第四十一話 ねじれ隠れた関係性
きっかけは、五日前にまで遡る。
廉太郎がこの町を訪れ、そして一晩を明かした翌日のこと。
ユーリアの紹介により、廉太郎はロゼと接触をもった。他人の魂に触れられる力を持つロゼに相談し、情報を確かめようとしての行動だった。
その結果、ロゼは強い影響を受けて昏倒した。別世界の魂、その特異性による一種の事故である。
元より患いながらも抑えつけていた異形化の症状が暴走し、一時は片腕を落とすほどの事態に発展してしまった。
しかし、ロゼを襲った影響はそれだけではない。
廉太郎の魂に触れる――それは、ロゼの魂が廉太郎の魂に侵入するということ。
異物の魂に拒絶反応が起こったのか、それは失敗に終わった。
接触、侵入は強制的に切断され、廉太郎の中にはロゼの魂の一部が取り残されることになった。すでに触れていた部分だけが、外に逃げることもできずに置き去りにされたのだ。
その瞬間、ロゼの魂は二つに分離する。
現実に肉体を持ち、元から存在していたロゼという個人と――
そこから分離した魂が独自に複製した、『ロゼ』という実体のない別人格――
『ロゼ』にはロゼと変わらないだけの自己意識があり、その自覚に準じて仕事を完遂した。すなわち、依頼された相談に乗ったのだ。
意思疎通が可能な無意識――その晩の夢という形で廉太郎に言葉を残し、その後は後腐れなく、また存在維持に限界もあるがために、廉太郎の中からは完全に消滅した。
そういう話に、なっていたのだが――
『うーん、廉太郎君の罪悪感があまりに強かったんだろうね』
居座り続けるその魂は、それが当たり前であるかのように語りかける。廉太郎にではなく、それと意識の繋がるクリスに向けて、長らく明かせずにいた事の次第を説明する。
『彼の無意識下で、私の存在を手放すまいと現状を維持し続けているんだ』
「あー」
一通りの話を聞き終わり、クリスはようやく納得がいったとばかりに声を漏らす。
地下通路を出た後、廉太郎たちは『ロゼ』の案内で町内のセーフハウスへと立ち寄っていった。
基地に戻り治療をする前に、ひとまず応急処置をするためだ。
止血、消毒、折れた患部の固定。痛み止めを投与され、クリスの顔色と気分は幾分かましになり、いつもの調子を取り戻しつつあった。
それでも体どころか顔にまでガーゼと包帯を貼り付けられた姿は痛ましく、それが払拭されることはなかった。
実体のない『ロゼ』に任せることもできないので、廉太郎は指示を受けながら慣れない手つきで処置を進めていく。
「しかし、ならばどうして今までは出てこなかったんです?」
横になるベッドから、クリスは廉太郎に並び立つ虚像の『ロゼ』に問いを投げる。廉太郎の魂に混入していながら、これまでその気配をまったく現そうとしなかった、その理由を問う。
事情があるのかと窺うと、その傍で廉太郎が言いにくそうに目を逸らすのが横目に映った。
「あ、いや……実はこの人とは会ってたよ、俺」
「――は?」
『うん。毎晩、夢の中でね』
「え、嘘でしょ」
予想だにしない答えが二人の口から吐き出され、クリスは返す言葉も思いつきそうにない顔でその顔を見比べてしまった。
そんなことは、まったく聞かされていない。それどころか、常に廉太郎の心と思考を傍で感じていたというのに、その片鱗にすら気づけなかった。
意図的に、秘密として隠されていた。
その事実に、よく分からない憤りのような、疎外感のような、当たり前に目にしていた物が真実ではなかったような。そんな気分を纏めて抱え、クリスは複雑な思いで口を尖らせた。
「……なんで黙ってたんですか、私に。ていうか、なんで隠せてたんです? ん?」
「えぇと――」
『あぁごめんね。隠していたのは私なんだ』
気分なのか、普段は室内だろうが外すことのないフードから、『ロゼ』の素の頭を晒している。
実体はないのだから、服装どころか体さえも意図的に造り上げた自由なイメージ像に過ぎない。
だから、やはり何となく以上の意味はないはずだが、それでもどこかその姿は新鮮であった。
『普段起きている間、私の存在を意識できないように弄ってた』
「ほう、それはまた……なんでですか?」
問われた『ロゼ』は、意識して浮かべたような笑みと共にクリスに向けて視線を返す。
