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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第四十五話 ミッシングリンク ⑧

 深夜、月に照らされた影が闇の中で躍動する。

 暗闇を裂く赤い線は光にも似た魔力の軌道。エネルギーと異なり、魔力は質量も持たない世界の歪みだ。それを利用した鞭の挙動、先端の最高速度は光情報に匹敵する。

 ユーリアが安定して叩き出せる速度の上限は、せいぜいが長距離狙撃弾と同等なレベル。それでも躱し続けられるのは、鞭の発生と初動から挙動のすべてを予測できる認識能力の高さがゆえ。


「――あぁ!」

 

 戦闘は、もはや完全にユーリアの優位に固まっていた。もっとも、それは客観的にも分からない真実であり、当事者であるトリカにはまだ勝機を追うだけの気力があった。


「もうっ、また……」


 それでも、その表情には余裕がない。得られるはずの手ごたえが満足に得られていないことによる、苛立ちともどかしさ。

 超音速の鞭はユーリアを捉え得る。

 転移術は意識の外側から不意をつける。

 ユーリアの能力にも自分の能力にも、それほど深い理解があるわけではない。だがそれでも、長く続ければ続けるだけ一撃を与えられる場面が回ってきそうなものなのに。

 視界の外に消えたユーリアを背後に、それを振り返り顔に目を向ける。

 なんとか避けるので精一杯――そんな表情を繕ってはいるものの、明らかに涼しい本心が隠せていない。


「速いだけのくせに――」

「あら、いつもは褒めてくれるのに」


 弱音に対する、余裕のある口ぶり。それに刺激されたのか、まけじとトリカの口から軽口が溢れた。


「……ねぇ、そんなに速く動くのってどんな気分? 車に酔うみたいに、気持ち悪くなったりしない?」

「少し違うわね。私の感覚では、周りが遅くなるようなものだから」 


 思考、認識速度を引き上げれば、後に残るのは停止の世界だ。停滞を押し付けた世界といってもいい。そうしてあらゆる動きが遅くなった世界を、自分だけが運動速度を数十倍にまで引き上げることで適応した速度で動いてみせる。

 それが疾走型の魔術師の基礎能力であり、ユーリアの加速倍率はその中でも頭一つ以上抜けている。

 使い続ければ酷い負担にもなるけれど、速さで気分を害したことは一度もない。


「ふぅん」

「目指してみる? 少し厳しいけれど」


 通常、成れるのは遠距離攻撃に特化した通常の魔術師であり、超速度での移動を可能にするタイプの魔術師は数が少ない。割合にして一割未満。そのため、通常、魔術師と呼ばれる存在は前者を指す。

 元々の魂の質、構造により適正が厳しく左右されるからだ。

 それに、なってからも魂への負担が相当に大きい――それを思い出して、失言だったかとユーリアの表情が知れず曇る。


「いいよわたしは、走らなくたって――」


 転移するタイミング。何の前兆もなく、気づくこともできないはずである。しかし、ユーリアにはそれが手に取るように分かる。

 即座に背後を振り返り、案の定そこにも居るトリカと赤く輝く目が合った。攻撃が振られるよりも前、不意打ちにはならない。不意打ちにならなければ、脅威は何もなかった。


「……ッ!」


 トリカが転移できるのは、町へ向かった一方向のみ。自然、不意打ちを入れようと背後を取るためには、自分と町との間に敵を挟んだ位置関係が必要になる。

 だから、ユーリアはその条件をこちらからあえて満たしてやる。すると、それを待っていたと言わんばかりにトリカは背後に必ず跳ぶ。

 逃すことのできない勝機。不意でもつかなければ殺せないユーリアの、つけない不意をつける唯一の可能性。

 罠にかかった得物のように、食らいつかずにはいられない。


「残念。おしかったわよ、今のもね」


 いくら知覚が狂わされようとも、発動の瞬間をコントロールでき、その後の行動に予測がつくのであれば問題にもならない。

 こうして能力の発動を促して、力を使い切るのを待っている。それを悟られぬよう、何とか紙一重でやり過ごせていると装って。


「――そうだね」


 だが、手の内を読まれたことを知らないトリカにしてみれば、ユーリアの能力の高さや経験による偶然的、奇跡的な回避が続いているようなもの。そして、それがいつまでも続くなどと、どうしても断定することができないのだ。









