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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第五十一話 誠実

 入った戸から外に出ると、そこはすでに太陽の下であった。振り返れば、いつもと変わらない図書館の正門。例の長い階段は、間にある空間ごと省略されたように視界にも入らなかった。

 塔として地中から白日の下に晒せば、見上げるほどに長い階段だったはずだ。降りるだけで相当な負担となったそれを上らされる羽目にならず、ほっとする。

 そして、もはやこんなことでいちいち驚いてもいられまい。この一家の周りで何が起きようと、それを常識で理解するのは難しく、諦めて受け入れるより他にない。

 彼らが転移してみせるように、こうして地下から地上へひとっ飛びさせてもらえたのだ。今後訪ねていくのも不便はないだろう。しかし一度降りる際こんな気遣いもなく一人置いて行かれたのは、やはり意地悪だったのではないかと邪推してしまう。アニムスにはそのくらいのことをされても文句など言えるわけもないのだが、恨みや悪意と受け取るにはささやかにすぎる。


「さて……」

 

 朝を迎え動き出した町の様子を一望し、特に気になる点も見つけられずに安堵と落胆が胸を襲う。

 ちょっとしたもめ事でも大騒ぎになるほど治安はいい町だ、まだベリルは目立って動いていないだろう。一般に彼の状況は知らされていないとはいえ、すでに七日が経ち、いなくなったことにはほとんどの者が気づいている。一目姿が見かけられれば、今までどうしていたのかと噂になる。

 離反したのだとまで知る者は機関の一部魔術師に限られるが、少しでもそんな話が耳に入れば即座に警戒態勢がとられるはず。

 その様子が見られないということは、まだ間に合う見込みが十分あるということ。


「先に見つけられたなら、叩きのめしてあげられるのだけど……」


 もし先に行動を起こされ、結果被害者が出てしまうほどの事態になれば庇うに庇えなくなってしまう。何をするつもりかは分からないし、なぜ潜伏し続けているのかも分からない。今どこにいるのかさえ見当もつかず、動くべき方針が定まらず焦りが募る。

 踏み出した足が頼りなくふらつく。

 空腹はない。

 疲労と、吐き気に似た睡魔があるだけだ。

 日差しが、疲れた目を焼いた。こんなときはやはりサングラスが欲しくなる。しかし、一度手放した手前再度それをつけて人前に出るのもなにやらイメチェンに失敗した子供のようで格好がつかない。第一、お気に入りのサングラスはあの日車と共にベリルが持って行ってしまったままだ。


「それも返してもらうわよ、ベリル――」

 

 高台の階段から通りの道まで降りると、ユーリアは人の動きに紛れるように彷徨い歩いた。すれ違う者に、『ベリルを見たか』などと聞きこむことはしなかった。無駄だと思ったし、変に話題になってしまうのを恐れたからだ。あるいは、後ろめたさがあったのかもしれない。この場にいないことになっている彼の名を出すことと、その原因を作ってしまったことに。

 人が、彼がいなくなってしまったことで、心を痛めている者が大勢いるはずなのだから。 

 初めにそんなことを口にしたのは、どこの誰だったろうか――思い出せない。


「おい」

 

 不意に呼び止める声が明らかに自分に向いていて、ユーリアは自然と顔を向けた。そこに好ましくない知り合いを見つけて、思わずこわばってしまいそうになった顔を慌てて取り繕う。


「あ、あら……おはようローガン」

 

 危ない。そういう態度は卒業――卒業することに決めたのだ。初めのうちから徹底しなければ、なあなあになってしまう。それでもしみついた癖が拭えず、和やかな挨拶さえぎこちない。

 しかしそれは、この場では相手方にも原因があった。なにしろ声をかけておいて、ローガンの態度や表情はまったく愛想に欠けていたからだ。それどころか、明らかに向けられた怒りのようなものを、敏感に察することができた。


「なにか用?」


 機嫌が悪いのだろうか。しかしそういう日は誰にでもある。変に反発することなく、そうまっさらな気分でユーリアは尋ねた。

 それに対し、

 

