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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第三十七話 奴隷の欲

「面倒だ、抵抗されるのは」


 高熱の射撃弾で拳銃を弾き飛ばし、男は悠々と間合いを詰める。徐々にその風貌が鮮明になる。が、表情からは何の思考も、感情さえも読み取ることができない。


「ただ大人しく死んでくれ。戦闘など、俺の本分ではないのだ」


 射程と現象、共にその殺傷性は人間に通じる。そんな魔術を操りながら、男は手慰みの余技かのごとく言い放つ。

 熱に痛む手に顔をしかめ、廉太郎れんたろうはクリスに現状を求めた。


「な、なんだあいつ……魔術師じゃないのか?」

「い、いえ。攻撃は確かに魔術の域に達しています。しかし、どうにも……」


 判断するには、あまりに謎が多い。

 襲ってくる目的、それを指示した人物。異常な狂気性、戦闘技量にそぐわない言葉。

 何もかも、男の情報が不確かだった。


「――魔術師、だと?」


 二人の反応を耳にして「違う」と、男の足が不意に止まる。


「魔術など、真正面から人を叩き殺すための馬鹿正直な武器にすぎん。人の殺し方も知らぬから、やつらはそんな大仰な力を求める」


 銃だろうと魔法だろうと、超常の守りを持つ人間は殺し得ない。世界の法則のように、魔術以外の遠距離攻撃を人間が食らうことはない。

 また、魔力で常に身を守れるため、殴りかかるような隙さえも存在しない。

 それこそが、人間種が他の人種族を圧倒した要因の一つ。

 人間を打ち負かすには、人間を殺すために特化した魔術を使うより他にない。

 だが――


「寝込みを襲えばいいだろう。毒でも、爆薬でも仕込めばいいだろう」


 軍人でも兵士でもなく、一人の殺人者として人の命を狙うならその例ではない。戦争ではなく戦闘でもなく、一対一の争いですらない、一方的な悪意でしかないのだから。

 襲われることなど考えもしない当たり前の誰かなど、簡単に不意をつくことができる。


「あぁ……まったく、腹立たしい。俺には必要ないと、あれほど告げたものを――」


 瞬間、クリスは攻撃の予兆を感知していた。男の魂から周囲へと、複雑な魔力が流れ展開されていく。

 何も気づかず、いまだ身動きの取れない廉太郎を庇うように、クリスは一歩前に出た。


「――ッ!」


 先んじてまき散らす、魔力の障壁。水体を硬化させ自らと廉太郎を覆い隠す。透明で澄んだ、淡く光る巨大な氷の膜。

 僅かに遅れて、男から射撃魔法が撃ち出される。防御壁に着弾し、乾いた破裂音と共にその一部を削り抉った。

 鉄を熔解させるほどの熱量を帯びた攻撃。着弾の瞬間に魔力から水物質としての性質を消滅させなければ、水蒸気爆発さえ引き起こしかねない威力。

 身を守る硬度を維持しつつ、魔力を対消滅させるようにエネルギーごと世界から逃がす――

 経験したこともない微妙な制御を、クリスは心臓が凍りそうな思いでこなしきっていく。


「ほう、ただの魔力で術を防ぐとは……大した質と、量を生む魂だ」


 魔法を容易く無力化する高次元の殺人術。本来、魔術はそれと同等レベルの術でなければ防ぐことはできない。

 それでも、クリスの防壁はそれを防いだ。廉太郎から引き出せる膨大な魔力を、効率を度外視して過剰に注ぎ込んでいるから。

 だが実際に受け止めてみせたクリスは、別の要因をも見出していた。

 男の魔術の粗――つまり、自分と同じように独学で会得した、付け焼刃に近い魔術だと。

 

「だが、手ごたえなど別に求めん。俺にとっての殺人は狩りではなく、性行為に近い」

「何言ってんだ、あんた……」

「欲求さえ満たされれば、それで良い」


 廉太郎の問いに答え返してはいるが、意思の疎通には無関心である態度。依然として何一つ、男の真意は分からないまま。

 

