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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第三十一話 時間と和解と――

 目的の町に着くころには、周囲の道周りにはだいぶ人の気配が増えていた。すれ違う人間や他の馬車。遠目には、普通に車が走っているのが見える。

 この世、この時代。馬車にせよ車にせよ個人所有する物ではない。さらに、造りの違う他所の車を持ち込むわけにはいかない事情もある。馬や他の動物に頼れないラックブリックの造車技術は、一世代を先に進んでいるからだ。


「あんたら、遊びに行くのかい?」


 町に着き繋ぎ場に止められた馬車から降りようとすると、これまで沈黙を保っていた御者の女がそんなことを言う。

 町から馬を連れてきた、基地常駐の機関職員。ユーリアの同僚の人間。


「職権乱用が板についてきたね」


 それらは疑いようもなく嫌味であったが、同時にむりもない嫌味だった。

 反応も返さないユーリアに、不思議そうにラヴィが問う。


「あれ? 言い返さないの」

「ほとんどその通りでしょう? 耳が痛いのよ」


 特命を受け他の職員にこうしてサポートを求めているのに、部外者を二人も連れている。傍から見れば好き放題やっているように、当然見えてしまう。

 廉太郎は『とりあえず付いてきた』という感じだし、ラヴィに至っては何がしたいのかさえ話そうとしない。

 ユーリアの痛いところを突かせてしまい、廉太郎は心苦しかった。

 一方ラヴィは何を気にすることもないようで、興味もないように背を向け一人雑踏に足を向かわせていた。


「広い町だね」


 見渡して、感慨深そうにラヴィは呟く。

 開放都市、オーテロマ――

 確かに広く、活気がある。面積は手狭な城塞に囲まれたラックブリックのおよそ数倍。人口はそれ以上に多いのだろうと、人だかりを一望しただけで分かる。 

 そのすべてが人間だった。

 他に、人の種族は居なかった。


「廉太郎、とりあえずセーフハウスに向かうわよ」

「分かったよ」


 ユーリアに急かされて、物珍しい風景に思いを馳せていた廉太郎は彼女の案内に足をそろえる。

 すると、ラヴィがついて来ないのに気が付いた。田舎駅のように古ぼけた掲示板、そこにただ目を向けたままだ。ユーリアの言葉も、聞こえていないかのよう。


「何見てるんだ、ラヴィは」

「別に――」


 背後から声をかけると、ラヴィは背に隠すような動作で振り向いた。それでも小柄な身体で隠せる掲載物ではない。

 何の気になしに、廉太郎の目にもそれが飛び込んでくる。


 ――張り紙、報告要請。


 『不自然に体を隠す人、不可解な言動を繰り返す人が周りにいませんか? 僅かな心当たりでもご報告ください。異常者は当局により速やかに排除されます。報告者には――』


「胸糞」


 露骨に顔をしかめて、吐き捨てるラヴィ。その視線は、さらに下へと向いていた。


 ――先日の排除者数、二。


「……そうだね」


 毎日のように摘発されていなければ、こんな表示はしまい。

 特に、わざわざ開示するところが気持ち悪い。気にして見るものがいて、それほど重視してるということだ。

 ここで言う異常者なんて、ラックブリックにはたくさんいる。治療を受けながら、普通に暮らしている人たちだ。少し、ほんの少しだけ異なってしまったというだけで――外では迫害される者たちの町。

 そして迫害する側であるこの町からも、毎日のように人が排除される。


「外の世界に、少しは憧れてたんだけどね。どこにも行けないのは不自由だから」


 平時と異なり、明らかに感情を見せるラヴィの口調。

 憤り、虚しさ、失望――およそ想像しうるそれらすべて、おぼろげながら廉太郎にも共感がたやすい。


「でもこんな感じなら、ずっと閉じこもってたほうがマシ」 

「ラヴィ……」と――


 いつの間にか廉太郎の傍で聞き耳を立てていたユーリアが、案じるようにその名を呼んでいた。その表情も穏やかではないが、驚きはなかった。外に出たこともないラヴィとは違い、ユーリアは元々こちら側の生まれ。こんな事情より、もっと恐ろしいことだって知っているに違いないのだ。






