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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第三十二話 ミッシングリンク ①

「なんだそりゃあ……」


 助けに来た――戸惑うほどに思いがけない台詞に、ベリルはむずがゆい思いで顔を引きつらせていた。

 人間相手に決して心を開かなかったユーリアの態度も、そうなった原因も、ベリルはよく知っている。他の人間を助けようなどと、積極的に気にかけるような女ではなかったはずだと。

 だからこそ、なかば面白がるようにベリルは問う。


「俺を恨んでないのは分かったがよ、そんなこと言わせる義理なんざ――」

「ある」


 言い切らせる前に、ユーリアは言葉をかぶせた。気持ちだけがはやっていた。それらをきちんと言葉にできるのか、この期に及んで自信がない。


「だって、あの日のことは全部私のせいなんだから」


 ――私さえいなかったら。私がこんな私でなかったなら。


 あれから何度、そんなことを思っただろう。

 あの洞窟に自分がいなければ、こんなことにはならなかった。トリカが死ぬこともなかったし、ベリルが気の迷いを起こすこともなかったはずなのだ。

 結果、二人の人間の人生を壊した。

 何もかも自分のせいで。

 一人で町の人間を憎み、意地を張り続けて――誰の言葉にも耳を貸そうとしなかった、その結末がこれだ。


「あなたを町から追い出してしまったようなものでしょう? だから……」

「どうするって?」

「帰りましょう、一緒に」

「馬鹿言え」


 話にならない。そうかふりを振っていても、ベリルの表情は満更でもない。やり取り自体を楽しむように、ユーリアの様子を観察していた。

 

「命令は。どうすんだよ?」


 ユーリアの意思や感情とは無関係に、すでにベリルは離反者として町の機関に狙われている。逃亡と味方への殺傷行為。今さらおめおめと町に戻ったところで、死罪は免れない。

 当然の指摘に、ユーリアはただ静かに「聞いて」と、力強い目で諭していた。


「私はルートヴィヒを――機関の代表をよく知ってる」


 腹心の、側近の部下の一人として。少なくとも他の者よりは、人間としての性質的な部分に踏み込まざるを得なかったから。

 どれだけ異常で、まともな理屈で動いていない奴なのか。嫌でも知ってしまっている。


「あなたを殺すよう命令するのは、あなたから情報が漏れるのを嫌うから……でも、それだけよ」


 人間の世界から隠れ潜む町として、それは当たり前の防衛策。離脱者は下手な敵より厄介な存在、対処しなければ町の安全が脅かされかねない。

 しかし――


「あなたにもあなたの罪にも、あの男は興味なんてない。脱走者なんて、町に戻ってさえくれば『あぁそうか』で片づけてしまう男なの」


 それ以外の事情を、ルートヴィヒは考慮しない。

 軍隊組織としての規律、人の感情――一度逃げた者は信用できないだとか、そこにあった意思や原因だとか、そんな事情など気にも留めない。

 戦力が一つ戻って来た――ただ、そう思うだけだろう。 

 合理的すぎて合理的じゃない。

 気味が悪くて好きになれない。

 思考回路、精神。正気なのかとよく疑った。だが今では、素でそうなだろうと気づいている。

 瘴気の精神汚染もないままに、よほど人間離れしている男だ。 


「どうかね、俺はよく知らん。普通に許されねぇと思うがな」

「大丈夫よ。仮にうるさいことを言われても、私が守ってあげるから」


 そのくらい意見できるだけの力が、今のユーリアにはある。

 そもそもよほどの大事でないかぎり、ルートヴィヒにとっては些細なことだ。たかが魔術師一人の罪、罰しようがしまいが変わらない。


「それでも、ダメかもしれないじゃねぇかよ」

「無理にでも押し通すわよ。ロゼにも口添えしてもらうから」

 

 出した名前に、ベリルがぴくりと反応する。ユーリアよりはるかに人望もあり、なおかつルートヴィヒにより近しい存在だ。説得力が違う。

 それを見て、もう一押しだとユーリアは思った。

 

「この件、私は命をかけても構わない」

「お前っ、なんだってそこまで……」


 一言で言うなら、罪の重さに耐えられないから。


 自分のせいで誰かが死ぬ――実際に背負ってみると、その重さは想像を絶する。トリカを死なせて、あの日からずっと悔いている。夢にも見るし、気を抜くと今この瞬間にも泣いてしまいそう。

