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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第十九話 言いかけた言葉

 一目惚れした、なんて話が好きではない。

 人を好きになるのは仕方ないとしても、それで即、付き合おうとできる思考回路が理解できないのだ。

 相手のことは何も知らないし、知ってもらえてもいない。

 互いに何も知らないのに、知り合いや友人を飛び越えてより親しい関係を求める理性に欠けた行為。そう上手くいく関係でもないはずだ。すぐに合わない点の一つや二つ、お互いに気付いてしまうだろうに。

 だから出会って数日そこらで、娵府廉太郎よめくられんたろうが人を好きになることはありえない。そこまで他人を安く見ていないし、迷惑な都合を抱えるつもりもなかった。

 それに、廉太郎は元の世界に帰るのだ。一日でも早く。

 言ってしまえば、離れることを望んでいる。

 二度と会えなくなるだろう。

 本当は友人どころか、知り合いさえ作るつもりはなかった。親しくなればなるほど、別れを惜しませてしまうから。


 ユーリアが友達だと言ってくれるのは、とても嬉しい。

 それを後悔するようでは友情を裏切ることになるし、するつもりもなかった。

 後悔してしまえるような、心のない人間でもない。

 ――しかし、廉太郎は願っている。

 自分のために惜しむ別れが、少しでも軽いものであることを。










 朝食を終えて食後のお茶を飲んでいると、ユーリアが「ちょっとこれから、クラヴィーノのところに行ってくるわね」と切り出した。

 思い当るのは先日出会った、人間に怪我を負わされた一人の子供。


「あの、魔人の子の?」

「そう。大事にはならなかったみたいだけど、やっぱり顔が見たいのよ」


 表情を曇らせるユーリアを見て、廉太郎もまた痛ましい思いに包まれる。ユーリアと違って実際に目の当たりにしているだけに、生々しい情景が思い出させられて、気分が悪くなった。

 クラヴィーノは人型の節足動物のような異形の体を持つ魔人種だ。だけど隣にいて感じたのは、話しているだけで明るい気分にさせられるようなあどけなさだけだ。

 クリスより幼いような、そんな子供。

 だからこそ、その悲惨に心が痛い。

 元から深い付き合いのあるユーリアにとっては、なおさらだろう。


「俺も行こうか?」

「ごめんなさい。私以外の人間が近づくと、他の子たちを警戒させちゃうから」

「他の子?」

「えぇ。みんな町の郊外に住んでいるの」


 あの後の様子を気に病んでいたのだが、事情が事情だけに引き下がらざるを得ない。

 どれだけにぶかろうとも、事情には気づく。

 魔人種は他の人種族ひとしゅぞくと比べて、最も異なる特徴を持つ存在。この町と共存しているとはいえ、人間と彼らとの間には微妙な緊張関係がある。

 特に仲間が傷つけられたばかりとなれば、余計な刺激を与えるべきではない。


「申し訳ないけど、今日は別行動になってしまうわ」

「謝らなくていいんだよ」


 本当にすまなそうに笑うユーリアの様子に、廉太郎のほうが恐縮してしまう。これまでずっと隣で世話を焼いてくれていたのに、少し手伝えなくなるだけで悪いと思わさせてしまった、と。

 ユーリアはその親切を緩めるつもりもないようだが、やはり負担を与えているようで心苦しい。


「あっ、私がいない間に危険なことはしないでね? 守ってあげられないから」

「うん……」


 一から十まで気を配らせている現状に、申し訳なさを通り越して情けなくなってしまった。

 こればかりはどうしようもないが、そもそも何かと争うつもりはないので問題になったりしないだろう。


「見張っておきますよ」

「そうね。任せたわ、クリス」


 安心したように微笑んで、ユーリアは一人店を出て行った。「あの子によろしく」と言って見送ると、なぜだか嬉しそうに手を振ってくれていた。


「――さて、今日はどうしますか?」


 アイヴィが食器の片づけに席を離れたタイミングで、クリスがそう声をかける。

 少し考えて、「したいことは二つある」と廉太郎は答えた。


「元の世界に帰る手がかりを探すことと、お前の体をどうにかすることだよ」

「えっ、私の体への興味が……?」

「ああ」


 場所が場所なら捕まりそうな冗談だが、二人きりなので無視してやった。

 思考がそのまま伝わっているはずなので、誤解は生まれないはずである。


「魔力に依存してる手足とか呼吸とか、あと食事とか」


 廉太郎が傍にいれば、歩くことも息をすることもできてはいる。しかし、栄養補給ができるだけで何も口にできていない。食べ物の味も触感も、何も味わうことができないのではあまりに可哀そうだ。

