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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第五十九話 果物の皮に似ている

「もういいわ」


 一度怒りは見せたものの、それが済めば大したことではなかったかのようにすんなりとユーリアの機嫌は息をひそめる。いつしかアイヴィが『謝れば大抵のことは許してくれる』と評したように、既に起こってしまったことで親しい相手を責め続けられる人ではない。

 とはいえアイヴィに対してはもう少し注意を重ねてしかるべきだと思うので、できれば二人の間で追及しておいてほしい話題だった。


「ねぇ、突然帰ってきておいて悪いけれど、何か食べられない?」

「そうねぇ、ご飯は作ってないし……」

 

 娘の問いかけに、アイヴィは困ったように首をかしげた。

 そうなると、アイヴィ自体は今晩食事をとる気もなかったことになり、今一度そんな有様を心配になってしまう。そもそも、彼女はここに住んでいないのだ。それがリビングで酔いつぶれていたとなると、もう出発の前日に酒を入れてからずっとその調子でやけになっていたのではないかと邪推してしまう。

 いくら娘が安全の保障されていない任務に赴くとはいえ、その精神状態は普通ではない。安定を欠いている。

 それを知ってか知らずか――確実に分かってはいるのだろうが――ユーリアは子供が駄々をこねたように口を尖らせる。


「困ったわね、お腹空いて仕方ないのに」

「え――」


 途端に固まり、目を見開きまじまじと娘を見つめ、


「は、初めて聞けたわ……そんな台詞――」


 信じられない現実を目の前に、感激に見を震わせるアイヴィ。「ちょっと待ってて」と言い残したかと思えば、飛び込むように台所に向かう。

 決して大げさではない。 

 食事行為そのものが好きになれないユーリアは、食欲が欠けたかのように手を伸ばさない。その上好き嫌いが激しくこだわりも強い。母親としてずいぶんと頭を悩まされている問題らしい。

 細身ながら不健康とは思わせないユーリアの体は、少ない食事量で必要な栄養を確保しているアイヴィの努力の賜物だ。

 町を出るにあたって手渡された例の手帳も、元を正せば主な内容はそれだった。序盤にはそれら必要な情報が並び、後半から脱線して盛大に人を轢いていっただけ。

 アイヴィには不思議なほど様々な側面があるが、母親としての彼女に欠点はない

 気づけば、瞬きするほどの間に食卓を整えてみせた。

 氷箱から取り出しただけの果物と、作り置きながら温められたパン。ひとまず、現状出せる物でユーリアでも食べられる物が食卓に並ぶ。

 ちなみにこの時間、食料が買えるような店はすべて閉じられ、外食自体はユーリアが嫌がる。


「いただきます」


 四人はそろって食事を始めた。

 食べ物の匂いが手に付くのも嫌うユーリアは、パンだろうが果物だろうが素手で食べようとはしない。ナイフとフォークを器用に使う。それでも中には素手で剥くのが前提になった皮が硬かったり崩れやすい果物もあるので、それは代わりに廉太郎が剥いた。それはそれで抵抗があるのではないかとも思ったが、それは気にならない様子。なぜかその役はアイヴィに譲られ、断るのも気を悪くしかねないのでそれに従う。

 同様に、包帯で腕の動きが覚束ないクリスの代わりの皮も剥いてやった。

 憮然としながらも口に入れるクリスに、アイヴィも廉太郎と同じような視線を送リ微笑んでいる。

 食べ物に関心を示して珍しいのは、ユーリアだけではない。クリスも元々そうだった。『ロゼ』の介錯は二人に秘密だが、自然と食べられることになったということで話を通してある。


「いいんですけど、栄養剤で……歯も汚れることですし、顎も疲れるし」と、無理やり押し付けられたクリスがぼやく。

「歯は何もしなくても汚れるし、顎が疲れるのは使ってなかったからだろ」


 だいたい、基地ではわざわざ甘い菓子だけ選んでいたではないか。一番汚れそうな物だけ口にしようとしておいて、そんな言い訳は通らない。

 なんだかんだ言いながら、食事行為を受け入れようとしている。

 それが二重に喜ばしいのだろう。一時は緊張があったものだが、今のアイヴィのクリスに対する視線は実ににこやかなものだった。


「そうねぇ、生きる楽しみの半分くらいはご飯になるわけなんだから」

「言いすぎじゃない?」そう反応しながらも、ユーリアの手は心なしか普段より早めに進んでいる。

「残り半分は……言わずもがなね」

「どこに行ったのよ、寝る楽しみは」


 何も言わなくとも意図するものは察せられるようで、アイヴィの苦労と、それに対するユーリアの苦労も同時にうかがえる構図だった。

 食べる物はアイヴィの言い分が通るとして、本人が興味を抱けない色恋沙汰の話を振り続けるのは、実際的な問題としてどうなのだろう。ユーリア本人が迷惑に思っていないのなら構わないのだろうが、特定の誰かを押し付けるように意識させてくるのは迷惑に思っても良さそうなものなのに。


