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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第三十八話 自我の欲

 統歴一八四六年――つまり今より五年前、クリスは生まれた。

 その表現が適切であるかどうか、誰も断言できない。本人でさえ、問われれば答えに窮する問い。人形は元となる人間の遺伝子から造られた複製肉体、魂のない存在であるがゆえに。

 しかし、稼働を始めたのが、ともかく五年前なのである。

 活動ではなく、稼働。

 地を這う蟲ですら持つ命の宿らない人形は、つまるところ機械と同等の扱いを受ける。脳は思考することもなく、ただ計算をして一定の自律を見せるのみ。

 知能はあるが、知性はない。

 感情も自我も、何も持たない。

 だから、自分が稼働を始めてから数年間のことを、クリスはほとんど覚えていない。記録としてのデータは魂に刻まれているが、思い出せる記憶はない。

 当たり前がそうであるように、当時のクリスには自我などなかった。自意識がないということは、自分を自分自身だと認識できないということ。

 生きている実感など当然なく、後から振り返ってみてもそれは同じ。

 記録を読む気は今更ない。興味も、感傷も何もなかった。

 現在の自分との同一性など感じられなくて、本能的に嫌悪感を覚えていたのかもしれない。

 確かなのは、他の個体同様、通常の百倍近い速度で肉体を形造られ、初めて培養槽の外に出されたときには既に肉体年齢が八歳前後であったこと。

 それが五年前で、そこからしばらくは軍の都合で使われていたであろうこと。


 クリスに自我が生まれるのは、その二年後のことである。

 何故か、当時のクリスは国家軍の所有下になく、民間の一組織の手にあった。拾われたのか、奪われたのか、あるいは不法なルートで流されたのか――それは分からない。

 興味もなかった。

 自分が自分に成る前のことになど、アイデンティティを求められなかった。

 仮に、それまでの期間に詰みあがるほどの命を奪っているようなことがあったとしてさえ、さして心は動かないだろう。

 ただ使われるままに動いていた自分に責を問われても知ったことではないし、道具に倫理を問う者もいないから。

 ――少しくらいは嫌な気分になるだろうけれど。

 クリスが悔やむ命は、やはりたった一つしかない。

 己に自我を芽生えさせ、命と人生を始めさせてくれた恩人。かつての主、別の世界から現れた眩しい光。

 名前すら勝手に借り受けてしまうほど、慕っていた男だった。

 彼を死なせたのは自分のせいだと、今でも思っている。

 




「廉――」


 嫌な記憶が、走馬灯のように走っていた。

 クリスの目の前で、廉太郎れんたろうの頭蓋に拳が突き刺さる。目で追えないほど洗礼された動きだった。極められた格闘技の、人を殺す型。

 防御が間に合わないほど、あっという間のことだった。それを悔いる前に、安否を気にかける前に、クリスの体は地に崩れた。


「……っ、ぁ――」


 そのまま、呼吸もできなくなる。

 口が酸素を求めるように開閉し、何の制御も利かなくなった喉の魔動補助具に反射的に手を伸ばす。体に思ったように力が入らず、立ち上がることさえできそうにない。

 徐々に曖昧になる思考の中、クリスはどこか冷静に状況を受け入れていた。

 廉太郎が今、男に殴られて死んだのだと。

 魂のつながりも断ち切られたように感じ取れず、魔力も供給されてこない。

 自分のせいだとも、同時に思った。


「……す、すみ……ません――」


 廉太郎が――あの世界に連なる者たちが。

 どれだけの危機を呼び込むか、それを認識できていたのはクリスだけだった。それでいながら、結局強く引き留めることもせず、かといってはっきりとした形で警告することもせず、のこのこと危険に向かわせてしまった。

