第八話 期待
廉太郎の魂をより詳しく調べるために、ユーリアの紹介する専門家に見てもらうことになった。人の魂に触れることができる知り合いがいるらしい。魂に触れて、詳細を調べてもらおうというのだ。その専門家が感じる廉太郎の魂の差異から、元の世界に繋がるヒントすらも得られるかもしれない。
その専門家は、先ほど目覚めた建物で働いているという。
店を出て戻るべく足を向け始めたその道中で、ユーリアが先ほどのアイヴィの提案についての考えを述べていく。
ユーリアの仕事でも手伝えという、今振り返ってみても無茶な提案について。
「アイヴィの言ったことは半分正しいわ。あなた一人では、どうしたって活動範囲が狭まってしまうもの」
例えば、例の洞窟に一人で戻ることも危険。悪意のある者、或いはより危険な生き物に対する自衛の術がない。
それから、別世界から来たことは吹聴しない方がいいとも釘をさされた。それは、やはり悪目立ちするからだと。
だから元の世界に帰る手伝いを他の人に無暗に頼るのも得策ではない。
そして、ユーリアにも仕事があるため常に廉太郎に合わせるわけにはいかない。その間は動くことが出来ないが、邪魔にならないように彼女に同行するのならば話は別だ。仕事で各地に足を運ぶこともあるそうなので、そうなれば広い範囲を調べられるかもしれない。
「それは……ありがたいけど」
そこまでしてもらうからには、できることは少ないとはいえ可能な限り手伝わなくてはという思いが湧いてくる。
「君が何をしてる人なのか、とか……まだ詳しく知らないんだよね」
「魔術師……要はこの町の兵士よ。世界復興機関のね」
「復興……?」
「大層な名前が付いてるけど、ただこの町が機能するための組織でしかないわ……おかしくなった人間もまた、迫害されていると言ったわよね?」
人間以外の人種族の他に、一部の人間も迫害されているのだと聞いていた。
肉体、精神、思想に何らかの異常がある者たち。
「今、人間が次々に歪んでいっているのよ」
「次々に?」
「そういう病気みたいな異常が、ずっとこの世界に蔓延しているの」
まず、普通の人間以外の者は殺される。
そして迫害する側の人間もまた、常に立場が急変するという事実に脅かされているのだ。
いつ自分がおかしくなってしまうか分からないのだから。
「そんな世界をどうにかしようとする組織よ、建前はね」
「えっと……具体的には、何を?」
「え? ……歪んだ人間を治療したり、その原因や対処法を探している、とか?」
歯切れが悪かった。所属しているにしては、説明がぼんやりとしている。
「専門外なのよ。私は魔術師だから……戦力として町を維持することしかできないわ」
魔術師というからには、魔術を使う人たちなのだろう。
そんなものが使えるなら、さぞかし戦争は派手になるのだろう……そう考えたところで、ふと違和感に気付く。
「あれ、この世界の人はみんな魔法が使えるらしいけど、それって魔術師とは違うの?」
廉太郎にしてみれば、魔法が使えるものはみな魔法使いだ。
「魔術師は訓練を受けた兵士よ。魔法による殺人の術に長けている」
「……そっか」
やはり廉太郎にに手伝えることなどありそうもない。
隣を歩く華奢な少女がしっかりと兵士であると聞かされると、心なしか姿勢を正されてしまう。
しかし、
「だから、あなたに手伝わせる仕事なんて何もないのよ。あれで考え無しなところがあるから、アイヴィは……」
ユーリアは先ほどの彼女の言動を面倒に感じているのか、目を閉じて深く息を吐いていた。その仕草は年相応の普通の女の子のように、廉太郎には見えてしまう。
少年兵や少女兵の存在など、廉太郎にとってはとても身近なもではなく想像すら難しい。だけど彼女から受ける印象は、やはりそういったイメージからは乖離したものでしかない。
本当に、それこそ学校の級友のような親しみがあるのだ。
「変なおせっかいだから、別に聞き流してくれていいわ」
そう言われても、やはり一方的に世話になるなど耐えられることではない。どんな雑用であれ、できることならば何でもしなければならないと思ってしまう。
「じゃあ、他に何かできることは?」
「仕事以外の事かしらね」
当然だというように冗談めかして笑っている。
