第五十五話 電話
『……いやいや絶対嘘じゃん』
一時はその姿も見えなくなった、その羽妖精が飛んでいる。敵に受けた影響がまだ残るのか、その浮遊感はどこかぎこちない。光も消えかけた電球のようで、見ていて不安になるような軽い点滅を繰り返している。
それでもその口ぶり――周囲にふりまくその思念には乱れがなく、らしい遊びが含まれていた。
『仕事っていうか、むかついただけでしょ』
「うるせーな。ま、そうだけど」
通信手としてのフリムはともかく、魔術師としてのマズラは防衛の戦力としてここにいる。プロの、町を守る兵士。それが、襲撃者に対しろくな抵抗もできず、あろうことか守るべき民間人に助けられてしまった。
その心中は、おぼろげにでも察することができる。
せめて最後のとどめくらい、という意地が少なからずあったのだろう。
「平気か?」自身の頭に手を当て、マズラは同僚の動きを目で追った。「調子は?」
『激烈に悪い』
「だろうな」
メインデルトに強制され、彼の身柄ごとそれなりの距離を転移させられたのだ。
妖精種にとって、単一での空間転移はさして難しいことではない。そこから分類される種族ごとにその割合は異なるが、彼らはその身体構成の一部が他の生物と概念的に異なる。いわゆる非物質。魔力のように、この世に存在しえないエネルギーとしての実体。存在する空間が半ば不安定であるがゆえに、多少の物質を巻き込みながらの位置を変更することが可能となる。
しかし、他の生命体を抱えての跳躍は本来不可能。実行すれば、非常に強い負荷が術者の魂を襲う。妖精種の中でも特に非存在に近い羽妖精でなければ、その場で死んでいてもおかしくなかった。
ちなみに、羽妖精の質量割合は完全なる無。ほぼ思念体であり、精神体同然。むき出しの魂に等しい。
「終わったんですかね……全部」
「おかげさんでな、助かったよ」
不安が残る廉太郎をよそに、マズラは心臓を打ち抜いた死体を軽々とその腕に抱え持ち上げた。そのまま運ぶように背を向けると、
「じゃこれで通信が回復したかどうか、試しといてくれ」
そう言い残し、一人監視塔を後にする。
処理に追われて場を離れるその背中を、クリスは腑に落ちない表情で追っていた。
「いやにあっさりと……気にならないんですかね。何をされたのか、なぜ倒せたのか――」
『逃げただけでしょ。通信会話苦手だし、彼女』
部屋の隅、雑に入り組む装置の内部へ溶け込みながらフリムが答えた。部屋に備え付けられたそれは、基地内部の通信室と繋がっている。それは町と基地を繋ぐための通信機であり、思念を飛ばして会話できる羽妖精の能力を補助するかたちで機能する。
彼らの思念会話がそれなりの範囲で行えるとはいえ、さすがに車で一日を要する長距離での通信は不可能。そこで機能するのが、町との間に転々とする中継拠点だ。そこにはさながら電波塔のような設備が置かれ、順に繋げていくことで思念の届く距離を延ばいている。
発信できるのも、受信できるのも羽妖精に限られる。
それを苦手だというのも、電話が苦手みたいな話で身近だと廉太郎は思う。
「……よく分かる」
『なんでよ』
「あ、いや……相手の顔が分からないと――」
言い終える前に、装置の灯りが青白く灯った。反射的に口を閉じると、動作を確認したかのように『おっ』とフリムが口をこぼし、
『――あれっ』
その声に遅れて、知らない声が脳の内部に紛れてくる。その声は慌ただしく、『えっ何、繋がったの? ちょっと、誰かユーリア呼んできて』と、明らかにここと異なる事情で言葉を発しているようだった。
「繋がったみたいですね」
「あぁ」
それで、ようやく終わったのかと安堵する。
同時に、飛び出してきた名前にも。
ユーリアが呼ばれているということは、彼女が通信を試みようとしていて、さらには無事でいるということだ。むこうの事情は依然分からないが、基地があるのは町の機関本部だ。その付近にいるのなら、仲間もいるのだろう。考えられる危険はほとんどない。
