第二十九話 無遠慮な配慮
二つの世界を比較して、『より技術が優っているのはどちらなのか』などと考えることに意味はない。同じ直線状にあるわけでもなく、お互いにまったく異なる発展と過程を経ているからだ。
確かに通信技術や写真技術の程度は、産業革命も迎えたばかりかのように拙い。しかし、そんな考え方は魔力と他人種族技能の存在によって無意味となる。
情報社会で暮らしていた廉太郎が、まるで不便を感じないほどに高い生活水準。ときおり、理解を越えた技術を目にすることもある。
その一つが、西を目指して乗り込んだこの――大型装甲車であった。
「自動走行に問題はないようです」後ろから聞こえた、緊張感のないくつろいだクリスの声。「運転席に座ってなくてもいいんですけど?」
対向車などいるはずもなく、事故も起きようがない土地。町から離れ、広がる耕作地も通り過ぎると、まるで人気のない荒地が続いていた。ここでなら、車の運転制御を自動化することも難しくないのかもしれない。
しかし、やはりどうしても馴染みのない感覚。あまりに超技術的なようで、違和感を覚えてしまう。
「まぁ、後ろは女まみれだからね。居心地悪いのかも」と、ラヴィ。
「それは――」
本当に男一人で居る身として、あまり言って欲しくなかった言葉に気まずさを覚えてしまう。
キャンピングカーのような居住スペースと化した車内で、ラヴィはソファーに深々と寝そべっていた。長い黒々としたツインテールを座席に散らかしたまま、抑揚のない調子で声をかけてくる。
「狭いからさ、むせかえるくらい良い匂いだったりする? 男の子にとっては」
「……そういうクリスみたいな冗談、やめて欲しいんだけどな」
反応に困る、どころの話ではない。
それも一対一なら別に構いはしないのだが――クリスはともかくユーリアがいるのだ。こんな冗談を真に受けるような人ではないけれど、それでもやはり、そわそわせずにいられない。
「あぁごめん。こういうの、本気で嫌がるタイプ?」
「だいぶね」
ラヴィは気に障った様子でも、反省する様子でもない。からかいたかったというより、ただ気になったから聞いたと言われても不思議はない態度。
そのまま流すのも感じが悪い気がして、やることのない運転席を離れ移動する。席を開けてくれたラヴィの隣に、やや警戒しながら腰を下ろした。
ボックス席のように向かい合う対面のソファーに、クリスとユーリアが収まっていた。確かに、伸ばすと足が当たってしまいそうな距離感。ラヴィのせいではないが、いろんな意味で落ち着かない。
「疲れたの?」
と、顔を覗き込むようなユーリアの声。
「もうすぐ最寄りの中継地点よ。そこで少し、休憩しましょう」
有体に言えば、サービスエリアである。魔力燃料の補充や物資の備蓄がある、無人の休憩所。
ラックブリックが人の手から逃れ、瘴土に隔離された町だとはいえ、外部に一切の干渉をしないわけではない。外の人間社会の情勢を把握したり、足りない物資を調達したりと、何かと人の行き来はある。
そのための拠点が、機関によって各地に整備されているのだった。
「それで結局、ラヴィはどうして付いてきたんだっけ?」
間を持たせるように話題を見つけてから、これでは迷惑に思っているかのようだったかと少しだけ後悔した。
「まぁまぁ、それは気にしないで」とだけ、彼女ははぐらかした。
彼女の雰囲気は、どこかアニムスに似ている。表情が変わらないというか、言動に抑揚がない。何を考えているのか分かりにくく、顔色をうかがうこともできない。
とらえどころがまるでない――それが両者に対する、素直な印象である。
「ちょっとした用事だよ。お使いみたいなもの」
『ついて行け』と告げられただけなのに、アニムスには目的があって、ラヴィはそれが分かっているかのようだった。
「でも、町から出るのは初めてだから、少し楽しみだな」
などと、分厚い窓から外を見透かして、少しだけ頬を緩めている。そんなラヴィに、「遊びに行くわけではないのだけど……」とユーリアが不満そうに視線を向けた。
「あなた、図書館で働いているの?」と、ユーリアが問う。