 おそらく、一生引きずることになる。

 その上、もう一人の命まで奪われるようなことがあったなら――

 

「とれる責任が少しでも残っているのなら、罪滅ぼしをしなければ……」

「あ? 自分のためかよ」

「……そうよ。でも前向きでしょう?」


 ――きっと、お互いにとって。

 後ろめたさを抱えた者同士、少しでもマシな生き方ができるようにと。

 それからベリルは、しばし無言を返し続けていた。言いたいことはすべて言い終わり、ユーリアの肩の荷は下りた。

 こうすると決めてから、ずっと緊張していた。一対一で会う決意もできず、こんな店先に呼び出すような真似をするほどに。

 ――上手く伝えられるか、冷静に会話できるのかと。

 それから、言い忘れていた言葉を思い出す。まず初めに言うべきであった、けじめの言葉を。


「ごめんなさい」


 あの日のことも、それまでのことも。

 それは文脈も無視した脈絡のない謝罪。だが、意図が伝わるだけの熱意はこもっていた。


「……俺もよ、お前には謝りたかった」


 ――体裁は悪い。 

 だが一回りも年下の相手に先をこされては、ベリルも自分の言動を振り返らなければ、余計に立つ瀬がなくなってしまうのだ。


「お前にしたのは八つ当たりだった。事故だなんて、分かり切ったことだったのによ」

「だから、それはいいって」


 本当に殺されかけたのだが、いっそあの場で死んでいたとしても文句はなかっただろう。それだけのことをしたと、本気で思っている。


「あと、その前に色々言ったのもよ……全部取り消すわ」

「え?」


 今度は、ユーリアの方が驚かされてしまう言葉。

 確かに、あの洞窟で色々むかつくことを言われたのを覚えている。子供だとか、あてつけだとか――耳に痛い小言を。

 ユーリアは正論が嫌いだった。正論で諭されるのが、嫌で嫌でしかたなかった。 

 自分の態度が、子供じみた八つ当たりでしかないことに薄々気づいていたから。

 それが今や、本人の口から取り消されようとしている。


「お前ちょっといい奴になったよな。まぁ元からなんだろうけど? 若干大人びたっつうか――」


 何気ない一言だったが、ユーリアはその目も見れないほどにはむず痒い思いうだった。

 折り合いの悪かった相手からの賛辞。身内に言われるより、どこかはっとさせられそうで。

 純粋に照れくさい。

 ――嬉しい。


「じゃ、じゃあ私に任せて帰りましょうよ。えぇと……二、三日は時間をもらうけれど」


 想定よりずっと早く話がまとまってしまいそうだが、それぞれの目的を持った二人を連れてきている。廉太郎とラヴィにそのくらいの時間をあげなければ、わざわざ付いてきてもらって申し訳がない。

 そんな風に、今後のことに思いを巡らせていたユーリアに対し、ベリルは――

 

