CASE1『噂』
「ねぇ、知ってる? あの噂。ほら、いきなり失踪したと思ったら、死体になって見つかるって話」
「あー、知ってる知ってる! 体には傷一つないのに、脳味噌だけなくなってるんでしょ? 気持ち悪ぅ」
「そうそう、それそれ! でね、聞いた話なんだけど……日向愛子っているじゃん?」
「あぁ、いつも本読んでるあの子のこと? そういえば最近休んでるけど……え? もしかして」
「うん、失踪したんじゃないかって。もしかしたら死体で見つかるかも」
「やばっ!? とうとうウチの高校でも!?」
「怖いよねぇ……絶対一人で帰れないんだけど」
「私は彼氏に送って貰おっと!」
「うわ、うざぁ。でもいいなぁ……アタシも彼氏欲しい!」
「あ、そうだ。噂と言えばさ、こんなの聞いたことある?」
「__骸骨の男が街に出る、って噂」
◇◆◇◆
都内某所。車や行き交う人たちの喧騒が響く、夜の街。
街を照らす眩いネオンが届かない薄暗い路地裏で、一人の少女が周囲をキョロキョロと警戒しながら歩いていた。
「うぅ、怖ぁ……」
不安げな表情を浮かべた少女は手に持っていたデジタルカメラをギュッと握りしめ、路地裏でゴミを漁って生きているドブネズミが立てた物音にビクリと肩を震わせながら、グッと恐怖を抑えて路地裏を進む。
歩く度に揺れる栗色のポニーテール。都内にある女子校の制服。スカートから伸びる長い足。
花の女子高生がこんな薄汚れた路地裏にいるのは場違いだろう。しかも、別に迷い込んだ訳でもなく少女は、ある目的を持ってこの路地裏にいる。
「頑張れ、私! 待っててね、愛子!」
それは、親友の日向愛子を探すためだった。
そのためにこの少女、早川未来は恐怖を押し殺して歩みを進めている。
__事の発端は、五日前。未来の親友、愛子が突然学校を休んだことが切っ掛けだった。
元々、愛子は体があまり丈夫ではなく、体調を崩すことが多い。だから、未来も心配はしてはいたが、いつものことだと思っていた。
だけど、未来はそこでおかしな点に気付く。
何回電話しても繋がらない。SNSも音沙汰なし。どうして休んでいるのか教師に聞いても、誰も話してはくれなかった。
そこで、未来はある一つの噂が頭に過ぎる。
それは、ここ最近話題になっている<連続失踪殺人事件>だ。
なんの前触れもなく失踪したかと思えば、死体として見つかるという事件。しかも、その死体には脳味噌がない……という噂だ。
体には傷一つなく、盗まれた形跡もない。ただ、脳味噌だけがないという奇妙な事件。
心配になった未来が愛子の家に行き、母親に聞いてみると……予想通り、愛子は失踪していた。
連絡も取れず、どこに行ったのかも不明。愛子の家族はすぐに捜索願を出すと、事件に関わりがあると判断した警察は即座に愛子の捜索を始めたようだ。
だけど、愛子がいなくなって五日。今も愛子は見つかっていない。
「どこにいるのかな……」
未来の声が、路地裏に響く。
未来にとって愛子はかけがえのない親友だ。その親友が突然いなくなり、行方が分からなくなっているなんて、心配しないはずがない。
もしかしたら、もう……と、脳みそがない状態で死んでいる愛子の姿が頭を過り、未来はブンブンと頭を振ってかき消した。
「ダメダメ、しっかりしないと! 絶対に見つけるからね、愛子……ッ!」
気合いを入れ直した未来は、手に持ったデジタルカメラを構える。
愛子が連続失踪殺人事件に巻き込まれたのなら、どこかに必ず犯人がいるはず。未来はその犯人を見つけ出し、証拠を押さえて牢屋にぶち込もうと考えていた。
フリージャーナリストの母親と、戦場カメラマンの父親を持つ未来には、しっかりと両親の血が流れている。