「それにしても……良かったわ」


 カップに香茶を注ぎながら、アイヴィはほっと胸を撫で落としていた。


「最近頼りなさ過ぎて不安だったけど、あなたが怪我一つなく戻ってきてくれて」

「え、えぇ……そうね」


 それを機に、ユーリアはしきりに前髪を気にする素振りを見せ始めた。額に傷でも負ったのだろうが、あまりに分かりやすい。

 指摘はせず、しかしその髪を上げたらどうなるか、その印象さえも気になりつつ、廉太郎は視線を逸らしながら手元のカップを傾ける。


「私が無事なのは、まぁ当然なのだけれど……いろいろあったわ」


 それから、報告会が始まった。

 廉太郎とユーリア、離れていた互いにまだ詳細を知らないことも多々あったので、再度確認し合っていくように、

 アイヴィはそれを、しばらく神妙に聞いていた。

 七日前、大きく負傷し死にかけた任務の一件も含めて、今まで明かさずにいたこともユーリアはアイヴィに語って聞かせる。アイヴィも何となくは察していたようだったが、仕事なのもあり聞くに聞けず悶々としていたようだ。今回の一件では一般人である廉太郎を巻き込んだ上事情も全部ばらしているので、今さら隠すことでもなかった。

 アイヴィが特に反応を示したのは、娘の友達――トリカが戻ってきたということだ。

 廉太郎には面識もない子供だが、アイヴィは娘と同じく旧知だったようで、その両親とも親しい交流があったらしい。それが、ある日突然一家ごと居なくなってしまい、気を病んでいたとのこと。

 夫妻の死について、薄々分かっていたこととはいえ涙を流した。

 同時に、トリカの帰還に歓喜していた。


「……そう」


 一通り話が終わった後、食卓にあるのは奇妙な空気だった。

 良いニュースと悪いニュースが混在して、頭と感情が受け取る理解に乖離が生じて気持ち悪い。

 今この場ですべてを知ったアイヴィは、特にそれが強い。


「でも、知らなかったわ。まさか、マリナがアニムスの娘だったなんて」

「えぇ」

「私、アニムスの奥さんとはお友達だったのに……」


 殺されたトリカの母親、マリナを産んだアニムスの妻は出産の前後に亡くなっている。

 その彼女と友達だったというのなら、その子供の存在を、その子供が殺されてしまうまで知らなかったという事実は、一体どれだけ心を重くさせるのだろう。

 アイヴィの表情からは、その欠片ほどの一端しか推し量ることができない。

 六〇を越えてなお子供のように若々しい超名手で、迫害以上の目にあった妖精種だ。想像を絶するほど、悲しい思いをした経験だって多いはずだろう。

 ユーリアと同じく、この町で得た家族を失ったように。


「トリカって子は、それからどうしてるの?」


 あえて空気を壊そうと、廉太郎は場違いな声でユーリアに問う。

 彼女の話では対峙した後気を失ってから、どうなったのか語られていないままだった。それを確かめるまで上手く終わったことにならない。面識は無いにせよ廉太郎としても気になるところで、アイヴィも緊張した目でユーリアを促している。


「それが、まだ目を覚まさないのよ……私もずっと傍で眠っていたのだけれど」

 ユーリアは言いにくそうに眉をよせた。それから、気を取り直したように表情を和らげ、


「でも、きっと大丈夫よ。顔色は元気そうだし……アニムスの話では、明日には目を覚ますだろうって」


 その言葉に一気に安堵に包まれる。アニムスの存在の謎性を思えば、疑問はあっても丸投げにしても上手くいくような信頼がある。

 この分では明日はお見舞いになりそうで、しかし廉太郎は原因不明の締め出しを食らっている最中なので留守番になる。それに若干の疎外感を覚えたところで、


「――そうだ」


 と不意にユーリアが天井を見上げた。

 

「ねぇ、アイヴィ」

「なぁに?」


 それからしばし、言うか言うまいか決めかねているのが分かる沈黙が続き、


「私、トリカから婚約を迫られたんだけど――どう思う?」

「え――」


 アイヴィの表情は固まった。

 無理もないと、廉太郎は思う。下手をしたら、今日一大きい衝撃が走ったのではなかろうか。

 しかし会ったことがないので人物像が浮かばず、咄嗟に浮かんだ感情も無だったので廉太郎のすべき反応は特になかった。


「それは……そうねぇ。良いこと、なんだけど――」


 アイヴィはちらちらと横目に廉太郎を見やりながら、どう言ってやれば良いものかと葛藤を繰り広げていた。

 廉太郎は冷静に、聞いていたトリカのプロフィールを脳に思い浮かべる。

 年齢は確か九つで、ユーリアの半分ほどしかない子どもだったはずだ。

 性別は、確か女の子だったはずなのだ。

 年齢はともかく、性別は判断材料にならないことを廉太郎は知っている。元の社会生活で得た価値観として、そこにとやかく言う者へ後ろ指を指す者たちが多数側になっていることを知っている。