「あ、うん……何でも言ってくれ」
すると、彼女は不意に立ち止まった。慌てて足を止めると、何を思っているのか廉太郎を黙って見つめている。
「――ねぇ、あなた……本当に別の世界から来たのよね?」
思いつめたような、何かを確認しようとするかのような問いだった。
「あ、あぁ……そうだよ」
つい、狼狽えてしまっていた。その顔があまりにも真剣なものだったから。
まっすぐに合わせられた視線を逸らすことが出来なかった。彼女があまりにも急に足を止めたもので、二人の距離はとても近いものになっていた。
それはうっかり触れてしまいそうな距離で、触れてほしくないと言っていた彼女にしては不可解な態度。
廉太郎は気が気でなかったというのに、本人はそんなことすらも忘れたように言葉をつないでいく。
「外の人間でも、この町の住人でもない……それは、とても救いのあることだわ」
彼女の言動の意図はとてもわからない。それでもそれが、彼女にとってとても大事な事であることは感じられてしまう。
そして、一つの問いを口にした。
「うまく言えないのだけど……違う世界から来たのなら、ここは何か生き苦しいとか思わない? 音とか、光とか……世界との相性が決定的に違うと感じたりしない?」
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先日泊めてもらった建物である世界復興機関の本部に再度つくと、ユーリアは専門家と面会する場を設けてくれた。
彼女は今、傍にいない。用があると言って、廉太郎を一室に残してどこかへ行ってしまった。どうも、この建物にでは彼女と離れがちになる。連れてこられたという感覚が強いため、一人にされるととても心細い。したがって、一対一となってしまった面会にも及び腰になる。
異なる世界の住人と接触することに、未だ恐怖心があった。単なる人見知りとはいえない、純粋な恐怖だ。
これまで出会った人たちに、理由もなく敵対してくるような人は一人も居なかった。
元居た世界と変わらないはずなのに、この世界自体への恐怖がそうさせる。人のふりをした妖怪のように、生きてるように振る舞う悪霊のように、みな人の皮を被って欺いているのではないかと言う幻影がぬぐえない。
――じゃあなんで、ユーリアは何も怖いと思わないんだ?
こうして一人になるだけで、心細くなってしまう程に。
まるで親とはぐれた子どものようで、自分でも情けないと思ってしまう。
――依存? まさか……こんな短期間で?
ユーリアが傍にいるだけで、まるで往来親しい友人のように心安らいでしまうのはどういうことなのだろうか。
言ってしまえば彼女より親しみやすそうなアイヴィにさえ、実のところ抵抗感は捨てきれなかったというのに。
――いや、それは……知られたくはないな。
自分に、種族間の差別意識などがあるとは思いたくなかった。もしそうだとしたら、いずれユーリアには見放されてしまうだろうから。
そんな風に心細く思っていると、こうして専門家を待っているだけで恐ろしくなってしまう。
リスクがあるのだ。
異世界で魂など見せびらかして、何事も問題ないのだろうか。ユーリアたちは存在さえ知らなかったようだが、そうではない者たちがいたとして、彼らは敵対的だったりしないのだろうか。
「はぁ……」
手がかりを目の前に、いっそ帰還さえ放棄してしまいたくなる。
なぜ、帰らなければならないのだろう……その理由を単純に考えると、明確な一点だけが浮かび上がり、はっとさせられてしまう。
――そうだ、親に迷惑なんかかけられない……現にもう、一日帰ってない。
それを考えてしまえば、危険があるとかこの世界が恐ろしいだとかとても言っている場合ではない。
文字通り、死んででも帰らなければならないのだ。
死体が元の世界に届くのと、生死すら不明となるのとではどちらが親を苦しめなくて済むのだろうか……などと余計なことをつい考えてしまう。
廉太郎が腰かけた机に深く項垂れていたとき、
「やあ」
快活な声が飛び込んできた。
不意に聴こえた声に視線を向けると、背の高い女性がドアを開けていたところだった。この距離でも廉太郎とおなじくらいか、やや高い背丈だということがわかってしまう。