悪を許さず、正義を持って真実を報道するという、ジャーナリストとしての血が。
元々の正義感の強さと親友が巻き込まれたことへの怒り、そして報道部部長としての誇りが未来を突き動かしていた。
自分が危険だとしても、未来は構わず突き進む。親友を助け出し、犯人を見つけ出すまで。
「でも、情報が少ないんだよねぇ」
未来は一度足を止め、思考を巡らせる。
コミュニケーション能力の高さと持ち前の明るさ、そしてフットワークの軽さで多くの人から話を聞いている未来の頭には、あらゆる情報が詰まっていた。
だけど、集めた情報を頭の中で検索するも、情報が少なすぎる。
ある日突然失踪すること。失踪した人の大半は死体として見つかること。死体には脳味噌がなく、発見される場所は決まって薄暗い……ということぐらいだ。
死体の発見現場を回ってみたが、犯人らしい人は見つかっていない。まだ発見現場になってなく、薄暗い場所というと__今、未来がいる路地裏ぐらいだ。
しかし、路地裏はこの街の至る所にある。そこから犯人を見つけること、愛子を見つけることは難しいだろう。
「でも他に手かがりはないし……とにかく歩き回ってみないと」
それに、犯行現場近くは警察が調べ回っている。そこに女子高生の未来が近づけば、間違いなく補導されるだろう。
それは避けたい未来には、路地裏を探すことぐらいしか出来なかった。
ため息を吐きながら、未来はまた歩き出そうとした__その時。
「……グルルルル」
真っ暗な路地裏の先で、獣のような唸り声が聞こえた。
何か、いる。
一瞬にして背筋が凍った未来は、恐る恐る暗がりに目を凝らしてみると……。
__血のように真っ赤な双眼が、闇に浮かび上がっていた。
「__ひっ」
未来は恐怖で喉が締め付けられながら小さな悲鳴を上げ、足が震えて動けなくなる。
そして、真っ赤な双眼が揺れ動くと、それは姿を現した。
「グルルル……」
そこにいたのは、一人の男だった。
いや、人間なのか疑わしい。グルグルと喉を鳴らし、口からヨダレがぼたぼたと流れているその姿は、理性のない獣だ。
血のように真っ赤な双眼をした男は、まるで獲物を狙うかのように未来を睨むと歯を剥き出し、四足獣のように地面を走って未来に襲いかかってきた。
「__きゃあぁぁぁぁッ!?」
甲高い悲鳴を上げた未来は、咄嗟に横に飛び込んで避ける。
目標を失った男は地面をゴロゴロと転がると、四つん這いのまま姿勢を変えて未来を睨みつけた。
「なんなの!? いきなり何するの!?」
恐怖に震えながらも、未来は男に向かって叫ぶ。だが、言葉が通じないのかまた襲い掛かろうと姿勢を低くしていた。
未来は逃げようとしたが、ここは一本道の路地裏。街の方向には男がいるから逃げられない。このまま奥に逃げるしかないが……さっき襲ってきた時の速度は、かなり速い。避けられたのは奇跡だった。
いや、そもそも足が震えて動けそうにない。また避けるのはもう無理だろう。
万事休すだった。
「__グルアァァァァッ!」
男は吠えながら跳び上がり、未来に向かって襲いかかる。
顎が外れそうなほど口を大きく開け、頭部を狙って飛び込んでくる男に、未来は尻もちを着いて頭を抱えることしか出来なかった。
「__お願い! 誰か、誰か助けてぇぇぇぇぇぇッ!」
今から襲ってくる衝撃から目を逸らすように頭を抱えてうずくまった未来は、助けを求めて叫ぶ。
だけど、この路地裏に都合よく誰かが助けに来てくれる訳がない。
無情にも、男の歯が未来の頭を噛み砕く__はずだった。
この現代日本で聞くことは早々ない__銃声が轟くまでは。
「__え?」