「――いい日だ、人が殺せるのは」

「野郎……っ!」


 再び吐き出される、殺人の魔術。

 クリスは同じくそれを受け止め、すぐに持ちこたえられないことを悟る。

 男は間髪入れず、次々に射撃を放ち続けてきた。それも二射三射ではなく、機関銃の掃射のように際限なく。

 正面に展開する氷の膜が削られ続け、抵抗するように再生を重ねる。しかしそれも、とても追いつきそうにはない。

 一発受け止めるだけでも神経がすり減らされる攻撃。背後からその背を眺めるだけで、廉太郎にもその重苦が伝わっていた。


「……廉太郎、選んでください」

「こんなときに、何を――」

「私を置いて逃げるか、抱えて走るか」


 聞き終わる前に背後から体を抱え、廉太郎は敵に背を向けつつクリスを背負った。そのまま広間を走り抜け、男と反対の通路へ駆け込み、狭い一本道を必死で逃げ走る。

 後ろから攻防の続く激音と気まずそうな体温を感じながら、足を止めずにクリスに告げた。


「らしくないな。俺と離れたら――クリス、足止めもできなくなるだろう?」

「……そうでした。まったく、使えない男ですよ」

「それでいいよ、お前――!」


 背負われながら後方を睨み、クリスは壁を張り続ける。その間も攻撃は休みなく続き、男も追いかけるように動き出していた。なまじ真っすぐな道が続くだけに、身を隠すこともできない。

 やがて廉太郎の目に飛び込む、光明のような分岐通路。左右に口を開けた別の通路へ、迷わず駆け込んで射線から逃れる。

 安堵する間も足を休めることもなく、そのまま目の前の直線を走り、人目につく地上への出口を探す。


「い、いいですよ……! 敵の身体能力は高くなさそうですし、私を抱えていても廉太郎であれば――」

 