 ここに着いてから、クリスは借りてきた猫のように喋らなかった。話しかけるなとも、事前に求められていた。

 人形と話しているところを見られれば、確実に精神に問題のある欠陥者だとみなされてしまうからだろう。

 四人にとって、それぞれの理由でここは敵地。行動は極力目立たぬように、踏み込んだ会話や休憩はセーフハウス内で済ませる。それが当然だ。

 しかし――


「何食べる? 私は味が分からないやつがいいな」


 品の良いレストランの一席、人目もはばからずに堂々とメニューを広げるラヴィがそこにいた。

 切り替えが早い。先ほどのことなど忘れたように、ただ何を食べようかとしか考えていない様子。


「やっぱり旅行気分なんじゃない……別にいいけど」 


 付き合わされた三人の内、最も乗り気ではなかったユーリアが苦言を呈する。「ご飯食べよう」などと、ふらふら店に上がり込んでしまったラヴィを止める隙がなかった。人目は避けようという話だったのに、気晴らしになると言って譲らなかったのだ。


「肉食っときなよ、レアだよ」

「嫌」


 何を頼むか振られても、ユーリアはメニューに対する興味さえ示そうとしない。

 『外食は絶対しないから、向こうでは食材をそのまま与えてやるしかない』――と、アイヴィに託された手帳に書かれていた通りだった。

 その手帳には道中目を通している。それで、大まかにユーリアの食事事情は理解していた……他に書き込まれた、まったく関係ない余計な知識と共に。

 背負わされた重すぎる荷物に、思わず目が遠くなってしまう。そんな廉太郎に構わず、ラヴィはメニューを睨みながら問いかけてくる。 


「何かない? 食べたい物」

「強いて言うなら、米かなぁ」


 この世界にきてからといもの、食事はほぼアイヴィに用意してもらっている。だから不満など何一つないのだが――どうしても、慣れ親しんだ国民食を体が求めてしまうのだった。

 『米』という穀物概念に相当するこちらでの言語単語を把握しているので、どこかしらにあるのは間違いないのだが――ついぞお目にはかかれていない。


「あぁ、知ってるよ。虫の卵みたいなやつ」

「悪意なく酷いことを言うよな、君は……」

「あれ、ユーリアは? 決まった?」

「私は水でいい」


 予想通りの発言に、廉太郎は身構える。

 好みを理解しているアイヴィ以外の料理を、ユーリアは決して食べようとしない。味や触感、受け入れられるものが非常に少ないからだ。

 料理はだいたいが食材や調味料の組み合わせだが、複数の味や触感が混同している時点でユーリアにはアウト。あまりに味覚が繊細で、頑張っても口にさえできない。

 その上で、空腹だろうと面倒がる。

 偏食を通り越して、拒絶的。

 ざっと目を通して、辛うじて食べられそうな生野菜と豆類のサラダをこっそり注文しておいた。あらゆる味付けを無しにした上で、である。

 ――やがて、注文したものが並べられた。

 

「え、えぇ……」

 

 ラヴィの前に運ばれた品数を見て、本人を除いた全員が戸惑いを見せる。

 一言で言えば、多すぎる。普通にだいの大人、二食分はあった。


「どこに入るんです? その体の……」


 静かにしていたクリスですら、思わず反応してしまうほど。

 黙々と食べ勧める姿を、皆関心さえしてしまいそうなほど見つめていた。


「普段もそんな感じなんですか?」

「まぁね」

「それで、なんでそんなに細いんですかね……」

「体質だよ、呪いみたいな。好きで痩せてるわけじゃない」


 体が細いのはユーリアも同じだが、ユーリアのそれは健康的で美しい。モデルとアスリートの良いとこ取りをしたような、そんな安定感を認めさせる。

 対してラヴィは病的に細い。脂肪も贅肉もないどころか、人間の骨格を軽く無視した彫刻芸術のよう。それもまた別種の美しさではあるものの、触れるだけで折れてしまいそうな印象を与えてくる。


