第二十二話 三者三様
「俺はお前になんか惚れてねぇ」
ロゼが言い放った『私に惚れない男はいない』という宣言に対し、ローガンは断固としてその枠に括られることを嫌がった。しかし「俺を一緒くたにするな」とは言うものの、別にロゼの容姿に対してケチをつけている風でもない。
適切な自己評価なのか過剰なナルシズムなのか、ぎりぎり判断に困る冗談。それを軽く流せない態度では、かえって意識しているようにも見えてしまう。それも露骨にだ。
分かりやすく、ロゼからからかうような言葉を投げられてしまっていた。
「子供じゃないんだからさ、意地を張るなよ」
「張ってねぇよどうでもいい」
気づいていないのは本人だけなのか、ローガンの声色だけは本当に興味がないかのよう。ロゼはそんな反応を憎からず思っているようで、からかうように笑っている。
「女に興味ない顔してる男、痛々しいですよ? いい歳して……廉太郎でもかなりきついのに」
などと会話に混ざりつつ、クリスが廉太郎に視線をよこした。言いたいことがあるようだが、廉太郎に指摘されるような心当たりは何もない。
「何か言ったか、おい」
柄こそ悪いが、ユーリアへの対応を見るにかなり年下の態度に寛容な男だ。それでもさすがに男性としての部分に触れられるのは看過できないようで、鋭い視線がクリスを射抜いた。
だが――
「――なんだ、その……奇天烈な体は」
目を向けて、そこで初めてクリスの異様さに気づいたのだろう。奇妙なものを見たかのように、目を見開いて凝視している。
「おい」
ローガンの呟きに対し、冷ややかな視線をロゼが向けた。常に柔和でいる彼女にしては、かなり珍しい表情であると言える。
「あぁ、いや……他意はねぇけど、別に」
「構いませんよ、見世物なので。反応が面白いから隠してないぐらいです」
クリスは気まずそうな相手など意に介すこともなく、注目を浴びた自慢のアクセサリーかのごとく肉体の損傷を見せびらかしている。
しかし、ローガンの気まずそうな態度はロゼにこそ向いていたようで――
「あ? お前に謝ったわけじゃ――っつうか何者だよ、お前」
「ただの人形ですよ」
「嘘つけ。がらくたに雑談ができるかよ」
ついで、普通に喋り出したクリスを不審そうに眺めている。ロゼもまた「珍しい子だね」と、驚いたように体のあちこちに目を向けていた。
しかし二人とも、ユーリアやアイヴィほどまでには驚きもせず、受け入れがたいといった様子も見せようとしない。
「何が起こってもおかしくねぇ世の中だ。いちいち驚いてたらきりがねぇよ」
感性が柔軟なのか、あるいは関心が薄いのだろう。
どうあれ、クリスに自我あるということを理解をしてくれるのであれば、話も早い。元々紹介するつもりでいたし、そうしなければならない事情が廉太郎にはあった。
「ロゼさん。こいつの――クリスのことで、少し相談があるんですけど」
そこで、クリスにまつわる事情をロゼに話した。浮かび上がった問題点、あまりに不憫だと感じる、いくつかの事情を。
――身体の機能に制限を与える、両太ももと二の腕、喉元を抉る大きな欠損。魔力でその働きを代替しているが、走りまわれるほどの再現性がないこと。
――廉太郎からの魔力が届く範囲に制限があり、数メートル離れるだけで呼吸も歩行も厳しくなること。
――首元で失われた食道の一部を補う魔力の管。それを形成するために施された体内の魔術回路に不備があり、飲食物の経口摂取ができないこと。
「ふむ、以前はどうだったのかな?」
大まかにまとめれば、以上の三点。それに耳を傾けてくれたロゼは、聞き終わった後にそんな質問を返してきた。
「グライフの時とかさ」と尋ねられて、「同じでしたね」とクリスが答える。
「まぁ、距離制限だけはこれが初めてなんですが……」
そして、少しだけ気が滅入ったように笑う。態度にはそれほど出さないものの、やはりそれなりのストレスを感じていたのだろう。
そこで「えぇと、そうだね」と、ロゼがちらりと対面に顔を戻した。
「ローガン、ちょっと席を外して――二人のランチでも頼んできてくれよ」
「なんだって俺が……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ローガンの聞き分けは不気味なほどにいい。ロゼは席を立ち去る背中に視線を送り、声が届かなくなったのを確認すると――
「えい」
不意に、クリスの頭へとその手を乗せた。
「おっと」
「――あぁ、やっぱり魂はないんだね。でも脳はあるわけだし、どうにでも記憶は読み取れる」
戸惑うクリスを目線だけでなだめ、ロゼは一人呟いて考え込んでいる。