 冗談ではなく、本当に手足を折ってでも止めるべきだったのだ。

 あの町に押し留めて、出すべきではなかったのだ。

 おそらく世界で唯一、廉太郎が何者にも巻き込まれないであろうあの町で。

 別段、廉太郎に対する情があるわけではなかった。クリスはクリスで、自分のことしか考えてはいない。

 あの世界の関係者という、共通項のある二人。

 一人目を死なせてしまった負い目から、二人目まで死なせてしまえば自責が強まると懸念しただけ。

 申し訳ないとは思うが、そこまで死を悲しんでやれるほどの仲でもない。

 だが――


 ――あぁ、本当に楽しみだったんですけどね……きっと、そう時間はかからなかったのに……。


 それでも、廉太郎の深層心理と人間関係を傍で見ていると、それはできの悪い映画か何かのようで。

 つい背を押したくなるほどには、成り行きが気になっていたというのに。

 いつかはきっと、面白くなりそうだと思っていたというのに。

 それを根こそぎ奪われたようで、一言で表せない感情がこみあげてくる。吐き気にも似ていて、酷く気分が悪くなった。


「その体……機能まで主人に依存していたのか」


 横倒しになった視界に、男の靴が眼前まで迫る。

 クリスは思わず、その顔を睨んでいた。動かない体を無理やりよじり、意地でも首を上げて顔を見る。 

 人を殺しておいて、なお感情が見えない

 仕事を果たした達成感も、飢えを癒した満足感も。

 その上で、クリスにかける視線と言葉にはどこか情を感じる。それが、気に食わなくて仕方なくなる。


「俺はお前たちの機能に詳しくない。死ぬ前に、俺の魂に繋げてこい」

「――はっ……」


 口角を少し上げて、それでやっとだった。

 頬に、冷たい石の感触が固い。

 男の言葉がどれだけ正しいのか知らないが、本当に自我まで奪われるのであればここで死ぬのと変わらない。死んだ方がましだと思う。

 それでなくとも、魔術を操るほどの相手だ。廉太郎やそれ以前の素人たちとは違い、一度関係を持てば強力な支配干渉を受ける。一挙手一投足、自由に動かせなくなるだろう。

 奴隷は人であり、奴隷は主を殺し得る。その前提で扱われる。

 だがあらゆる抵抗に精神的鎖を繋がれてしまえば、そんな存在は奴隷にも劣る。

 男の言葉を借りるなら、自我を消し去らなければ狂いかねないほどの存在だ。


「どうした、なぜ来ない」


 未だ身体機能が動き続け、意識が男の声を拾う。上から投げられるその音が、それだけで不快で、もう眠ってしまいたかったのに。


「情があったのか。自分を使っていただけの男に」

「……ち、違――っ」


 深く考える余裕など持てず、何を否定したのかも定かではない。だが、それはクリスの生き方を軽んずる問いだった。

 返答は否――自分は誰にも使われていない、使わせてやっていただけだ。

 ちょうど自分も他人を必要とする体、半ば望んで得た共存。

 だから、そこには関係性など何もない。 

 廉太郎はクリスにとって、ただの隣人でしかなかった。


「それとも、望んで、仕えていたのか?」

「――はっ、ははは……」

 

 あまりに見当違いな男の見立てに、苦痛も忘れて笑いが溢れる。

 怪訝そうに無言を返す男に、クリスは真っすぐ言葉を返した。


「いいえ?」


 気力の低下と引き換えに取り戻した、いくばくかの冷静さの中。少しばかり愉快な気分で。


「あの人だけだ――私が仕えたのは」

 

 何をやっているのかと、そこで初めて思い至った。死に方がこんなものでは、その『あの人』に顔向けができない。

 易々と受け入れてしまうくらいなら、一か八かでも食らいついてみた方がいい。

 自分たちらしくて、懐かしい。


「貴様――」


 あまりの驚愕に、似つかわしくない声を男が漏らす。

 ――思いもしなかったのだ。

 どうやら持ち主は死んだらしい。魔力の供給も途絶え、体に欠陥のあるこの個体は呼吸すらままならないらしい。そして、当然魂を持たない人形はそれ単体で魔力を持たない。ましてや魔法など、使えるはずがないのだ。

