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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第三十九話 最期の欲

 覚えていない。

 自分の名と、それまでの人生の大半を。

 確かな事実は、強く望んで人を殺してきたこと。その結果、理解の及ばぬ存在に飼い殺される羽目になったこと。

 その男には、生まれついて他の人間と異なっているという自覚があった。


 ――なぜ、人間はその他の人種族の命を許さないのかと。


 他人種族にとって、もはや人間は天敵である。人間が殺し、人間に殺されるのが当然の存在。下等な命、執着する価値もない。

 だから男は、ある日、少年の時分、『森にいた亜人を殺した』と言って、おざなりに運んだ遺体を親に見せた。

 たまたま見かけた女だ。適当に誘い込んで崖下に突き落とし、顔を叩き潰して素性を隠蔽した、人間の女だった。


 「よくやった」


 それだけ言って、両親は男を褒めた。菓子が買える程度に、自治体からは褒賞も出た。

 それを受けて、果たして異常なのは自分か、あるいは人間の世なのかと男は強く疑問に思った。殺すべき相手とやらは本能で見分けていると誰もが言うのに、いざ死体になればその区別さえ誰もできない。そんな事実が気持ち悪くて。

 自分以外の人間がみなそうであるのだから、異なっているという点で異常なのは男の方。だが生まれ持って得たその感性は、どれだけの教育を受けようと、社会の常識に照らされようと、確固たるものとして男の中に残り続けた。

 答えを得ようと、男はたびたび人間を殺した。

 それはとても面白かった。彼らは決まって、理解できないものを見る目で男を見るのだ。

 怪物、狂人、恐怖の対象――その視線が心地いい。

 ようやく気付いてくれたのかと、曝け出せた己の魂が安らいでいく。

 それは一種の逃避行為。自分だけが異端の社会で生きていく、その精神的負荷に心が求めた安定剤。

 怪物のように、狂っていて、恐ろしい人たちだと――そんな風に周りを見続けていたのは、男の方も同じだったから。







「ちっ――」


 もはや抱き続けた疑問など、あったことすら頭にない。自己意識さえ不確かな、枯れた男。

 それが今、気力を奮い立たせていた。それだけのことが求められる異常、危機的状況にある。

 男を内部に捕らえた、重ね合わさる二つの銃身空間。一瞬の後に二発の弾丸はかち合う。その体積は優に一軒家を越え、銃弾砲丸どころか隕石の如く観測する者を威圧する。

 それを、男は冷静に見て捉える。肉体の加速は一部魔術師の専売特許。だが思考速度やそれに伴う動体視力と知覚速度であれば、誰もがある程度実現できる。

 脳と魂を酷使し、男は目まぐるしくその機能を働かせていった。

 弾丸の質量と構造、速さ、破壊力を推測。瞬時にそれを打ち砕くに必要な威力を導き出し、己の魂の限界を超えて魔術を練り上げる。

 そして、躊躇うことなくそれを撃ち出す。

 前後二発の熱の塊。それらは弾丸に勝る速度で空を裂き、僅かに接近を許し、着弾。与えた貫通力のままに、熱弾は共に鉄塊の中ほどへと沈む。

 勢いは衰えず変化はなく、撃墜は失敗したかに見えた――瞬間。

 前後に迫る巨大な鉄塊が、内部から破裂する。

 男の放った魔術は、爆薬に相当する魔力を熱と包み込んだ射出爆弾。巨大な銃弾を内部から砕く最低限の力を込めた男の魔術が、空間を埋めつくし圧殺を迫った鉄塊を打ち壊していた。


「……ッ!」

 

 後に続くのは、推進力と爆発に巻き込まれ四散する鉄の欠片と衝撃波。瓦礫の欠片ほどに粉砕され、当然の如く殺人的な破壊をまき散らす。

 だが、先ほどと異なり細かく散ったその飛翔物は脅威ではない。男の周囲、その空間が歪むことで軌道を躱すに十分な体積であり、空間的な猶予も得た。

 原理不明の超自然的加護が、その価値を取り戻している。

 壁に当たり返り、四方から迫りくる破片の雨。それらが纏めて絡めとられ、時空の捩れに従い出鱈目な軌道で男から逸れ続ける。男を中心に竜巻の流れが生まれ、台風の無風地帯のように、男のいる場所だけが守られていた。

