第二十一話 魂の強度
クリスは魔術師でもなければ、訓練を受けたわけでもない。それでも一つの射撃魔術を操れるのは、自力でそれを創り上げたからだと言う。
「いい調子ですよ。もうほとんど安定するようになりましたね」
「それはよかった。まぁ、俺自身は特に何をしているわけでもないんだけど」
先日車の上で放ったものと同じ射撃魔術。その訓練を続けて数時間がたった。
訓練といっても、廉太郎は先日同様に弾のない銃を握っているだけなのだが。
「言ったでしょう? 魂のない私には、廉太郎の意識的な手伝いが必要だと」
魔術の発動は全て、クリスが行う。廉太郎の仕事は、銃口を向けて引き金を引くこと。
――つまり、射線と発動タイミングの決定。
使用するのは廉太郎の魂であり、その意思の決定権は本人にしかない。
本来は人形の所有者が一人でこなす作業であるが、二人が共に特殊ケースであるために、このような逆転現象が起こりうる。
「魔術はその負担も強いって話だけど、疲れるとかは特にないな」
「素人では実感できないでしょう。リスク管理はしてますから、安心してください」
再び、廉太郎は銃を構えた。
何度か試したものの、結局、銃という補助道具がなければ魔術は発動できなかった。直線に飛ぶ攻撃が、それなくしては明確にイメージすることができないからだ。
標的、角度、銃口の位置、発動タイミング。
意思決定が定まらなければ、クリスがそれに同調することができない。
しかし――
「――ッ」
「また命中しましたね。撃ったのは私ですけど、狙ったのは廉太郎だ」
実際に引き金を引くことで、かなり高い精度での射撃が可能となる。
銃の役割はほぼ起動のスイッチでしかないので、反動がない。射線は完璧な直線を描き、落ちたり逸れたりすることもない。
だからこそ、素人でも実銃より遙かに当たる。
『染光』
人間の魔法に、『氷弾』と呼ばれ広く使われる遠距離攻撃がある。
形成した氷の弾丸に爆発的な推進力を与えるのは、特定の術式回路が刻み込まれた魔法陣――通称『仮想銃口』
それを宙に描き、弾を捉えることで、銃の発砲を再現する。
術式回路とは、魔力をエネルギーに様々な現象を促す文様。魔力は回路に沿って動き、魔力制御が自動化され、設計に即した魔法現象を引き起こす。
家具や車などの装置にも組み込まれるような、ありふれた技術である。
『染光』はその応用で、魔力を包む『仮想銃口』を多重展開することによって実現する。さながら狙撃銃のように長い『疑似銃身』と化すまで、薄い輪状の魔法陣を筒状に重ねていく。
その『銃身』の内部は特異点。この世の法則さえ超越する、一種の異空間。
そこでの魔力は、存在と干渉力が許される。
撃ち出されるのは一条の閃光。特異点から解放され消滅する前に敵を穿つ、この世と敵を蝕む歪な光。
純粋な魔力が物体としての質量を持たない以上、この一撃は光速度にまで迫る。
「もちろん、ユーリアさんは躱してきますけどね」
「えぇ……驚かされるなぁ、つくづくと」
クリスに『染光』の練習を迫られて数時間。その中で射程や威力のおおよそを理解したからこそ、ユーリアの戦闘力がますます現実離れしているのだと実感してしまう。
実際に戦う姿を目にしてはいたが、まさか光より速いとは――
「あの、物理学って知ってます?」
「忘れたほうがいいのかと思って」
この世界に来たことで、これまでの常識は崩壊している。
それらを知識に組み込めれば物理だって再成立するのだろうが、常識のアップグレートはそう簡単にできるものではない。
大前提として、光より速く動く物質は存在しえない。
「そもそも、狙わせてくれないという話です」
「銃弾はよけられないけど、銃口からは逃げられる、みたいな話か」
「まぁ、銃弾よりはずっと早く動いてくるんですけどね。ユーリアさんでなくとも」
「音速は超えてくるんだ……」
正直なところ、魔力を自在に操ったり染光を撃ったりするよりも、遥かに人間離れした能力だと感じてしまう。
クリスの『染光』より使い勝手のいい攻撃を複数使えるのだろうし、その上で音速で動き回られるとなると、魔術師の戦闘能力はほとんど化け物じみていることになる。
「ん、誤解がありますね。そんな風に速く動ける連中は、魔術師の中でも一握りですよ」
「あぁそう。まぁ、さすがになぁ――」
ユーリアのように、一部の実力者だけが使える魔術なのだろう。
「いえ、そもそも魔術師としての系統が違うんです」
「系統?」
「魔術師ははっきり、二種類に分けられるんですよ。オーソドックスな遠距離型と、ユーリアさんのような近距離型」
『染光』のような、いわば人間魔法の延長にあるような魔術を操る、遠距離戦闘型の魔術師と。