「は――はぁ……ッ!」

「……そろそろ、疲れたんじゃない?」


 自分で消耗を促しておきながら、あまりにもがむしゃらに向かい続けるトリカがどこか健気で、肩で呼吸するその姿に罪悪感にも似た胸の痛みが湧いてくる。


「ぜんぜん。まだ、いけるから……」


 力を使うたび、時間が経つほどに。トリカの様子は疲弊していた。

 息は切れ、視線は定まらず、言葉や態度にも取り繕う余裕がない。表情はいっそ苦悶に歪み、少しだけ長い前髪が汗で額に張り付いていた。


「トリカ……」


 その疲労がどんな類いのものなのか、どれほどの負担で、どんな思いでそうしているのか。当事者でもなく、その症状に明るくないユーリアに推し量ることはできない。 

 それでもその姿は紛れもなく痛ましいもので、限界など待たず今すぐ降参してほしいのにと思わずにはいられない。

 どんな形であれ魔力――魂を使えば負担がたまる。無茶をして酷使し続ければ、死んでもおかしくないほどの反動だってある。

 もっとも、そこまでブレーキをかけない者はそういない。水面に潜り、息を止め続けているようなものだ。


 しかし、今のトリカなら。

 その精神状態が、加減など考慮できないほど理性を失ったものであるのなら。


 ――ひょっとすると、力を使い切って疲弊するどころか、このまま、死んでしまうまで私を狙い続けたりはしないのだろうか。


 そんな脳裏をよぎった可能性に、ユーリアの顔が青ざめかけたとき。


「くそっ……」


 周囲を廻り駆けるユーリアを目で追ううち、トリカがその体のバランスを崩す。振り向きざまに転倒し、異形化で重くなった体を受け身も取れずに地に落とした。

 仰向けに天を見上げる。反射的に目をつぶった。

 そんなトリカの、感覚も鈍くなった腕と足にふと感じる、暖かい何かの違和感。


「な、なにやってんの……?」


 トリカが目を開けたときには、その目と鼻の先にユーリアの顔が迫っていた。

 両腕を顔の傍について、のぞき込むように覆いかぶさっている。体格差で抑えるつもりなのか、逃げられないように体をくっつけていた。

 それを、トリカは信じられないような目で凝視している。

 ここまで密接していては、胸辺りから生み出す鞭など避けるつもりもないと言っているようなものだ。体勢にしても、異形化して人間の範疇を越えているトリカの膂力を押さえつけられるはずがない。

 それに、あれほど触れたくない、触れられないと言っていた人間が、こんな――


「――ねぇ、やってることめちゃくちゃだよ?」


 そう言って、トリカはユーリアの片腕を手で握り、捕まえた。避けようと思えば避けられるはずなのに、ユーリアは黙ってトリカの目見つめているだけだった。

 女子供の力では、外そうともがいても外せないほどの握力がある。もう逃げることはできないし、こうなれば鞭を躱すことだってできはしない。


「あーあ」


 それしか言うことも見つからず、あまりに場違いな行動を前に、トリカの思考もまた――初めてだな、触ったの……と場違いな方向へと向かってしまっていた。


「分からないのよ……」

「え、こっちの台詞だけど――」


 そう言いかけた頬に、雲一つない夜から一滴の雫が落ちる。


「今のあなたのこと、あなたが使う能力……私には何の確証も……っ」


 確かに、その行動は「めちゃくちゃ」だ。それまでの思惑も状況も、何もかも無視してこんな風に動いてしまった。

 こらえきれずに、勝手にそう動いてしまった。

 理性的になんてもう少しもなれそうになくて、ユーリアは苦痛に感じる余裕さえなく目の前の幼い友人を抱きしめていた。


「私なんかの判断で、余計なことして……またあなたを失うかもしれなくて――」


 トリカの首に、熱い感触が生まれ続ける。

 触れたことも初めてで、信じられないことではあった。

 しかしそれ以上に初めてで、信じられないものは、その透明な血の雨。ユーリアが人前で泣くなどと、それまでの付き合いの中では絶対に考えられなかったようなことで。


「――どうするの、じゃあ?」

「……どうしよう」


 本当に困って投げた問いかけが、これまた困ってしまったように返される。

 顔を上げたユーリアの、泣いているのか笑っているのか断言できない顔があまりに綺麗でしかたなく、トリカにはそれ以上間近で直視できなかった。

 自然と顔をそらすと、それが返って意識しているようで照れくさくて――もうなんだか、随分と変な気分にさせられてしまっていた。


「どうしたらいい、トリカ……?」


 密着している心臓の鼓動が、トリカには酷く痛かった。

 トリカの鞭は胸の辺りから――五日前に負った致命傷から生まれる。その出力孔と自分の急所を重ねてしまえるユーリアの行動は、意識的にせよそうでないにせよ危なげで、いっそ艶めかしいことのようにさえ思えてしまった。


