第五十三話 不動
機動力に特化し白兵戦をしかける魔術師と異なり、通常の魔術師は武器の使用を前提にしない。
むろん前者であっても、素手のみで敵を殺すこと自体は可能である。殴りかかる拳が音速を越えようと生まれる破壊力に差は生じないが、常人が目で追えず躱すことのできない一撃となるのだから。
しかし、効率と同型の魔術師との戦闘を考慮して、彼らは常に武器を携帯している。
一方マズラは通常型の魔術師だ。言ってしまえば、できることは一般の人間魔法の延長に過ぎない。ただ殺傷力が上がり、手数が増え、射程が伸び、人間を殺せるようになったというだけ。
だからこそ武器は使わない。戦場で、持って意味のある武器など存在しないからだ。身一つで十分事足りてしまう。
しかし逆に言えば、持ち運ぶことのできない大がかりな武器、魔術より強力な兵器であれば、使用する意義があるということ。
これはその一つ。
マズラの構える、巨大な狙撃銃型の固定砲台。
強力な魔術の発動を補助する、迎撃用の基地設備の一つ。
それは城を守る大砲。設置された台座から銃身を動かし外を狙う。幾本かのケーブルで基地の動力と繋がり、限界値を超える魔術の使用からくる魔術師への負担を肩代わりしている。瞬間的に消費する魔力は備蓄された燃料魔力で補い、その使用に伴う魂への負担は専用の補助設備が可能な限り軽減させる。
さらに羽妖精が敵の確かな座標を確認し、その位置情報を砲台に直接送信する。銃口は一人でに敵を捉え、後は銃口を引くのみ。
引き金を引くと同時に、一条の光の熱が世界を焼いた。朝日の元でありながら、それは鮮烈に観測した者の目に焼き付く。着弾には、文字通りほんの時間差もなかった。
引けば当たる。当たれば死ぬ。
放たれてからでは対処不可能な一撃。狙いを定めさせないか、あらかじめ防御策を講じてでもいなければその瞬間に死が確定する。
双眼鏡越しに、穿たれた地表が周囲を音もなく吹き飛ばしていた。その範囲は凄まじく、地形の変化は男が車を焼いた爆撃を優に越えている。吹き荒れる砂ぼこりと舞い散る周囲の残骸が、しばらくの間視界を覆った。
映像でも流されているかのと疑うほど、音も振動も生まれない監視塔の内部が不気味に思える。
手足どころでは、済まないのではないか。
立て続けに起こされた戦争と見紛うような様相から逃避するように、廉太郎はそんな場違いな不安を口走っていた。
「なあこれ、あのフリムって光の人も巻き添えなんじゃ――」
「どんだけ非情な組織だと思ってんですか。無傷に決まってんでしょ」
流石に、仲間を切り捨てたとまでは疑っていないが、そこまで他の種族の特性に明るくないせいで無用に案じてしまう。羽妖精など、見たことはあっても会話したのも昨晩が初めてだったのだ。
「当たり判定ないんですよ、あいつら」
「……?」
説明にならないような、いまいち理解が難しいことを言う。それを聞きながら、廉太郎はどこかその様子をおかしいと思った。
淡々と、話す言葉にも余裕がない。
先ほどからずっと。借りてきた猫のように。
委縮しているのか、緊張しているのか。それとも、恐れているのだろうか。
無理はない、廉太郎もそれは同じだ。
しかし、それはどこか――らしくない様子に思えてならなかった。
「――終わった、んですか?」
やがて覗く狭間から視界の開けた外を目視し、恐る恐る尋ねてみる。
男はそこに立っておらず、負傷した姿どころか、死体さえ残ってはいなかった。跡形もなく消し飛んだとしか思えない。
照準を覗き込んだままの彼女を、顔色を窺うように盗み見た。
しかし、
「外した……」
微動だにせず、一言マズラはそう零した。
「え?」言葉の意味が、目で見たものと照らし合わせて理解できない。驚くことさえろくにできず、その横顔を呆けたように眺め続けた。
やがて足腰に入れる力さえ忘れたかのように、彼女は脱力しきった膝を地に落とした。腕はだらりと体の横に、だが表情だけは強張ったまま制止させて。
「なんで……私が、わざと――」
誰に言う訳でなく、かといって独り言とも違う上の空。それを、ぶつぶつと繰り返している。
「嘘だ……そんな……」
それが、恐ろしく不気味だった。
短すぎる付き合いだとはいえ、彼女の様子や性格を廉太郎はある程度把握していたつもりだ。それが今や、別人のよう。
