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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第五十四話 メインデルト

 ――熱い、撃たれた。


 まるで想定してはいなかったその現実を前に、メインデルトは目線だけを下ろしてそれを目にする。

 自身の脇腹に穴が開けられている。目視したことで痛みがその機能を思い出したのか、今さらのように溢れる血を手で覆った。呆然とその流れを抑え込もうとし、体制を崩して硬い床に体が倒れた。肩から打ち付け、骨を痛めた。


「はっ、あ゛ぁ……? ば、馬鹿な――」


 這いつくばり息も絶え絶えに、辛うじて首を上に傾け頭上の男の顔を見る。

 忌々しい存在だった。今、この場に関わるすべての物事が忌々しい。

 取るに足らない、有象無象の劣等の種。その分際でこちらの思惑に水を差した、身の程を知ることすら知らないものたち。

 その中で明らかに想定に組み込まれていなかった、銃を握るその男。それが、顔をしかめ視線を上から投げ返している。

 得体が知れない、その男と右手に持つ空の銃口。それを凝視する。

 

 撃たれることなどありえない。


 そう高をくくっていた――そんな言葉ではとても足りない。

 ありえてはならないのだ。

 対峙した相手に、攻撃を許すなどと。





「外しましたよ」


 無感動にそう告げるクリスを、廉太郎は横目に捉える。

 妙に胸が騒ぐ声だった。

 身を守るために駆られた発言なのか、預かり知らぬ事情からくる殺意なのか。直前に見せた態度からも、どうにも後者であるような気がしてならない。


 撃つ直前、廉太郎は反射的に銃口を急所から外した。


 結果、打ち抜いたのは心臓ではなく脇腹。クリスの『染光』に人体を貫通するほどの物理的殺傷力はない。それでも、その一撃は魂に響く。魂の強度は個人差があり、同じ人間相手でも致命打に要する出力は異なる。だが、この場における敵の無力化には至ったようである。

 地に倒れ呻くこの男、メインデルトに廉太郎のかざした銃口から身を逃がすという意思は感じ取れなかった。密接距離でさえ、危険だと認識することさえしなかったようでもある。

 それは、無事でいられる保証があったからこその行動。

 しかし、


『――私は知っていた。この男と、この男が特殊に操る能力を』


 その想定は、想定しえない存在によって崩壊することとなった。

 廉太郎の意識の中、その姿と声を視覚と聴覚に反映させ、ただ彼一人に感知できる幻。おそらく現実の彼女もするであろう表情と同じように、『ロゼ』は得意気な顔で語りだした。 


『奴は人の抱く感情の、その閾値いきちを操れる。……早い話が、ほんの些細な不安や恐怖でも正常な判断を失ってしまえるよう、相手の精神構造を歪める能力だよ』

「それは――」


 狙撃手は自ら標準を外した。

 敵を引き付けた妖精は、自身に当たらないと知る一撃からその敵ごと身を守った。そして、おそらく命じられたままに転移し敵を連れ込んだ。

 誰であろうと、他人と敵対した時点で多かれ少なかれ緊張や恐れがよぎるものだ。どんな戦士であろうとも、それを完全に捨てることはできない。それができるのは機械だけだ。

 きっと本来は、廉太郎が向けた銃も引き金が撃てず、クリスが魔術をくみ上げることもできなかったのだろう。


『そうして狂わせた相手に、奴はうまいこと言葉を刺して誘導するんだ。そうやって知られない内に支配してしまうんだよ、こいつは』


 言葉を繋げながら、メインデルトを見下ろすその表情は険しく曇り続けていた。嫌悪の色が多分に混じっている。それは彼を単に見知っているどころではなく、その人柄を知り拒絶するまで知り尽くしていたということを物語っている。