室内だというのに、全身を白いコートで覆っている。全身を、と言うのは本当に全身のことである。手の先の指も見えず、靴も足先しか見せていない。僅かにのぞく顔以外、その体の一切が隠されている。深くかぶったフードから覗く赤い髪の毛だけが、そんな真っ白な姿をやけに色鮮やかに彩っていた。
年上の、若い女性だ。
服装故にその印象のほとんどがつかめなかったが、それでも綺麗な顔をしていると思った。むしろ、顔しか見えないので余計にそう思ってしまうのかもしれない。
彼女が廉太郎と机を挟む位置に移動すると、部屋中に清潔感のある香料が立ち込めていく。花のような、品のある香水の香りだ。個人が発するにはやや過剰とも思えるほど強い匂いだったが、不快に思うことはなかった。人間味の薄い格好が、生き物の放つ匂いだという不快感を感じさせないように思えた。例えるなら、病院に添えられた花や人工香料。薬品など匂いと入り混じった、落ち着かないが不快ではない類いの香りだ。
彼女は廉太郎を一瞥するなり、ぞんざいに言葉を投げかけた。
「ユーリアから話は聞いているよ。だけど、私は何をすればいいんだ?」
「何を? その、失礼ながら自分は促されるまま来てしまったので、殆んど何も聞いてないんですが……」
面接で何も言うことを用意していなかったような心労に襲われ、思わず視線を泳がせてしまう。
彼女はその言葉に呆れたように笑うと、廉太郎が座っている机の対面に静かに腰を下ろした。
「……本当に言葉の足りない子だ」
「そ、そうなんですかね」
先ほどまで彼女はだいぶ喋っていたはずなのだが、それはあまりない珍しいことだったようだ。状況が状況だけに、口数が多くなったのも無理はないのだが。
「彼女は何と言ったんですか?」
「変わったやつがいるから、見てくれってさ」
「それは……」
確かに説明不足だ。特殊な事情故に、下手なことは言えなかったのかもしれない。
それにしても、自分は何を見てもらえるのだろうかと不安になってしまう。魂をみる専門家とは言っていたものの、何をするのか想像すらできない。
「何を見てもらえるんでしょうか? その、あなたは……」
「私はロゼ・ヘルホルス。まぁ、便利な相談役だよ。人の魂に触れることで、適切な魔力運用を助言したり指導したりしてる。……とは言っても心理的支援の方が主だけどね。なにしろこんなご世の中だし」
そう言って笑いかけている。廉太郎もその一人だと思われているのだろう。
確かに、ユーリアもそのようなことを言っていた。おかしくなった人や、人の世で生きていけない者が住む町だと。
皆、魂や肉体がおかしくなっていく病気のようなものに世界が覆われているのだと。
「魂が変異した奴はもう自分本位でしかものを考えられなくなってるし、なまじ見た目がまともなやつは自覚することもできやしない。そういうやつらでもうまくこの町で生きていけるように……と、そんなことをしている人だよ」
「……俺の魂、何か普通と違うところはあるでしょうか?」
魂に触れるという行為の意味を、廉太郎は知らない。想像がつくのは、思考や記憶を覗くようなことだ。
もしそうならば、別世界から来たという事実は伝わるだろう。ユーリアはその真偽を確かめるために連れてきたのかもしれない。誰かに丸投げしなければならない問題である以上、それを確定的に信用してくれる相手であるのに越したことはないだろう。少なくとも、狂人だとは思われないからだ。異世界と言うものにどのような感情をもつかは分からないが、最悪なのは、異世界が認知されているかどうかにかかわらず、異界の存在に敵意を持つという可能性だった。人間にとっての異端が迫害されるように、異世界人が人外とみられてもおかしくない。少なくとも、ユーリアとアイヴィにはピンときていないようだったのが救いだ。
「ふむ、君の魂からは魔力を一切感じないな。……珍しいと言うのもうなずける。相談はそれかな?」
「いえ、別に魔力なんてなくてもいいんですけど……」
「ふぅん。それはそれで構わないけれど、魔力がないってのは本来おかしいことなんだよ」
そう言って握手を求めてきた。直に触れることで、相手の心の内を読み取れるのだと、彼女は言う。
思考や感情、無自覚な事さえも何一つ隠すことはできないだろう。