「――ッたく、適当な仕事しやがって」


 礼節も余裕も何もなく目の前でそう吐き捨てられる。意図するものが分からず首をかしげるユーリアに、ローガンは詰め寄るように足を向けた。思わず数歩後ずさるも、遠慮することなく懐に迫られる。気分的には逃げるのも癪で、背に壁が迫るころには避けるのも止めた。見下ろされる位置から顔まで覗き込むように迫られて、傍から見れば恐喝にしか見えない現場となる。


「……何よ。珍しいじゃない、あなたがこんな――」

「うるせえ」


 仲は、元から良くなかった。ユーリアと町の人間との確執以前の問題で、単に性格が合わない。だが、これまで交わしたいざこざや言い争い、その発端となったのはこちらの方。ローガンはそれを反発してあしらうだけで、そもそも興味がないのか向こうから喧嘩をふっかけてきたのはこれが初めて。

 だからこそ不思議に思う。しばらく会ってもいないこの男が、いったい自分の何を気に入らないでいるのかと。


「今まで何してやがった。こんなとこで呑気しやがってよ、てめぇ……」

「ちょ、ちょっと!」


 混乱しながらも、あんまりな言い草に思えてならず顔をしかめた。身長差を武器に威圧されると、流石に気圧されてしまいそうになる。


「何のこと? 呑気どころか、私今忙しいんだけど――」

「あ? 何が」

「その……」一瞬、目を泳がせてしまう。「探してるのよ、ベリルを」


 口ごもるユーリアに、ローガンは身下げ果てたかのような鼻を鳴らす。何を、なぜ咎められているのかまるで話が見えてこず、それに文句を言う気さえわいてこない。


「じゃもう帰って寝てろ。何を油売ってたのか知らねえが、もうお前の仕事なんざ終わってんだ」

「そ、それ……どういう意味よ」


 聞き逃せない言葉に目を細める。その真意真偽はともかくとして、そんな指摘をするのならユーリア以上に状況を理解していなければ話がおかしい。

 ローガンはひとしきり言うだけのことを言い終えたのか、用は済んだと身を引いて背を向けだす。


「ねぇ、何かあったの?」手がかりを見逃すまいと、「そうなら、ちゃんと話してよ」

「うるせえ。もう喋りたくねえ」

「あのね……私、今日何も言ってないでしょ? なに怒ってんのよ?」


 これでは何だか、立場がいつもと真逆ではないか。態度はともかく言動だけは模範的な大人で通していたローガンが、見た目通りの粗暴な男でしかなくなっている。

 そこまでさせる原因が何かあって、それにどうやら自分の仕事ぶりが関わっているらしいのだが、説明がないだけに謝るべきなのかさえ判断できない。


「ちょっと! せめて、口にしたことの説明くらいしなさいよ――!」


 そこまで言ってなお、ローガンはとりつく島もなく去って行った。

 追いかける気にはなれなかった。


「いいわよ、もう……」


 聞かなかったことにしよう。どうせ、するべきことは変わらない。


 休むことなく、それから体を動かし続けた。

 頭を隠せるような上着を調達し、目立たぬよう町をくまなく歩きまわる。

 途中、機関本部の連絡室に顔を見せた。前線基地との連絡を試みたものの、やはり羽妖精同士の交信は妨害されてしまうようだった。それも気がかりではあったものの、向こうも状況は分かっている。すでに遠く離れた場所で自分の力は及ばないのだから、無事を祈ることしかできない。

 再び、町をさまよいだす。それとなく話を聞いて回り、痕跡を探し、周囲に目を光らせて。

 やがて、覗く必要のないはずの戸を開く。立ち入れる者は限られているはずだった。

 そうして、やっとそれを受け入れることができた。

 ローガンの示唆した通り、ベリルがすでに殺された後であることを。








――――






そのころ――


「だからぁ、もう食えないって言ってんでしょうが」

「いや、だって何かうれしくて」


 一晩で体を起こせる程度にまで回復を見せたクリスは、廉太郎による過剰な扱いを受け続けていた。

 早朝、朝食である。

 空になった瓶をわきに下げ、廉太郎は新たな瓶をかごから取り出す。蓋を開け、中に重ねて入れられた甘い焼き菓子をすべてクリスの前の皿へと盛る。バターと、砂糖の匂いが室内にさらに追加された。胸焼けを訴えるようにクリスは顔をしかめるが、態度とは裏腹にその手は伸びてしまうようだった。


