第二十話 「ちゃんと覚えてくださいよ?」
「戦闘訓練などと大げさなことを言いましたが、基本的には座学です」
「わざわざこんなとこまで連れてきたのに?」
風の音しか聞こえない周囲を見渡して、廉太郎が問う。
クリスに誘導されるままに町を出た後、二人は正門から続く道を脇に逸れ、しばらく歩いてたどり着いた――もの寂しい荒地。
人工物は何も見えず、人の気配もなく、農耕地からも離れた場所。いかにもな場所だと勝手に身構えていただけに、拍子抜けしてしまう。
「まず私達にできることと、仮想敵がしてきそうなことを大体……でいいから知る必要があります」
「仮想敵、ね」
できれば何者とも戦いたくはないのだが、身を守るためには考えられる脅威を把握しておかなければならない。いざ襲われたとき、敵の動きが何も予想できないようでは話にならない。
「まずはおさらい、ですかね」
「おさらい?」
「魔力と魔法、それから魔術について」
どれも聞くには聞いていた概念だが、その理解は非常に曖昧で、ぼんやりとしている。直に目にしたこともあるのだが、やはり実際に知る必要性にかられて、進んで覚えようとしたことはない。
「魔力は……魂が生み出すエネルギーだろ?」
「そうです」
魂、そのものとさえ言える。
ゆえに誰もが持つものであり、そこに種族は関係がない。
個人個人が持つ魂が燃焼することで魔力を生み出し、己の魂へと蓄えられていく。
「魂なんて人によって違いますから、当然魔力にも個人差があります。最大保有量や燃焼速度、それから質ですかね」
「人によって魔法が強かったり多く使えたり、回復速度が早かったりするってことかな?」
種族ごとに扱える魔法の特色が違うのも同じ原理だ。魂の構造自体が根本から異なるために、そのような差異が生まれる。
魔人種が死霊に形を与え。
妖精種が世界の理を凌駕し。
亜人種が己が自我に執着するように。
人間の魔法が殺傷に特化する。
「失った魔力は、休息と時間経過による魂の燃焼で回復します。ちなみに、外部から補充する手段はありません」
「お前は違うのか?」
クリスが使用する魔力は、廉太郎の魂から引き出している。今もそうだ。しかし「人形は例外ですから」と本人が言うように、そもそも魂が繋がっている状況自体が特殊であるのだろう。
ゆえに例外。
――もしかして。
クリスには魂自体が無いとは言うが、それは一般に言う『心がない』などのニュアンスとは一線を画しているのではないだろうか。単に魔力の生成器官が無いというだけで、神経質に捉える必要は――
「――あの、聞いてます?」
「あごめん、聞いてなかった」
「話しが理解できないのなら言ってくださいね? ちゃんとキレるんで」
「もうちょっとキレてるじゃん……」
今のクリスには遊びがない。この座学が生存率を上げるために開かれたものである以上、話しを聞いていない生徒など癪に障るだけに違いないのだが。
「だから次に、『魔法でどんなことができると思います?』って聞いてたんですけど?」
「えっと、空を飛んだり光線を出したり――」
「不可能ですよ人間には。わざと言ってんですか?」
実物を見るまで心に抱いていた空想のイメージだが、とりつく島もないほど即座に否定が飛んでくる。魔法が使えたら何がしたいかとアンケートを取れば、まず間違いなく飛行が上位にくるだろうに。夢のない話だ。
「人間にできるのは――」またも集中力が欠いた廉太郎を文字通り見透かして、諫めるように強調し、一呼吸。「魔力を外に放出して操ることです」
言うや否や、突如クリスが膜を帯びた。
体を包むように現れた、透明色のオーラ。
しかし、それには不思議とまとまりがある。超常的な現象と呼ぶにはあまりにも物質的な、立体感さえもが伴っている。
やがてそれは、クリスから剥がれるように浮かび上がると、廉太郎との間に躍り出る形で宙に制止した。その物質はふわふわと、そのまま滞空して見せている。浮力がばらついてでもいるのか、形状が絶えず変化していた。
「――似てる、水に」