「――なぁ、ユーリア」

「なに?」


 目を伏せ、おもむろに立ち上がる。目で追うと、視線を合わせようとしてこない。

 不審に思うユーリアに向けて、何の感情も向けずに短く告げた。


「悪いな、会わせたい奴が来ちまった」


 その瞬間――


「――ッ!?」


 座っていたテーブルが、横から真っ二つに切断されていた。

 自立できなくなった脚が地に崩れ落ち、乗っていたグラスとカップが砕け散る。

 驚愕しつつ、すぐさま身体機能の魔術制御を最大警戒レベルに引き上げる。稼働スピードと思考、視認速度を上げ周囲を警戒、状況の把握を試みる。

 見渡せばテーブルだけでなく、周囲まで広く巻き込まれていた。

 直線上に走る、綺麗に刻まれた一筋の溝。ケーキを装飾の上からナイフで切り分けたように、僅かにも乱れのない爪痕が地を穿っている。


「これは、なに……?!」


 反応できなかった――動体視力的にも、魔力感知能力的にも。

 何をされたのかさえ分からなかった。

 得体のしれない事態に恐怖すら覚え、一瞬遅れて周囲から上がる悲鳴を聞いた。テラス席からは他の客が逃げ消え、遠くから取り巻くようにやじ馬が覗いているのが見える。

 ただ一人動いていないベリルを視界に収め、ついで敵の姿を探す。あきらかにこちらを狙った攻撃。それでいて、不意を突くにしては的確に狙いが外された一撃。

 何はともあれ、速やかに対処するか、逃亡するかのどちらかで――

 ユーリアは敵の姿を探し、そしてそれを目にとめた。


「え――」


 言葉を失う。

 思考が空白になる。

 信じられないものを前に、夢でも見ているのか、幻覚でも見せられているのかと思った。それほどまでに現実感がない。

 その存在が、あどけない顔で口を開く。

 思い浮かべた通りの、声と口調で。


「ベリルぅ……抜け駆けしたのかと思ったじゃん」

「あぶねぇな、何もしてねぇだろ。どこぞで遊んでたお前が悪い」

「ま、ベリルじゃ勝てないだろうけど?」

「うっせ」


 当たり前のように会話する二人。それを見て、ようやくユーリアは目の前の現実が何を言いたいのか、脳裏で想像することができた。

 それでもなお、信じることができない。

 受け入れることが、とても難しい。 


「そんな、嘘――」


 ――だって、それは、絶対にありえない夢物語なのだから。


「あはは。久しぶり、ユーリアちゃん」

「――トリカ!?」


 ユーリアの頭に、その他の何物も残っていなかった。

 今しがた起きた剣呑な事態など頭になく、誰が何をしたのかさえもどうでもよかった。


「そんな……嘘だ!!  生きてるなんて、そんな……ッ」


 間違いなく死んだはずの相手。心臓をこの手で貫いた、その感触さえも生々しい。

 それなのに、今ここにトリカがいる。

 以前と何も変わらない様子で、負傷も後遺症も何もなさそうに。

 全身が、焼け落ちたように熱い。自分が泣いていることにも気づけないほど、混乱と歓喜の中にユーリアはいた。


「よ、よかった……私、あなたにずっと謝りたくて――」


 もう、言葉さえおぼつかない。

 何もかもどうでもよくて、それでも二度と失うまいと、懸命に手を伸ばした。

 