考えたくはないが、メインデルトの力は『ロゼ』に聞く限りユーリアですら無力化する。そんな存在が他にいると仮定しても、さすがに町一つ敵に回すようなことはしないだろう。
『――き、聞こえる?』
ほどなくして、聞きなれた声が脳に届く。それでも聴覚器官を介していない分、どこか新鮮でこそばゆい。『あれから何事もなかった?』
『あったけど平気だよー。そっちも元気そうだね』
『そうだけど……』事情が分からず反応に迷い、『その、ごめんなさい。みんなにラヴィを頼んでいたけれど、彼女は今――』
『あ、知ってる知ってる。廉太郎が言ってたよ、無事なんでしょ?』
『え――』
フリムとユーリアの会話は、廉太郎やクリスの脳にも届いていた。正確に言えば、フリムと向こうの羽妖精の思念会話が、だ。
脳に届いてくるのはユーリアの声だが、それはユーリアの声でも思念でもない。
羽妖精が発せられるのは自身の思念のみ。それでも他者の声が混じるのは、それは彼らが聞いた周囲の声を思念に変えて発しているからだ。声色や口調は、本人のものを再現して。
通訳、翻訳。ちょうど、携帯電話が合成音声を届ける仕組みと似ている。
ユーリアが発した言葉を向こうの羽妖精がフリムに思念で発信し、それを受信したフリムが廉太郎に再度それを発信する。また聞きでの伝言には違いないが、すごい臨場感がある。息切れしているのが伝わり、呼ばれて駆けつけてきたことまで何となくわかった。
『まずいな――』
と、いつの間にか再度現れた『ロゼ』が耳元で囁く。何がだと聞き返す前に、通信機の向こうで動揺するユーリアの様子が声色で伝わってくる。
『えぇと……どうして廉太郎が知ってるの? そこにいるかしら――』
あぁこれかと、廉太郎は得心がいった。
『ロゼ』の存在をユーリアは知らない。そして、なぜ『ロゼ』がラヴィの無事を確信できるのか、廉太郎は知らない。
話がややこしくなってしまう。この場で説明するには、単純に骨が折れる。
しかし、『ロゼ』は――
『いや、それだけじゃない。私の存在はあの子に教えないでくれ』
「……なんで?」
『頼むよ』
それだけ言って、またもや逃げるように消えた。その真意はまるで見えてこないが、頼まれたことをわざわざ理由もなく断る気にはならなかった。
「あ、あぁ……いるよ」とだけ、廉太郎は答える。
『そう……。ごめんなさい、何も言わずに居なくなったりして。心配させたでしょう?』
「だいぶね」と、冗談交じりに。
そこから少し、廉太郎は話を続けた。
先日の昼にユーリアと別れてから、名も知らぬ一人の男に殺されそうになったこと。その過程で人が死に、クリスも酷い怪我を負ったこと。
そいつに指示を出した者――メインデルトは、基地の通信を妨害していた犯人でおそらく間違いないであろうこと。彼が基地を襲撃したこと。そして、その能力を。
『――その能力……それが本当なら……おそらく、そいつなんだわ』
現状の報告も兼ねた廉太郎の言葉を、ユーリアは黙って静かに聞き終えた。かと思えば、それに心当たりがる様子で一人考え込むようにぼやいている。
うまいこと誤魔化してくれ――その言葉通り、『ロゼ』の存在は伝えていない。
ラヴィの件は「無事を信じていた」というニュアンスに変えて押し通した。
敵の能力を知った件は「自ら得意気に語っていた」ことに変え、勝てた理由についてはすべてクリスに丸投げした。本来自我がないはずの人形だから、敵は力の矛先を向けなかったのだと。
嘘をつくのは心苦しかったが、まるっきりすべてが嘘だというわけでもない。何より『ロゼ』の目が本気だったから、中途半端にばれるようなことは言えなかった。
クリスは何も言わなかった。理由の分からない存在の隠ぺいに疑念を強めたのか、『ロゼ』に対してどこか距離を置こうとしているかのよう。
