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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第二十三話 『ユーリア・ヴァイス』

 昼食を取る廉太郎れんたろうたちと時を同じくして、ユーリアは訪れた友人のところでくつろいでいた。

 ――ラックブリック郊外、第二種共同墓地。

 その管理が、クラヴィーノにあてがわれた仕事である。

 似たような他の魔人種の子供たちにも、ユーリアによって同じ役割が与えられている。

 彼らの能力と、町の人間との緊張関係、生活スタイル――それらを合わせて考慮すると、我ながらベストな裁量であるように思う。

 死霊術によって供養は完璧に保証されているし、町の人間たちともつかず離れずの距離を保ちつつ共生が可能。人間と他種族との墓地さえ分けてしまえば、こちらに立ち寄る人間などそうはいなくなる。


「本当に……もう痛いところはないのね?」


 その自室へと見舞いに訪れたユーリアは、何度目になるか分からない問いをくり返していた。

 そのたびに片目しかない顔をほころばせ、魔人の子は答える。


「はい! おかげさまですね」


 無理をしているようには見えないし、嘘を言える子でもない。だが、その姿が痛ましいだけに、どうしても健気に思えてしかたなくなる。

 先日下劣な人間に暴行を受けた、ユーリアの友だち。

 小さい体には丁寧に包帯が巻かれ、全身が医薬品のきつい匂いを放っている。

 腕が数本、まだ動かせないでいるらしい。


「あぁ、よかった……生きていてくれて」


 子どもをあやすように、そっと頭を撫でた。

 クラヴィーノも親に甘えるかのように、目を閉じ、身も心も委ねきってくる。

 向けられた親愛ごと包み返すように、ユーリアは小さな体を抱きかかえる。

 その様子を一目見たときから胸がたまらなくなってしまい、そうせずにはいられなかったのだ。

 いかに接触を忌避していようとも、辛い目にあった相手に寄り添ってやりたいと思わないはずがない。

 こうして誰かが慰さめてやらねば不公平だと思ったし、誰かに任せるつもりは少しもない。


「やわらかくてあったかいです……」

「あらそう? 私脂肪少ないんだけど、それならよかったわ」


 こうして胸の内に抱いていると、本当に母親にでもなったような気持ちになって、こそばゆい。

 体格差というより、種族的な骨格の違いがある。怪我をさせないように抱いてやるのが、意外と難しかった。

 それに、ユーリアにとってこれは試練。

 がんばって涼しい顔を保ってはいるものの、その実、や汗と動悸が止まりそうにない。

 他者と共有できる感覚だとは思わないが、生きたまま精神も肉体も切り刻まれているような嫌悪感だ――とても悲しいことに。

 

「ふふ……」


 だが、こうして赤子のように安らいでくれるのであれば、身を削るだけの意味は充分以上にある。


「おもしろい音がします」

「心臓よ」


 少し早くなっている。「私が生きている音」と、ごまかすように言った。


「それでは――」


 不意に、ノックもなしにドアが開いた。

 顔を向けるとユーリアの膝ほどまでにしか背丈のない、小さな子供が部屋に飛び込んでくる。その子は「ユーリアさん――」と急用でもあるのか慌てふためいていたが、本当に珍しいスキンシップを受けている仲間の姿を見るや否や、触手のような指を差し、拗ねたように大声を上げた。


「あーずるい!」

「あぁ、もう……一人も二人も変わらないから、ほらおいで」

「やったー」


 床を這いずって足元にすり寄ってくるその頭を、同じようにそっと撫でてやる。

 なんだか体が忙しい。


「えぇと、何か用事があったんじゃない?」

「あっそうだ――」


 撫でられて満足そうに緩んでいたその表情が、良くないことでも思い出したように曇っていく。

 その様子に、ユーリアは妙な胸騒ぎを覚えた。


「人間が来たよ」






――――







「しかしお前、あいつのどこがいいんだ?」


 悪意もなく単に好奇心から、ローガンが廉太郎にそんなことを問う。

 ロゼとローガンが同棲している話から、廉太郎がユーリアの家に居候していることに話が及び、それなら男女関係があってしかるべきだろうと当然のように邪推されて、そんな問いへと至ったのだった。


「で、ですから世話になっているというだけで、別に――」

「女の家に転がりこんどいてそれはねぇよ」

「そうだね、少しくらいは意識しているはずさ」


 ――なぜこの二人は、これほど不器用に自分自身の頬を殴れるのだろう。

 しかし彼らの有様を知って、同じ家に暮らす男女がどういう目で見られるのか客観視する羽目にもなった。何を弁明しても照れ隠しにしか聞こえないのだろうし、諦めて好きに言わせておくほかない。


「つうかよ、あいつもよくお前を受け入れたよな」

 