外した――などとはとても思えないが、仮に外したとしてここまで動揺するような人ではない。しっかりとしていた、大人の女だ。
それも、ここを任されるだけの力と信頼のある人間。
到底普通だと思えない、明らかな異常。それを前に、思わずクリスへ問いかける。
「どう思う?」
「知りませんよ……聞いてみますか?」
「は――?」
要領を得ない返事。いつも通り不敵な笑みを浮かべている。しかし、今のそれはどこか頬に緊張の色が見え隠れしていて。
そして、その目は廉太郎の背後を見据えているようで、
「そんな――」
それを追って振り返り、思わず言葉を失ってしまう。
ついで、遅れてマズラが反応を示した。目を向け顔を向け、自分を取り戻したように敵意を吐き出し食ってかかる。
「て、てめぇ……何でここに居やがる?!」
監視塔、その広さは車庫と変わらない。
その内部に、敵の男の姿があった。
いつの間にか、誰にも気づかれることなく。それも狙撃距離を一瞬で移動してここにいる。
無傷で、悠々としていた。表情はなく、考えは読めない。
「知らんよ」男は短く問いかけに応じ、「これが勝手にやったのでしょう」
閉じられた右手の拳を胸に上げ、その中にかすかに灯る光を見せつけるように掲げていた。どういう意味なのか、廉太郎には判断がつかない。だがそれも、未だ立ち上がらずにいるマズラの表情を見れば嫌でも理解させられてしまう。
「――おい。何をさせた……私とそいつに、何をしやがった……?」
反応はない。それでも、つまらなそうにただ立っていた男の、その口元が僅かにつり上がった。
『フリムか――』
握られていたのは羽妖精、その弱々しくなった光の一端。『ロゼ』の痛ましい声が、廉太郎の耳元に生まれる。
仮にフリムが助力したのなら――あの攻撃から身を守ることも、ここまでの瞬間移動さえも不可能ではない。
だが、フリムがこの男に寝返ったとも考えられない。
マズラの言うように、何らかの影響で強制させられたに違いないのだ。
現に、人の手に触れられないはずの羽妖精のが男の手の中に収まっているという異常が起きている。
「調子が狂う、吐きそうだ――」
マズラは立ち上がり戦おうと膝を伸ばして、それさえできずに地に倒れこむ。受け身さえ取れないのか、顔から倒れ嫌な音が部屋に響いた。「だ――」思わず駆け寄ろうとして、男がそちらに興味を向けず廉太郎を直視していることに気づき、足を止める。
失神したのか、マズラの動きはそこで止まった。
「何が目的だ……?」
自分で驚くほど平静な心で、廉太郎は男に問いかけていた。
「基地を見張って、俺を殺したがって、他人を巻き込んで――」
クリスは傷が治っておらず、調子までおかしい。
『ロゼ』には実体がなく、戦力にはならない。
フリムから言葉は届かず、こちらの声にも無反応。
この場で動ける者が自分しかいない。その上、敵が情けをかけるような性質だとも思えない。このまま無抵抗でいれば、間違いなく全員が殺されてしまう。
突破口を見出すために、廉太郎は敵に認知されない『ロゼ』からの指示を待っていた。
だが、彼女は黙って何も言わない。
クリスさえ、敵に何の言葉も向けようとしなかった。
それら二人の様子が、何かの事情、明かさない事情を雄弁に物語っているかのよう。
「…………」
男もまた、問いには答えない。何をするでもなく廉太郎を、表情なく、敵意だけは込めて遠巻きに眺め続けている。
やがて、
「――結局、何が足りなかったんでしょうか」
会話するつもりがないか、男は一人で話しはじめた。その目は廉太郎を捉えている。にもかかわらず、他者として相手どろうとはしていないかのように。
「何一つ、思い通りにいかなかった。……何だ、これは?」
悔いるように、男は両手で顔を覆った。開いた手からいつの間にか羽の光が消えていて、それが気がかりで仕方ない。
その無の表情からあふれ出す波を吐き出すかのように、両手に向けて息を吹く。目を閉じて、深くそのまま息を吸っていた。
「――やはり、お前と黒髪の女のせいか?」
動けずいる廉太郎に、男は指の隙間から射殺さんばかりの視線を向ける。それだけがいっそ分かりやすく、不思議と怯む気にはなれなかった。
「黒髪の、女……?」ラヴィのことだろうか。
「そうに違いないでしょうが!」
男は激昂していた。