「あの、関係ないところは……」
「分かってるって。これで食ってるんだから」
ロゼは、他者の魂に触れるられる。その上で、心身と魂の抱える問題を解決する術を探すのが仕事だ。
廉太郎がそれに任せたときは、影響力の強い特殊な魂であるせいでロゼを傷つけてしまった。
ローガンが廉太郎を警戒する理由は、まさにその一点。不用意に接近させようとしないのも、正しい対応であると思う。
それにしても、クリスは廉太郎の魂と直結しているのだが――間接的に危険だったりしないのだろうか。
「――うん、だいたい事情は分かったよ」
そんな頼もしい答えが返ってくるまでに、そう時間はかからなかった。
ロゼは手を離すでもなく、ついでとばかりにクリスの頭を撫でながら話を踏み出していった。
「君たちにある距離的な制限は、接続時のイレギュラーが原因だ」
「どういうことです?」
廉太郎と違い、クリスの顔には心当たりがある。「あぁ、やはり――」と呟くその表情は、苦々しい記憶を引っ張り出しているかのよう。
「君がこの子と繋がったとき、グライフはまだ生きていた。つまり、グライフとこの子の繋がりはまだ切れていなかったんだ」
「じゃあ、クリスは魂を二重に繋げて……?」
それが可能なら、これまでの話の前提がおかしくなる。持ち主を殺さずとも、シェアを提案する選択肢だって生まれたのだ。だからこそのイレギュラーなのだろうが、理由が分からない。
「私の意思ではないですよ。びっくりしたんですから、あのときは」
「もちろん俺の意思でもないけど、そうか――」
あのとき――魂が繋がった実感を得た、その直前。
クリスは苦しんでいた。明らかな酸欠の症状。グライフからの魔力供給が何らかの理由で滞っていたのだと、今なら分かる。
きっと、死の危険を前に別の魔力源を求めたのだろう。だからこそ、すぐ隣にいた廉太郎と無意識の内に接続がなされたのだ。
必要にかられて、強制的に。
「『強制的』に生まれた、『共生的』な関係というわけですか……」
「お前、なんでちょっと日本語覚えてんの?」
しかも使いこなしている。
自分の記憶を覗かれて渋っていたくせに、他人の記録を漁ることに許可すら取ろうとしないらしい。
「グライフは身体も魂も弱っていたからね。そこでこの子の支配権を、ほとんど廉太郎君が奪ったんだ」
「支配権、ですか?」
自我のある人間として支配したいとも思わないものの、そんなことができているとは現状思えない関係だ。もちろん行動の自由を廉太郎に合わせる形で制限、支配している側面はあるのだが。
「制御と言い換えてもいい。ちなみにだけど、それが起きなかったらユーリアは死んでたよ」
さらりと放たれたその発言に、言葉も返せず凍り付いてしまう。
「グライフの魂の均衡を維持していたのはこの子だろうからね。その役割を停止させたからこそ、グライフは動けなくなったんだ」
そう言ってロゼは、微妙な顔をしたクリスの薄い空色の髪を乱すように、くしゃくしゃと撫でまわし続けている。
紙一重で起こり得た悲劇など、認めたくはない――だが、ロゼの発言が誤りであることもない。
町に帰ったユーリアを、ロゼは医務室に連れて行った。そのとき、魂から詳細を引き出していたはずだ。
今のクリスから得た情報と照らし合わせて、より正確な事態が把握できているはずなのだ。
「危ないことをさせたとは思っていましたけど、本当にぎりぎりで――」
ユーリアと合流したとき、彼女は魔力を完全に使い果たしていて、何も見えず逃げる力も残っていなかった。
相討ちになる形で、無力化したのだとばかり思っていた。
しかし、先ほどクリスから魔術師の知識を施された今ならわかる。近距離戦闘型のユーリアが、刃の通らない人外相手に勝てるはずがない。
「馬鹿だよあの子は。私も上に報告するべきかどうか、だいぶ悩んでしまったくらいさ」
「相性なんて、自分が一番分かってるだろうに……」
「それだけ好かれているんだね」
アイヴィが強く気を揉んでいた理由に、以前より強く共感できそうな気がすした。
友達として大事に思ってくれるのは嬉しいが、そのために自分の身を顧みないようではあまりに危うい。見ていて、気が気ではない。
「ははっ、こんなのを伝えたらもっと仲良くしてくれるかもね」
「話の分かる人だ」
人ごとのようにロゼとクリスはそう言うが、今さら鬼の首を取ったように手柄を主張する気にはならなかった。
ユーリアには感謝してもしきれないけれど、逆に感謝させてしまっては立つ瀬がない。
話を逸らすように。元に戻すように、廉太郎は切り出した。
「あの、距離制限の原因は分かりましたけど、これはどうにかなりますか?」