「あなたのことだけ考えてる……死んでもいいわ、本当よ」

「また、そう言う――」


 ――自分のこと、好きじゃないんだね。

 かつて何回言ったか分からない、そんないつもの軽口を繰り返そうとした、その直後。


「……どうしたの?」 

「痛いよ、頭が――」


 割れるような、脳が溶かされるような痛み。

 その内側で、知らない誰かの声が響く。

 目を固く結び、その両端から濁りのある涙がにじみ地へと伝った。


「……ごめんね、そんな思いさせて」


 ユーリアは何も分からず、何もできず、言うべきことすら見つからずにただその涙をそっと拭う。

 そのまま、いたわるように頭を撫でた。

 それもまた、トリカにしてもユーリアにしても初めてのことであり、トリカにとっては一つの異なる意味を持つことでもあった。


「ねぇ、諦めてあげよっか?」


 頭痛が去り、少しだけ――前より晴れたような思考の中。そのせいでかえって勇気が必要になってしまった言葉を、トリカは躊躇いながらも口にできた。


「――ほんと?」

「うん、全部言うとおりにしてあげる」

「そ、それは……」 


 ユーリアにとって、願ってもない言葉。これ以上のない展開。

 本当にそうしてくれるなら、どんなものでも差し出せるだろうという、泣いて声も出なくなるような言葉だった。


「その代わり、いっこお願い聞いてくれるかな?」

「いいわ、なんでも言って」


 例え自分の命でも、なんら構うことはない。トリカが生きてくれて、他の誰も傷つけないでくれるのなら、言ったように何でもする。

 だからユーリアは、どんな「お願い」をされても言葉につまるつもりはなかったし、驚くこともないだろうと、そう思っていた。

 どんなものでも二つ返事で受け入れる。

 それが当然だと思うし、自分は大切な人のためならそれができる人間だという自覚もある。


 しかし、ここで思い知ることになる。人間関係なんていうものは、例え親友同士であったとしてもどう転ぶか分からないものでしかなく、それは多様な特異性を持つユーリアでなくても変わらず、予測不能であるのだと。

 相手のことを心から分かっている関係など、どれほど仲がよくても有り得ないのだと。

 濡れた顔を拭うことも忘れ、今か今かと待ちわびるユーリアに向けて、しばしの躊躇いを見せた後、トリカは毅然と想いを告げた。


「……その、結婚してください」











――――










 ――夢みたいだな。


 あまりに呑気で、不自然な感想。目の前に分かりやすく死の危険が迫っているというのに、トリカの心持ちは他人事のように穏やかだった。大泣きするような怪我をした経験もないせいか、直前になっても『まさか死んだりしないだろう』と、そう高をくくっていた。

 

 それは一年と、少し前のこと。


 その日、トリカは同じ年のころの友達と一緒に、町内の公園で遊んでいた。そう広くもない、休憩と遊戯の場が一緒くたになったようなスペースを走り回り、お互いを追いかけまわすだけの、それでも楽しくなれてしまような当たり前の遊び。

 いつも遊ぶ仲のいい友達もいたし、その子が連れてきたよく知らない子だっていた。それはいつものことで、だから誰も変にぎくしゃくすることなく、その日も当たり前に楽しく遊んでいた。

 一人、特に足の速い友達がいた。人間よりは身体の強い、亜人種の、見たこともない不思議な特徴を持つ気の合う友達。

 その子とちゃんと――対等に遊ぶためには、必死になる必要がどうしてもあった。

 周りへの注意が、どうしても散漫になる。

 それはいつものことだったけれど、その日は特別羽目を外したくなる雰囲気で。

 その子から逃げようとするうちに、気づけば公園の外へ飛び出していた。公園を囲む林を抜け、隣接する通りへ。ちゃんとした出口でも抜け道でもない、空間を分ける草木に身を突っ込んでいくような無鉄砲さで。

 服が汚れるのは気にならなかったけれど、刺さると危ないから目は両方閉じていた。

 そういう、遊びに必死になること自体が面白かったのだ。

 傍から、大人から見れば、頭を抱えたくなるような見境のなさ。事実、偶然そこに居合わせたであろう誰かの、ぎょっとするような表情が逆さに見えた。


「あ――」


 階段を駆け下りようと思ったのだ。高台になった公園が面するのは、これまた走り抜けられそうな大通り。人の歩く場所だから、怒られるだなんて分かっている。

 それでも、そういう、そこまでやってしまう面白さに似た刺激を求めたのだ。

 そんなことだから、ばちにでも当たったように盛大に足を滑らせた。大きく階段の幅を越えて、舗装された地面に頭から突っ込んでいった。

 よくないぬかるんだ場所を通ったせいで、靴が汚れていたのだろう。

 恐怖を感じる暇はなかった。それでもぞわぞわとした感覚が足先から這うように全身を襲い、頭を打つ前に気を失いかけて。


 それが、トリカがユーリアに出会った、初めての瞬間となった。







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