 お茶の一杯すら飲めやしない。

 

「別に。私は元から、食を快楽にはしませんでしたし」


 角砂糖を一つ、クリスが茶の中へと落とす。カップを口元まで持ち上げると、猫が水を舐めるように舌先を浸した。思っていたより熱かったのか、すぐに苦い顔になって口を離す。


「でも――」

「そんなに人間扱いしてくれなくていいんですよ? あまり気を使われ過ぎるのも、迷惑なだけなんで」


 迷惑だ、と言われてしまえば廉太郎には何も言えない。

 クリスのことはまだ、何も知れてはいない。

 しかし、少しだけ出生が異なるとしても、クリスの人柄は人間と何も変わらないように思うのだ。

 なのにクリスは自らを人間として定義していない。そんな存在の心など、廉太郎は想像することもできなかった。

 

「じゃあ、それは会った時にでもロゼさんに相談するとして――」

「あ、でた」

「何が……?」


 知識的に頼りになるロゼに相談するのが最も近道だと思うのだが、何か引っかかる点でもあるのかクリスは妙な反応を示している。

 不審に思いつつも、それ以上はなにも言わなかった。


「俺が俺の世界に帰るためにどうしたらいいか、何か案とかある?」

「はは、何一つ思いつきません」


 頼りないが、責めることはできない。それだけ荒唐無稽なことを言っているのだろう。

 しかし、廉太郎にすらいくつか選択肢が思いつくというのにこの反応。もしや、考える気すら無いのではなかろうか。


「俺の忘れてる記憶も読めるんだろう? この世界に来た前後の状況とか、教えてくれないか」

「駄目ですね、データが壊れてて」

「俺と俺の魂にいったい何が……」


 データが壊れている。

 冗談みたいな例えだがしっくり来てしまう。

 廉太郎は覚えていない。この世界にくる直前、何をしていたか。何月のことで、何日のことだったのか。

 年までは分かる。高校三年生に進学し、学級が変わった覚えが確かにある。夏はまだ来ていなかったはずだ。

 しかし、最も新しい記憶がどこからなのかさえ、まるで思い出せないでいる。見ていた夢でも思い出そうとしているように、ぼやけてしまっている。記憶のピースをばらばらにして、順番をなんとなくで並べ直しているかのようだ。


「でも、提案なら一つありますよ」


 含みを持たせて、クリスは言った。


「戦闘訓練を始めましょう」

「なんで!?」


 思いがけないところから話が飛んできて、つい上ずった声が漏れてしまった。

 元の世界に帰りたいという話をしていたのに、文脈が繋がっていないではないか。無関係どころか、方向としては真逆を向いている話だ。


「必要ないよ。何かと争うつもりなんてないんだから」

「あなたにその気がなくたって、襲われることってのはあるでしょうよ」


 幸い、廉太郎はラックブリックの町という共同体に属することである程度危険から守られてはいるが、先日の男のように話も法も通じない輩の存在は無視できない。

 クリスの言うことはおかしくない。だが、そのために戦闘を見据えた訓練が必要だという発想には、なかなかたどり着くことができないのだ。

 夜道に襲われるのが怖いからといって、誰もが護身術を学ぼうとするわけではない。


「誰にでも魔力があるこの世界は、みな銃で武装して出歩いているようなものだ。なのに丸腰で、銃の危険性も対処法も知らないでいるなんて……危機感が無いとは思わないんですか?」

「それはそうだけど――」

 

 危険な相手と戦える手段を得ようとするのなら、それには相当な時間を要する。一日二日で身につくはずがない。

 すでにこの世界で目覚めて五日目。もうこの上ないほど親には心配をかけているが、だからと言って滞在期間を延ばすわけにもいかない。一刻でも早く安心させてやりたいのだ。

 

