第七話 異世界
嘘つきやいい加減な奴だと思われてしまうくらいなら、頭のおかしい奴だと思われていたほうがましだった。事情だけに、そういった誠意を証明することはできない。
しかし、二人はそういった意図だけはくんでくれたように見えた。
見ず知らずの人間の与太話に耳を傾けてくれるだけでも、実はそうとう人がいいのだろうと思ってしまう。
「あなたが正常かどうかはさておき、帰る場所はあるということ?」
「あ、うん」
そう聞いたユーリアは納得したように頷くと、そのまま脱力した溜息を吐いていた。
「じゃあ、早とちりしていたのね。てっきり国の方から追い出されてきたか、或いは犯罪でも犯して逃げてきたのかと思って。……どこから来たのかも言えず、行く当てもないようだったから」
「そんな後ろめたいことはしてない、たぶん」
世界を超えるのが罪だと言われてしまえばどうしようもないが、廉太郎には人に咎められるような覚えはない。だから彼女の考えは突飛だと思ったのだが、どうやらそうではない事情があるらしい。
続くアイヴィの言葉で、それが分かった。
「そう思うのも自然になっちゃうわよね。ここは、そういう人が集まる町だから」
そう笑うアイヴィの表所はどこか困ったようでいて、寂しそうにも見えた。
その意味するところはまるでわからない。しかし、どこか不穏な空気を感じとらずにはいられなかった。
「……え、そうなんですか?」
不安から怪訝に聞き尋ねてしまった廉太郎の様子を見て、二人は言葉に困ってしまったように顔を見合わせていた。
なにやら、頓珍漢なことを言ってしまったらしい。
「――あなた、自分はこの世界の人間じゃないと思っているのよね? ということは、常識も何もかも知らない……或いは、知らないつもりになっているのか」
ユーリアはそう呟くと、一人で何事かを納得した様子で黙り込んでしまった。
しばし考え込んでいた後、やがて廉太郎に向き合い口を開いた。
心なしか、語気が強まっている。
「この町の住人は、ここでしか生きていけないの。例えば、このアイヴィもよ。……気づいているでしょう?」
――あぁ、やっぱりそうなのか。
そう合点がいった。
一目見た時から、アイヴィの特異性には気が付いていたからだ。単純に、見た目の特徴が僅かに人間と異なっているように思えたのだ。
この世界の人間にはあり得る特徴なのかもしれないと、意識しないようにしていた。現にここまで歩いてくる間に、そういった人たちとは少しだけすれ違っていたから。
人の身体的特徴と明確に異なる体の一か所を彼らは有していた。獣のような顔を持つ者もいれば、骨格が明らかに人ではない者まで。
こうして同じ席につくほど近くで目にすると、その差異が余計に気になってしまう。
廉太郎が元居た世界でも、空想上の存在としてよく知られていた存在。
とがった耳をもつ彼女は、そのエルフと呼ばれる種族によく似ていた。
人間、という言葉を繰り返し使って廉太郎を見ていたことにも説明がつく。
――けっこう、感動かも……。
物語の中から現実に現れたような存在を前に、どうしてもそわそわと落ち着かなくなってしまう。
彼女の耳は、エルフと聞いて思い描くほど長くはない。現に、金色の長い髪で先端まで隠れているぐらいだ。それでも時折覗かせるその形状は、やはり人の耳としては見慣れないものだった。
彼女は廉太郎の視線に気を利かせてくれたのか、髪を分け開いて見せようとしててくれている。不躾だが、思わず耳元へ視線を送ってしまう
すると、そのアイヴィがおずおずと尋ねてくる。
「ど、どう思う? 廉太郎くんは、わたしのこと」
一瞬、返答に困ってしまった。
初対面の女性に面と向かって素直に印象を告げる機会などそうなく、まして彼女の容姿は人外のような美しさを誇っているのだ。当たり障りのない返答をするだけで、照れくささを超えた羞恥に襲われるようだった。
「素敵な人だと思いますよ」
廉太郎はにっこりと笑いながら、彼女の顔をみてまっすぐとそう言っていた。
彼女の問いには、顔色をうかがうような色が添えられていたから。そこに含まれている意味は何も知らないけど、無意味に尋ねられたわけでも、ありきたりな交流というわけでもないということは何となく察することができていた。
素直に伝えた本心に、アイヴィはどこかほっとしたように微笑んでいた。
反対に、ユーリアはどこか呆れたように口をとがらせる。