「太りたいんだ」


 そう続けて、ラヴィはほとんどチョコレートを溶かしただけのような液体をすすった。


「私もう十六だよ? さすがにクリスくらいの色気は欲しい」

「いや、こんな子どもに張り合わないでください」


 クリスは反応に困った様子で、所在なげに基地から持ち出したゼリー状レーションを喉元の管に注いでいた。詰め替え用の洗剤でもボトルに注いでいるかのようで、廉太郎は食べている物の味が消えていくような気がした。


「たまに男の子と間違われるからね。コンプレックスってこともないけど、なんか理不尽」


 そう言ってやれやれと首を振る。揺れるツインテールが、寂しく自分たちの性別を主張しているようだった。

 そんなラヴィに、ユーリアが言葉を投げる。


「気にしなくていいのよ。あなた綺麗だもの」 


 顔も向けず、ぶっきらぼうに。だがどこか思いを汲んだような態度で。

 嫌う人間であり仲も微妙なラヴィに、僅かながらも近づこうとしている。そんな様子を他人事ながら嬉しく思う。

 だが急に「そうでしょ、廉太郎?」と逃げ場のない質問を飛ばされて、途端に視線が泳いでしまうのだった。


「どうかな?」


 疑うような目で、ラヴィは廉太郎を見やった。

 聞こえなかったように、廉太郎は何も言わずに食事を続けた。

 ――ふと、ユーリアを窺う。


「ユーリア?」


 彼女はいつしか、窓を眺めていた。外を気にするように、じっと一点を見つめていた。


「――そろそろ行くわ」


 そう言って、食事もそこそこにユーリアは席を立った。一人で、下されている指令をこなすべく。

 口出しすることは何もないし、できるはずもない。

 任務の詳しい事情は何も聞かされていないのだ。話してくれなかったから、廉太郎は聞かなかった。


「下見というか調査というか――まぁ、後で合流しましょう」

「じゃあ……気をつけて」

「ええ」


 そう言ってやるが精いっぱいで、廉太郎はユーリアの背を見送った。彼女の言うように、無事合流できることを願いつつ。







――――







 廉太郎たちから遠く離れたカフェの一席。ユーリアは一人、何をするでもなくただ静かに座っている。

 テラス席だった。二人がけの、丸く小さなテーブルだった。

 周囲には多くはないが客も居て、通行人がときおり目に入る。日差しが弱く、悪くない風が吹いていた。

 それでも、緊張で胸が気持ち悪い。

 吐きそうなほど、不安でしかたない。


「……美味しくない」


 水は水ごとに味がある。感触も違う。

 透明なのに、さては微妙に何かが融け込んだりしてるのでは――そう気づいて、しばらく水も飲めなくなったことがある。そのときはアイヴィに本気で泣かれてしまったので、以来水だけは我慢してでも飲もうと決めていた。