 それでもあまりに多いその数に、加護の処理能力は限界を超える。

 屈み、身を守った男の手足を、破片が数度裂いて舞った。


「狙うか、やるな――」


 そこに紛れ込む、新たに狙い放たれた氷の弾丸。

 本来人間相手には通じないはずの、あり触れた攻撃魔法。

 それが、今この場に生まれた隙を突く。自動防御が完全でなくなった瞬間、確実に急所を狙い打った一撃。

 それが、多角的に三発放たれていた。前後、それから真下。姿が見えず攻撃者の位置関係は不明にせよ、銃撃という攻撃の性質を考えれば有り得ないはずの角度。

 ちょうど、過剰に魔力を放った後。

 魂は疲弊を訴え、単純な防御さえ負担が大きい。

 心臓と脳を狙う二発だけを薄く張った氷壁で流し、地中から突き上げる一発は足で直に受け止める。

 真下から、右足の骨に衝撃が抜けた。

 血を流し骨を砕かれ、体制を保てず地に倒れた。


「ぐぅ――ッ」


 反射で目を閉じ、開けたときには世界が元に戻っていた。

 空間は元の通路となり、不安を覚えるほどの大きさに開けてしまった空間も縮んでいる。爆発など起きていないかのように壁には傷一つなく、巨大な銃弾の欠片さえ四散していなかった。

 疲労と負傷だけを抱え、男は目の前の存在を視界にとらえる。

 再び姿を見せたクリス。彼女は悠々と、地に這う男を見下ろしていた。


「――切り抜けて、それで変に抵抗力が生まれてしまいましたか」


 そう言って、クリスは一歩足を引いた。好機と攻めこむのではなく、あくまで冷静な警戒を見せて。先ほどから男を手玉に取り続けていながら、完全に優位に立ったとは思えていない態度だった。

 男は、クリスのその表情を見上げていた。


「でも、まぁ……このままぶっ殺してやりますから、廉太郎れんたろう――」

 

 ちらりと虚空に視線を向け、クリスの姿は再び男の視界から消失する。

 男の疲労状態を考慮すれば、その非現実的な能力を持って打ち負かすことが十分できる。

 そのように見えたとき、不意に男は呟いた。


「……もういい、分かった」


 男が、己の魂に意識を向ける。その内側、使用したこともない領域へと手を伸ばす。

 それは、現在自分が使用している魂はどれほどなのかと探る自己分析。

 結果、男の気づいたことは確信となる。

 不敵に笑みを浮かべると、男は魔力をそのまま具現化し、強くそれを握りしめた。


「――おっと」


 男の背後から聞こえる、僅かに焦りを含む声。

 そこにあるのは、胸の内から魔力を糸状に伸ばされたクリスの姿。その糸の片側は男の胸に繋げられ、一度消えて見せたクリスの位置を指し示す印と化していた。


「接続していたな、お前。初めから、俺に……」

「…………」


 人形と、その所有者の繋がりを示す魔力の痕跡。

 かつて、しばらく直前まで、廉太郎とクリスの間に結ばれていたもの。

 それがこの場に対峙する二人の間に結ばれているという事実が示すものは、一つしかない。


「これまで使っていたのは、俺の魔力か」


 気づかせないままに接続を終え、悟られぬまま魔力を引きだす。魂のないクリスが単体で魔法を使いこなし、体も機能しているように見えたのはそれが理由。


「あぁ、今頃気づいてくれました?」


 気づかれていないという最大の優位性を失って、なおクリスは変わらない表情を保っている。口角を引きつらせ、笑みを貼り付けたまま崩そうとしない。

 弱み、弱気。それらを見せないという戦闘上の駆け引きとはまた異なるもの。

 意地でも屈服しないという、子供じみた意地――それが強いだけだった。

 男はやがて、負っていたはずの傷など初めからなかったことに気づく。出血は消え、身に纏うものも裂けていない。無傷に近い状態、興味深そうにそれらを眺め、笑いかけるようにクリスを見た。


「説明のつかない事象も……すべて俺の魂が見せられた幻影か」


 クリスの姿が消えたのも、瞬間移動して見せたのも。

 全力を持って対処しなければ生き残れないような状況を造り上げて見せたのも――すべて、男の消耗を促すための目くらましに過ぎない。

 男の魂自体に干渉し、五感を含めたあらゆる認識を狂わせる。

 結果として、男は過度な魔力消費を強いられ、その魂にも負荷がかかった。


「失礼、あまりに脆弱でしたので」


 あまりに荒唐無稽な干渉を許したのは、男の魂が生きている人間のそれとは思えないほどに衰弱していたから。

 初めから、対面していて受ける印象はどこまでも空虚。殺人に飢えた狂人なのは間違いないにせよ、かといって熱意や執着などどこにも見られない。機械仕掛けで、ただ人を殺すという機能に従っているだけではないのかと疑うほど。