 だというのに、男の眼前に迫ったのは氷の牙。クリスは身を守るように壁を展開し、そこから扇状に氷を伸ばし、貫くように牙が迫る。

 魔力の反応は、間違いなく人形から放たれたことを示していた。

 至近距離での想像だにしない反撃に戸惑うも、相殺するように同質の氷壁を展開。

 互いの魔力展開が干渉し合い、拮抗の末脆く崩れる。

 牙が消滅し、氷の壁だけがクリスを白く覆い隠していた。


「なぜ、魔法など……」


 理屈に合わない事象に、男の眉間にしわが寄せた。

 しばし遅れて、クリスの氷壁が制御を離れ消滅し――男の表情がさらに深く不可解に染まる


「馬鹿な……消えた――?」


 そこにいたはずのクリスの姿が、どこにも見えない。

 前後は、しばらく走り抜けねば分岐もない一本道。縦にも横にも狭い通路だ。隠れる場もなければ、ぶち抜いたような穴もない。

 そのような現象を引き起こす術など、人間だろうが人形だろうが使えるはずがない。

 だが、何かをしたのだという予想はついた。

 先ほどの氷壁が、不自然に白く濁っていたことを思い出す。氷の透明度は混入した空気量によって変動する。通常、人間の操る魔力操作で形成する氷は曇り一つない透明。

 意識しなければ確実に実現しない不透明度、そこには目を欺くという意図が必ずある。


「逃げたか……? なぜ、お前にそんな力が――」

「――ほう、分からない? 本当に? ……あぁ、これは思った以上に頭使えてませんね」


 軽快に飛ばされた軽口に、男は静かに背後を振り返った。

 いつの間に回り込んだのか、先ほどまで地に伏していた人形がそこに立つのを目に認める。

 足も、呼吸も、うって変わって平然と。問題なく機能しているようだった。


「まぁ、奴隷なんて自称するくらいですし」

「何が言いたい」

「特に、何も?」


 死んだと思っていた持ち主が、実は生きていたのか――そう疑い、殴り飛ばした廉太郎の姿を探す。

 だが、それさえ忽然と消え去っていた。

 男はクリスの背後を見て、それから自分の背後にも目を向ける。変わらない一本道。遠くでは明かりが消え、左右に闇が迫っていた。


「……分からんな」

「はぁ」

「何も分からん。だがどうでもいい」

 

 男はクリスを見る。見つめるような視線で。

 状況が一転したかのように、余裕に満ちた様子だった。

 男は拳を握りかけ、やがて意識して力を緩めた。


「救ってやると言っただろうが。お前を殺したくはない、同類だからな」

「頼んでませんけど」


 心外だとばかりに、クリスは不快感を隠そうともしない。

 それを見て、男の表情にも笑みが浮かぶ。


「強がりだ。ならば、無理やりにでも連れて行ってやろう――」


 そう告げると同時に、男が踏み込む。

 たった一歩、一瞬の後に、男の拳がクリスを射程に捉えた。鳩尾に走る一撃。言葉通り、殺さず意識を刈り取らんと迫る、すくい上げるような腕の軌道。

 水体操作でも防御反応が間に合わないほどの達人の間合い。それで事が終わることを、半ば男は確信していた。

 だが――


「……またか」


 男の拳は空を切る。

 正確には、姿自体は確実に捉えていた。にもかかわらず、手ごたえはない。雲を砕こうとしたかのように、振りぬくころには姿が消える。

 直後、背後から迫る炎の波。それを先ほどと同様、同質の現象で相殺する。

 男にとって、クリスの攻撃は脅威ではない。だが、やはり腑に落ちない現象が続いている。


「つくづく分からんな……何者だ、お前?」

 