 妙な話だ。

 そんな力をもって町に刃を向けた人間を、『ロゼ』が知っている理由に一つも思い至ることができない。


『――私がいてよかったな』

「あっ、あぁ。……本当に」


 それでも、それは何を疑うというのか、そもそも疑いなのかさえ判断できないような、そんな捉えられない引っかかりでしかない。

 今考えることではない。

 確かなのは、『ロゼ』の存在がその敵の能力をはねのけたという事実。

 話を聞く限り、まっとうに戦って勝てる相手ではない。率直に言って強すぎる。

 それどころか、どこからそんな力が生まれるのかと、首をかしげても足りないほどに常識を超えた力だ。

 『ロゼ』がいなければ、この場に誰がいたところで太刀打ちできなかったのではないかと、そう思わざるを得ない


『いや、いくら私でもこいつの干渉に抗うことはできない。できないから、君の感情そのものを抑制していただけだ』

「……なるほどですね」


 敵から目を逸らさずに、ぼつりとクリスが吐き捨てた。


『あまり健全的とは言えないんだけどね』

 

 感情自体が無に近ければ、その沸点である閾値がいくら低かろうとも心が乱れることはない。それはそれで、確かに人間性の否定に近い不健全な心の使い方ではある。

 『ロゼ』は廉太郎の魂と同化したロゼの魂の一部である。元より他人の魂に触れることに長けた彼女は、その気になれば洗脳に近いカウンセリング能力を披露することができる。が、以前から人の心は話し合いのヒントにするだけで、基本的にはそれ以上のことはしていないと明言している。

 今回の一件は不可抗力で、不本意な操作であったと言える。

 裏を返せば、本来『ロゼ』もその力で、メインデルトと同じような芸当ができてしまうということだから。


「……一つ」


 そのクリスの表情と口調には、棘があった。

 

「なぜ知っていたのですか、そんなことを」


 廉太郎でさえ浮かぶ疑問。だが、クリスの意図は別にある。

 この男を『ロゼ』は知っていた。そして、クリスは知らないまでも明確な敵意を向けている。

 両者の事情を廉太郎は知らず、またお互いも知っていないはずだ。

 クリスの様子は明らかにおかしい。ただごとではない。過去にこの男との間に、もしくは男に連なる「何か」との間に、それ相応の事情があったのだろう。そして、それは敵意というより憎悪に近く繋がる過去。


 つまり、こう問うているのだ――お前も私の敵なのか、と。


 人を疑うとはそういうことだ。突飛な勘繰りをまき散らさずにはいられない。

 鋭く問いただすクリスに対し、ロゼは『後にしてくれ』と告げて姿を消した。表情一つ挨拶一つ、何も残さず逃げるように。


「――まぁ、いいでしょう」


 苦虫を噛みつぶすように舌打ちを零し、クリスは一歩前に足を出す。地に這い未だ出血を抑える男に向け、何も構えず近づいていく。

 何を言わずとも、何をするかは火を見るより明らかで、


「ま、待てッ――」


 その背をどけるよう前に躍り出ると、廉太郎は加減も分からず男の頭を蹴りつけていた。

 これで死んでしまえば元も子もないのだが、誰に批判されても納得できるほど悠長なことを言おうとしている以上、ここまでするのは最低限の義務ですらある。

 仰向けに蹴飛ばした男の顔を検め、間違いなく失神した様子に安堵した廉太郎に、明らかな不満げな声が頭上から響く。


「眠たいこと言わないでくださいね、ぶっとばしますから」

「……荒れてるな、お前」


 クリスの言動は見た目より遥かに大人びているようでいて、どこか幼稚でもある。それにならうように、選ぶ言葉は冗談にも聞こえるような脅し言葉。

 しかし、そんな顔には見えなかった。


「『殺していい奴だ』とあの女も言っていたでしょう――いいですか?」


 杖だけを詰め寄らせ、言い聞かせるようにクリスは言う。


「ユーリアさんとラヴィさんを襲った事情も、先日我々が襲われた件も、明らかにこの男が関わってんですよ。それだけの能力がある。目的もまだ分からない。――それを生かしておいて、何かあったら責任とれるんですか?」