突然のことに頭が追いついていない未来の声が路地裏に響くと、襲いかかってきていたはずの男が悲鳴を上げて地面を跳ねながら転がっている。
銃声が聞こえたのは、未来の後ろ。闇が広がっている路地裏の奥からだった。
そして、闇の先からコツコツと革靴の音が近づいてくる。
「……寸前で避けた、か。まったく、手間取らせやがって」
面倒臭そうに呟く低い声に、未来はへたり込んだままゆっくりと振り返った。
闇から姿を現したのは、長身の男。
黒いソフト帽を目深に被っていて顔が見えない男は同色のトレンチコートを身に纏い、首元に赤いマフラーを巻いている。
そして、男は手に持っていたユラユラと硝煙を燻らせた大きな黒金の塊__回転式拳銃を構えた。
「早く立ったらどうだ?」
男は未来に……ではなく、その先にいる存在に話しかける。
すると、地面に倒れていた男が唸り声を上げながら静かに起き上がった。
「グ、ルルル……」
忌々しげに男を睨み、歯をギリギリと鳴らす。未来が目を向けた瞬間、「ひぃっ!?」と悲鳴を上げた。
その理由は、男の右腕がちぎれ飛んでいたからだ。
だが、男は右腕がなくなっても気にした様子もなく、残された左手を地面に着いて姿勢を低くしながら警戒している。
そして、未来は気付いた。
失われた右腕から、血が流れていないことに。
「ど、うして、血が……」
普通ではありえないことに、未来は唖然としていた。
そんな中、男は未来を無視して銃を持った男へ襲い掛かろうと走り出す。
「フンッ。まずは邪魔な俺から片付けようってことか。まったく……」
未来を通り過ぎて今まさに飛びかかろうとして来る男に対し、鼻を鳴らしながらリボルバーの銃口を向け、黒い手袋をはめた指を引き金にかける。
「__実力の差も分からない獣には、躾が必要だな」
そう言って、引き金を引いた。
銃声が轟き、銃口から弾丸が放たれる。ライフリングを通ってコマのように回転しながら放たれた弾丸は、空気を切り裂いて一直線に頭部へと向かっていく。
飛び上がっていた男に避ける術はなく、弾丸は額に着弾した。
その瞬間、頭部が轟音を響かせながら破裂し、衝撃で男の体が後方へ一回転する。
頭をなくした男は地面に力なく叩きつけられた。
おかしなことに、銃弾が炸裂し破裂したはずなのに、どこにも血や肉片が残されていない。
そして、まるで最初から存在していなかったかのように、男の体は黒い砂になってサラサラと消えていった。
「躾にしては少し、やり過ぎたか?」
硝煙が漂う中、姿が消えたのを確認してから男はリボルバーを右腰のホルスターに仕舞い、背を向ける。
そのまま立ち去ろうとする男に、ようやく頭が追いついた未来は慌てて呼び止めた。
「ま、待って!」
未来の呼びかけに男はピタリと足を止めると、背中を向けたままソフト帽で見えない顔を向ける。
「……こんな時間に嬢ちゃんがいていい場所じゃねぇぜ? 今見たことは忘れて、家に帰りな」
「忘れろって、そんなの無理に決まってるでしょ!? さっきのは何!? どうして銃なんて持ってるの!? あんたは誰!?」
矢継ぎ早に質問する未来に、男は呆れたように肩を竦めた。
「うるさい嬢ちゃんだ。俺から話すことは何もない。いいから黙って……」
「黙ってられる訳ないでしょ!? あんた、さっきの奴について何か知ってるんでしょ!? あんなの普通じゃ……」
「__嬢ちゃん。好奇心は猫を殺す、って言葉を知ってるか?」
ヒートアップした未来は、一瞬にして黙り込んだ。
いつの間にか抜いたリボルバーを左手に持ちながら振り返った男が、地面に座り込んでいる未来に銃口を向けていたからだ。
向けられた銃口と威圧感のある低い声に冷静を取り戻した未来に、男は話を続ける。