言葉にして呟くと、もうそれ以外の何物にも見えてこない。
触れてみると、手が呑み込まれた。抵抗感は驚くほどない。攪拌してみると水流が生まれ、形状が流れに沿って変化していく。
それでも崩れることはなく、一個としてのまとまりを維持しながら滞空を続けている。
桶に貯めた常温の水に、手を入れたような感触。
引き抜いてみると、手は濡れていなかった。感触だけは残り、体温がそこだけ僅かに下がったような実感がある。
「水だ」
「そうです。魔力をこの世に現出して操るには、物質としての形が必要なんですよ」
魔力は本来、この世に存在する物質ではない。それぞれの魂の中にだけ存在する、影響力を持たないエネルギー。
それに水としての姿と性質を与え、疑似的な物質としてこの世に具現化する。
不確かなエネルギーのままでは、この世に存在することができない。
「どうして水なんだ?」
「都合がいいからです。不定形で操りやすく、硬度を与えれば武器にも防壁にもなりますから」
その言葉通りに、宙に浮かんだ疑似水体がその形質を変化させていった。
頬を冷気が撫でる。
――硬度を与える。水が氷へと変化するように、具現化した魔力が個体としての性質を帯びていくのだ。
水体が氷塊に変わるのに、瞬きほどの時間もかからなかった。
「綺麗だな」
無色透明。
ガラスのように美しく、冷たい。
「でも凶器ですよ」
「違いない――」
以前、これが弾丸のように撃ち出されたの思い出されて、思わず苦い表情を浮かべてしまう。
触れると当然硬く、押してみても空間に固定されたかのようにびくともしない。痛いほど冷たくて、たまらず手を離していた。
一度、クリスに実際に襲われたから分かる。このような氷塊が、数えきれないほどの命を奪っているのだろうと。他種族を狩りつくした、血に濡れた氷塊だ。
しかし凶器や武器は、それがどれだけ凶悪であっても見る者を引き付ける魅力がある。
芸術品のような、美しさと荘厳さがある。
「あっ」
不意に形が崩れて、冷気が消えた。
再び液体となった魔力が宙を漂い、二人の周囲を移動していく。それは徐々に勢いを増し、ホースで放たれた水流のように細まっていった。
地に落ちることもなく、クリスの制御によって器用に飛翔し続けている。
「精密制御が可能なのは、周囲数メートル。それ以上は上手く操れず、制御を失った魔力はこの世界から消滅してしまいます」
クリスが指を差すと、その軌道に沿って一直線に水流が空を切る。
離れた魔力の疑似水体は、ある程度進んだところで幻のように消えてしまった。制御範囲から外れたのだ。
この世に存在足らしめていた物質としての形状が保てなくなり、跡形もなく消滅していく。
「これが魔力放出、操作の基本です。『水体操作』とか『氷波』だとか、ローカルな名前がたくさんあるんで好きに呼んでください」
「じゃあ、次は応用を聞こうか」
廉太郎は聞く前から、次にクリスが示す魔法が何なのか分かっていた。
一連に披露した魔法も、殺傷力は高いのだろう。敵を水体で飲み込み、氷結させるだけでも命が奪える。
しかし、より殺傷力の高い攻撃を既に知っている。
クリスが廉太郎に向けた技はそちらであったのだから、むしろ応用というより常套手段。
「そうですね、これではあまりに近接戦闘だ。銃でも使ってた方がリスクがない」
だから――にやりと笑い、クリスは指を曲げて見せる。
『あぁ、それ好きなんだなぁ……』と、廉太郎は反射的に身構えてしまった。やはり一度銃口を向けられていると、その脅威が心理に焼き付かれてしまうらしい。
「勘違いしないでください。私は実銃の方が好きです」
「――冗談でもそれはやめろ」
少しむっとしたように一指し指を向けられて、本気で背筋が凍ってしまう。その動作から氷の弾丸が撃ちだされるのを、身をもって知っているからだ。
――というか、実銃が好きというのもそれはそれで物騒な話である。道理で隠し持っていたはずだ。
「いい感じに脅威を覚えていてくれたようで、話が早いですね」
クリスは腕を動かすと、指し示す標的を変えた。