「……帰ろう、トリカ……一緒に」

「帰る? うん、元からそのつもりだよ。ただ――」


 ほとんど経験と本能から感じ取った気配だけで、ユーリアは身を逸らした。

 ――瞬間、背後の窓ガラスが砕け散る。

 何も見えず、反応も紙一重。何が起きたのか、またもや理解することができない。

 『またもや』という思考が、一つの現実をユーリアに突き付けていく。


「一緒には帰らないよ。ユーリアちゃんはここで死ぬんだ」

「やめて、トリカ……」


 先ほどからこちらを攻撃しているのが、この小さな女の子であるという事実。

 攻撃方法は不明。この一週間足らずでどうやって会得したのかも、なぜ会得したのかも不明。

 そもそもあれだけの致命傷が、まるで夢だったかのように消えていることさえ――


「ご、ごめん! ごめんなさい、トリカ――」

「えへへ、怒ってないよぉ。あんなの勝手に、わたしがお父さんを庇っただけなんだし」


 恨まれても殺されても、文句を言うつもりは少しもない。だが、本人にその気配はない。いっそ恨んでくれるのなら、その方が楽になれたような気さえする。

 そんなことを思うほど、不穏さを肌で感じていた。


「でも、お父さんとお母さんを殺したやつらは許せないよね。怒ってもいいし、殺してもいいはずだよ」


 ラックブリックに潜伏していた諜報員、アルバー――

 その暗殺に巻き込まれて命を落とした、妻のマリナ――


 共にトリカの両親。それらを奪ったあの町に、彼女が恨みを持つのは自然の流れ。

 だが――


「ベリル――ッ!?」

「見ての通りだ。異形化してる」


 トリカの表情や口調は、明らかに人の道を外れていた。

 そんな恨み言を楽しそうに言ってのける精神状態、まともだなどと言えはしない。

 精神的汚染が、かなり酷いレベルで進んでしまっている。

 その原因など、一つしか思い浮かばない。


「一命を取り留めたのもそのおかげだがよ、死にかけた影響でどうにかなっちまった」

「そんな……」


 異形化は、人間が瘴気の影響を受けて様々な変質を迎える現象全般を指す。 

 肉体の変貌や、精神構造の変化。見たところトリカはその両方を併発している。傷を塞ぎ、臓器を修復し、言動に狂いが見られる。


「だ、だけど……今ならまだ、あの町に帰れば――」


 ――ほんの少しでも、長く生きられるように治療を受けることができる。

 そんな残酷な答えしか見つけられなくて、ユーリアの心を絶望が包んだ。


「帰るってば。でも、その前にユーリアちゃんを殺してからね」

「……恨むのね、私を」 


 父親――アルバーを殺したのは自分ではないけれど。彼の最期を知らないトリカからすれば、刺される直前まで敵対していたユーリアが仇に思えても仕方がない。

 そうでなくても、トリカの家族を奪った組織の一員なのだ。

 たとえどれだけ仲のいい友人相手でも、殺してやりたいほど憎いのだろう。そう思うと、自分のことのように胸が痛んだ。


「だからぁ、大好きなユーリアちゃんを恨むわけないじゃん」

「じゃあ、どうして私を殺したいの……?」

「そんなの、仲が良かったからだよっ――」


 トリカの体に緊張が走り、体が強張るのを視認。即座にそれを攻撃の意思と判断して、僅かな判断材料だけで回避動作に移行する。

 一度目が線攻撃、二度目が点――

 体勢を低く、ユーリアは地を這うように横に跳んだ。最初から最後まで、注意深くトリカから目を離さずに。

 それでも攻撃の軌道さえ見えず、地に刻まれた爪痕だけでぎりぎりの回避だったことを理解するのみ。

 線が湾曲に引かれた周囲の状況と位置関係から、音速を越えた不可視の鞭攻撃と仮定。射程は物理的な鞭では有り得ないほどに広く、ほとんど衝撃波に近い。

 その性質と効果範囲から、巻き添えを出すのは時間の問題だった。その事実に、知れず青ざめていた。


「仲が良かった……それが、どうして……?」


 振り絞るように、意味のないことを問うた。


「わたしはどうせ、もうすぐ死んじゃうんでしょ? だから、一番のお友達に付いてきてほしいんだよぉ」


 楽しそうに、いつもしていたお喋りのように、トリカは笑った。


「――いいじゃん、わたしに負い目あるんでしょ?」


 ぞくりと、ユーリアの背筋に悪寒が走る。

 大切な友人が変わってしまった虚しさ、変えてしまった罪悪感――あるいは、もっと純粋に、怖かったのかもしれない。


「で、そのあと町に復讐する。一人でも多く殺して、それから死んでやるんだ」 

「――ッ、できるわけない!!」


 『させない』でも、『止めなさい』でもなくそんな言い回しを選んだのは、ただの願望の現れだ。そんな恐ろしいことを、この子が考えていいわけがないのだと。


「ユーリア!」


 静観していたベリルが、離れた場所から声を上げた。


「俺はお前に恨みはねぇし、お前の熱意も胸にきたよ。……だが、俺たちはもうあの町を信じることができねぇ」

「なに言ってんの……? あの町以外で、どこでこの子が治療できるって言うのよ?!」


 他の場所で、異形化した人間などほとんど生き物として扱われない。殺すという意思さえなく、ただ処分されるだけだ。

 治療法、延命法など確立されているわけがない。


「そうだな、あの町にしか治療技術はねぇ。それは必要だ」

 

 ここにきて、ユーリアは思った。

 ――ベリルもまた、初めから正気ではなかったのだと。


「だから、その技術だけを奪ってきてやるよ」

「馬鹿――ッ!?」


 町には戻らないが、必要なものだけを利用しに行く。抵抗も障害も実力行使で乗り越えていくつもりなのだ。

 とても冷静ではない。何をしようとしているのか、できるかどうか、客観視できないのだろうか。

 ただ感情に任せて、我儘を通そうとしている。

 説得する言葉も見つからないユーリアに、トリカの言葉が突き刺さった。


「ベリル、目立っちゃったから先に逃げる準備してきなよ。わたしは一人で、ユーリアちゃんを愛してあげるから」


 確かに、町中で騒ぎを起こし過ぎた。警察部隊が到着するのは時間の問題で、そうなればお互いにとって都合が悪い。

 だからトリカのその台詞は、それまでの短時間でユーリアを殺すという宣言に他ならない。


「く、ぁ――」


 ユーリアはもう、自分の中に湧いた感情があまりに乱雑すぎて、何をするべきかさえ判断がつけられそうになかった。

 そんなユーリアに、ベリルは一つ、言葉を残して立ち去った。


「……悪いなユーリア。お前に死んで欲しくはなくなったが……こいつの望み、なんでも叶えてやりてぇんだ」

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