第二十六話 四日ぶりの指令
娵府廉太郎について――そう切り出すルートヴィヒに、ユーリアは何も悟られぬよう素知らぬ顔で聞き返す。
「彼がどうかした?」
この講堂での発言には、どうしたって相応の意図が含まれる。わざわざこんな暗く無機質な地下で集会しているのだ。決まって取り上げられる話は、外部に漏らせない機密事項や直接下されるような密命。
人の些細な交友関係について、雑談に及ぶなどありえない。
「ユーリア、ロゼ。君たちは二人とも、彼と交流を続けているだろう?」
――不穏、不安。
たまったものではない。
「その中で、気づいたことがあれば話してほしい」
「別にいいけど……」
当然、当たり障りのない事しか話す気はない。
廉太郎の世界の事情など、この男にだけは知られたくなかった。
彼の存在も、その魂も――おそらく希少性が高い。
それが知られれば、どんな扱いを受けるか保証できない。そこでルートヴィヒが何をするかまでは推測できないが、どうせろくなことではないだろう。
「あなたが知りたがるような話は特にないわよ。ロゼは?」
「――えぇと。私も、特に思いつかないかなぁ」
察してくれたのか、軽く視線を送ったロゼもしらばっくれる方向へと同調してくれていた。いつもこうして誰かの味方をしてくれる彼女を思うと、頭があがらない――人が良すぎて、とぼけ方までぎこちなくなっているけれど。
「そうか」
ルートヴィヒは、その表情すら動かそうとしない。
何を考えているのか、二人の答えに納得しているのかどうかさえ、読み取ることはできない。
だが、廉太郎に興味を示したという時点で何かに勘づいていることは確か。この程度で追及が終わるとは到底思えそうにない。
「ならばユーリア。そもそもが、君が彼にそこまで肩入れする理由はなんだ?」
「肩入れ?」
「人間嫌いの君が、彼を傍においている現状は奇妙でしかない。特別な事情でもない限り」
「あぁ、付き合ってるのよ」
だからここまで言っていい――たぶん。
「そのうち結婚するかも」
どうせ嘘をつくのなら、大きいほうがうやむやにできる。そもそも人間関係なんて刻一刻と変化してしまうもの。後でボロが出たとしても『あの時はそうだった』で押し通せる。
とっさに思いついたにしては、なかなか、もっともらしい口実ではなかろうか。
「それこそおかしいな。君にそんな機能などないはずだが」
「う、うるさい――」
別に、劣等感など何もない。だが嫌いな相手に、それも欠陥のように触れられて平気でいられる部分でもなかった。
つい言い返そうとして、焦るロゼが目にとまった。
「――ただ、廉太郎から迫られただけよ。正直困ってしまったのだけれど……ロゼが」
「えっ? あ、あぁ……私が相談に乗ってやったんだ。それで『とりあえず一緒に住んでみれば?』って言ったんだよ、確かね」
とっさに求められた助けにも関わらず、ロゼは的確にそれらしい言葉を並べたてる。
さすが長い付き合いだ。何も言わずともこちらの意をくんでくれる友人。アイコンタクトもしていないのに。
「そうか」
またも返ってきた同じ言葉に、とりあえず疑問は躱せたことを安堵する。
ユーリア一人では、さすがにこうまで上手く運べなかった。
付き合わせたロゼには後で礼を言うとして、好き勝手言ってしまった廉太郎にも頭を下げなければならない。
気に障らないといいのだが――
「彼は何かを望んでいないか?」
廉太郎に関する質問は終わらない。まだ疑いが、興味があるというのか。それも望みなどに、なぜ――
「さぁ?」
「強いて言えば、この子じゃないか?」
これまでの話を補強するようにロゼはそう言うが、もちろんそんな事実はない。
廉太郎の望みは、元の世界に帰ることだ。
そしてそれは、ユーリアの望みでもある。
仮に自分が彼の立場だったことを想像すると、胸が張り裂けそうになる。だからこそ家族や友人の元へ、どうしても返してやりたいと思うのだ。
その繋がり以上に大切なものが、この世にあるとは思えないから。
「普段の態度、思想や言動に強い違和感を覚えることは?」
続く不躾な問いに反感すら覚えて、ユーリアはすぐに答えた。
「ないわよ」
「そうか。ならばもういい。彼への興味はなくなった」
あからさまに、ロゼがほっと胸をなでおろしていた。そんな様子に、なんだか申し訳ないことをさせた気がして心が痛む。