「い、いや……」


 思いのほか言い返せないことを矢継ぎ早にまくし立てられ、たじろいだわけでもないのに口ごもってしまう。

 分かっているつもりでも、


「――こいつが死のうと構わないけど」


 人を巻き込み過ぎている。

 ラヴィは無事だと『ロゼ』は言うが、ユーリアの残したらしい言葉によると深い傷を負ったのは間違いない。

 死んだ人間もいる。

 先日襲って来た殺人者もこの男の指示に従い、その最中一人の命を奪ってから死んだ。

 情けをかける余地もなければ、クリスの言うように余裕もない。

 しかし、


「ただ、お前の手を汚したくないだけで……」


 今は動けずいるようだが、ここには本職の軍人がいる。彼らに委ねるのが自然だと廉太郎は思う。

 それに、正当防衛とはいえ先日廉太郎は一人の男の命を奪っている。その罪悪感は『ロゼ』の気遣いにより記憶と共に靄がかかった状態で、過去に見た夢のごとく薄らいでいるままだ。だが、事実として手が汚れたことに違いはない。

 クリスにそれをさせるくらいなら、数字が増える方がましだった。


「そんなの私の勝手でしょうが。これまで私が誰一人殺ってないとでも思ってんですか?」

「それもお前の勝手だろうが。……人数は関係ないんだよ」


 元は軍の兵器扱いで、そこからどんな過去を送っていようとも。

 それは廉太郎には関係がない。今ここにいて、ここまで付き合った彼女がただの子供であるのなら。当り前がそうであるように、子供に手をかけさせる事態を看過することはできそうにない。


「うるさいですね……見たくないだけでしょう? 見なきゃいいでしょうが」

「結果が分かったら同じなんだよ。見せられないことをするんじゃない」


 言い合う中でクリスは魔法を構えていた。氷の塊だ。宙に固定されてどうにでも攻撃に転じられる。この至近距離なら、いかに投擲物だろうと時空の守りを越えて人間の体に当たりうる。

 それを、廉太郎ごと巻き込みかねないほどじれったい表情と共に維持していた。


「――分かった、俺がやるならいいだろう?」

「……まったく、まっとうに腹立たしいことを」


 廉太郎は男の髪を掴み、その軽い頭を持ち上げた。今の廉太郎個人に攻撃手段は素手以外にない。このまま床に打ち付けるのと、首を絞めるのと、どちらがよりましになるのだろう。

 そうまで悩みだした廉太郎に、クリスはやや根負けしたかのように緊張を解く。


「まぁ、嫌いじゃないですよ。そういうの、珍しくね。……蹴り飛ばしたくなりますけど」

「好きとは違うよな、それ――」


 クリスの様子に安心した。

 対立するのは好きじゃない。珍しいことだと、自分でも思う。

 その、弛緩した一瞬を突かれた。


「あ――」


 部屋の隅から、鋭く伸びる刃が迫る。ちょうど片手に納まる短刀のような、短く鋭い魔力の塊。

 それは投げナイフのように空を駆け、廉太郎が腕に抱えた男の胸に吸い込まれた。

 心臓を一突き。

 物理的、当たり前にそれは服を裂き肉を抉り、人間の急所を破壊した。

 力を緩めてはいないのに、自然と廉太郎の手からその体が離れていく。

 床に倒れた男から、染み出すように血が広がっていた。

 声もなく、男はそれで絶命した。


「――仕事だからな」


 呆けたように、廉太郎はクリスと共に目をその声の出所へと向ける。

 見れば、そこにいたのはメインデルトの影響を受け、倒れていたはずのマズラ。彼女は立ち上がり、未だ気分の悪そうな顔で、「いや――」と思い直したかのように続ける。


「悪い」


 なにを謝られるのか、どういう誤解を受けたのか。

 両者とも分からず、廉太郎とクリスは無言で顔を見合わせた。

 そして、似たような顔でこう返した。

 

「……いえ」

「あ、ありがとうございます」


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