糾弾するかのように指を差し、その表情には抑えがたいほどの憤りが渦巻いている。当初の面影は何もなく、一人で高ぶるその精神性を危険視せずにはいられない。
「何かが狂わされたに違いない……あの魔術師が他人を連れてくるなどと、ベリルの想定には少しもなかったはずなのにッ」
『な、ベリルだと――?!』
沈黙を保っていた『ロゼ』がひときり大きな反応を見せる。聞いたことのない名前だった。単に覚えていないだけなのかもしれないが、誰のことかは分からない。
「あの魔術師」の方は――おそらく、ユーリアで間違いないのだろう。
『……そうか、全部こいつが関わって……。厄介な――いや、幸いかもしれん』
「知ってるのか?」
『あぁ――』
わずかな躊躇いの色を見せながらも、『ロゼ』は力強く頷き、
『名前はメインデルト。見ての通り殺していいやつだ――やっちまえ』
「やれやれ、情報量ゼロですね」
ぼやくと同時に、クリスは廉太郎の腕を振りほどいた。床へ杖と共に足をつけると、ふてぶてしく腕を組み頭を逸らす。そうして敵を――メインデルトを睨んでいる。
気持ちの上で、優位に立ちたがらずにはいられないような姿勢だった。
「おい、お前。――私の顔に見覚えは?」
「あるわけないでしょう。図に乗るなよ」
クリスの問いに、メインデルトは不快そうに眉を顰める。問われる心当たりがないのだろう。廉太郎にも、クリスの意図は読み取れない。
「そうですか。私もその面は初めてで、残念です――」
鼻を鳴らし、クリスは背後の廉太郎に目線を送る。
そして、いつの間にか自分の手に銃が握られていることに気づく。『染光』用の空の銃だ。握ったことのないものだった。クリスがどこからか調達して、今しがた廉太郎に渡していたのだ。
「くたばれ、糞野郎」
言われずともそれが合図だと分かり、反射的に銃を構えた。
クリスの魔術は今しがたメインデルトに躱された狙撃には劣る。しかし、今の男の手にフリムはいない。
躱されずとも通じるかどうか。――どの道、撃ってみなければ分からない。
躊躇はなかった。
しかし、
「くそっ――」
どうにも引き金に指が乗らない。
「早く撃てよ廉太郎」
酷く醒めた声でクリスは言った。「余裕、あると思ってんですか?」
あるわけがない。
躊躇だって、やはりない。正当防衛だ。昨日だってしたことだ。
それに自分だけならまだしも、この場には他に四人の命がある。
今すぐにでも、むしろ攻撃されていない今のうちだからこそ引き金を引く必要がある。
だというのに、指は骨の関節が消滅したかのように曲がろうとしない。
「面白い、まだ私を直視できるのか。銃口は向けたままいられるのですねぇ――」
その様子を、メインデルトはあざ笑うかのように眺めているだけだった。銃を向けられておいて、与えられた隙をつこうだなどと考える素振りも見せない。
この男には余裕がある。
撃たれはしないという余裕が。
「……まさか、お前がこれを」
口角が上がる。不快なほど白い歯が見えた。指さえ動くのなら、そこに狙いを定めたいとさえ思った。
心は平静そのもので、麻痺したかのように恐怖がない。なのに、引き金を引くという行為だけが矛盾したかのように難しい。
男は廉太郎に足を向けた。一歩ずつ、悠々と距離を詰める。その時間を楽しむように、男の歩みはとても遅い。抵抗を奪われた得物が、もどかしくもがく様を眺めている。気づけば、足もろくに動かせそうにない。
やがて廉太郎の眼前にまで迫ると、メインデルトは両の腕を左右に開き、己の胸に銃口の先端を押し当てた。隣で、クリスが舌を打つ音が聞こえる。
そのまま、顔を覗き込むように近づけられていた。
「今撃てなければ死にますよ。楽には殺さないからな、貴様」
やはり恐怖は覚えない。そしてその理由にも、ようやく見当がつくようになっていた。
ほんの少しの間、廉太郎は黙って男とにらみ合う。男に与えられた猶予、悪趣味な気まぐれ。それが終わるまでに、いくばくも残されてはいなかっただろう。
廉太郎は焦らなかった。待つように言われていたからだ。
やがて、声が聞こえる。すべての感情を解き放つような、聞くに耳安い綺麗な声が。
『――勝ったぞ』
それを合図に。
飢えた忠実な家畜かの如く、聞き終わるのも待たず食い気味に、廉太郎はその引き金を引いていた。