「うん」
「……住み込みで?」
「そうだね」
ユーリアの目が、鋭く細まる。お喋りではなく、聞き出したいことを聞き出そうとするような態度で。
「それで、アニムスとあなたには何かあるの?」
「え――?」
「妙な能力を使うでしょう」
少しだけ圧の強い問いかけに、ラヴィは「あぁ、そっちね……」と目を逸らしていた。その態度でやはり『何かある』ことを確信した様子で、ユーリアは考え込むように口を手で覆った。
「人間離れしてるわ」
ユーリアの背後を取ったアニムスと、その呼びかけに瞬時に現れたラヴィ。そのどちらも、ユーリアには反応できなかったのだ。
瞬間移動――のような何か。
人間ではない種族のアニムスはともかく、人間のラヴィが実現してはおかしい能力だ。
自分は何よりも早く、何者の攻撃も当たらない――その自負が揺らぎそうになるほどの異様な現象。彼らが本気になれば、本気で戦ったとして勝てるのかどうか、ユーリアには分からなかったのだ。
「まぁまぁ、それもいいじゃん」
「良くない」
納得できずもやもやとした疑問がいくつも消化不良のようにくすぶっているが、まるで手ごたえを感じない様子に追及する気もうせてしまう。はぐらかされるままに、ユーリアは折れた。
「そんなことよりさ、二人は付き合ってるらしいじゃん」
「どこでそれを……?」
本当に何の脈絡もなくそう切り出したラヴィに、廉太郎もユーリアも頭を悩ませてしまった。「早いですねー、噂が広まるのは」と、クリスだけが状況を楽しんでいる。
広まるも何も、まだ一日も立っていない。ルートヴィヒとロゼ、アイヴィの間でぐらいでしか共有していない嘘。にもかかわらず、公然の事実かのように知られてしまっている。
一緒にいる言い分としての嘘なのだから、知られても構わないことではあるが、これからしばらく一緒にいるのかと思うと気苦労が想像できて、気が――
「だからちょっと、ここでキスしてみてよ」
「ふざけんな!?」
早々にかまされたラヴィの特大の問題発言に、まだそれほど親しくもないことも忘れ語気が荒くなってしまう。
だが、それに一番びっくりしたのはユーリアのようで、肩身の狭そうな様子で座席に縮こまっているのが見えた。
何か――反応か態度か、間違えてしまったのではないかと、冷水を浴びせられたように心臓が痛くなる。
「その、人前でできるわけないだろ……」
とっさに浮かんだ、当たり障りのない言葉。そもそも付き合っているということにしたいのであれば、嫌悪するかのように拒絶するのはおかしな話だ。
とりあえず丸くおさめようとした言葉に、ラヴィは空気も読まずに質問を重ねてくる。
「人前じゃないところでなら、もうした?」
「えぇと――」
正解が分からない問い。どうせすべて嘘になるのだから正解も何もないのだが、ついていい嘘とそうでない嘘があるのは確か――というより、そんなセンシティブな話なんて、でまかせだからこそ何も言いたくない。
「してないわ」ユーリアと目が合って、それで彼女は代わりに答えた。「私、誰にも触れないし……」
少しだけ言いにくそうに声を落とすと、ユーリアは目を閉じ、一呼吸を空けて言葉を続ける。
「そもそも、付き合ってるのは形だけで……私に恋愛感情なんて分からないから」
「分からない?」
「そういう感情、生まれてくれないのよ」
「それは――まだ知らないってだけじゃないの?」
ラヴィの指摘に――おそらく多くの人がするであろう指摘に、ユーリアは答えられなかった。飲み込むように、目を閉じたまま反応を返さない。
――だが、きっとそれは違うのだろうと、廉太郎は思った。
ユーリアがどれだけ他人と違う感性を持っているのか、生きている世界が違うのかを知っているから。
それに、恋愛感情なんて結局本人にしか分かりはしないのだから、本人が生まれないと言うのであればそれが正しい。
――他人がどうこう言うことではないし、言えるはずがない。
「別に、性嫌悪はないんですよね?」と、興味深そうにクリスが問う。
「そうだけど……自分がその中に入るなんて、どうしても想像できないのよ」