「お前が口で物食べてると、なんていうか……」


 普通の人間と、子供と変わらないのがよく分かるようで安心する。これまでずっと経口摂取ができず、しかも食事行為に関心さえ払わなかった。体に栄養さえ回ればいいなどと、健全でもなければ生き物的でもなかった。

 それを思えば、赤子が歩いたくらいの成長と喜びを感じられてしまうのだ。


「余計なお世話なんですよ。別に物が食えるようになったからといって、私に食の快楽は――」

「選り好みしといて?」


 言い返すこともできず、不満げな顔で糖分の塊を咀嚼しだした。先日欠けた歯がそれを難儀にしているが、億劫だと言うこともなく器用に口を動かしている。

 美味いのだろう。

 同じく一枚齧ってみた廉太郎にはそれが分かる。味の良し悪しなどそう区別できず、特に菓子などは繊細でどれも『甘い、美味しい』以外の感想は浮かびようがないとは思うが、まず誰に対しても自信をもって進められるほどの味であるのは間違いない。


「限度があるでしょう。私の体型をどうしたいんですか」

「いや……子供なんだから、食べたいだけ食べるくらいでいいんだよ」

「だから、お腹いっぱいだって言ってるんですけど」皿に残る菓子に無言で手をかざし、容器にしまうよう指を差す。「ごちそうさまです。お茶のお代わりを要求します」 


 見れば、クリスの目の前に置かれたカップの中も空になっていり。それをやはり、表情に隠しきれないほど嬉しく思う。


 きっかけは今朝、廉太郎が基地の職員らと共に食事をとっていたときだ。

 先日と同様、クリスには栄養剤を用意してもらうつもりだった。そんなとき、意識の背後から現れた『ロゼ』は次のことを告げた。


 ――クリス、私がいれば食べられるぞ?


 クリスがこれまで口から食べ物を摂取出来なかったのは、喉を抉った傷が食道にまで及んでいたからだ。塞がない欠落同様、途中で接続を失った管は物を運べず、魔力による補強も覚束ない。管を繋ぐように疑似食道を形成しても、その強度が固形物の重さにすら耐えられなかった。

 しかし、そこに魔力操作に長けた『ロゼ』の介入が挟まれば問題はなくなる。

 そんな説明を聞き、気が逸ってクリスに差し出した自分の分の朝食トレー。しかし、クリスは「めんどくさいから」という理由だけでそれを受け取るのを拒絶した。それでも廉太郎がしつこく進めるもので、「じゃあこれだけ」という顔でしぶしぶ手を伸ばしたのが食後用のデザートだったという訳であり、甘い物には興味を示すのであればそれだけでいいから口にさせようという運びになった訳である。

 

「まったく……」


 辟易したように愚痴を漏らし、クリスは温まったカップに口をつける。それが欠けた歯に染みるのか、軽く顔をしかめていた。それでも、味わう素振りをみせつつそれを飲む。

 聞けば歯はまだ乳歯、生え変わる時期であり、それは治療一つで数日の内に促せるという。声を出すのも辛そうだったクリスが一晩でここまでの回復を見せたのだ。歯医者に限らず、この世界の医療技術は受け入れがたいほどの高みに位置している。


「お節介なのは嫌いなんです。……廉太郎だって、食事への興味は薄いくせに」

「はぁ、なんでそうなるんだ?」


 唐突に切り返された身に覚えのない話に、軽い気持ちで問い返した。冗談かと思ったその口ぶりは、しかしどこか真剣なまなざしで鋭く廉太郎に突き刺さった。


「廉太郎の元居た場所での食文化も、私知ったりしましたけどね。そこからかけ離れた物とか、何を出されても反応が同じじゃないですか」

 

