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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第四十四話 ミッシングリンク ⑦

「そういえばさぁ」


 前髪を上げ、トリカは顔の汗を拭った。それまでの熱を冷ますように、間を置いてユーリアの腰に指を差す。


「防戦一方、ってわけじゃないくせに、抜いてもくれないんだね、武器」

「こんなの、あなたに向けるわけないじゃない」置いてくればよかった、少しだけそう思い、なんとなく両手を開いて見せた。「友達でしょ」

「……ははっ」


 場違いな言葉だったのか、トリカの口の端から笑みがこぼれる。何が可笑しいのかと窺うユーリアに「いやごめん、思い出しただけ」と、意地の悪い顔が向けられた。


「可哀想だから。それでなってあげたんだったよ、友達なんて」

「……傷つかないわよ、別に。そう思われたかったんだから」


 そうでなければ説明がつかない。

 可哀想だ、酷いことをした。そう思ってほしかっただけ。そして自分の態度がどんなものであろうとも、それが許されなければ、受け入れられなければ不公平だと甘えていた。

 そして事実、許されていたはずなのだ。それに気づかず見ないようにしていたというだけで、きっと自分は気にかけられていた。


「どうでもいいのよ、そんなこと」動揺しただなんて自分でも思いたくなくて、瞬きもせずにその目を見た。「私があなたを好きなのは、絶対変わらないんだから」


 友達になれて、それで楽しくやってきたのだから。それに比べれば、始まりのきっかけがどんなものだろうと些細なもの。


「そう。嬉しいよ……」

「だから、あなたがどう思おうと――」


 生きていてもらわなければ困る。自分に向ける感情がどんなものになったとしても、それでも傍に居続けたい。


「お願いだから、病院に行きましょう」


 今のトリカの感じるものが、すべて瘴気ひ歪められただけのものだとは言わない。治療を終えてなお、誰も彼もに心を開かないままでいるかもしれない。

 だが、そんな負の思いを抱えても、それでも生きてほしいと思うだけだ。


「だからぁ、行くわけないじゃん」


 ――望むものはそこにない。命を延ばすことも、家族を奪った者たちに与することも。


「そう、なら無理やりにでも」

「できるもんならね――」


 会話を打ち切る赤い閃光。通常の鞭でも先端は音速を越える。トリカの胸の内から生まれる一条の光は、挙動こそ似通りはすれど、その動き全体が初動からすでに音速を大きく超えている。

 先端の最高速度はユーリアの知覚能力でも目で追えない。

 昼間、オーテロマの町中で不可視のそれから予測していた数値以上。当然、ユーリアの最大加速速度さえ軽く上回る。 

 それでも、出だしの動きさえ目視できてしまえば、攻撃の軌道を予測することは容易い。

 顔のそばまで引き付けて、見送るように躱す。危なげなく見せてはいるが、その実ユーリアには余裕がある。

 トリカと戦うつもりも、傷一つつけるつもりもユーリアにはなかった。無理やり連れていくために、動けなくなるほどのダメージを与えるという選択肢もあり得ない。

 となれば、残された手段は二つしかない。

 説得か。能力を使わせ続けて魔力、体力共に消耗を促すか。

 説得が難しい以上、このまま攻撃を誘い続けて疲弊するのを待つしかない。抵抗できず、大人しく治療機関に連れて行けてしまうまで。

 しかし、ただ時間を稼ぐのではだめだ。それを見抜かれた場合、ユーリアの殺害を諦めて町に向かってしまう可能性がある。

 勝てるかもしれない――そう思わせ続けながら、ギリギリのところでやり過ごし続けなくてはならない。

 だがそのために見極めておかなければならないことが、一つ残されていた。


「あなたの攻撃、もうそれだけでは通じないわよ」

「――――ッ」

「だから、あれ使ってみなさいよ」苦々しく顔を歪めたトリカを煽り立てるように、そんな軽口をあえて叩いた。「使えないの?」


 転移、瞬間移動。

 人が空など飛べないように、それらは実現不可能な空想の技能。将来的にあらゆる分野の技術が目覚ましい向上をみせようとも、それが崩れることは永遠にないとだ断言できる。

 物理的にあり得ない事象。人間の手にした魔法にしても、魔力というエネルギーを物質に当てはめて武器として操っているだけだ。 

 もちろん、そんな常識はあくまで人間種の中での話であり、他の存在、特に妖精種にとっては当たり前に引き起こせる事象の一つ。

 だが。


 ――分からない……。


 なぜ、元はただの人間だったトリカにそんな真似ができるのか。

 異形化にしても、結局魂の質が変化しただけだ。その結果魔力の扱いが非現実的なレベルにまで上昇することも、ありえなくはない。前例はないにせよ、魔術と比べても凶悪さに引けを取らない鞭を生み出せるようになったのも、まだ受け入れることはできる。