「そういうことを聞いたのではないのだろうけど、まぁいいわ。……この町以外の人間が普通、エルフを見て平気でいられるわけがないし」
「……えっ、どういうこと?」
軽い気持ちでそう聞いていた。
妖精のような存在であるエルフには、魔性のような蠱惑的なイメージがあると一般論として思っていた。きっと平静を保てない程の魅力でも放っていると言いたいのだろうと思って。
ところが、廉太郎の反応を見た二人は共に目を丸くしていた。
ともすれば、別の世界から来たと聞かされた時より驚いているようにすら見えてしまう。
「……まぁ、別の世界から来たと言い出すくらいなのだしね」
ユーリアはそう納得すると、僅かに口元を引きつらせながら口を開いている。
そして、耳を疑うような言葉を、忌々しげに吐き捨てていった。
「人間はエルフを滅ぼそうとしているから」
「……え?」
言葉の意味を理解できなかった。理解しようとしても、冗談だとしか思えなかった。だって、今ここにその存在がいるのだから……思わず、彼女の隣に座ったアイヴィを見ていた。
彼女は目を伏せて微笑んでる。想像すらできない感情を含めた、見ていられなくなるような笑顔だった。
その表情とユーリアの口調で、冗談でも誤解でもないことが分かってしまう。
「そうね。普通の人間は、わたしたちが視界に入っただけで殺そうと躍起になるものよ。この町では必要にかられて皆共存しているけど、きっと世界で唯一例外の場所」
アイヴィがそう口にしているのは、どんな顔で聞き入ればいいのかわからないような惨い事実。
当事者がさらりと言ってしまえていることが、それがいかに当たり前に横行しているのかを物語っていた。
黙ってしまった廉太郎に追い打ちをかけるように、ユーリアは非道な説明を続けていく。
「エルフだけじゃないわ。人間種以外の全ての人種……それから同じ人間であっても肉体的・精神的・思想的に特異な者までね。要するにあいつら、人間の基準から逸脱した者は生きていることすらゆるさないのよ」
それは言葉もでないような事実。
この世界へ抱いていた未知の恐怖が形になったようだった。
漠然と抱いていた疑念――もし自分の世界と決定的に違う何かがあったのなら、それが恐ろしい物であったらどうしようという、そういう恐怖。
先ほどまで二人との交流を経て、この世界の人間もなんら自分たちとかわらないのだと思いこんでいた。きっと自分のような存在も受け入れてくれるだろうと。
それは、とんでもない思い違い。
この町がそのような迫害から逃れた者たちの町でなかったのなら、異世界から来たなど風潮してしまうのは自殺行為ですらあったかもしれない。
確実に頭か精神がおかしくなったものとして、排除される側に回っていただろう。
「私には理解できないし、理解できないからここにいるのだけど」
そうして、ユーリアはその表情を緩めた。
「だから、アイヴィにも敵意を持たないあなたは……やっぱり頭がおかしいのよ」
そう、楽しそうに言う。
頭がおかしいといいつつも、彼女はいまだ好意的に接してくれている。おそらく、エルフであるアイヴィに対する態度に好感でも持ってくれたのだろう。
彼女がエルフなのだと確信した時、自分の世界ではエルフはいないのだと紹介しそうになった。だから驚くし、感激もしてるんだと、誉め言葉のつもりで。本人を前に言うのも気恥ずかしく、結局口にはしなかった。
結果的にそれは、よく踏みとどまったものだと安堵することになる言葉。
どうあれエルフが居ない世界から来たと言ってしまえば、この世界で生きる彼女たちはいい顔をしないだろうから。最悪、すでに殺しつくされたからいないのだと誤解されてしまうかもしれない。
嫌われるどころでは済まない話だ。
「あぁ! もしかして……別の世界から来たからじゃない?」
不意に、何かに納得したかのようなアイヴィが声を上げていた。
別の世界の人間だから、エルフを見ても敵意を抱かないのだと言っているのだ。確かにそうなのだが、それはり別世界から来たということを信じてくれたことによる発言でもある。
「そ、それって……」
思わず喜んでしまいそうになるが、ユーリアには未だ信じようともされていないようだった。
「え、何で信じようとしてるのよ? 珍しくないでしょう、こんな虚言」
――虚言……。
思いのほか落ち込まされてしまう。
アイヴィににはしかし確信があるのか、ユーリアの言葉に腕を組みながら反論を示していた。
「だって廉太郎くん、普通じゃないわよ?」
「頭が?」