「君になぜ魔力がないのか、それを確かめよう」
それは恐らく、生まれた世界が違うから。
元居た世界では魔力など空想の物でしかなかったのだ。心を正確に読み取るのであれば、異世界の実在も信じるだろう。となれば、帰還するための協力を得られるかもしれない。
ロゼが右腕を伸ばしそのコートの袖が捲れると、灰色の長い手袋に包まれた細い腕が現れた。
美しい腕だと思った。
作り物のようだとも。
「ほら、早く」
「あ、はい……」
その手を握るのは、とても勇気がいるものであった。その手を握ることは、この世界の魔法に触れることである。
廉太郎はこれまで魔法と言う荒唐無稽な技を目にしていない。元の世界と確定的に異なるものにたやすく触れられるだけの度胸を、廉太郎は持っていなかった。まるで漏電している機械に手を触れるような緊張感。
それでも、本当に恐ろしいのは未知だからではない。
恐る恐る差し伸ばされた手を握り、諦めたように目を閉じる。
「ふむ、だいぶ緊張……いや、恐怖かな。そんなに怖いかな、心を覗かれるのは」
誰だってそうだろうと、廉太郎は思う。
「それにしたって君の拒絶心は異常なものだ。無自覚で私にもう敵意すら向けているし、今すぐにでも振りほどきたいと思っている」
相談に乗ってもらっている立場で相手に敵意を持つなど失礼極まりない話であるし、当然、本当に無意識でのことだった。
廉太郎は、心の中で謝罪の言葉を繰り返していた。
しかし思考など制御しきれるものでなく、無意識を消し去ることもできない。
「或いはそれが……。いや、質問がある。君は生まれる世界を間違えたのかと思うほど、この世を生きづらいと感じたことはあるかな?」
――え、それは……。
先ほど、ユーリアに問われたものととても似ている。質問の意味が分からず、その時上手く答えることはできなかった。
だがロゼの言葉は、より回答が容易い物だった。何を聞かれているのかが明確になっている。
廉太郎の生きづらさ。
あえて人に言う程のものは何もないが、強いて言うなら人付き合いにおいて気を遣いすぎるということ。
人に迷惑をかけてはいけない、ある種日本人的な気質。親のしつけや育ちが良すぎたのか、やや過剰なその思いは一定の不自由を常に廉太郎に課していたし、自覚もしていることだった。
他人はずいぶん気安く生きているのだなと、漠然と思っている。
「いや、それではないな。もっと……それこそ自殺を考えるほどの、気が触れるような思いだよ」
そんなに思い悩んだことはない。
妹ではあるまいし。
自殺して親に迷惑をかけるくらいなら死ぬ。
「……うーん、ユーリアが仲間でも見つけてきたのかと思ったけど違うのか。……いやぁ、そうすると君は、本当に何処も変異していない、真っ当な人間ということになってしまうな」
真っ当な人間と言う言葉に引っ掛かりを覚えていた。魔力がないのだから、この世界では異常なのではないだろうかと思う。
「嫉妬すら覚えるよ。それほどの存在だぞ君は。……なにせこの世界にまともな奴なんて、もう一人も居ないはずなんだから」
――え?
人間の社会からそういった人たちが排除され、この町は彼らを受け入れている。
ならば、人間の社会にはまともな者たちが住むはずなのではないだろうか。
「正確には、人と居れないほど歪んでしまって初めて排除されるというだけで、初めからこの世の人間はみな病んでいるのさ。進行度の違いだよ」
ロゼはこの世界の人間なら常識として知っているであろうことまで説明をしてくれている。廉太郎が疑問に思い浮かべていることで、それを本当に知らないということまで分かってしまうからだ。
「人が魔力を持ちだしたのはその魂が病んで、変異したからだ。異形の者の力だよ。だから、魂が純粋な人間のままである君は魔力を持たないのだろうね」
この世界の人間を襲う病のような異常。それは人の肉体や魂を犯していくだけではなく、人間に魔力と言う力を与えたのだ。
人の魂が歪むことで、彼らの魔力となる。
「いやぁ、純粋な人間のサンプルなどもうどこにもないし、再現することもできない。君を調べれば、何かがわかるかもしれない。……この世界を変えることさえできるかも」
――私の不安までも。
そう、音にならない声が聞こえた気がした。