 ユーリアはここで、人を待っている。

 待ち合わせしているかのように、ずっと。

 周囲の客が入れ替わっても、待ち人は姿を見せない。だが確実に、こちらには気づいて様子を窺っている。そんなことが、手に取るようにわかっていた。

 やがて――


「――気づいてて、なんで攻めて来ねぇんだよ、お前」


 一人の見知った男が、知った調子で声をかけてくる。まさに待っていた、その相手だった。


「あなたこそ、なんで気づいたのに逃げようとしないのよ」


 いつもの調子で、ユーリアもそう言い返す。

 目を合わせる勇気はまだなくて、そっけない態度を装いながら空いた対面の椅子を視線で示す。

 それに従い、男は席に座った。

 旧知の仲のように、ユーリアはその名を気安く呼ぶ。


「久しぶり、ベリル」

「あぁ……」


 この町へ来た目的。その殺害対象の裏切者。六日ほど前、自分を殺しかけた相手でもある。

 そんな相手に、ユーリアは――


「飲んだら?」


 席に座るためだけに注文した、一杯の珈琲を差し出した。自分は飲めない以上、無駄になってしまうから。とうに温くなってはいるが、奢りなのだから我慢して欲しい。

 奇妙な物でも見るように、ベリルは軽口で返してくる。


「毒が入ってんのか?」

「もういい」

「分かったよ」


 それだけ言って、ベリルは素直に口をつけた。


「温い」

「早く来ないからよ」


 そんな会話に、二人の口元が自然と緩まった。 

 互いの間にある確執を思えば、それらのやり取りはすべて奇妙。

 ユーリアにはトリカを死なせた罪があるし、ベリルはそんなユーリアを半殺しにした罪がある。

 談笑できるはずの仲ではないし、元より仲はこじれていた。

 だが、彼らは共に、それまでの空気で互いを理解していた。


 ――今この瞬間、互いに敵意も憎しみも、何も抱いてはいないのだと。


 互いに、互いに対して抱いていた像とかけ離れているから。

 隠しているのではない。

 二人共に、いだいた感情を隠せる性質たちでもない。


「あのよ……良かったな、生きてて」


 言いにくそうに、他でもない加害者ベリルがそう言った。顔を伏せ、言葉をつくろうように言い淀みながら。


「俺が言えた義理ねぇけど……」

「助けてもらったのよ」


 まっすぐ相手の目を捉えながら、ユーリアは言葉を振り絞るように告げようと気を奮い立たせる。


「――あなたの友だちに」


 あの日ベリルと共に追いかけた、町に潜入していた工作員。アルバー・クラポット、トリカの父親。

 怪訝そうなベリルの様子。それを見るに、やはり我ながらすごい体験をしたものだと、あの洞窟での瞬間に思いを馳せた。

 ユーリアはそっと、自らの腹のあたりを手で擦る。本来なら塞がるはずもなかった、致命傷を負った体を。


「血を分けられて、臓器を分けられて……」


 腕のいい魔術師だったのだろう。人を殺す以外にも、いろんなことが出来た人だったのだろう。

 強引に自分とユーリアの体内空間を繋ぎ合わせて、見事な移植手術を成功させた。妖精魔術を簡易的に再現して見せるような、驚くべき技術を使って。

 そんな処置を受けなければ、ユーリアはあの洞窟で廉太郎に出会うこともなく死に絶えていたはずだ。

 アルバーはそれで、しばらくユーリアと話を続けたのち、当たり前のように死んだ。

 いくら元から死にかけていて、捨て身の治療に躊躇もなかったとはいえ。自分の娘を目の前で刺し殺した敵に、あの男は情けをかけたのだ。

 話をしてみても、結局その男の言葉は理解できなかった。


 ――自分が犯した罪も、かけられた情けも。

 どれだけ時間が経とうとも、飲み込むことができないまま。


「――そうか」


 友人の最期を、ベリルは誇らしそうに受け取っていた。 

 それを『凄いな』と、ユーリアは心から思った。


「しかしまぁ、そんな話は別にしてよ」


 お互いに、あのときは冷静ではなかった。ゆえに恨みもわだかまりもない――そんな感情とは別の、今ここにある事情として。

 うやむやにできないことが、二人にはあった。


「俺を殺しに来たんじゃねぇの?」

「確かに、そういう指示は受けているわね」

「だったら俺たちは、なんだってこんなお喋りしてるんだ?」

 

 これでは敵対する前より、ずっと親しげではないか。

 二人ともそれがおかしくて、友人のように笑ってしまった。


「それはね――」


 ――あぁ。この言葉が、こんなに落ち着いた気持ちで言えるなんて。

 町を出るときには、思ってもみなかったことだ。


「――私があなたを助けに来たからよ、ベリル」


 面食らったような相手の顔。意表をついてやったようで、得意気な気分で気持ちがよかった。





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