分の意志とは関係なく唐突に始まる。発現すると直近の過去に飛ばされ、すぐ現地点に引き戻される。とても能力とはいえない不完全なものだ。前兆として発動する数日前から急な覚醒、に見舞われる。ちょうど今のような。
そういう不完全な能力であるからして、「運命を変える」だの「誰かを救う」とかいうヒロイックなこととは無縁だ。何度か経験しているが、まったく悪夢でも見せられているような、そんな気分になる程度のものだ。
そんな「不完全タイムトラベル」の不安をよそに、二人の同僚と私と三人で、予定していた食事会へ出かけた。タイムトラベルなぞで約束を反故にも出来ぬ。
現地へ電車で移動中、昨夜見た、カーテンから差し込んだ月光を思い出していた。昔から月の光が好きだった。満月の、月明かりに照らし出される夜の庭や近所の通り。いつもの景色が全く違う幻想的な世界に思えたものだ。少年的郷愁を誘う月光、はしかし、ある時期を境に私にとって暗い記憶を伴うものになった。大人になったということの。
会が始まり一軒目で充分飲んだ後、二軒目を探すべく、いつの間にか降っていた小雨に濡れながら、繁華街をぶらついた。通りにあった「××泌尿器科」の看板を目にするや、同僚の一人が「あ!昔性病に罹った時、ここで世話になったな!」と叫んだ。「医者に遊びすぎたね、って言われてさ」。彼はそのあと滔々と武勇伝を語り始めた。もう一人の同僚はあきれ顔だ。私は目を白黒させていた。
「遊びすぎたね」は聞き覚えがある。つまり二十代の頃、私も性病に罹りこの看板の泌尿器科の世話になったのだった。初めての性交で、である。ちょうど今頃の時期だった。尿道の痛みと不安で寝れず、夜中に我が部屋を照らした月光を、美しくも残酷に思った。愛、というものの現実を突きつけられた気がした。それ以降、なぜ恋人がいないのか、結婚しないのか聞かれる度「女で失敗してね、コリゴリだよ」が口癖になった。
三十代になった我々三人は首尾よく次の店をみつけた。派手なネオンに縁どられた看板の、女のサービスがある店だ。もう我々はいずれもいい大人なのだ。
二
朝、目が覚める。久しぶりの深酒で頭が痛い、胸やけも酷い。二軒目以降の記憶はほとんどない。近くのドラッグストアへビタミン剤を買いに出かけた。ドラッグストアの売り場で一人の女に目がいった。何故か見覚えがある。顔色が悪く、私より少し上くらい、茶色の髪とつけ爪で派手な女と分かる。彼女もまたビタミン剤を選んでいた。初めての性交相手にいま出会ったらこんな感じかもしれない、そう思わせるような佇まいだ。もう顔も忘れてしまったが。
もしかするとビタミン剤選んでいるこの彼女こそ、私を数カ月で捨てた、あの女なのではないか?初めての性交相手、病気持ちの女。お前は誰だ?その疑惑が、彼女の後をつけるという行動に駆り立てた。
ドラッグストアを出る。彼女は徒歩でどこかへ向かった。気づかれぬよう後をつける。彼女は後ろの住宅街へ出た。その新興住宅地にはアパートもいくつかある。そのいずれかに住んでいるのかもしれない。堀沿いの、並木通りの石畳を歩く彼女。どこだ?彼女はどこに住んでいる?と、急に彼女が狭い路地に入っていった。逃がすものか!そこでグイと肩を掴み詰問するのだ。私を覚えているか、と。
猛然と路地へ突入し、出鼻をくじかれた。景色はガラリと、見慣れぬ夜の繁華街に変わっていた。始まった、タイムトラベルだ。見慣れぬ、といったが、よくみれば昨夜同僚らとぶらついた通りではないか。「××泌尿器科」の看板もある。まだ雨は降っていない。前を歩いていた彼女はいつの間にか、これから夜の仕事をしにいくような派手な服装に変わっていた。もちろん茶色い髪とつけ爪で。まあいい、やる事は同じだ。彼女の直ぐ後ろまで来た。肩をグイと掴もうとした矢先、派手なネオンに縁どられた看板の店に入っていった。我々三人が二次会で入ったスナックバーだ・・・
八ツ。と気が付いた時には、狭い路地裏の行き止まりにいた。現地点に戻された。辺りには誰もいない。きっと彼女はスナックバーの従業員なのだろう。見覚えがあったのはそのせいだ。昨夜は彼女とどんな話をしたのだろう。あとで同僚らに聞いてみよう。
三
アパートに戻った。駐車場に停め車から降りる。道路向かいにある、まだ収穫を終えてない田圃から、二匹のトンボが飛んできた。連結した、交尾中のトンボだ。細長い体が絡み合いハートマークを形作っている。ハートマーク、とはいえずいぶん歪だ。だが素晴らしい、愛は。それが彼らの、彼らにしか成しえない愛の形なのだ。たった数ヶ月とはいえ私と彼女にも、我々だけの形があったはずだ。歪められた唯一の。
なぜ「不完全タイムトラベル」なる能力が身についたのか?自室のドアを開け考える。思うにこれが、彼女への愛の形なのだ、現地点での。「女で失敗した」はあくまで建前であり、今でも報われない貞操を守っている、ともいえるのだった。
バタン。扉が閉まり、住人は部屋の闇に消えた。これからはグッスリ眠れるだろう。少なくとも来年の今ごろまでは。