 飼われた奴隷だと、男は言った。

 その言葉が示す通り、男はその境遇に擦り切れている。生きた心地など、本人にはない。

 同類、置かれた環境が似ていると、それだけの理由でクリスに向ける情が生まれるほどの極限状態。

 自分自身にさえ無関心だったから、どれだけ魂を弄られようとも何も察知できなかったのだ。

 鈍感で無痛――希薄な自我。


「……少し、疑った」


 だが、分かってしまえば対抗は容易い。少しでも自分の存在に目を向けることで、男の抵抗力は目に見えて増大する。

 これ以上好き勝手にかき回すことはできそうにないと、その魂と直結しているクリスは悟ってしまった。


「何がです?」

「もしや、お前は人と変わらないのではないか……と」


 自我があり、人に依らずとも魔力が使える。

 つまり、魂がある。

 それを前提に据えてしまえば、そんな存在は人形ではなくなる。一人で、どうにでも生きていける。

 男と同じ立場とは、到底思えない存在となる。


「だが安心した。やはりお前は――」

「……っ」

 

 何やら再び感じた親しげな視線に、不快感も隠せず、クリスは舌打ちを漏らした。

 こんな男にそう何度も同類扱いされるなど、侮辱以外に感じられない。


 ――何が同じなものか、自分は立場にも生き方にも納得している。共通項など、人間未満の何かであることくらいだろうに。


「連れて行ってやる。抵抗するなよ、苦しむだけだ」

「や、やってみろ……お前――!」



 死ぬのは怖くない。心残りは驚くほどあった。

 その内の小さくないものの一つは、今しがたやられた隣人の仇くらいは打たねばならないだろうという、使命感にも、義理にも似た思いだった。

 







――――







「は、はやく応えろ……おい――!」


 幾度目かの呼びかけで、廉太郎は目覚めた。

 それまで続けられていたその呼びかけに、特に意味はなかった。

 この場、この瞬間――

 声は音ではなく、単なる思想の意思疎通でしかない。うたた寝から覚めたような急激な意識の覚醒に、頭が上手く機能せず、廉太郎は視点を変えようと意識を向けた。 

 

「あ、あぁ。良かった……ようやく――」


 何もない。そう気づくことにさえ時間がかかる曖昧な場所で、前から聞こえていた声の主を見つけることができた。

 見覚えのない女だった。

 ――否、ある。

 見覚えがあるからこそ、今この場で感じる違和感から他人のように思えてしまう。

 会話をしなければならない。そう思ったとき、自分にも肉体があることを思い出した。


「いいか、落ち着いて聞けよ? 時間は、少しならある」


 今知覚しているものは、すべて現実ではない。

 廉太郎の魂。

 脳内思考とは別の、物理的な現実とは無縁の世界。

 ゆえに、時間の概念さえも正常ではない。この場で疲れ果てるまで会話を続けたとしても、現実世界での時は瞬き程度しか進むことはない。

 当然、そんな事情など廉太郎は知らない。

 知覚できず、自覚できない

 仮に冷静に自己を認識できていたとすれば、そこに自分以外の意思があることを不思議に思ったことだろう。


「クリスが死ぬぞ」


 夢を夢だと認識できないように、言葉の意味も分からなかった。

 だが、なぜか焦燥感だけが強く生まれる。

 クリスが誰か、それだけは分かる。それが失われることを想像して、次にとても恐ろしくなった。

 その感情を契機に、廉太郎は徐々に自分を取り戻す。


「君が意識を手放す瞬間、あの子との接続は私が絶った。もう、死を偽装するくらいしか手がないと思って……」


 女は酷く言いづらそうにそう告げた。それは結果としてクリスを引き渡そうとした決断であり、そのことで心を痛めているであろうことも、廉太郎にはよく分かった。

 このひとの性格ならば、絶対にそうだと確信できるから。


「でも、あの子は一人でも抵抗を……」


 驚愕する。

 一人では戦うどころか動くことすらままならない体。それで向かって行くには、あまりに危険な相手だったのに。

 死ぬという言葉が、強い現実感を帯びて心に纏わりつく。


「――見立てが甘かったんだ。あの子のことは、私にはよく分かってなかったから」


 女は後ろめたそうに、深くフードを被り直して顔を隠した。

 魂のないクリスの心の内だけは、彼女も読み解くことができない――以前も、そのようなことを聞いた気がする。

 本人からだったろうか。それとも、このひとからだったろうか。

 

「だ、だから。このままではあまりに心が痛い……君もそうだろう?」


 強く、肩を掴まれる。

 彼女の表情は真剣そのもので、自分以上にクリスを案じていることがはっきり分かる。

 それを見て、やはりその人柄に勇気づけられていくのだった。


「当然ですよ――」


 廉太郎はすべてを思い出し、状況の理解も終えていた。

 目の前の女とも、現実以上に親しくなっていたことも思い出す。 

 全幅の信頼を寄せて、廉太郎は自分より高いその顔に指示を仰ぐ。

 ひたすらに頼りがいのある、赤毛で美形の女だった。



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