「では次、ユーリアには一つの指令を出す」
いやにあっさりと廉太郎の話が済んだ以上、おそらく本命はそちらの方。
自身への指令に、知れず身構える。
「――ベリル・サーティスの殺害だ」
「そう……」
ベリル――四日前、あの洞窟で自分を背中から刺し貫いた同僚。裏切者の名。
それを聞いても、特に驚くことはなかった。いずれ話がくると分かっていたことだし、決着は自らつけなければならないとも思っていた。
「四日前、君は彼と共に工作員殺害の任務についた。それ自体は達成したが、何ゆえかベリルは私の機関から離脱し、姿を消し続けている」
ベリルが居なくなったのも、仲間に刃を向けたのも、全てはユーリアの失態が原因。
二人が任務より優先して守りたかった、敵の娘――トリカ。ユーリアがその命を奪ってしまったからこそ、彼は激昂してそんな凶行に及んだのだ。
無理もないし、恨みもない。
自分が彼の立場でも、きっと同じことをしただろうから。
「でも、ついに見つかってしまったのね……」
そのまま、見つからないほど遠くへ逃げてしまえばよかったのに。
「ここより西にある町――瘴気エリア外にてベリルの姿を発見したとの報告が、現地の職員から届いている」
「あの馬鹿――」
機関の手が届いているような近場に、未だとどまっているなんて。
ならば、ユーリアがどう思おうとも、町の魔術師としての責務は果たさなければならない。
「そこへ行き、速やかに命を絶つように」
「分かったわ」
立場上、そう答えることしかできない。いくらつっぱっていようとも、結局、命令に背くことなどできはしない。上下関係――主従関係は絶対であり、そこをはき違えるつもりはユーリアにもない。
――だがこの一件に関しては元から一つ、考えていることがあった。
自分もルートヴィヒも、それからベリルも。みなが納得できる道は、すでに用意してある。
だからこそ、そこまで悲観するような任務ではない。
自分は平気で、辛くはない――
そんな甘い考えは、すぐに消し飛ばされることになる。
「それから、彼が持ち去ったトリカ・クラポットの死体の回収」
「な、に――?」
「できるね?」
命令への疑問など、湧いてはこなかった。
脳裏に浮かび上がるのは、ただ、鮮明に刻まれたおぞましい記憶の数々。
忘れもしない、洞窟での――
子供だから、ナイフは簡単に心臓まで沈んだ。間近で浴びた血は生暖かく、トリカの体は嘘のように冷たかった。
その直後に自身もベリルから致命傷を受けているが、まるで比にならないほど辛い心の傷。
あの子を、あの子の死体を再度――どうにかしなければならないなんて。
「ベリルが埋めたのならば掘り起こし、肉が残っていれば燃やしてくれ。骨は、原型が残らない程度に砕いてくれればいい」
「なんで……そんな――スパイの娘だから?」
「そうだ」
人の気持ちも倫理観も、何も配慮していないことを除けば、ルートヴィヒの言うことは間違っていない。
諜報員の所有物や肉体、近親者に至るまで、何らかの情報を残している可能性は捨てきることができないからだ。
「大丈夫か……?」
「う、うん。ありがとう」
放心しかけたユーリアを、彼女以上に悲痛な面持ちでロゼが気づかって見せる。
それだけで、あとほんの少しだけの気力なら、どうにか保てそうだった。
「明朝、準備ができ次第向かうように」
――――
夕方――
自宅に戻ったユーリアを出迎えながら、廉太郎は戸惑っていた。
「お、おかえり……」
どうにも様子がおかしい。見るからに不機嫌というか、何かに対して苛立っているようで、気が気じゃない。
今日は友人のクラヴィーノのお見舞いに行ったという話なのに、この様子では何かよからぬことがあったとしか――
「慰めて」
「え?」
「今日、立て続けに腹立たしいことが続いたのよ。やってられないわ」
物にあたるユーリアを初めて見た。扉は乱暴に閉めてしまったし、靴も投げ捨てるように脱ぎ散らかしている。
言葉通り、相当『やってられない』らしい。
「だから、早く慰めてよ」
「ごめん、ハードルが見えないくらい高い」
人の慰め方なんて大体パターン化しているのだろうが、この場合求められるのは宥め方のような気がする。
どちらにせよ、相手に踏み込むだけの勇気がだいぶ必要になる行為。
特に、ユーリアの過去を聞かされたばかりだ。軽はずみな言葉など、何も言えそうになかった。