「嬢ちゃんが助かったのは運が良かっただけだ。俺が近くにいなかったら、間違いなく嬢ちゃんは脳がない死体になっていた。せっかく助かった命だ、大事にしろ」
堅い声で忠告する男に、未来は目を見開きながら驚いていた。
男は今、脳がない死体と言っていた。それは、街を恐怖に陥れている連続失踪殺人事件で発見される死体と同じだ。
つまり、この男は……事件について何かを情報を握っている。
それを知った未来は、震える足に鞭を打ちながら立ち上がった。
「もういいだろ? 俺は嬢ちゃんに構ってやれるほど暇じゃないんだ。だから……」
「今の話を聞いて、ますます退けないわ」
「……聞き分けのねぇガキは嫌いだな。これが最後だ……死にたくねぇなら、今すぐここから消えろ」
話を聞こうとしない未来に、男は苛立たしげに最後の忠告をする。
だけど、未来は絶対に退かない。退く訳にはいかなかった。
親友の愛子が巻き込まれているだろう、連続失踪殺人事件。その手かがりをようやく見つけることが出来たのだから。
未来は拳を握りしめながら、銃口を向けている男を真っ直ぐに見据える。
「私は、親友を助け出すために連続失踪殺人事件を調査してるの」
乾き切った喉でどうにか声を絞り出しながら、未来は一歩足を踏み出した。
「でも、いくら探しても親友は見つからないし、情報も少ないからどうしようかと困っていた」
一歩、また一歩と未来は男に近づいていく。
「そこに、ようやく事件に繋がりそうな情報が目の前に転がってきた」
そして、未来は男の前に立ち、言い放つ。
「将来ジャーナリストになる私が、情報を前に退くなんて出来ない! だから、絶対に話を聞かせて貰うわ!」
目前に向けられている銃口に、体が震えている。それでも、未来ははっきりと男を睨みながら宣言した。
そんな未来に、男は面倒臭そうにリボルバーを下ろす。
「なんだこの嬢ちゃんは……とんでもねぇのを助けちまったな」
「で? 話を聞かせてくれるの?」
「……俺にメリットがねぇな。他を当たれ」
きっぱりと断り立ち去ろうとする男に、未来は一気に駆け寄るとトレンチコートを掴んで止めた。
「あんたになくても、私にはある! ようやく見つけた手かがりを、逃すはずないでしょ!?」
絶対に逃さないと未来はトレンチコートを思い切り引っ張る。
力技で来ると思っていなかったのか、油断していた男は体勢を僅かに崩した。
そして、目深に被っていたソフト帽が取れて地面にフワリと落ちる。ようやく見えた男の顔を確認しようと未来が見上げる。
その瞬間、時が止まった。
「__え?」
今日何度目になるか分からない非日常な出来事に、未来の思考が止まる。
ソフト帽が取れ、露わになった男の顔は__。
「ガイ、コツ……?」
皮膚や肉が一切ない、骸骨頭だった。
眼球がない伽藍堂の目を見た未来は、あまりの衝撃に気が遠くなっていく。
そして、未来はプツンと意識が飛び、気絶してしまった。
「おっと……しまったな、見られたか」
フラッと倒れかかってきた未来を受け止めると、気を失った未来を見て男は深いため息を吐く。
「仕方がない、か」
面倒臭そうに頭を横に振った男は気絶している未来を背負い、地面に落ちていたソフト帽を拾うと、砂を払ってから骸骨の顔を隠すように目深に被る。
男は未来を背負いながら路地裏の奥へと歩いて行き、闇に溶けるように消えていくのだった。
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他作品として異世界×ロックバンドの転移もの小説<漂流ロックバンドの異世界ライブ!〜このくだらない世界に音楽を〜>を投稿していますので、よろしければそちらもお読み頂けると嬉しいです!