 別の世界に一人放り出される。そんな羽目になってもなお、廉太郎が食べ物に困ることは一度もなかった。幸運であり、出会いと人の厚意に恵まれていたからだ。

 そして、思い返せばほとんどの食事を用意してくれたのはアイヴィ。だいたいが彼女と、そしてユーリアと共に食卓を囲っていた。

 だから、というだけの話ではないが。 


「それは、ちゃんと美味しかったからだよ」

「虫も美味しかったんですか?」

 

 何を言いたいのか今一つ分からず、しかしどこか痛いところを突かれたという感覚だけが心に生じる。気づいたときにはクリスの視線から目を逸らしていた。

 その先に食べ残した焼き菓子が見え、余計な想像に思いを馳せながらそれを瓶にしまっていく。

 

「そこに入ってはいませんよ。入ってても私は食べますけど」

「それは……良かった」


 言って、口元が歪む。今しがた自分が自供した真意に、誰より自分が驚いてしまう。

 そこへ追撃するようにクリスは続ける。どこか攻撃されているような気分にさせられるのはなぜなのか、ともかく聞きたくないのは確か。


「あなたの価値観で昆虫食は一般的じゃない。慣れていなければ目を背けたり、それでなくとも躊躇するか、絶対口にしたりしない。どころか、文句を言ったっておかしくないものでしょう?」


 アイヴィの出す料理には、ときおり虫らしき食材が原型を残したまま使用されている。

 悪意など欠片もあるわけではない。

 彼女も当たり前として口にしていたし、それに対してユーリアは何も言わなかった。虫も肉も生き物である以上ユーリアの皿によそられることはないが、少なくともあの町では普通に使われている食材の一つである。

 その事実に、二日目の夜には気づいていた。

 その上で、ここまで食べる物に困ったことはない。


「よく顔色一つ変えませんでしたね。『まじか……』って思いましたよ。美味しそうな顔で吐きだすのを我慢してるんですから」

 

 住む国によって生態系が異なるように、それら食材としての昆虫に見覚えのある物は一つもなかった。抵抗感はより強く、味や触感なんて口にするまで分かったものではない。

 それでも廉太郎は嫌な顔もせず、残すこともなく、文句も苦言も発しなかった。

 嘘をつくのは得意ではない。それでも、これまでその事実に気づかれることはなかっただろう。


「俺はあの家の居候で……ただ世話になっているんだから、文句なんて言えるわけないだろ」


 美味しいと言えば、アイヴィは満足そうに笑ってくれる。ユーリアも食事自体は好きじゃないようだったものの、食卓を囲う時間は嫌いではないようだった。家族の時間だ。そこにお邪魔させてもらっている。

 だから、廉太郎もその場の雰囲気が好きだった。

 余計な一言で、けちをつける気にならないくらいには。


「廉太郎のそういうところがねぇ、私はどうかと思うんですよ」

「うるさいな。もうほとんど慣れてきてんだよ」


 昆虫だってタンパク質の塊だ。生きるために必要な栄養素の一つであり、意識とは無関係に体は求める。食肉に乏しいあの町では、魚介に次ぐ貴重な栄養源。

 しかし、


「でも好きか嫌いかなら好きではないでしょう?」

「…………まぁ」


 ユーリアがそれを拒否するように、食べる物を選択する余地はある。家族だろうと居候だろうと、自分以外の誰かであれば、一言で済む些細な問題のようにも思えてくる。 

 それでも廉太郎は、せっかく用意してくれるアイヴィにそんなことを伝える気にはなれなかった。   

 これまで我慢していた手前、余計に気を使わせてしまうだろうから。


「作り手に好き嫌い一つ言わないのは、かえって不誠実だと思いますけどね」


 美味しいかどうか問われれば、間違いなく美味しい。それでも気が進むのかと問われれば、決して本心から首を縦には触れないだろう。

 食事自体は楽しんでいる。感謝もしている。

 ならば何が問題だというのか。

 クリスの言葉の一部、聞こえなかった振りをした。

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