『……気持ち悪いだろう? 自分の中に他人がずっといるだなんて』
「まぁ、それもそうですね」
だから何のために隠していたかといえば、それは廉太郎のため。
廉太郎がそれで余計な気苦労を背負わずに済むよう、遠慮していたということ。
「でも、もうその必要はないよ」
これまでの『ロゼ』との関係、そのすべてを思い出した廉太郎は、有無を言わせない覚悟でそう宣言した。
緊急事態のせいではあるが、こうして現実の意識に干渉してしまったのだ。これから再び忘れるとなると記憶に大きな違和感が空いてしまう。それに、クリスという証人だってここにいる。
もう隠し通すことはできない。
何より、せっかくそこにいるのに、それを無視し続けていた現状はあまりに寂しいものだったと廉太郎は思う。自分にとっても、『ロゼ』にとっても。
「今までだって、そんな気を使う必要は何もなかったのに」
『……毎回そう言うけどさ、やっぱり気が引けるよ。君は特に、そういうの嫌がるタイプだから』
「でもクリスで慣れてるし、今さらだよ」
自分の心を読み取れてしまう存在が一人だろうと二人だろうと、誤差の範囲。
それに、見られたくないなどという自分だけの都合で、他人である『ロゼ』に不都合を押し付けることはできない。
不都合、不自由。
初めに『ロゼ』が廉太郎に罪悪感があると指摘した通り、彼女に対してはその立場を作り出してしまったという負い目がとても強い。
『ロゼ』にしてみれば、急に自分自身が現実世界から隔離されて別存在となり、廉太郎の魂の中でしか存在でなくされたようなものだ。本体は肉体を持つ現実のロゼだとしても、本人としての自覚を失ったわけではない『ロゼ』にとっては知ったことではない。
生の定義は別にして、存在している自覚があるのだから。
その上での消滅は、彼女にとっての死を意味する。
そう思うからこそ、廉太郎は無意識の内に彼女の消滅を阻止しているのだ。
「私で慣れる? 人形なんですから慣れる慣れないではなく気にするべきでもないと、そう言ったはずですが?」
「無理だ」
どこをさして人間ではないと主張するのか、鏡を見て言ってほしい。
『それで言うと、私ももう人間とは呼べないわけだし……別にいっか、認知されても。軽く捉えてくれればいいわけだし』
「だから、またそんな寂しいことを――」
二人共、妙にこじらせたような、反応に困るようなことを言う。立場が複雑なせいか、どこか自虐的で触れにくい、そんな闇すら感じられて居心地が悪い。
そうすると、『ここに居るだけでみんなに酷い迷惑ばかりかけている』という自覚がふつふつと湧き上がってくるようで、廉太郎の気持ちは暗く沈んでしまいそうになる。
『おいおい、だからそんな風に気にするなってば。私はわりと楽しんでるよ、この感じ』
「ほんとに?」
『退屈しないしね。今日は大変だったけど』
「あぁ、そうだ……さっきのお礼言ってなかった。ありがとう」
『もっと褒めなよ、私をありがたがれ』
「一回でいいだろ。そうねだられると照れ臭い」
そんな二人の会話に、クリスはどうしても違和感を覚えてついて行けない。すっかり気心の知れた、明らかにロゼ本人とより親しい空気で、二人の話が進んでいく。
というより、弾んでいた。
クリスの知らないところで、関係が勝手に深められている。別段関心もないとはいえ、これはこれで仲間外れにされていたようでいい気はしない。
――そうか……どうりでですね。
廉太郎が異性としてロゼを意識している素振りもないのに、その寝言に名前が飛び出してくるわけだ。さらに現実でロゼに会うたびに、廉太郎が距離感を間違えて戸惑っていたのもクリスは思い出していた。
無意識の中に、その存在が強く刷り込まれていたのだ。
「……なんか、私は隣で全部見てたつもりだったのに、なんか――」
『拗ねないでくれよ。夢の中でも、特に大したことはしてないさ』
「そうだね、ただ話をしたりして時間を潰すだけだぞ」
「へー」
そんなことを言われながらも、直に見ていないクリスにしてみればどうにも疑わしく思えてしまう。
魂の中、無意識の中での対話など密会のようなものだ。それは何やら意味深な感じで、何もないとは思うものの邪推せずにはいられない。