無性愛。
他人に恋愛感情を抱かず、性欲を持たない。友情や家族として人を愛することはあるけれど、恋愛という心の動きを持たない人たち。
きっと、それほど珍しいことでも、大騒ぎすることでもない。話題として取り上げるにも、血液型程度の意味しか持たないことのはずだ。
それでも――
「ふーん。それは可哀そうだね」
ラヴィは言う、当たり前のように。
悪意はない。
それでも、人々にとって恋愛があまりに当たり前なものだから。奇異の目で見られるし、憐れまれるし、治療すべき異常として扱われる。
それは無理もない考え方だと思うし、少なからず廉太郎にもある感情だ。
しかし――
「そんなことはないよ、ラヴィ」
それはユーリアの落ち度でも、欠陥でもない。それなのに――彼女だけが肩身の狭い思いで生きなければならないのは、不公平だと思った。
「当たり前の価値観なんて、多数派ってだけで意味はないんだ。自然にそうなるのなら、ユーリアが自然にそうなったのも……それと変わらないだろう」
恋愛感情を持たないからといって不幸なわけでも、つらいわけでも、可哀そうなわけでもない。不憫なのは、そのことで周りから受ける圧力だけだ。
「そうだね。ごめん、無神経なことを言ったかな」
「い、いえ……別に」
ユーリアはむしろ、こんなことで謝罪されたことが気まずい様子だった。ラヴィと目を合わせる合間、ちらちらと視線を廉太郎に飛ばしてくる。それが気になった。
もしや気に障ったのだろうか、過剰に意識した発言に思われただろうか――そう思うと、途端に怖くて不安になる。
「でも私が言いたかったのは、廉太郎の方もそうなんだけどね」
「俺――?」
そんなラヴィの言葉に、心当たりが何もない。可哀そうなのはお前だ――などと言われても、現状的にも文脈的にもまったく当てはまることがなかった。
「君は普通に――一般的に好きなのに、それでも何もできないのは辛いんだろうなって」
「――なんだ、そんなことか」
肩透かしを食らって、廉太郎は笑った。
みんなずいぶん、繊細なことを気にするものだな――と。
かつてユーリアも、同じことを言っていた。
――気持ちも何も返せない自分に恋をさせてしまったら、その相手に酷だ、と。
「だとしても、本当に好きなら構わないんじゃないかな?」言いながら想像してみる。「つらいって思うより、幸せだって思えるんだろうから」
するとそれは、ものすごく簡単なことのように思えた。
ユーリアのことが好きなわけでも、付き合っているわけでもないのだから、仮定の話にはなるけれど。仮定の話だからこそ、勝手なことが言えているだけなのかもしれないけれど。
不思議と、そうであってほしいと心から思える。
「ありがと」
と――
「あ」
「ふふっ……」
ユーリアと、目が合った。
機嫌がよさそうに、いつも通りに笑う彼女を見て、今までの発言すべてが照れくさくなって仕方なくなる。
それも、こう反応を返されてしまうと――まるで本当にそういう関係で、自分も本気で本心を言ったかのようなシチュエーションに思えて、まともに誰の顔も見れそうにない。
「何かいいね、今の。恋人っぽくて」
映画のシーンに感想を漏らすかのように、ラヴィがどことなく口を挟む。笑いをこらえるクリスに、軽い調子で「この二人、いつもこんな距離感なの?」と尋ねていた。
「そうですね、こんな距離感でいちゃついてます」
「いちゃついてな――」
反射的に訂正しようとして、ラヴィの前で嘘を台無しにするわけにはいかないと思いとどまる。
やりづらいどころの話ではない。
アイヴィ、クリスに続いてこのラヴィ――やはりというか何というか、女性は恋愛ごとに探りを入れずにいられないのだろうか。
複雑な気持ちで、ラヴィの表情を伺う。
「――まぁ、嘘なのはもう知ってるんだけどね」
と――
けろりとした顔で、何でもないかのように言い放たれてしまった。
「だから何で?!」
「なんだったの、今のやり取り……」
言葉とは裏腹に、ユーリアの表情は満更でもなさそうに晴れやかだった。状況が妙で、面白くて――それで笑っているのだろうと思いたかった。