「ねぇ早く。ロゼはまだあいつと話してるし、誰にも愚痴が言えなくてすっきりしないままなんだから」
「え、えっと……」
そもそも、何に対して苛ついているのか分からないのでは慰めようがない。ロゼが出てくるのだから、おそらく仕事関係で何か嫌なことがあったのだろうが。
「情けないですねぇ。どうせ何言ったって変わらないんですから、適当に優しくしてあげればいいんですよ」
などと、クリスは手当たり次第に異性に手を出す男のように他人事でいるけれど、その『適当』にだって相手に合わせた程度というものがあるはずなのだ。
最大限見せられる、見せても許される――そんな優しさなど。
「その、愚痴でよければいくらでも聞いてあげられるっていうか――」
この程度しか、今のところはない。
今日ユーリアをざわつかせた何かにも、それ以前の悲しい出来事に対しても。
ただ友人として、傍で耳を傾けてやる以外の事は何もできない。
「ありがとう、もういいわ」
「愚痴はいいの?」
「えぇ、これ以上困らせたら悪いしね」
ユーリアはもう、それで普段通りの笑顔に戻っている。直前までのことを思えば、それが表面上のことだとは明らか。
「別に、愚痴くらいで困ったりしないけど」
口にしてから、そのくらいには頼られたかったことに気付いた。力になりたかったことは本心だけど、それではかなりの割合でエゴが絡んでしまっている。
これだから、相手に踏み込むというのは容易ではないのだ――そう思い始めたころに、とんでもない発言がユーリアの口から飛び出すことになった。
「そうだ。私たち、付き合ってることにしておいたから」
「ほんとに何があったんだ、今日――?!」
もしやと思うが、それが不機嫌でいる理由――だとしたらまったく他意はないのだが、少なからずだいぶショックを受けてしまいそうだ。
ユーリアにとっては他の男性すべてがそういう対象にならないのだから、それを厭うことに特別な意味だってないはずで――仮に、彼女が通常の異性感情の元に付き合うことを嫌がったとしても、だからといって廉太郎が彼女を異性として意識しているからショックを受けるのではない。
単に、一般論として、不可抗力的・無意識的に気落ちしそうになるというだけのことで――
「だから、口裏を合わせてくれると助かるわ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
意味も解らず複雑な気分で固まった廉太郎をおいて、ここぞとばかりにクリスが割り込みを見せる。
「え、うやむやに流さないでほしいんですけど、つまり、恋人同士になる――なったってことですか?」
「違うわ、言い訳よ。私の家にいてもうるさいことを言われないための」
「そ、そうですか……」
クリスは何とも言えない表情だが、廉太郎はおぼろげに事情を察することができた。
驚かされたが、『うるさいこと』でも言われたのだろう。こうして居候を続けている身としては、何とも肩身の狭く申し訳ない思いである。
そんな廉太郎に、なぜかユーリアは心から済まなそうに眉を寄せ、頭を下げてしまった。
「ごめんねさい廉太郎。仕方なかったとはいえ、勝手に――気に障ったりしないかしら?」
「いや、俺より君のほうが……そこまで嫌な気分にさせたくらいだし」
「ん、何のこと?」
とりあえずユーリアが味わった『やってられないこと』に含まれないことだったようで、ひとまずほっとしてしまう――あくまで、人として。
確かにもう長いことユーリアの家に、異性の家にとどまり続けている。不審に思われても、その仲を疑われてもしかたない。
ならばもう、そういう仲だと言ってしまうべき頃合いなのだろう。
しかし――
「でも、そういう目で見られるってことだけど――君は嫌じゃない?」
「私は平気だけど、あなたには我慢してもらわないと……」
「我慢?」
何か我慢しなければならないことなど、これといって思い浮かばない。
元から他に人間関係などないのだから、廉太郎の方は誰に何を思われることもないはずなのだが――
「ちょっと! さっきから聞き捨てならないこと言ってない!?」
慌ただしく、奥の方からアイヴィが走り寄ってくるのが見える。
――あぁ確かに、少しくらいは面倒な話が続きそうだ。
そんな彼女を見て、廉太郎は困ったように笑った。