『大変だったのね……二人とも』
ユーリアの声は悲痛に歪んでいた。少し重く話し過ぎてしまったのだろうか。やはり顔が見えないせいか、余計な不安に落ち着かなくなる。
しかし、それに助けられることもあるのだと廉太郎は理解していた。自分でも不思議なことに、その悲痛さがどこか心地いい。心配させて済まないという気は確かにあるのに、案じられている実感に心が安らいでもいる。
顔に出す色に迷ってしまうから、このときばかりは電話でもいいとさえ思っていた。
『ごめんなさい……私はいつも想定が甘くて、余計な場所に連れて行かせて――』
「いいや――」
そこから、ユーリアの話を少し聞いた。
極めて個人的な話を含むので、フリムが伝播させるのは廉太郎とクリスだけに留めてもらって。向こうの通信室にも、ユーリアの他には誰もいなくなった。
七日前、ユーリアと初めて出会った時の話だ。
あの日彼女が瀕死の重傷を負っていた理由から始まる、大まかな話だった。
町に潜んでいた諜報員を追って、仲間と共に洞窟に入ったこと。その過程で、助けたかったはずの敵の娘を誤って死なせてしまったこと。その子とは中のいい友達で、動揺した隙を突かれ激昂した仲間に背を刺されたこと。その仲間はその子の死体を抱いて町を脱し、ユーリアは今日このときまでずっとそれを悔いていたこと。
そして、今回のユーリアの標的はその町を離れた仲間――ベリルの殺害と、死んだ友達の死体の回収だったこと。
だが、接敵したベリルは死んだはずの友達――トリカを生きた姿で従えていた。おそらく魂の異形化と、後に語る血統ゆえに生き延びたのだと。
二人は精神的に不可解な点を見せ、町に対し不合理な特攻に近い攻撃をしかけようとしていた。そこに根差すのは町に対する憎悪、復讐、疑念。それらには共感でき、正統ではあるけれど、見過ごすことはできなかったこと。
二人の立場は、共に彼女の失敗が生んだもの。
だからこそ、生きたまま町に戻してやりたかった。
だが二人を止める際、ラヴィは怪我を負って姿を消した。それを放っておくこともできず、ユーリアは二人を先んじて町に行かせてしまったこと。
結果として、ユーリアは友達の子――トリカを救うことができたらしい。
しかし、仲間であったベリルは先んじて機関の魔術師に殺されてしまった。
彼女はそれをすべて自分の責任だと悔いているようだったものの、どこかすっきりとした様子に感じられた。
『これは私の消せなくなった罪で、申し訳ないとは思うけれど――それでも、あの子の命には代えられなかったのよ』
顔なんて見えなくても、どんな表情で居るのかははっきりとわかった。
「君の方こそ、ずっと大変だったんだ。……それも、昨日までだって」
『そうね――』
しかし。
ユーリアの話には、意図的に伏せられた部分がある。
彼女自身の仄暗い過去、町の人間との確執について。町で得た本物以上の義理の家族、その大半を町の人間に奪われたという事実。
元はといえば、それを引きずって、それに固執して貫いていたユーリアの態度が、それに引きずられ先走ったユーリア原因で起こった洞窟での事故だ。
だからこそ、それを引き起こしてしまったがゆえに彼女は変わらなければならなくなった。変わる義務が生まれた。あれからずっと変わろうとして、それでもできなくて苦しんでいた。
今回の件は、それを強制的に促されたともいえる。
ユーリアがそんな事情を隠すのは、変に気を遣わせたくはなかったから。
知らされても困るだけだろうと。
当然、廉太郎もそんなユーリアの失敗や覚悟は知らない。
――だが、彼女の過去自体は知ってしまっている。
以前、ロゼが何も知らない廉太郎にそれを語った。町に住む者なら誰もが知っている話だから、傍にいるなら頭にいれておけと。
まさに、知らされてもどうしようもないことだった。
何もできないし何も言えない。変に気を遣うのも、絶対に違うと廉太郎は思う。