「ち、違うわ! ……魂がよ」
魂が普通ではないと言われたところで、いまいちピンとくるものはなかった。魂など、単なる概念に過ぎず、実在するものではない。
しかし、アイヴィは真剣だった。
親しみのある口を閉じ柔らかな態度をしまった彼女の真顔は、それまでの印象に反しとても鋭い。端正な顔立ちに収められたつり目が、廉太郎の心をまるで透かすように捉えている。
廉太郎と同様に、ユーリアも真意を掴めない様子だった。
「どういうことよ?」
「あなたの眼でも見えるはずでしょう? 彼、魔力を全然持っていないのよ」
「……あ」
魔力を持っていないと言われても、魔力の存在が認められていない世界に住む廉太郎にしてみれば当然のことだ。実在すると考えたこともない。
「そりゃあ、魔力なんて持ってないですけど……珍しいんですか?」
自信なく聞き返した廉太郎の問いは、当然のように即答された。
「うん、魔力を持たない人なんて聞いたこともないわ」
「あなた……え、本当に?」
ユーリアは未だ半信半疑なのか、目を見開いて廉太郎を凝視していた。それが妙に気恥ずかしくて、笑いながら誤魔化すことしかできなかった。
「魔力は魂が変異したもので、普段は魂が保有しているんだけど……絶えず溢れているはずなのよ、ちょっとだけね」
どうやら頭がおかしいと思われることも回避できた上に、廉太郎の言葉も信じてもらうことができそうだった。
異世界から来たといいう廉太郎の話を信じたユーリアは、積極的な支援をしてくれると言いだした。帰る方法が見つかるまで、あらゆる面倒を見てくれるという。
いや、それは悪い……と言い出したところで、じゃあどうするつもりなんだの一言で黙らされてしまった。
彼女の中で、それはもう決定されてしまったらしい。
具体的に金の話までし始めたユーリアにありがたくも申し訳ないという思いを強めていると、そんな廉太郎の情けない姿をみたアイヴィが一つの提案をしてきた。
「ユーリアの仕事を手伝うといいわ」
それは冗談のような提案だった。どんな仕事をしているのか知らないが、あの洞窟での様子を見るに手伝えることなどとてもありそうもない。確実に、あのような荒事に連なる仕事なのだ。
「何を言い出すかと思えば……」
ユーリアはといえば、案の定明らかに迷惑そうな表情をしていた。良くも悪くも、表情が分かりやすい。サングラスをしているというのに、まったく親しみにくさを感じさせない。
「だってユーリア、いっつもひとりで仕事しているし絶対手伝いは必要よ。……あなたが廉太郎くんをこんなに気にかけるんだもん、命の危機ぐらい救われたんじゃない? そんな危険を犯すようなら、もう一人で行動するなんてやめてほしいの」
彼女はユーリアの身を案じているようだった。一人であの暗闇の中に取り残されていた彼女を思えば、廉太郎もそれには異論はない。しかし、廉太郎では力不足も甚だしい。魔力がない人間というのは、想像でしかないがとても邪魔なだけなのではないだろうか。
「えっと……」
廉太郎が口を挟む余裕すらなく、ユーリアがその発言に食ってかかっていた。
「魔法すら使えないのよ? 危険でしかないでしょう……それに、仕事を手伝うのでは本末転倒じゃない」
「彼一人で帰る方法を探すのだって危険よ」
それに反論したアイヴィの言葉ももっともでだった。魔法の存在やそれを扱う者、さらに人間の怖ろしい残虐な話を聞いた後では特に危険だと感じてしまう。
「廉太郎くんを無事に返す援助するというのなら、一緒にいなければならないでしょう? でもあなたもずっと暇じゃないんだし、仕事が入ったときくらいは手伝ってもらえばいいじゃない……どんな雑用でもいいのよ」
アイヴィは続けて、二人に説き伏せるように矢継ぎ早に言葉を並べていく。廉太郎もユーリアも、思いのほか意志の強いその言葉に気おされるように聞き入っていた。
「せっかく友達を作ってみせただから、次は頼ってみることも覚えなさい。それに、思い出もつくらず別れることになったら寂しいじゃない」
思い出など作ってしまったら、それこそ別れるのが寂しくなるのではないか……思わずそう思ってしまった廉太郎へ、彼女は唐突に矛先を向けてきた。
「廉太郎くんだって寂しいでしょう? だって、ユーリアはこんなに可愛いんだから」
「はは……」
肯定するには照れ臭く、否定することなど許されない。逃げ場のない問いを前に、引きつった笑いを浮かべて誤魔化すことしかできなかった。