 家に住まわせてくれているユーリアを指して、ローガンが言う。

 確かに仲のいい相手以外には――とりわけ人間相手には――拒絶的なユーリアのことだ。それが新顔の廉太郎に心を許しているのだから、妙に思われても仕方がないだろう。

 ローガンにはその辺りの事情、廉太郎が別世界の人間であることは伝えていない。


「あいつの人間への恨みは、そう軽くねぇはずなんだが」

「恨み……?」


 嫌悪感ではなく、恨み。

 それは実際に何か、実害を受けていなければ出てこない話である。

 てっきり人間の他種族に対する敵意と悪意が強すぎて、それを快く思っていないだけだと思っていたのだが――妖精種、エルフのアイヴィが母親なのもあり、思うところがあるのだろうと。


「君もさ、あの家で過ごしているなら薄々気づいてるんじゃないか?」ロゼが問う。 

「心あたりは……ありますけど」


 あの家には、かつて住んでいた誰かの名残が無数にある。

 普通に考えれば、その誰かはユーリアの家族なのだろう。

 それでいて、姿が見えない理由については一言も触れてこない。家を空けているだとか、亡くなってしまっただとか――そんな事情について、ユーリアもアイヴィも口を閉ざしている。


「聞くのも、なんだか悪い気がして――」

「いや、知っておきなよ。長い付き合いになるかもしれないんだし」


 ためらうことなく、ロゼは言った。


「三年前に、私たちはあの子の家族を奪ったんだ」






――――







 統歴一八三三年――今から十八年前に、ユーリアはここラックブリックより遠く、西方の地にて生を受けた。

 この町がかつて属し、瘴気に飲まれた今ではほぼ隣国のごとくに隔絶した、人間たちの国。

 その首都にある比較的裕福な家庭の、何不自由ない一人娘だった――はずである。

 生まれもって与えられた親の姓を、ユーリアはもう覚えていない。

 それほどまでに思い入れのない血の繋がり。自ら捨てたことへの未練すら、今日まで覚えたことがない。

 実の家族を家族として認識できたことも、そのように扱われた覚えもなかったから。


「ごめんなさい、おかあさん……」

「わけの分からないことばかり、少しは人間らしくしたら――?」



 数えきれないほどの特異性を持って生まれたユーリアは、母親にさえ受け入れられなかった。

 料理を作っても服を買い与えても、そのほとんどを拒絶する娘。触れれば泣き出し、家の外さえ極度に怖がるような子供。

 理解者は誰もおらず、話し相手さえもできなかった。

 ユーリアはすぐに心を閉ざし、周囲の誰もが彼女を煙たがった。

 ――しつけも教育も、矯正も不可能。

 母親は早々に見切りをつけ、嫌悪と畏怖を娘に向けた。

 父親は、そんな娘への無関心を貫いた。

 

「あの、おとうさ――」

「部屋にいなさい」


 この世、この時代において、彼らの娘に対する対応はなんら特別なものではない。

 人の輪をはみ出した存在は、人間に達していない不純物。

 その事実の前には血のつながりなど意味を持たず、情など向けることこそが異常。

 人間以外の知性体など、その存在さえ認めない。ゆえに我が子の命を奪ったとして、咎める者はだれもない。

 ――むしろ、称賛さえされる。


 考えるまでもなく、議論するまでもなく、それが常識であり共通認識。

 だからこそ、そんな状態だろうとも十年近くユーリアが生きていられた事実は、驚愕に値する異常事態でさえあるのだ。

 ――親としてのわずかな良心か。

 ――そんな異常な子供を産み落とした事実など、認めたくもないという意地なのか。

 どちらにせよ、いつまでも続くはずのない命であったことは間違いない。


「きっともうすぐ、君は処分されるだろう」


 ある日唐突に現れたその男は、酷い警戒心を見せるユーリアにそう告げた。

 子供ながらにユーリアは、それが見当違いな予言ではないことを理解する。ただ、ようやくそのときが来たのかと、ぼんやりとした心で思うだけだった。

 だからこそ、見ず知らずの不審な男を、すんなりと受け入れてしまったのだ。

 ルートヴィヒ・フリードと、その男は名乗った。 


「へんな、名前――」

「もの凄く、遠いところから来たんだよ」


 生きていたいと思えるほど幸せな人生ではなかったけれど、男の言う『遠いところ』に興味を持った。そこでなら生きているだけで苦しい思いをしなくていいかもしれないし、こんな自分でも受け入れてもらえるかもしれないと、そう思った。