自己肉体の運動速度を跳ね上げて白兵戦をしかける、近距離戦闘型の魔術師。
「両者は一長一短。それぞれに魂を特化する必要があるせいで、お互いの真似はできない」
クリスは表情を崩して、遊びを持たせるように問いを出した。
「どっちが強いと思います?」
「ユーリアの方かな」
「即答ですね、正解です」
近距離型はその能力の全てが、遠距離型を殺すことにのみ特化している。
――移動速度。
――魔力使用の妨害。
それらをもって、反応も反撃もろくに許さず急所を潰す。魂を特化しているせいで魔法攻撃の手段を失ってはいるが、人一人を殺すのに派手な力は必要ない。
本来、音速を越えた体から繰り出される攻撃は、衝撃波を伴いながら地形を変える破壊力を生む。そうならないのは、己の体を守るために運動のエネルギーを捨てているからだ。
振るわれるのは人並みの斬撃。
だが首元に刃を向けるだけで、人は容易に殺せる。
「元々、対魔術師用の戦力ですからね。魔術師よりかは『首狩り』だとか、『魔術師殺し』だなんて呼ばれることが多いですかね、俗に」
大量虐殺と破壊力に秀でた遠距離型と、一対一での対人戦闘にのみ特化した近距離型。
戦闘になったとしてよりやっかいなのは、後者というわけである。
超越的な存在であるために、その数は遠距離型に比べて極端に少ない。その魔術に耐えうるだけの、魂の質と才能が求められるのだ。
「近距離型相手では、命乞いしかすることがありません」
「だから、戦う気なんて初めから起こしちゃだめなんだよ」
「まぁ、あくまで自衛手段ってことで」
どうあれ攻撃魔術を得たことで、一般人相手には恐れる必要がなくなった。
訓練を受けた人間でなければ、『染光』を防ぐ手段はない。
ラックブリックの住人相手でも、大多数に対して優位に立ったことになる。実感は、まるで湧いてこないのだが。
「お前があれほど訓練に誘ったのは、ちょっとの訓練で大きなアドバンテージが得られると分かってたからだったんだな」
「そうです」
「でもさぁ――魔術師でもないお前が、こんなことできちゃっていいわけ?」
大体、独学なんぞで魔術を生み出されていては社会秩序が崩壊する。
警察に隠れて、銃や爆弾でも作っているようなものだ。どうしてもそのような後ろめたさ、というよりいっそ危機感さえ覚えてしまうのだが――
「私は人間じゃないんで、法もルールも適用されません」
「じゃあ俺は怪しいじゃん!」
「ですから、あまり言いふらさないように」
「人のリスクに抵抗がないな……」
人権がないのを盾に、好き放題しているのではなかろうか。思い返せばだれも住んでないとはいえ、昨日は建物一つ全焼させているのだ。あれだって、一歩間違えれば重い罪に問われていたはずだ――おそらく所有者の管理責任を問われて、廉太郎の方が。
「では、そろそろ帰りますか。常人の魔力量と魂の強度ならば、とっくに疲れて果てている頃合いです」
「俺の魂って丈夫なんだ?」
魔力量はそれこそ人形が必要になるくらい多いと聞いていたが、魂の強度まで高いとは。
それにしても魂の強度とはいったい――そう尋ねてはみたものの、「魂の強度は魂の強度です」と答えられては、理解しようとする気もなくなってしまう。
「廉太郎の魂だからこそ、こんな効率の悪い独学の魔術に耐えていられるんですよ」
「ところで、何で俺の魂って丈夫だったり、魔力が多かったりするんだ?」
かねてよりの疑問を、クリスにぶつける。
それによる問題はクリスが解決してくれているが、原因があるのなら気持ちが悪い。それに、偶然そうなっているとはとても考えにくいのだ。
「さぁねぇ、別世界の魂だから――とかじゃないですか?」
考える気も答える気もなさそうだったので、それ以上は聞かなかった。
町へ戻ってきたのは、すっかり昼を回ったころだった。
丁度空腹を覚えていたので、食事でもできる飲食店を探し歩く。考えてみれば、昼食を取ろうとしたのはこっちに来てからこれが初めて。ユーリアの小食に合わせていたのと、慌ただしい事情が重なってのとで、すっかり一日二食の生活に慣れてしまっていたのだ。
当然、店を探すのにも慣れておらず気後れしてしまう。なんとなく、人が多く集まる店の方が安心できる感じがして、丁度いい心当たりに向けて足を動かした。
高く盛り上がった立地と塔のようにそびえ目立つ機関本部。その一階に隣接する大型食堂である。
一般の住人も広く利用しているようで、機関職員らしき制服姿から私服や作業着までと、様々な客層が席についている。
それでも時間的に空きだしてはいるようで、空席のほうが目立っていた。
「あ」
ふと、横長のテーブル席に座る、真っ白なフードの特徴的な姿を見つけた。反射的に、廉太郎は声をかける。