秘密を知ってしまったことで、まるで心に土足で踏み込んでしまったかのよう。そんな、どうしようもない申し訳なさを抱き続けている。
ユーリアが気を遣い自分の過去を語らないように、廉太郎はそれを知ってしまったことを告げようとしない。
互いにそれを知らない。
『話は見えたよ』
以下、『ロゼ』が廉太郎に語った推測である。
ベリルはトリカを連れ、西の町へと逃げ続けた。その理由は定かではないが、単に町を見限っただけだろう。人間の世界から迫害されこの町に逃れ住んだ人間と違い、そこで生まれた第二世代以降の子供のうち異形化が進んでいない者は迫害される理由がない。つまり、ベリルは望めば人間の世界だろうと生きていけるのだ。
ところが、トリカは死ななかった。
異形化し、生きながらえている。
困ったのだろう。自分は人間の世界に逃げ込めるが、こうなったトリカは殺処分の対象。人の世界では生きられない。今さら町に戻ることも、できないと考えた。
そこに接触したのが――今回の黒幕であるメインデルト。
彼の目的は未だ不明瞭。だが、確実に町に対する悪意があった。
ゆえに、その二人をけしかけたのだ。
彼がその能力を使えばそれは容易い。憎悪や疑念の閾値を操作し、できもしない復讐と調査に駆り立てた。
その過程で最大の脅威となる町の対人最大戦力であるユーリアを、ベリルの姿を餌におびき寄せ、戦闘能力的にも心理的にも相性のいいトリカをぶつけて排除する。
その後、町で二人と共に何らかの目的を果たす。
だが、結果的にそうはならなかった。
理由はいくつか考えられる。
トリカのユーリアに対する感情が複雑であったこと。そのせいか、トリカとベリルが別行動を取ったこと。
ユーリアを除けば、ある程度自由に動けたはずのベリル。それが、いとも容易く即座に殺害されてしまったこと。
しかし、メインデルトにはそう捉えることはできなかったはずだ。
ベリルの想定では、ユーリアは任務に他人を連れてくることなどなかった。それが人間ともなれば、ありえないことだとすら思っただろう。
だからこそ、絵図にない廉太郎とラヴィを排除するよう手を回した。しかし、それさえうまくいくことはなかった。
結果、すべて瓦解した目論見に激昂し、半ば八つ当たりのように廉太郎ともどもこの基地、この件に関わるすべての者を殺害するべく乗り込んできたのだろう。
トリカが図書館で解放され、ベリルが殺され、基地に襲撃があった時刻はほぼ一致していたのだから。
『そうね……私もそれで合っていると思うわ……』
聞き終え、情報をすり合わせたユーリアも同じ考えに至ったようである。『ロゼ』の推測だという事実は隠し、あくまで廉太郎とクリスの意見だという体をとっているため、どこか知識、情報量的に無理があるような気がするが仕方ない。
話し方や声の調子の随所から、それに気が回らないほどに疲労していることが伝わってくる。話の通りなら徹夜以上に動き続けている。そこにベリルへの罪悪感という心労が加わるのだから、無理もない。
『それにしても――ほんとに腹立たしいわね。私の大切なもの、全部いい様に手をだして……その男、あなたに先を越されたのが悔しいくらいよ』
「え、えぇと――」
思い出したかのように激しさが生まれたその圧を前に、思わずクリスの顔を見る。ついで周りを見渡して、助け舟を出してくれる人がいないことを思い出した。
困る。
何がかと言われれば、電話越しに感情的になられると何もできず、言葉は意味をなさず、子供のようにたじろぐことしかできないからで――
『冗談よ』
そんな動揺が、こちら同様むこうにも伝わるのか、
『ありがとう、私の代わりに。それで気は晴れたわ』
困ったように揺れる声。それにつられて、廉太郎も思わず笑みをこぼした。
「ほんとに?」
『少しだけどね』
彼女らしい物言いに、廉太郎は声を殺して一人笑った。
電話越しにでも「らしさ」を出せる、そういう人に憧れて。