 だが――


「この世界、というかこの辺りでの恋愛観ですか? 同性は……まだあれですね、珍しいですよ」


 と、聞いてもいないクリスの注釈。

 このタイミングでそれを言われると、わざわざ野暮なことに興味を持って探りを入れたと誤解されかねないので止めてほしい。

 それを聞き、アイヴィははっとしたように口元を抑え、


「うっ――私、あの子に結構言ったかも。『女の子同士で誰が困るの』って」

「それ悪影響だったんじゃないの、アイヴィ」

「――ちょっと、それはあの子に悪いわ!」

「ご、ごめんなさい」


 失言に気づき肩をすぼめ、「で、どう思う?」とユーリアは再度アイヴィに問う。

 アイヴィは何とも複雑な面持ちで助けを求めるように廉太郎へと視線を寄越し、それが無視されたと分かるやいなや、


「あ、あなたの気持ちは……どうなの?」

「うーん、そうねぇ――」


 腕を組み、難しい顔でユーリアは考えに沈み込む。これまで考える時間はあったはずなのに、それでも言葉にまとめきれないほど答えを探すのが難しかったのか。


「正直、困ってしまったの。嬉しくはあるんだけれどね」


 ――恋愛感情を抱けない。感情を向けられたとして、相手の気持ちに応えることができない。だからこそ、自分に恋愛感情を抱かせるようでは、相手に対し申し訳ない。


「一緒に暮らすのは素敵だと思うのよ? でも、あの子にも新しい家族ができたことだし……」


 どんな答えがでるのか、知らず廉太郎は緊張していた。

 アイヴィもそうだし、クリスもそうだったはずだ。


「また会って、そして話しあってみるわ」


 そんなことはお構いなしに、ユーリアは楽しそうにそう締めくくった。














 食事を終えた後、寝支度を整えた廉太郎は部屋で一人物思いに沈んでいた。

 それはこれからのこと。これからするべき、元の世界へ帰るために必要な手順。 

 今回の遠征、せっかくの機会を少しも活かすことができなかった。悔いはないし、仕方のないトラブルに巻き込まれたのだから諦めもつく。

 あの西の、人間が支配する側の社会の町まで一人で行くことは、難しいが可能ではある。金銭面と、必要施設の使用許可さえクリアできるなら、の話だが。

 ユーリアに言えば再度手配してくれるのだろうが、言い出しにくいのが正直なところだ。

 そもそも、行って成果が得られる保証もない。

 廉太郎はため息をついた。ついたことにも気づかなかった。

 今、ここにクリスはいない。『流石に別室で寝かせてください』と、家主に注文をつけて一部屋新たに自分の物にしてしまった。

 自由を与えたとたん、親の目を忘れる子供に似ていると思う。

 それは当然だし、正当で、別に寂しいとも思わない。いくら子供とはいえど、そこまでする仲では初めからなかったのだ。

 一度離れれば、今までよく付き合わせてしまったと恐縮してしまう。

 だから、今夜は一人気楽に眠るだけだ。

 もはや横になることに慣れたベッドが、自分のものにさえ思えてくる。

 居心地ちはいい、自分の居場所だと主張しているようだった。

 それが徐々に心を蝕み、元の世界に変える気概と僅かな可能性を知らず奪っていっているような予感が、誰もいない部屋を震わせる。

 

 ――『ロゼ』。


 意識を向けても、心の中の隣人は反応もしてくれない。早く眠って、そこでなら相手をしてやるとでも言うように。

 安くないのだ、あの女は。

 必要もないのに、『ロゼ』は出てはこない。彼女の自我を確立させるのは、彼女自身の魂だ。廉太郎の表の意識に干渉する際には、それを使用する。消費と回復を考慮せず無理をすれば、消滅することにも繋がる。

 それならもう寝てしまおう。夜はだめだ。思考がかえって冴えてしまう。そうなれば、余計な事ばかりが脳をよぎり、将来の不安に押しつぶされてどうにかなりそうだった。

 クリスがいないのだから、今すぐ依存できる相手は『ロゼ』しかいない。

 今すぐにでも夢を見なければ。

 灯りを消した方が寝れるのか、それとも明るい方が心が安らぐのか。

 目を閉じる前、しばらく悩みこんでいている廉太郎の耳に。


「――廉太郎、起きてる?」


 戸を叩く、控えめな声が届いた。


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