 だが、空間転移など人間としての限界を超えている。

 その上、トリカの転移は転移を越えた何かである。

 一度見ただけで模倣してみせた、ラヴィやアニムスの扱う超常の事象。それに伴い、周囲の者の認知は歪む。転移自体にも、転移の末起こった事象にも、払っていた注意の隙を突かれるように近くが遅れてしまう。

 アニムスは人間ではない。正体は誰も知らないが、おそらく妖精に近い存在だとユーリアは思っている。だからその力にも違和感はない。その下で働く人間でしかないラヴィが使えることについては――トリカ同様、全然分からない。


「ねぇ、アニムスと……図書館の館長とは面識ある?」

「え? なんで今そんな――」

「いいから」 

 

 少しでも答えに近づきたくて、強引に押し切るように問いを投げた。

 トリカの相手をするにあたって、その力のほどを把握しておかなければ時間稼ぎどころではない。これまで三度見たもののまったく見切ることはできず、そのすべてがこちらの死に直結しかねないものだった。

 トリカはしばし目を泳がせ、「んー」と悩ませる様子を見せた後、やがて渋い顔で口を結んだ。


「話したことないよ。あの人、目が怖いんだもん」

「そう」


 ひょっとしたら、ラヴィが何らかの方法で会得したように、ユーリアの知らないところでアニムスから教えでも受けていたのではないかと疑ってみたものの、そんな様子はない。


「使えないの、今?」


 無言で返される光の一閃。


「条件があるのね?」横目に身を躱しつつ、逃がさないように問いを重ねた。

「さ、さぁね――」


 それ以上の問答を拒絶するように、トリカはこちらに向けて足を踏み出した。子供の足。走って向かわれたとして、ユーリアでなくとも捕まることはない。

 不用意な接近は避けたい。鞭を十分躱せるだけの距離的な猶予が欲しかった。

 向かってくるトリカから距離を保つように弧を描き、周囲を移動する。そのさなか、ユーリアはトリカの顔に笑みを見た。

 それを怪訝に思った、その直後――トリカの姿が忽然と、消えてなくなっていることに気がついていた。

 

 ――きた……っ!


 限界まで加速した思考、認識世界の中、即座に視界を見渡して、どこにも見当たらないことを認める。現在の位置は死角のどこか。そこから飛んでくる軌道の予測もできない攻撃から、再度全力で身を逃がす。振り返る余裕などなく、ただがむしゃらに鞭の射程から逃亡することしかできない。

 本来絶対に不意などつかれないはずのユーリアの、意識の外から迫る攻撃。

 本や絵で例えるなら、目で追っていたはずの頁の内容が、意識の間隙をついて書き換わっている、それに気づくのが遅れてしまうような違和感だ。

 初撃はラヴィが庇ってくれた。二回目と、この一撃を躱せたのは偶然でしかない。闇雲に逃げるだけで、そう何度も回避できるものではない。

 図書館に赴くたびにアニムスに背後をとられ、嫌がらせのように触れられていたからそれが分かる。

 見極めなければ――


「考えろ……」


 安全地帯、離れたトリカを遠目に、ユーリアは頭を悩ませる。

 何が変わったというのだ。

 先ほどまで、トリカは明らかに効果的だと分かるこの転移術を使わなかった。本人の態度からも、使えなかったであろうことは明白。

 使えない状況から、使える状況に、何の過程があったのだ。


「トリカは……走ってきたわね」


 トリカが動く必要は本来ない。ユーリアはあえて鞭の射程に常に身を置いていたのだし、機動力には天と地の差がある。距離を詰めることなどできないのは、トリカにも分かっていたはずだ。

 おかしな点はそれだけだ。

 だがこれまでに見せた挙動に、そんな予備動作は含まれていなかった。


「――違うわ。えぇと、そう……変化があった、とか……?」


 あるいは、疲弊しているのか。 

 ここにきて、見えなかったはずの鞭が見えるようになっているのも気になっていた。転移も鞭も、そう使い続けられるほど負担のないものではあるまい。

 何度も続けて使うことはできないから、それで跳ぶのを躊躇していただけだのだろうか。鞭が見えるようになったのも、出力が落ちているからなのか。

 しかし、鞭そのものから弱体化したような気配は感じられない。むしろ、速度と圧共に力を増しているようでさえある。


「逃げるなら逃げるでどっか行けばいいのに」


 そうこう考えを巡らせているうちに、トリカは歩いて間合いを詰めていた。その表情からも、やはり疲れたような色は見て取れない。身構えるユーリアに対し、それでも離れようとしない様子を見て、トリカはくすりと笑って見せた。