 ルートヴィヒに連れられて、ユーリアはその日のうちに家を出た。

 何も悲しくなくて、少しも寂しいと思えなかった。そのことが、とても辛かったのを覚えている。


「怖がることはない。君のように、人の世では生きられない者の町だから」


 ラックブリックに移り住んでからの人生は、それまでのユーリアにとって信じられないほど幸福なものへと変わった。

 ユーリアの特異性はその町でも際立っていたが、そのことで色眼鏡をかける者は誰もいない。

 元から迫害思想が芽生えなかったユーリアにとっても、外の人間たちより遥かに親しみやすい多種多様な住民たち。

 すぐに、一人のエルフが保護者として名乗りを上げる。彼女――アイヴィには、同じ家で暮らす家族がいた。彼女とその一家には血縁こそないものの、本物以上の絆があった。

 アイヴィの幼馴染であるシルビアと、その夫オルディナ。そして、その夫妻の一人息子。

 そのヴァイス家の一員として、ユーリアは暖かく迎え入れられたのだ。


「よろしくね、ユーリアちゃん」

「すぐには馴染めないだろうけど、今日からきみはうちの子だよ」


 彼らはみなユーリアの特性に理解を示し、合わせようと努力してくれた。

 瞬く間にユーリアも心を開き、生まれて初めて得た幸せを心から喜んだ。 

 家族愛を知った。

 友情を知った。

 そんなユーリアが、大好きなこの町の役に立とうと魔術師をこころざすようになるのも、自然な流れだったと言える。

 生きづらさを克服するために、五感制御などの魔術を会得する必要があったのは確かだが、根底にあったのは利他的な想い。

 この町に対する感謝と、確かな愛があったのだ。


 ――しかし今、ユーリア・ヴァイスはこの町の人間を憎んでいる。

 

 三年前のある日、オルディナ・ヴァイスは殺された。

 悲しむ暇もなかった。

 その犯人に挙げられたのは、あろうことか妻のシルビアであったから。

 実子ともども罪を問われ、町から追放されることとなる。

 それが有り得ないことは、ユーリアには疑いようもなく分かっていた。

 だから、ユーリアは必死に訴えた。何かの間違いだと。私たち家族の仲の良さを、知らないわけではないだろうと。


「どうして……どうして誰も守ってくれないの?! お願いだから――」


 あれほどなりふり構わず感情的になったことはない。人々に訴え、上司に懇願し、理解ある者に泣きついた。

 そのときに見た彼らの顔は、今でも忘れることができない。

 これまで見せていた顔が嘘だったように、敵だとしか思えないような顔。

 あれこれ動いてみたけれど、そのときのユーリアにはまだ、権力なんて何もなかった。それどころか、アイヴィにまで罪が及ぶことを示唆されて――つまり脅迫されて、結局なにもできなくなってしまった。


「そんな……」


 大好きな母親と弟は、この町から遠く離れた奥地へと追いやられた。本来、生き物の住める場所でなくなった瘴土だ。町の機能と庇護なしに生きていくことは、絶対にできない。


 ――それは、事実上の処刑に等しい。


 何もかもが終わった後、ユーリアは一連の事情を知ることになる。

 その後には、失望と怒りしか残らなかった。

 ヴァイス夫妻は、人間と妖精の異種族間夫婦である。

 その間にできた子供は、混血のハーフエルフ。

 この町においても、人間と他の人種族との交わりは非常に稀有。暗黙の内に、タブー視さえされているような関係。

 特に混血は、人間にとって自分たちの優位性が脅かされかねないと、無意識レベルで抵抗感を覚えるような存在だった。

 

 ――つまり、そういうこと。

 

 要は、悪目立ちしていた存在が目障りだったというだけ。ちょうど都合のいい事件が起きだから、言いがかりをつけるように罪をなすりつけたというだけ。

 外と何も変わらない差別思想、異端分子は排除される。

 しかし――

 それだけなら、こんなおとしいれられるような事態にはまだ、ならなかったかもしれない。

 だがシルビアには、妖精種の代表としてこの町の政治に参加しているという顔もあった。それも長い年月。一定数の敵を抱えていたことは、容易に想像できる。

 結局、オルディナを殺した真犯人も、その動機も分かっていない。だが、仮に家族を陥れる道具として殺されたのだとしたら――

 それほど酷い話があるだろうか。

 許せない話があるだろうか。


「……ふざけないでよ、これ以上」


 人は理解できないものを恐怖し、排除したがる生き物だ。

 それは仕方がない。

 だが、それならば、ユーリアにとってはこの世の人間全てが理解のできない敵となる。

 誰も彼もがどうしようもなく、まともな奴など一人もいまい。

 特にこの町の人間は、ユーリアに残されたアイヴィや他種族の友人を脅かしかねない身近な敵であり、殺された家族の仇でもあるのだから。


 ――以上が、ユーリア・ヴァイスがこの町の人間を親の仇として憎む理由の全てである。





 そして今――

 ユーリアは、クラヴィーノと歓談していたこの墓地にやってきた人間の男を地に倒し、その頭部を踏みしめていた。

 靴越しとはいえ、これも人体接触。しかし、そんな抵抗感は怒りのあまり麻痺している。

 廉太郎たちから聞いていた通りの見てくれ。被害者本人であるクラヴィーノの反応。それに、直接尋ねた本人が自白する通り――

 この男こそが、先日ユーリアの大事な友人――クラヴィーノを死ぬ寸前にまで痛めつけた犯人で間違いがない。

 抜こうとする前に、すでにナイフは握られていた。




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