「時間はそんなに取りません。無茶なことも要求しません」


 廉太郎の懸念したことをなだめるように、クリスは譲歩する姿勢を見せながら言葉を続けていった。


「ほんの少しだけ、何ができるのか知っておくだけでいいですから」

「クリス――?」


 様子がおかしい。

 何が何でも戦闘訓練を受けさせたいという、強い意志を感じる。口にする言葉は提案だが、まるで懇願されているようにも聞こえてくる。

 口調は変わらないものの、妙な圧がある。

 遊びや酔狂でこんなことを言っているわけではないことだけが、なんとなく分かった。


「じゃあ、少しだけ」


 廉太郎が渋々ながら、ただならない様子に気おされるままにそう言うと、「助かります」とだけクリスは笑った。


「力を少しは覚えたのなら、ユーリアさんの心理的な負担も軽くなりますよ」

「それは……大事だな」


 ユーリアにとって魔法を使えない廉太郎は、外に出したら車に引かれてしまいそうな子犬に等しい。

 目を離すだけではらはらしてしまうような、さぞかし危なっかしい思いを抱いているのだろう。

 それがあそこまで親身にさせてしまう要因なのであれば、確かに、安心させてあげられる程度にはこの世界に順応しなければならない。


「それに、こんなことは言いたくないですが――」


 その言葉通りに、クリスは言い切ってしまうのを躊躇しているようだった。言おうか言うまいか暫く目を泳がせて、やがてそんな葛藤を諦めたかのように目をつぶった。


「私の命にだって関わるんですからね」

「――そうだった、その通りだった」


 今まで渋っていた自分が嫌いになりそうなほど、目が覚めるような衝撃を受けた。

 魔力源である廉太郎が死ねば、クリスは動くことも呼吸することもできなくなる。そのとき次の持ち主が現れなければ、クリスはただ死ぬだけだ。

 廉太郎の生存力は、そのままクリスの生存力に直結する。

 気を張って当然の問題だ。

 なぜ最初から言ってくれなかったのかと、変な苛立ちすら湧いてしまう。


「ごめんクリス。お前が望む限りのことをするよ。上手くできるか分からないけど」

「――だから言いたくなかったのに」


 項垂れた廉太郎を気持ち悪そうに眺め、クリスは苦笑いを浮かべていた。

 クリスはたまに、こうしてよく分からない反応を示すことがある。向こうからは思考まで読まれているというのに、こちらからは普通の隣人以上に謎めいて見える。

 奇妙な関係で、落ち着くこともできないが、まだ時間にして丸一日も続いていない関係だ。きっとそのうち、こうしたところも理解できるようになるのだろう。

 そのためにもっと相手のことを知ろうとする必要がある――そう考えたところで、ふとある事実に気づいた。


「あ、あれ……? 元の世界に帰ったらクリスはどうなるんだ?」

「あぁ、それは気にしなくていいですよ」

「いや、気にしなきゃ駄目だろ」

 

 自分で言っていて、冷汗が流れそうだった。

 人形との魂の繋がりは、持ち主の死でしか断ち切れない。外す技術も当然あるが、それには製造元の設備がいる。ほとんど敵のような外の人間の組織。頼ることはできない。

 だから、廉太郎とクリスの繋がりを解消するという選択肢は無い。

 その状態で、廉太郎だけが元の世界に帰ったのならどうなるか。

 ただでさえ、目の届く範囲に置いておかなければ魔力が届かず死んでしまうというのに――


「もしかして俺、帰れなくなっちゃった……?」

「うるさいですね。連れてきゃいいでしょ、そしたら」

「それだと俺が困るんだけど――」


 親族でもない幼女を連れて、しかも四六時中傍に置いておくとなるとまともな社会生活は送れそうにない。

 それどころか、家族に何と説明しろと言うのだ。

 軽く眩暈がしそうになって、それ以上深く考えるのは諦めておいた。


「あ、安心していいよ……絶対お前の方を優先するから……」


 どうあれ、クリスを死なせるような選択をするつもりはないし、できないだろう。

 それを聞いたクリスはまた何かを言いかけたが、今度は躊躇が優ったようで何も言わなかった。

 これみよがしに大きくため息だけを吐くと、一人席を離れていく。距離をとられると危ないので、廉太郎も引きずられるように席を立った。

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