「前から思ってたんだけど、ちょっと自殺願望あるんでしょ」

「あら大変、そう見える?」


 苦笑を返し、なおも近づこうとするトリカの動きを観察する。

 その真意を確かめるべく、回り込むことなく目を逸らさない。踏み込まれる足に対して、ユーリアは一歩後方へ下がった。

 すると、トリカの足はぴたりと制止する。至近距離とはまだ呼べないような、腕も届かないような間合いを開けて。

 となるとさっきも、今も、接近したのは攻撃のためではなかったことになる。

 あの場所、そしてこの場所がだめなのだ。

 そして、先ほどの場合、あれから変わったのは――


 ――位置関係。


 先ほど、トリカが転移の条件を満たす前。ユーリアは間合いを保とうとトリカの周囲を回り移動した。その結果位置関係は変化した。方角か方向か、あるいはそれが転移条件に関わるとしたら。


「なに? じっと見て」

「いいえ――」


 怪訝なトリカの隙をついて、ユーリアは自然に駆けだしていた。傍目から見れば、距離を取ろうとしたように見えるだろう。

 先ほどと、まったく同じ動きで。ユーリアはトリカの背後に回り込む。そのさなか、トリカは袈裟斬りに鞭を振るった。脅威ですらなくそれを躱す。

 そこへ――


「とった――!」


 鞭を振るいながらに、トリカがその存在位置を書き換えた。攻撃の挙動、空に描かれる曲線の位置が突如ユーリアの背後に再入力される。

 場所、角度、軌道。

 一撃目を回避したところに、そのいずれもが異なる別物の一撃と化して迫りくる。

 ただでさえ回避しようのない不意打ち。その上、トリカの転移術に付随するさらなる不意打ち性が重ねられていた。

 おそらく死んだことにも気づけない、必殺の一撃。

 だが。


「今のは危なかった。――死にかけたわ」

「……おしかったな」


 背後から飄々と現れるユーリアを、トリカは内心の驚愕も隠しきれずに振り返る。ユーリアの速度も、常人にしてみれば瞬間移動のようなものだ。意識の外側を奪われたのは、奇しくもトリカも同様であった。


「息上がってるじゃん。……汗もかいてるよ」

「あら、ほんと」


 あなたもねと、その一言は告げなかった。

 想定より危うい一撃を浴びせられてしまったものの、ユーリアは仮説が確信に変わった事実に満足と、それから安堵を覚えていた。

 今の一撃を躱せた理由。それは、トリカが転移することも、その後に現れる位置にも予測がついていたからだ。

 背後に周られなければ跳べない、背後に周ることを迫るような足さばき。

 それらが意味することと、これまでの転移の状況を照合してみせれば、自然と答えは照らし出せる。


 ――決まった方向にしか飛べないんだ。


 方角か。磁力か。星や風、視えもしない何かの力の動きなのか――なんでもいいけれど。

 トリカが決まって跳ぶ方向は、ちょうどラックブリックの町に向いていた。

 それがますます確信に近づける。

 だいたい、こんな場所に車も用意せず、自分を倒した後どうやって町に帰るつもりだったのだ。

 この力はその答え。

 一度に転移できる限界など知らないが、少なくとも歩くよりはずっと楽にたどり着けるという確信があったということだろう。


「あぁ、いや……ほんと、すごい能力ね。羨ましいわ」

「――な、なにその顔……?」


 万一にも見切られただなんて悟られないように。それでいて、どうしても得意げな顔が隠しきれそうにない。


「ふふふ……」


 それをごまかすように、ユーリアは笑った。

 状況も忘れて少しだけ楽しいと、そんなことを思いながら。





――――






「――あぁ-、もうもう見えてるばかりか気づいてるっぽいね」


 双眼鏡を目から外し、一部始終を見守っていた一人の女は満足そうに笑みを浮かべた。


「よかった。また割って入るのも、なんか気まずいし」


 ユーリアが睨んだように、トリカの操る転移術は万能ではない。移動に制約がある。そしてその方角が町を向いているのは偶然ではなく、正確には、町を向いているわけですらなかった。

 町へ帰る能力――広く言えば、そういうことになる。

 トリカの異能。異形化することによって発露した魔力の鞭、転移術。その源となる要因も、力を与える要因もラックブリックの町にある。

 以前はユーリアの目に見えなかった鞭が見えるようになったのも、弱体化したからではない。

 力の源である町に近づくことで、より力を増しただけだ。色濃く影響を受け、世界に確実に溶け込むほどに。

 だが、それがかえってユーリアに有利に作用していた。いくら力が増そうとも、見えるようになってしまえば彼女にあたることはない。

 そして、転移術――帰還術に関してもそれは同じ。

 一方行しか跳べない現状、不意打ちに繋げられる位置関係は町との間に敵を挟んだ場合のみ。その条件を理解し、転移先にも予測がついてしまえば、ユーリアにとってはもはや脅威ではない。 


「すっご」


 この場で最も力を理解するその女は、適応力の高さに驚嘆する。

 そして同時に、自分の代わりにと願うのだ。


 どうか、あの子を――


 長く、細く黒い髪が、闇に溶けるように夜風になびいていた。




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