「――ごめんね。距離と手足はどうしようもない」
それは言いにくそうな、辛そうな表情だった。自分に告げられた病の話でもするかのように、ロゼは酷く落ち込んだ様子になってしまい、話を進めていく。
「人形との再接続はできないし、手足はすでにどうにかした上でその状態だ。十分、動いてはいるからね」
「それは、確かに――」
クリスの手足には普通の義肢以上の処置が施されている。日常生活にも、激しい運動が伴わなければ支障がない。
呼吸もできている。
栄養補給だって、できてはいるのだ。
「でも、ご飯だけは食べさせてやりたいな」
心があるのなら、楽しみも快楽も知っている。
人間にとって、食べ物を噛み、飲み込むという行為は他に代えられるものではない。
ロゼはそれを理解してくれているし、廉太郎もずっと気に病んでいたことだ。
「少しだけ待っていてくれ、クリスちゃん」
「べ、別に……その」
慈しむように、ロゼは置いたままの手で照れくさそうなままのクリスを撫で続けていた。
「おい――ッ!」
「ん?」
そこへ、血相を変えてローガンが戻ってくる。言いつけ通りその両手に、食事の乗った盆を抱えて。
「危なっかしいことするんじゃねぇよ! また倒れてぇのか――?!」
「あぁそうだった」
はっと気づいたように、ロゼがクリスの頭から手を離した。
廉太郎が危惧した通り、クリスからも廉太郎の魂がにじみ出しかねないのだ。そのくらいのことは当然、ローガンは考慮してくるだろう。
少しばつが悪いのか、騒ぎで集めた視線を気にするような表情を浮かべて、ロゼは目を細めるように詰問した。
「あのなぁ、過保護なのはいいけど、人前で恥かしいとか思わないのかよ?」
「な、何がだよ……?」
「自然に、俺の女だ――って感じ、出し過ぎなんだよな。お前はいつも」
ロゼは購入させた食事を受け取ると、隣の廉太郎とクリスへと配った。
しばらく唖然として立ち尽くしていたローガンは、やがて運んでいた物が消えたことに気付くと元の席に腰を下ろし、言った。
「馬鹿が、俺はお前になんか惚れてねぇよ」
「口癖のようにそう言うけどさ、好きでもないなら四六時中傍にいるものかな?」
そこに、何やら不思議と心に引っかかる言葉を捉えて、つい口を挟んでしまった。
「四六時中?」
「うん。一緒に住んでるからね」
「えっ」
――それって……つまり。
「えっ? それではやはり、付き合ってるってことじゃないですか?」
思ってもなかなか言える雰囲気ではなかったのに、クリスはためらうこともなく爆弾をぶちこんでいく。
すると。
「ちげぇよ」
大したことでもないかのように、ローガンは話した。
「知ってんだろ? こいつの魂は異形化一歩手前で、ぎりぎり保ってるような状態だ。そのくせ働きずめとくれば、仕事以外のことは楽させてやりたくなるだろうが」
「こいつな、本職かと思うくらい家事の手際がいいんだぜ? このなりで」
「は、はぁ――」
聞いている限り、ローガンが住み込みで身の回りの世話を焼いているようだ。しかし、それは一般に言う同棲と何が違うのだろうか――などと思わずにはいられない。
年頃の男女が一つ屋根の下で生活しているのだから、どうしたって互いに恋愛感情がなければ成り立たないだろうに。
「そろそろ素直になれよ。好きって言っちゃぇよ」
「言わせてぇんだろうが……俺に惚れてるのはお前の方だろう?」
「まさか」
――だんだんと、二人の関係性が見えてきたような気がした。
それはクリスも同じだったようで、呆れたような表情を浮かべながら二人へと話を振っていった。
「お二人とも、互いに好意はないと宣言するんですね。なのに、同棲はしているんですか?」
「そうだよ」
「えっと、では……お互いに異性を他で見つけてきたとしても、かまわないんですかね?」
シンプルながら、確信を突いた問い。
「――ふざけんな」
「――それはダメだよ」
その返しは一様に即答で、しかもその答えに伴う己の感情への自覚すらないかのよう。
興味深いような、触れてはいけないものに触れてしまったような。そんな奇妙な感覚で、とりあえず居心地が悪くてしかたなくなってしまう。
「目をそらさないでください。なあなあな好意をこじらせると、こうなるんですよきっと……」
何がどうなったら、ここまでこじれてしまうのだろう。
二人とも、二十代前半に見える。
中学生――いや、小学生ではないのだから、もう少し自分を客観視して何を言っているのか理解できなければおかしいというのに。
人間、歳を重ねたところで自然に恋愛感覚が身につくものではないのだなと、廉太郎は思った。