「こんにちは。ロゼさん」
「――ぁ、君か……」
呼びかけた廉太郎に気付いたのか、ロゼは食事を続けながらも顔を向けた。そして、自身の近くに座るようにと、空いた手で合図をしてくれる。
いきなり話かけてしまったので、口の中が塞がっているのだろう。それ以上何も言われないが催促しているような目線に、進められるまま隣の席へと手をかけた。
その時。
「――おい、何知り合い顔で寄って来てんだよ」
「えぇと……」
鋭く悪態が飛んできて、廉太郎は向かって正面の声に目を向けた。するとそこには、ロゼと同席していたらしい青年、ローガンの姿があった。
分かりやすく敵意――というより、迷惑だという念を感じられて、廉太郎は気まずさからも固まってしまった。
――あぁ、この二人、そういう……。
以前もロゼの容態について大きく心配する様子を見せていたし、ロゼも気の置けない相手であるように振る舞っていた。とすると、ローガンにとっては邪魔な横やりどころか、自分の女に寄って来た敵にさえ映るのだろう。
しかし、何だ――この、感情とも言えない心のざわつきは。
味わったことがない。
廉太郎は自分の魂というものの存在を、そのとき始めて意識できた。
その魂が、それも一部だけが――悲鳴をあげている。
その実感がある。今すぐこの場を立ち去らなければ、どうにかなってしまうという確信。
しかし、その理由がまるでわからない。
この場と状況で起こったことを考えれば、知り合いの女性に男がいて、それで――そんな可愛らしい、嫉妬と動揺くらいしか想像がつかない。
だが、違う。
絶対に違う。
これは、そんな生易しい現象では有り得ない。
「こいつに関わんなって言ったろうが。あぶねぇんだよ、お前の魂は――おいこら、聞いてんのか?」
「やめろよローガン、食事中だぞ」
二人の会話で、はっと目が覚めた。
心臓の痛みと錯覚するような、鋭い魂の痛みが徐々に消えていく。先ほどまでどれだけ魔術を繰り返しても痛まなかった魂が、落として砕けた水晶のように痛くてしかたくなっていた。
ほんの一瞬のことで、二人には気づかれていない。
しかし、隣でこちらを覗き込むクリスの表情は、珍しく驚愕したように見開いている。
気のせいではない、ということ。
「危険なのは分かってるってば。うっかり触らないように気をつけるさ」
食事を止める気がないのか、ロゼは手と口を動かしながら器用に言葉を繋げている。そんな様子を見て、ローガンは気疲れでもしたように目を細めた。
「うっかりで人に触るやつだから言ってんじゃねぇか、お前は」
「ごめんごめん――あっ、水を持ってきてくれ」
「俺のをやる」
「ありがとう」
受け取ったコップを一息で飲み干して、ロゼは黙々と食事を続けている。並べられた料理の数からも、同席するローガンがとうに食事を終えているところからも分かるように、人並みよりだいぶ摂取量が多いようだ。
女性とはいえ大体の男より背が高いのだから、その分食事量が多くても不思議はない。
しかし見事なものだ――それとも、心配になるほど少食のユーリアとそもそも食べられないクリスの隣にいたことで、感覚が麻痺でも起こしていたのだろうか。
「えーと、お二人は付き合ってるんですか?」
突然、クリスがそんな確信を突いた。
とたんに。
「ハ――」
「ふふっ――」
二人は共に、気の利いた冗談でも聞いたかのごとく失笑を漏らした。
それはとても自然に見える反応で、二人にとっては本当に、思ってもみないような仲を疑われたのだろうことが分かる。
「いや、面白い冗談だが、こいつとはただの腐れ縁だ」
「うーんでも、傍から見るとそうなるんだろうね。いつもつるんでるから」
すごく仲が良さそうに見えるのだが、お互い特に意識はしていないようだった。
すると二人のやり取りを聞いたクリスが、声を絞るでもなく廉太郎に余計な一言を放ってくる。
「ですってよ。元気出してください」
「――本当に言って欲しくないことを的確に言うな、お前」
先の問いの直後にそんなことを口にすれば、明らかな誤解が生まれてしまうのに。
絶対分かってて言っているのだ、いつもいつも。何度繰り返せば気が済むのだろう。
せめて、ユーリアまでにしてほしい。そのタイプの冗談が通じる――というより、自然消滅する人だから。
「あぁ、照れなくていいよ。無理もない。私に惚れない男はいないから」
「凄いですね、いつも……」
ロゼはロゼで、冗談を凄まじい自己評価の高さで乗り越えてくる。
それでいて、嫌味に感じる部分がまったくと言っていいほどない。多分本気で言っているのだろうし、『まぁ、大げさでもないかな』という気分にさえさせられるのだ。