 安堵しかけたクリスの目が、不意に見開かれる。

 クリスが視認した、側面から覗く黒い球体。壁から生まれるように突如現れた、人一人を飲み込む、泡のような光。

 分析するまでもなく、高エネルギーの魔力に満ちていることが直感で分かる。


 ――魔術、追尾型……それも、物体干渉をコントロールして……。


 こちらの位置も分かっていないはずだ。それでも、地形も壁もすべてを無視し最短距離で襲ってきた一撃。

 迫る速度は人の脚力に並ぶ程度、射撃と呼べるほどの速さはない。 

 それでも被弾までは棒読み。

 万全な防御も、気づけない廉太郎への警告も、間に合うものではなかった。


 「伏せッ――」


 とっさに展開した氷の膜。二人から至近距離に展開せざるを得なかったそれに、黒々い球体が接触する。

 途端、球体は弾けるように姿を変え、氷壁全体に纏わりついた。内臓が焼けるような熱気を、周囲へまき散らしながら。

 魔力の存在制御など間に合わず、当たり前のように水分としての性質が沸騰を起こす。氷は気体へと、文字通り一瞬で膨張。

 ――空間が爆ぜた。


「――ぐ……ぁっ!!」


 不意の衝撃波に殴られて、廉太郎はクリスごと反対側の壁に叩きつけられた。左肩を打ちつけ、脱臼かひび、あるいは両方による激痛が走る。

 偶然にも廉太郎に庇われるかたちとなったクリスは、僅かに痛む手足と酩酊感にふらつきながらも立ち上がり、状況の整理を急ぎだす。

 水蒸気爆発――

 氷に纏わりついた黒い魔力が蒸気の密閉状態を生み出し、意図的にその強力な爆発を引き起こしていたのだ。

 おそらく、男の狙い通り。 

 防御手段を見越した、確実に命を取る魔術。

 実に効率的だ。粗削りなどと、とんでもなかった――動けないでいる廉太郎を前に、クリスの口から血が流れた。


「た、立てますか――」

「――死んでくれるなよ、味気がない」


 足を止められた二人に、黒い男の姿が迫る。

 走るでもなく、男は悠々と歩いていた。いつでも殺せる、そんな余裕を漂わせて。

 クリスへの返事もできないまま、廉太郎は地に這いながら男の顔に目を向ける。


「久しぶりなのだ。俺が俺でいられるのは」


 男の目には、やはり何も映っていない。

 感情が抜け落ちたように淡々としていて、その実殺傷行為に固執している。ラヴィやアニムスのようにただクールなのではない。

 この男は、人生におけるあらゆるものを放棄していた。

 唯一彼を彼たらしめていたのは殺人の欲求のみ。その上で、それを制限されている。

 ゆえに、男の精神は空虚。

 読み取れるものなど何もなく、会話が成り立っているのかさえ怪しい。


「ご、ごめんなさい……廉太郎――っ」


 そこで――


「ク、クリス……?」


 廉太郎は、予想もできないものを見た。

 クリスが、涙を流していたのだ。


「私のせいだ……わ、私の……これは――これも!」

「お、ちつけ――」


 急に取り乱すクリスに、言葉をかけてやることもできない。

 痛みに、脂汗がにじむ。

 しばらく歩けそうにもなく、もはや逃げることなど不可能。頭の片隅で、廉太郎は不思議なほど冷静にそう理解していた。

 同時に、狙われるのが自分だけで、男が殺人――『命』にしか興味がないのであれば、万に一つ、クリスが助かる道はあるのかもしれないと、そう考える。

 確かに周りに人はおらず、四肢と呼吸のために魔力を供給できる次の人間は現れない。

 だが、もしかしたら。

 この男が――


「お前――」


 そんな廉太郎の意思とは無関係に、男がクリスの方を向いた。思えば対峙してから、それは初めてのことであった。

 人形である彼女のことなど、初めから歯牙にもかけなかった男。人の命に飢えながら、命として見ていなかった男が、急に。


「自我があるな」


 そう、通常見抜けないことを見抜いていた。

 人形を生き物だと思わないのが当たり前の法則であるように、どんな振る舞いを見せようと、人は不気味に思うことこそあれ、知能自我ゆえの行動だなどと思いもしない。


「だとすれば哀れだ、酷く」


 それを、この空っぽの男は何故か看破していた。


「人の道具に宿った自我に、どんな自由がある? 何もなかろう。生き地獄だ――察するよ」


 男は膝をつき、冷静さを欠いたままのクリスに目線を合わせる。

 その表情には、そこで初めて人のような色が生まれた。だが同時に、見ているだけの廉太郎にはそれが不快で仕方なかった。

 呆然と視線を返すクリスに、男は親しみさえ込めた声色を向けた。


「俺もそうなのだ」

「――え? なに、が……」

「俺は飼われている。命令されたことしかできない、お前の同類だ」


 そう告げられても、クリスはいまだ言葉を呑み込める状態にない。

 蚊帳の外で、廉太郎はひどく動揺していた。あろうことか、その言葉に一部、共感するものを覚えていらから。

 それが気持ち悪くて、居心地が悪く、立つ瀬がなくてやるせない。

 クリスを自分の人生に巻き込んでしまっていることを、ずっと気に病んでいたものだから。


「俺の唯一は殺人への衝動だけなのに、そのすべてを抑圧されている」


 この場の三者が、みな自分の、自分だけにしか分かり得ない都合で思考を巡らせていた。

 クリスは一人動揺し、男は一人で共感し。 

 廉太郎は一人――


「どれだけ欲しようと眠れず、食えず、抱けないような人生だ。そうだろう?」

「ち、違う……! 私は――」


 泣きはらしたまま、クリスは首を激しく横に振る。男はそんな様子には関心すら向けず、形だけは温もりに満ちた言葉を、頭から水を被せるように注いでいく。


「俺はお前に同情しよう。そして、救ってやるとも」


 その言葉に、廉太郎は安堵しかけ――


「そんな自我などすべて消してもらうよう、俺の飼い主に計らってやろう」


 すぐに冷水を浴びせられた。

 クリスがどう思うか知らないが、それでは人として死んだも同然。クリスに自由が極めてなく、自我が生まれたことで苦しむことになったのはその通りだと――痛いほど思う。

 その点は男に共感する。

 だが、そんなことでは解決にならない。根本から話が違ってくる。

 渡すわけには死んでもいかないと、そのとき心から思った。

 

「羨ましいな、白痴になりたいのは俺の方だ」


 世迷言を吐き続ける男。廉太郎はその隙を突いていた。

 地に伏せた姿勢から突如起き上がり、拳を構えて殴りかかる。男はクリスに身を屈めていて、無防備な体勢を続けていた。

 だが――


「素手はいい、やはりな」


 空を切った拳は、男の反撃を許す隙となった。

 懐に潜り込まれ、勢いを利用されるように腕を重ねられる。何が起きたか把握する間などなく、側頭部から生暖かい熱が生まれた。

 その勢いで地に投げられ、連続して数度、弱っていた頭を強く打ちつけ。

 廉太郎の意識は、そこで刈り取られた。

 


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