 転移ではないと、男は直感で分かった。かといって、幻影を見せられているわけでもない。そもそも共に妖精魔術の領分、実現できるわけもない。


「自我と共に、何かの力が宿ったか?」

「まだ気づかない? 好き勝手やってるんですけどねぇ」


 クリスの言葉の真意が、男にはまるで分らない。

 先ほどまで取り乱していた相手が、何もなかったかのように苦笑してみせるその心理も、いっそ不気味で気持ちの悪い姿にさえ映っていた。


「――ならば、ここまでやってしまってもいいでしょう」


 言葉と共に、クリスが指を鳴らした。

 途端――


「なんだ、これは……否、此処は――」


 男の中で、世界が歪んだ。

 ここまで観測していた次元から、唐突に別の位に引きずり込まれたかのように。

 前後に伸びる、狭く長い一本の通路。石造りで、上部には等間隔に明かりの設えられたありふれた地下道。

 それが、まったく別の物に変化している。

 黒い、鉄――ただそれのみの空間。

 前後の通路が、すべて謎の筒と化していた。一本の道としての性質を残しながら、しかしその体積は数倍以上に膨れ上がっている。通路から急に下水道にでも変わったかのように、規模自体がまったく変容していた。

 魔力灯も消え、光源もないのに空間は照らされている。空間は地から壁にかけて反り返り、一周して綺麗な円を描いているようだった。

 その外壁一帯には筒の奥から続く無数の線が刻まれており、それらは直線ではなく一定の規則でねじれている――前後、共に奥を覗くと螺旋状に。

 その意味するものに思い至ったとき、男の中で強い警戒が悲鳴をあげた。 

 

「な――」

「では」


 宣言と共に、クリスの姿が再び消える。

 直後に続くのは、鼓膜どころか内臓まで弾けかねないような重く鋭い爆発音。


「ぐぅ……!」


 思考と視認速度の加速された中、男は遠く前後から迫りくる物体の存在に気づいていた。

 鉄の塊。それもこの通路、筒を埋めるほど巨大なもの。

 それが音速を越えて迫っている――否、射出されたのだ。

 銃身。それがこの空間、この筒の正体。男の位置を中央に、二つ口を合わせた二本の銃身だった。

 何故か、男はその中に囚われている。 

 それほど巨大な銃身も、そこに飛ばされる現象も有り得るものではない。

 だが、目の前の現実は左右から隕石のような銃弾が迫るのみ。


 ――銃ではもう人を殺せない。


 そう言わしめる世界の加護も、この密閉された空間では意味をなさない。弓や銃や射撃魔法、その軌道を空間ごと捻じ曲げるとはいえ、曲がり逸れる先がないのであれば効力は及ばない。

 逃げる場所はなかった。

 例え隙間を縫って逃れようとも、衝撃波で体がちぎれ飛ぶ。

 着弾まで、指の一本も動かす時間的猶予もない。

 ――男は、そこで静かに覚悟を決めた。








――――









 まどろむような心持ちの中、廉太郎は不思議と聞こえ続ける声の出所を探していた。

 白く、眩しくて目の痛い場所だった。目をきつく閉じようとしているのに、瞼がくっついているのかさえ分からない。 

 厳密に言えば、体が動いているのかさえ、存在しているのかさえ分からなかった。

 夢を見ているのだと、そう思う。

 それでも夢にしては、不思議と居心地がいい。

 まるで何度も訪れて、勝手を知った場であるように。そう思うと、耳に聞こえるその声にも、やはり聞き覚えがあるような気がするのだった。

 同時に、その声を知っているからこそ――

 なぜここでその人の声が聞こえるのか、どうしても不可解で、いっそ怖いと思うのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしいなぁ……なんていう印象として 『刃の様な文体』だなと感じました。 容赦無くえぐり込んで来る様な、歯に絹着せない文章が凄く好きです。流れる様に読めますね。 私も精進しますm(__)m…
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