現に、こうしていきなり親しく会話する姿を見せられてしまえばなおさらだ。監視していないうちに、間違いでもあったのではないかと、そんな想像が止まらない。
『まぁ、映画とか見たりして遊んでるけど』
「そりゃあ深まりますよね仲ぐらい!」
やりきれない事実を前に、傷が痛むくらいの声がクリスから上がってしまう。
――そっちだったか……。
クリスが廉太郎の魂に触れ、あらゆる記録知識を閲覧するように、『ロゼ』と廉太郎の密会場所はその魂の無意識内。肉体も物質も何もない、妄想、夢の中のような場所だ。
記録された娯楽映像くらい、いくらでも二人で味わえるだろう。
「え、ていうかそれ、私も混ぜて欲しいんですけど……」
「いや無理……というか、お前は一人で見れるからいいだろ」
「意味合いがまったく違うでしょうが、一人で見る映画と何人かで見る映画は」
言葉にせずとも、その場に感想を共有できる他人がいるという感覚は、一度に複数で鑑賞できる作品の特性。
地上波、公開配信、放映。それらが個人的に再生するデータと別格の娯楽であれるのは、つまるところそのような感覚によるものだ。理解自体は廉太郎にも容易いが、しかしそこまでの娯楽に対するこだわりをクリスが見せるとも思っていなかったために、戸惑うしかない。
「うわぁ、どうせお酒とか薬とか飲みながら延々と映画見てるんでしょ? いいですね、不健全で」
「何だその偏見」
普段とはまた別方向で面倒くさい子供みたいになってしまったクリス。だが、それだけの元気を見せられるなら、言いたい文句など廉太郎には何もない。
それにしても、らしくなく本気で気を損ねている様子。これ以上はあまり詳しく告げずにおこうか――などと、なんとか意識を逸らそうとした、その矢先。
『まぁ、五感はあると錯覚できる程度だからね。薬物効果はまだしも、お菓子くらいなら食べた気分になれてるよ』
「……良かったですね。あのまま死んでいればよかったのに」
あけすけに言ってのける『ロゼ』に対し、クリスはそんな滅多なことを言って返してしまう。あまりに恨めしいその態度に、一体何がそう高ぶらせるのかと、普段の様子と比べて不思議に思えて仕方なかった。
「クリス、食べ物に興味ないんじゃあ……?」
「気分の問題です」
「だからなんなんだよ。ちょくちょく見せる映画に対するそのこだわり」
映画に触れたのも、廉太郎に出会ってからのはずなのに。何に影響を受けたのだ。
しかし、いつまでも不貞腐れているのは子供らしくて趣味ではないのか「まぁいいです」と、クリスはやがて話題を変えた。
「しかしそうなると、私とは初対面になるんですかね?」
『あ、うん。こうして話をするのは初めてだね』
現実でロゼがクリスに会ったのは四日前、会話したのが二日前になる。五日前にすでに肉体から分離していた『ロゼ』にとっては、だからこれが初接触。
整理してみると余計に複雑で、「ややこしいな……」と呟いた廉太郎だけではなく三人ともお互いに対する距離感の再認識に、しばし顔を悩ませていた。
と、そんなとき――
『誰か来るね』
玄関から、人が入る気配。
所持した鍵を使ったようだが、先ほど襲われたばかりなのもあり警戒が高まる。襲撃者は対処し終えたものの、その男の口ぶりでは彼に襲撃を指示した何者かがいるようであった。
目的があって狙われたのだとすれば、まだ危機は去っていない。あの男の失敗が知られれば、再度何かに襲われる可能性が非常に高いのだ。
だが、慌ただしく階段を上って部屋に上がり込んできたその顔に、一同は見覚えがあった。
「――ラヴィって子、いるかい?」
今朝に出会った、基地に常駐する女職員。
彼女は開口一番、そんなことを問うた。
息が上がっていた。表情は緊迫していて、聞かれた廉太郎にも無条件で焦燥感が募ってしまう。
「別行動をしていますけど、彼女に用事でも?」
「どこにいるかは?」
「さぁ……」
落胆と焦り。
こちらの問い返しなど無視するほどに、その女には余裕がなかった。ひとまず事情を把握するために、廉太郎は同じ問いを繰り返す。
「ラヴィが……どうかしたんですか?」
「やられたらしい。どうも、ただごとじゃなさそうだ」
「えっ……大丈――ど、どうしてそんな……?」
穏当でない、やられたという言葉。
曖昧だが、どうとでも解釈できてしまう。今しがた自分がまきこまれた事態を考えれば、とことん最悪な状況へと。