視線を追った、その瞬間。
「――ッ」
独特な、鋭い射撃音が周囲に響く。
何度か聞いた音だ。火薬に頼らない分、響き渡る音は音速を越えたことにより生まれる衝撃波のみ。
軌道が目で追えるわけもなく、ただクリスの「――惜しい」という呟きで、何かを狙って撃ち損じたらしいことだけがわかった。
「氷の、銃撃――」
「ええ、オーソドックスな遠距離攻撃魔法です。射程と威力は、そっちの世界のハンドガンにだって負けませんよ」
そう言ってクリスは、撃ちだした弾と同じ氷塊を形成して見せる。手に取ったそれは指先ほどの大きさで、聞きかじった大口径のライフル弾と比べても遜色がない。
これを、この世界の人間は誰もが自在に撃ち出せる。
魔力切れという限界はあれど、リロードの隙は限りなく少なく、丸腰という事態はありえない。
この魔法が猛威を振るうことは疑いようがない。
効率的に、標的を殺し続けているだろう。
「まぁ、そうなんですが――人間同士で戦闘になると、これは使えません」
「――えっ、どうして?」
「覚えてませんか? 廉太郎が私に向かって実銃を撃ったときのことを」
「あぁ……」
クリスに向けて、威嚇射撃を放ったことがある。急所こそ外すつもりだったのだが、弾丸は不自然にその軌道を変えて、明後日の方向に飛んでいったのだ。
「ちょっとその弾丸、私に向かって投げつけてみてください」
言われるがままに、遠慮なく握った弾丸を放り投げる。この至近距離では絶対に躱せない程度に、力はこめてある。
クリスに当たることは絶対にないと、分かっていたからだ。
「これは魔法というか、法則のようなもので――」
予想通りに、同時に三発放られた氷の弾丸はそれぞれがでたらめな軌道を描き、クリスから遠ざかるように隣をすり抜け、地へと落ちた。
「人間はなぜか、飛び道具から守られてしまうんです」
実弾も、氷弾も、投石さえも。
途中で何かの力が加えられているとしか思えないほどの不自然さで、人間には決して当たらない。
人間だけに。
「お前が、防御とかしているわけじゃなく?」
「えぇ、勝手にね。寝ていても発動しますよ」
「それは――」
それではまるで、世界が人間だけを守ろうとしているかのよう。
――何なのだ、いったい。
突然人間に魔力が目覚めたかと思えば、皆が他種族を滅ぼそうとするようになったり、不可解なルールで守られるようになったりと。
思い過ごしだろうか。
全てがたちの悪い都合で動かされているような、何らかの意思を感じてしまうのは。
「まぁ、こんなしょうもない力なんてどうでもいいんですよ」
落ちた弾丸を一つ拾い、クリスが廉太郎に軽く放る。額に当たって、ひんやりとした軽い感触が脳を突いた。
そのことになぜか、少しだけほっとしている。
「だから人間は他を虐めるのは得意になりましたが、互いに殺し合うのは以前より困難になってしまったんです」
遠距離ではお互いに有効打がない。となると、接近してからの近接戦闘を行うしかなくなる。
だが今度は、自由自在に操れる水体操作の射程範囲にお互いが入ってしまう。
凶器の隠しどころが魂である以上、丸腰である瞬間が存在しない。
「これを打開するためにたどり着いた答えが、魔術というわけです」
「なるほどね」
対人間用に開発された、魔力を用いた殺人術。
魔術師と呼ばれる存在は、それを習得した者たちだ。
他種族に敵意を向ける人間が、そのために得たような力をもって、あえて同族を殺す術を求める――滑稽なほど、皮肉を感じる話だ。
「そうか、人間が人間を抑える必要ができたってことか」
人間を制御する力が確立できなければ、軍や警察による治安維持さえ困難になる。
安心して、日々を暮らすことでさえも。
であれば当然、一般人と魔術師の間には天と地ほどの戦力差がある。そこまで圧倒的な武力がなければ、人の社会は機能し得ない。
「はい。魔術師の放つ射撃魔術は、人間の時空障壁さえ貫通します」
一度私達で再現できたあれですよと、クリスは本題を切り出すように笑っていた。