「知らねぇよ。見たわけじゃないし」
吐き捨てるようにそう言うと、女はばつが悪そうにその頭を掻いてみせた。
「でも、あのユーリアがまじに私に頼むくらいだ。相当やばい傷負ってんだろ」
『あの子が……?』
その言葉に、『ロゼ』が怪訝そうな顔で反応する。その声も姿も、廉太郎の意識とは無関係のその職員には認識できない。クリスも人形でしかなく、彼女が見て話しかけているのは廉太郎のみ。
「ユーリアも、何が……どうしたっていうんです?」
自分が何故か狙われているらしい。それに対して危機感を覚えてはいたのだが、実際はより混沌としている様子。この町に来た全員の無事に、不穏な気配がまとわりついている。
「えーと、どうもあいつはラヴィと一緒に敵と戦って、それで逃げた敵を追わなきゃ行けねーから、自分の代わりに怪我したラヴィを助けてくれって――」
名も聞いていないその職員はあれこれと言葉をまき散らしているものの、今なお状況を把握しきれていないかのように要領を得ないものだった。
黙って聞くことしかできない廉太郎に、焦りからかその職員は苛立ったように愚痴をぶつけた。
「あぁ、もう――ッ! 私も全然把握してねぇよ、畜生」
「そうですか……」
ラヴィが怪我したことをユーリアが伝えに来たのに、そのラヴィの居場所が分からない。
――あまりに急いで、情報共有が疎かになっていたのだろうか。
しかし、そんなしてはいけないミスをあのユーリアがするとは、廉太郎にはとても思えなかった。
事情が見えてこないだけに、余計に心配になってしまう。
ラヴィのことも、ユーリアのことも。包帯を巻かれる羽目になった、目の前のクリスのことも。
『廉太郎君、ラヴィは……たぶん大丈夫だ』
落ち着けずに混乱してしまいそうな廉太郎に、そっと肩を触れられる感覚が振ってくる。
職員に不審に思われないよう、できるだけ小声で「それは確か?」と尋ねてみると、『ロゼ』は黙って頷いて見せた。
『だから、彼女にはこう伝えてくれ。いいか――』
そこから、指示されるまま廉太郎は己の口を動かしていく。『ロゼ』の言葉を、目の前の他者に伝達するために。
「――ラヴィの居場所には、心当たりがあります。もうこの町にはいません」
「本当か……? なんで分かんだよ」
「彼女には多くの事情と秘密がありますして……これは、町を発つ前にロゼさんから教えられた情報です」
疑問にはあえて答えず、一方的にこちらの言葉を押し通していく。言っておいて通じるだろうかと疑いはしたものの、その職員はロゼの名前を出したとたん何も言い返してこようとしなかった。
「そうか。まぁ、あの人が言ったなら間違いないだろう」
「えぇ、『絶対死なない』って言ってますよ」
どこからその確信が出てくるのか、事情を知らない廉太郎には半信半疑でしかないのだが、不思議なことに耳元で『ロゼ』に囁かれると、何もかも彼女の言う通りで大丈夫だろうという予感が生まれてくる。
人柄と能力の成せる安心感なのだろうと、廉太郎は自信をもってその職員を言い伏せていった。
「後のことは、こちらで何とかします……と、以上です」
「そうか、そっちにも事情があるみたいだな」
そこで、職員はちらりとクリスを見る。その怪我の様子から、何事かがあったのを察したらしい。
隙を見て、クリスが背後から小声を飛ばす。
「……本当に大丈夫なんですか?」
『あぁ、それは保証する。ラヴィはまず無事に帰ったろう』
「帰る――?」
どこに。なぜ。どうやって。
そんな問いを口にする前に、『ロゼ』は難しい顔で考え込んでしまっていた。
『それより心配なのはユーリアのほうだ。あの子が傍に居ながら、その仲間へ危害を加えられるほどの相手……只者じゃないな』
その言葉に、これまで以上に嫌な予感が廉太郎を襲う。
ラヴィは大丈夫だと断言した『ロゼ』が、ユーリアに対してはそう言わない。
クリスはこうして大けがを負った。無事らしいとはいえラヴィも何らかの怪我を負った。
ならば、ユーリアは――
『てっきり、標的はベリルだろうと思っていたんだが――あぁ、私本人の方であれば事情も全部分かってるはずなのに……!』
珍しく平静を乱したその様子が、どうしても廉太郎の心をかき乱していった。